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第三章 凪白と白鈴

凪白といえば、あるいは宗景より先に、その顔を思い出す方もいるでしょう。もっとも顔といっても、あの子は人目を驚かせるほど華やかな容貌をしていたわけではありません。色が白いといっても雪のように冴えた白ではなく、どこか薄い灯の下に置いた紙のような、柔らかな白さでした。目鼻立ちも、よく見れば少し目が切れ長で、睫毛が長く、唇の色が淡いというほどのものです。


けれども、一度見た者は後になってなぜかまたあの顔を思い出す。言葉を交わした者は、「はい」とか「かしこまりました」とか、ほんの短い返事を聞いただけでも、いつまでもその声が耳に残る。そういう、妙に心から離れない美しさを持っていたのです。


何しろ、あの子は歩くにも音を立てず、物を持つにも、まるでそれが割れ物か生き物であるかのように、そっと指を添える癖がありました。兵算府へも時折、大殿様の御使で封じた書状や小印の箱を持って来ることがありましたが、鍵束の細い音が廊を渡ってくると、書役たちまで自然と筆を止めて、何となくその方を見やったものです。


とりわけ凪白の手は、まだ男の子らしい節立ちも目立たぬ白く薄い手でしたから、黒い封蝋や銀の鍵を扱わせると、その色の対照だけでも妙に人目を引きました。大殿様が以前、

「こういう者は鍵を濁さぬ」と仰ったのも、もっともなことだったのでしょう。


もっとも、宮中にはあの子を可愛がる者ばかりではありませんでした。誰にでも柔らかく、誰にでも逆らわず、それでいて不思議に人の目につく者は、とかく面白く思われないものです。中には、宗景の養い子だからというので、表向きは笑いながら陰では嫌味を言う者もおりましたし、おとなしいのを弱いと見て、つまらぬ悪戯を仕掛ける若い者もおりました。

けれど凪白の方では、何をされても滅多に顔色を変えず、軽く頭を下げるばかりでしたから、それがなおさら、見る者にはいじらしくもあり、また腹立たしくも見えたのでしょう。


そんな凪白のそばに、いつも影のように寄り添っていたのが、白鈴という小さな貂でした。真白といっても、やはり毛の先にうっすら灰を刷いたような色で、眼だけが黒く丸く、細い銀の鈴を首に下げておりました。

あの獣はよほど凪白に懐いていたと見え、昼は袖の中、夜は膝の上、時には肩の上にまで這い上がって、どこへでも一緒について来るのです。凪白が立てば立ち、座れば座り、物を読む時には机の端に鼻先をのせて眠たそうに目を細めている。兵算府の薄井などは、あれを見るたび

「人より賢い顔をしております」

と笑って言ったものですが、実際、その辺の人間よりよほど気配に敏かったのかもしれません。


白鈴のことで、私は今でも忘れられない出来事があります。

ある春の夕方でした。兵算府の仕事もあらかた片づき、御廊の外の空が、青の中へ少しずつ灰を流したような色に変わりかけていたころ、私は帳面を抱えて宮の方へ向かいました。すると中庭に近い石段のところで、若い近習が二、三人、何か笑いさざめいているではありませんか。


見ると、そのうちの一人が白鈴を両手で持ち上げ、ちょうど庭の水盤の上へぶら下げているのです。貂は身をよじって逃れようとしますが、小さいものですからどうにもならない。鈴ばかりがちりちりと細く鳴っていました。


「おい、これを落としたら、宗景がいくらで買い戻すか見てみようじゃないか」


その若者は笑いながらそう言いました。周りの者も、それにつられて笑っております。私はあまりよい気持はしませんでしたが、相手は御側近くに仕える家柄の子弟ですから、うかつに口を出すのもためらわれ、つい立ち止まったままでおりました。


するとその時です。渡殿の陰から、凪白がいつになく足早に出て来ました。顔色はそれほど変わっていませんが、呼吸だけは少し乱れていたようでした。


「それは……どうか、お放しくださいまし」


凪白は石段の下に立って、まずそう言いました。声は低かったものの、いつものように少しも濁ってはいません。若者の一人はそれを見て肩を揺すりながら、


「何だ、宗景殿の蔵から銀でも持って来るか」と言いました。


別の者が、「銀では足りまい」と笑います。

さらに、「ならば凪白、おまえの鍵束と引き換えだ」とも言いました。


そう言って、白鈴を持った男は、わざと水盤の上へ腕を伸ばしました。貂は細い声を立てて鳴き、足をばたつかせます。凪白はそれを見ると、ほんの一瞬ためらったようでしたが、すぐに石段を上がり、その男の前へ膝をついて言いました。


「畜生でございます。何もわかりませぬ。どうかお許しくださいまし」


そしてそのまま両手を差し出し、白鈴を受け取ろうとしたのです。

その指の白さと、水盤の縁の黒い石と、吊られた貂の白い腹とが、暮れかかった空の下に妙にはっきり見えたのを、今でも忘れません。


若い者たちも、さすがに凪白がそこまで頭を下げるとは思わなかったのでしょう。一人は露骨にきまり悪そうな顔をし、もう一人は苦笑いをしながら、


「大げさな奴だ。取って食うわけじゃない」と言いました。


けれど凪白はなお頭を上げず、


「私が叱られるのなら構いませぬ。ただ、その子は水が好きではございません」と申したのです。


これには私も、思わずおかしさといじらしさを一緒に感じました。水が好きではない――たったそれだけの言葉で、あの子は自分の恥も、相手の無体も、皆ひとまとめに包んでしまったのですから。


結局、白鈴はその場で凪白に返されました。凪白は貂を受け取ると袖の内へ抱き入れ、何度も礼を言ってそのまま急いで去って行きました。去り際にちらりと見えた横顔は、さすがに少し赤くなっておりました。私は後でそのことを思い返し、なぜか胸の底に言いようのない寂しさが残ったのでした。あの子は、自分が笑われたことより、白鈴が怯えたことのほうをよほどつらく思っていたのでしょう。


それからほどなくして、大殿様の御前へ凪白が白鈴を抱いて召し出されたのも、確かこの一件の後でした。誰が御耳へ入れたのかは知りませんが、何しろ宮中のことは風より早く伝わります。

大殿様はその話をお聞きになると、

「小さいものを粗末にせぬのはよい」と仰って、

凪白に絹の小袷を一つ、白鈴には新しい銀鈴をお与えになりました。


もっとも、その折の大殿様の御目が、ただ貂を抱く凪白の情深さを賞したばかりかどうか、それは私のような下々には量りかねます。現にその時、宗景が御縁の下から、ほとんど顔色を失ったようにその様子を見上げていたのを、私はたしかに覚えています。もっとも、あの男は何事につけても気の狭いところがありましたから、その時もただ、自分の手もとに置いておきたい養い子が人々の目に触れるのを嫌っただけなのかもしれません。そう思えば思えぬこともありません。


しかし、いずれにせよ、この頃から凪白は、ただ宗景の養い子というだけではなく、白塔の都の中で少しずつ別の重みを持ちはじめていました。本人はまだ何も知らず、白鈴を袖へ入れて静かに廊を渡っているばかりでしたが、その白い手、その低い声、その穏やかな眼差しの一つ一つが、知らぬうちに人の胸へ引っかかるようになっていたのです。


そして、引っかかるものが増えれば増えるほど、やがてそれに値を見ようとする者もまた現れてきます。

言うまでもなく、その最たるものが宗景でした。


けれどあの男は、凪白に値をつけまいとした。

つけまいとしたがゆえに、かえって何より強くその子を囲い込もうとしたのでしょう。私はそのころまだ、そこまで深くは考えておりませんでした。ただ、宗景が凪白のことになると、平生の冷たい眼つきとは打って変わって、まるで火傷でもした人間のように、どこへ手を置いてよいかわからぬ様子になるのを、不思議に思って見ていただけでした。


けれど、その不思議こそが、やがて白塔の都ひとつを秤にかけるような、大きな禍いの始まりだったのです。

今にして思えば、凪白の袖の内で鳴るあの細い銀鈴の音さえ、どこか遠い月蝕の前触れのように、私には思われるのでございます。

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