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春雷・中

 刃浦の中でも高氏は群を抜いて栄えた地である。

 大通りには大店が隙間なく軒を連ね、刃浦随一の消費地として名高い。

 他領からは商機を求め、人が絶えず押し寄せてくるのだ。


 人々がこの小高い領内へ足を踏み入れることを憧れの意も含め“高上(こうじょう)”と呼び、周囲をきょろきょろ見回す来訪者を、親しみ半分・揶揄半分で“おのぼりさん”とも呼んだ。

 高氏の町並みは他領とは異なり、上へ上へと積み重なった階層構造を特徴とし、商家の看板は高く掲げられ、行き交う者の視線は自然と上へ吸われる。

 ――ゆえに、腰の巾着へ意識が届かなくなる。そこにつけ込む者がいないはずもなかった。



「――おっと、ごめんな。よそ見してた」

「き、気ぃつけて歩けよ!」


 人混みの中、肩がぶつかった紫雫久。軽口を返し別れたのち、少し進んで前方の“おのぼりさん”に声をかける。


「これ、落としましたよ」

「えっ……あ、ありがとうございます!」



 紫雫久が差し出したのは銭貨の入った巾着。

 看板に気を取られた一瞬、盗人に抜き取られ――すれ違いざま、紫雫久がそっと手首を払って取り戻したものだ。


「なんとお礼を申し上げれば……少しですが、受け取ってください」


 男は謝礼を差し出そうと巾着の口を開く。紫雫久は辞退したが、相手は引く気配がない。

 義理を押し付けるこの気質、どうにも木氏らしい――そう思いかけたところへ、飴売りが声を張りながら通りかかった。


「じゃあ、そうだな。代わりに、そこの飴ちゃんでも買ってやってくれる?」

「喜んで!」

 男は顔を明るくして屋台へ駆け寄った。




 ――カロン。

 口内で小気味よく転がる飴。形はうさぎだったか亀だったか、もう覚えていない。

 行儀は悪いが、棒を手に持つのが面倒で口に含んだまま歩いていた。



「人助けの味は美味しいですか?」


 背後から伸びた指先が、飴の棒を挟んだ。


「え、――――んン゙っ!」


 次の瞬間、冷えた掌が口を覆う。

 息が詰まるほど静かに、だが確実に――左腕が背へと折り畳まれ、骨のきしむ感触が紫雫久の背筋を震わせた。


 耳元に落ちた声は妙に温度がない。

 ……しかしその声と香りには覚えがあった。


(ちょっと散歩に出ただけなのになぁ……もうバレたか)



()()、もう忘れたのかな?」

「んんっ!」

「そっかそっかぁ……いや、忘れてるよね?現に勝手に外へ出てるし」

「ン゙」

「それともわざと? そっちがその気なら、私も考えを改めないといけないんだけど」


 覆う手がわずかに、喉の形を確かめるように滑った。

 塞がれた口内は甘味で唾液が溢れ、息が苦しくなる。

 紫雫久は、目の前の世界がじわりと暗くなるのを感じた。



 福田領の森での一件以来、柚珠葉は紫雫久を高瀬領内の旅籠(はたご)へ運び、休養を取らせてから剣警試験会場へ向かう段取りを整えた。

 しかし丸一日眠り続けた紫雫久に油断した二日目の朝。

 柚珠葉が朝食を取りに出た隙に目覚め、ふらりと散歩へ出てしまったのである。


 血眼で探した結果――よりによって人助けをして礼の飴を呑気に舐めている姿を見つけ、普段出さぬ絞技がつい手癖のように出てしまった。



「しぃはいいこだから、ちゃんと約束守れるよね?」


 問いかけはやわらかいが、指先にわずかに力がこもるのを感じた。

 顎を上げられ、強制的に視線が合った。久しく見なかった“本気の顔”に、紫雫久は背中へ冷汗がすっと流れるのを自覚しつつ必死に頷く。


「ん、んっ……!」

「よし、戻るよ」


 ぱっと手が離れた。

 解放された呼吸に唾が追いつかず、紫雫久は咽せながら飲み下し損ねた甘い汁をその場に戻した。


「――げほっ、は……はぁ……柚、こんなのどこで覚えたの」

「紫雫久が馬鹿じゃなかったら覚える必要なかったのに。自分が自分で恐ろしいよ」


 えーんと泣き真似をしながら軽く言う柚珠葉に、紫雫久は身震いした。


 そのまま近くの菓子屋に入り、最中を買う。

 苛立ちにはとにかく餡子だ――紫雫久はそう信じており、店主に“溢れるほど詰めてくれ”と頼み込んだ。




《第二章:春雷・中》




「――そうだ紫雫久、今回のは良いとしてもう一つの約束は覚えてるよね?」


 意図せずその形となった切腹最中を見て機嫌を直した柚珠葉に、紫雫久は少しだけ頬を引きつらせた。


「もちろん。公的な場で名乗る時は()()だろ?」


「厳密には紫雫久はうちの養子じゃないけど、父上もそう届けを出しているし。それに、紫雫久を守るためでもあるんだからね?」


 念を押す柚珠葉の様子に、紫雫久は「心配性だな」と背中を叩きながら笑った。

「わかってるよ。俺だってそこまで馬鹿じゃないって」






「………………て、言ってたのに……!」


「井上……?」「聞き間違いか?」「井上って、あの……」

 ひそひそとしたざわめきの中心で、紫雫久は固まっていた。

 顔には「やってしまった」と、はっきり書いてある。


 剣警試験会場となるのは高瀬家の中屋敷。

 志願者の受付は、その表門で行われていた。


 見栄張りでも有名な高瀬家らしく、中屋敷の門でさえも装飾は派手だ――などと余計なことを考えているうちに名を問われ、つい「井氏、井上紫雫久です」と素直に答えてしまったのだ。



「――向井です!()()()()()!……って言いましたよね、この人!」


 紫雫久が固まったまま動けない背中で、柚珠葉が大声を張り上げる。


「そ、そうですよね。ではこちらの血査符(けっさふ)に血判をお願いします」

「はい…………」


 申し訳なさと己の不甲斐なさに顔を上げられないまま、小刀で指先に小さく傷をつけ、“血査符”と呼ばれる特殊紙へ血判を押す。

 そして親指をぐっと押しつけた瞬間――


「え…………」

「うわぁぁっ!」


 血査符がぼう、と火を噴きそのまま燃え尽きた。


「今度は何したの!?」

「わ、わからない!何もしてない!」


 今日の紫雫久はとことんツイていないらしい。

 次から次へと巻き起こる異常事態に、柚珠葉は怒りと驚愕で眉を寄せ、紫雫久は泣きたい気持ちで身の潔白を訴えた。



「……や、やっぱり」


 ぼそりと聞こえた声をかき消すように、朗らかな声が割って入った。


「はーいすみませーん、ちょっと通してもらえますか!」


 場の空気に似つかわしくない軽やかさ。振り向けばそこには、瑪瑙羽がいた。

 紫雫久の「どうしてここに」という目線に、彼は右目をぎゅっと瞑り、にこりと笑う。



「田氏・福田瑪瑙羽です。その血査符、拝見してもよろしいでしょうか?」


 前へ進み出る瑪瑙羽は、受付番から燃えかすとなった血査符と、未使用の血査符とを受け取り、それらを慎重に観察した。


「……血査符というのは元々、田氏に伝わる特殊素材“紅判紙(こうはんし)”を使って作られているものです。血液中の剣脈にのみ反応し、それ以外の物質の影響は受けない特殊なもの。どう扱っても燃えるものではありません。

 見たところこれは別のもの――おそらく、紅判紙に似せた“血影紙(ちえいし)”が使われているかと。血に触れると炎を上げる素材で、主に木氏の暗器によく使われるものです。

 知らずに血判をすれば、誰でも異変を起こせます。だから――」



「確かに、血影紙(それ)はうちでよく作られるモンだ」


 瑪瑙羽の説明に人々が納得しかけたところへ、低い声が割り込んだ。


「――でも、うちは何にもしてないぜ?」


 濡羽色の髪を高く結い上げ、丸太を抱えたような腕を組んだ青年。

 血色の切れ長の瞳は真っ直ぐ前を見据え、立っているだけで圧がある。


木氏(もくし)黒木澄々(くろきすず)か……」

「有名人?」

「いつまでも他人に興味がないね紫雫久は。五参家くらい覚えなよ」

 いつの間にか小動物のように身を寄せ合っていた紫雫久と柚珠葉が、大人しく小声で話す。



「つまりあれだろ? 本来の血査符じゃない、ちょっと危ねぇ素材で作った紙が混ざってただけで、この坊ちゃんには何の落ち度もないってことだ」

「ええ。なので今は臨時の半紙で血判をお願いした方がよろしいかと」


 瑪瑙羽の視線に、受付番は促されるように奥へ走っていった。


「ただなぁ……事実はどうあれ、気になるだろ? じゃあ誰がすり替えたんだ、って話になる。

 福田瑪瑙羽、お前さんの説明だと流れ上、第一容疑者は木氏だ。俺はそれを見過ごすことはできない。わかるよな?」


「私は…………」



「ま、待て! 瑪瑙羽は素材の話をしただけだ。誰もお前を疑っちゃいねぇよ」


 澄々と瑪瑙羽のあいだに走った張り詰めた気配を見て、紫雫久は慌てて身を割り込ませた。


「血影紙はたしかに木氏でよく作られてるけど、いまはどこの領でも手に入る。高瀬にも卸されてるし、紅判紙よりよっぽど一般的だ。

 紙のすり替えなんて、やろうと思えば誰にだってできる。だから――その袖の中のは収めてくれ」


「…………」


 澄々は右眉をわずかに持ち上げた。袖に潜ませた暗器を見抜かれたのは初めてだったらしい。


 紫雫久は二人の間に手を広げ、念を押すように「……いいな?」と視線を合わせた。

 瑪瑙羽は素直にこくこくと頷き、澄々は肩の力を抜くようにフッと笑う。


「それならいいんだ」

 ちょうど戻ってきた受付番の差し出す半紙へ、澄々は軽く血判を押すと、そのまま機嫌良さげに屋敷の奥へ消えていった。



「助かったよ、瑪瑙羽。お前が血査符に詳しくてよかった」

「大したことないよ。あの時のお礼だと思って」


 よほど安堵したのか、紫雫久は瑪瑙羽を抱き寄せ、尚も短く礼を告げる。

 そして今度は無事に血判を済ませ、屋敷の中へと入っていった。柚珠葉も後に続く。




「……瑪瑙羽。どうしてあんな嘘をついた?」


 蒼鉄の声に、瑪瑙羽は少しだけ目を伏せた。


「うん。紫雫久は、友達……だと思ってるから」


 さきほど、瑪瑙羽が言ったことはひとつ残らず嘘だった。

 血査符はすり替えられていない。紫雫久が使った紙も、その後に待機していた紙も、すべて純正の紅判紙――正規の血査符だ。

 では、なぜ異変が起きたのか。


 答えはひとつ。

 血判をしたのが、紫雫久だったから。


 一般に知られる血査符の効果は、血に浮かぶ剣脈から、おおまかな剣技の値を測ること。高氏が一定値以下の者を門前で振り分けるため、受付に置いているのもそのためだ。

 だが、百年以上前に技法が生まれた血査符には、もうひとつの“裏の効能”があった。


 ――ある特定の血脈を炙り出す。


 血査符が燃え上がるのは、その反応の証左にほかならない。


 受付番をはじめ、この場の誰ひとりとしてその効果を知らなかったのは幸運だった。

 とくに、黒木澄々が割って入ってきたときには、さすがに肝を冷やした。



 瑪瑙羽はふと、森で紫雫久を斬ったあの瞬間を思い返した。

 澄鋼が捉えた一瞬の“翳り”は、やはり錯覚ではなかった――それが確信に変わっていく。



「坊ちゃん、行きましょう」

「……うん」


 瑪瑙羽は今日の気づきを、胸の奥底へ沈めた。

 二度と掘り返すことがありませんように、と願いながら。







 ――グワァン!


 銅鑼の一撃が、百をこえる剣士の犇く庭に響き渡る。集まった剣士たちの視線が、一斉に試験監督へと収束した。


「剣警試験・第一次試験は“魔境走(まきょうそう)”。

 一日を耐え抜いた者のみ、二次試験への参加を許可する。――開始!」



 号令と同時に足元の陣が応え、地面が唸りを上げて揺れ、そのままゆっくりと沈下していく。


「初っ端から容赦ねぇな……」

「紫雫久、試験中は例外で刀を抜いていいけど――喧嘩していいって意味じゃないからね?」

「わかってるって。……まぁ、それも高氏の幻術次第だけどな」


 紫雫久は口の端を吊り上げ、これから襲いかかるであろう幻影の質を思って胸を躍らせていた。



 “魔境走”――結界で切り離した空間に受験者を閉じ込め、変化する足場と絶え間なく飛び交う攻撃の中を耐え抜く修行の一種。

 結界内の攻撃はすべて幻影ゆえ実害こそ無いが、精神に作用するため痛覚だけは鋭く刻まれる。

 その精度も痛みの生々しさも、すべて術者の練度に比例する。

 刃浦随一の幻影技術を誇る高氏・高瀬家が試験を担う以上、紫雫久が期待するのも無理はなかった。


 下降が止むと、そこは地下に広がる巨大な洞窟だった。

 魔境走の“初撃”を恐れ、剣士たちは蜘蛛の子のように散り、岩陰へ身を潜めたり、刀を構えたりと、思い思いの態勢を整え始める。



 木氏――黒木澄々は静かに腕の包帯を解き、黒皮鉄の手甲を露わにして臨戦へ移る。

 田氏――福田瑪瑙羽は兄弟子にすがりつき、「だから来たくなかったんだ!」と半泣きで喚いていた。



 紫雫久は全体を見渡し、ひときわ大きく人だかりが密集する一点に気づく。

 中心の人物を囲むように刀を構える者たち――だがその顔つきは、主人を守る盾ではない。意図せず前線へ押し出された兵のような、恐怖を滲ませた色だった。

 対して中央の人物は、周囲の緊張などどこ吹く風といった様子で、優雅に据えられた椅子へ腰掛けている。



「柚、あれは?」

「あぁ……、高氏(こうし)高瀬煌羅嘉(たかせきらか)。ここの()()()()()()だよ。ほんと、いつ見ても嫌味ったらしくて溜息が出るね。

 あそこを囲んでる連中も、好きでやってるわけじゃないだろう。相当な弱みでも握られたんじゃない?」


「ふぅん……」


 紫雫久は前線に立つ、刀の握りも覚束ない男たちへ同情を覚えた。

 指に残る鍵盗人特有のたこ――罪を償うにしても、ここで“壁”にされる筋合いはない。


 もしこのまま人壁へ突っ込んだら、あの澄ましたお坊ちゃん様はどんな顔をするだろう――そう思いかけた時。


「あ゙ぁっ!」

 その人壁が突然、裂けた。


 ――始まった。


 紫雫久の方へも即座に斬撃が飛ぶ。

 抜刀の勢いのまま刃を滑らせ、軌道を外して受け流す。


 速さも重みも申し分ない。紫雫久は口元をわずかに緩めた。



 息つく間もなく、天地が反転する。

 前後左右へ振り回され、まるで壺皿に放り込まれた博打の賽のようだった。

 煌羅嘉の方を見やると、彼は翻弄されるどころか地形そのものを踏み台にし、軽やかに体勢を保っていた。

 それだけでなく、前線とは違い煌羅嘉の傍に控える剣士たちは全員が手練れだと、その足捌きから見てとれる。


「つまんねぇ……」


 興味を失った紫雫久は、崩れた岩を足場に軽々と跳び移り、降り注ぐ矢を舞うように避けていく。

 その最中、鍵盗人の彼を踏み台にする様子が視界に入る。その情景に気を取られたせいで、次の危機に気づくのが半歩遅れた。


  飛び移ろうとした先で、同じ足場を狙った男が緋色の羽織をふわりとはためかせながら着地しようとしていたのだ。


 男も紫雫久に気づき、細く目を上げる。

 滴るように艶やかな濃墨の髪が視界をかすめ、その動きは混沌の只中だというのに、不思議な滑らかさを帯びていた。

 生ぬるい風がひとつ、紫雫久の頬を撫で――息が僅かに詰まる。


(……やば、触れる――)



「紫雫久!」

「――!」


 二人の顔が触れんばかりに近づいたその瞬間、鋭い斬撃が真一文字に割って入った。


「あっぶね!」


 紫雫久は身をひねって難を逃れ、岩場に着地する。

 だが、次に顔を上げた時には、男の姿はもうどこにもなかった。


 わずかに残るのは、

 ――すれ違いざま、喉元をくすぐった微かな吐息の記憶だけだった。





 十の鐘が鳴る頃には、洞窟の空気は戦場の残り香と呻き声で満ちていた。

 痛みに耐えきれず気絶した者、息も絶え絶えに立ち上がろうとする者、そして試験開始時と変わらぬ呼吸と身なりを保つ者――その差は残酷なほど明確だった。

 次の攻撃に備えられる者など、もはや一割にも満たない。


「何をしている。お前の役目は壁だろう」

「―ほら立て!休んで良いなどと思うな!」


 煌羅嘉の冷徹な声に押され、従者の男が横たわる剣士を引き起こす。

 息が途切れがちな剣士は、到底戦力には見えなかった。

 無理に立たせられたその身体は、足を痛めているのかすぐ膝から崩れ落ちる。


「……まあいい。壁は壁だ。並べておけ」


 従者たちはまだ意識のある者を無理やり引っ張り、刀を杖代わりに膝立たせ、一列に並ばせていく。

 その様は、まるでお白洲に引き立てられた罪人の群れであった。



 柚珠葉はその光景に耐えきれず、舌打ちして背を向けた。

 だが、隣の紫雫久は逆に一歩、高瀬家の方へと踏み出す。


「あ、おいっ!」


 制止の声も届かず、紫雫久は煌羅嘉の前に立ちはだかった。



「へぇ、防護壁ですか。煌羅嘉お坊ちゃん様は、自分の身を守るのが本当にお上手ですねぇ」


「……何が言いたい」


「こんな吹けば飛ぶような壁に囲まれてないと試験を生き抜けない、か弱いご子息様なんだなぁと思いまして。

 ずぅっと壁に守られて。これじゃご子息じゃなくて箱入り娘だ。

 認識を改めないといけませんねぇ。

 煌羅嘉お嬢さ――」


 ひゅ、と鋭い剣風が鼻先をかすめた。

 紫雫久はそれを小さく身をひねって避け、挑発的な笑みを浮かべる。


「べらべらと……その口を裂かねば分からないか?」

「裂けばもっと溢れますよ」


 従者たちも一斉に警戒し、紫雫久を囲むように刀へ手を掛けた。

 緊張が洞窟全体を締め上げる。



()()()が、か弱い箱入り娘じゃなくて立派な剣士だと言うなら、彼らを解放してください。

 ――それが嫌なら、俺と手合わせしようぜ」


 その言葉を聞き、柚珠葉は「アッ」と小さく息をのんだ。

 紫雫久は見ず知らずの者を思って怒っているのではない。

 ただ――飽きたのだ、この魔境走に。

 飽きて、誰でもいいから戦いたくて仕方がなかったのだ。


 そんな紫雫久の真意など知るはずもなく、挑発に完全に乗せられた煌羅嘉は刀を抜き、前へと進み出た。



「お前が負けたら、何をしてくれる?」

「考えるだけ無駄じゃない?」

「減らず口を――!」


 言い終えるより早く、煌羅嘉の手元から小刀が閃光のように跳んだ。

 空気を裂く金属音――しかし紫雫久は、刃のぶれに一瞬だけ生じた揺らぎを見逃さない。


(……幻術か)


 小刀が目前に迫った瞬間、すでに煌羅嘉は間合いの内側へ。紫雫久は、ほとんど反射のように鞘から数寸だけ刀を抜き、迫る刃を受け止めた。

 火花が散り、金属がきしむ。

 その勢いを利用し、刃を滑らせて受け流すと、旋回の体勢のまま足元を払う一撃を放つ。


 煌羅嘉は風のように跳ね退き、それをかわした。

 が。

 紫雫久はそれ以上に、刀を振れるだけで胸が昂るような幸福を覚えていた。


「意外と速いじゃん」

「それが遺言か?」


 

 二人の剣戟は一気に速度を上げる。

 高氏伝統――王剣の末裔たる“覇鋼(はこう)”。煌羅嘉が振るうたび、刃が大気を震わせ、覇気と呼ばれる衝撃波が奔る。

 紫雫久の手のひらにびりびりと痺れが走るのは、初めて味わう高氏特有の重撃のせいだ。


 加えて、畳みかける幻術。

 幻影の刃が三方から迫り、虚像の壁が立ちはだかり、視界の端で煌羅嘉の残像が揺れる。


 並の剣士ならもう足がもつれ、混乱で斬り伏せられている。

 しかし紫雫久には、全てが嘘と分かっていた。

 幻の一太刀も、目眩しも、虚像に叩きつける誘導も。どれほど精巧に見せられようと、紫雫久にはその本質が透けて見えた。


 一方で――


(こいつ、化け物か……!)


 煌羅嘉の胸中には焦りが芽生えていた。

 自分とて、ただ甘やかされて育った訳ではない。いつでも取って代われる養子たちと競い、研ぎ続けてきた剣だ。

 そうして掴んだ今の位置。

 その技のどれもが、ここまで通じない相手は初めてだった。


 しかもこちらばかりが息を荒げ、全身が熱を帯び始めているというのに、紫雫久は――戯れのような表情で、楽しげに、こちらの剣を見ている。


 苛立ちが、自然と刀身に乗る。


 

「そろそろ打ち止めかな」


 紫雫久の呟きに、煌羅嘉は血が沸くような怒りを覚えた。

 指先に力が入り、刀を握り直す。


「……だったら見せてやろう」


 彼は構えを変えた。

 空気が一瞬で緊張する。


 

 “覇震一刀(はしんいっとう)

 覇王の名を継ぐ者だけが扱う破断の一撃。

 山一つを抉ると噂される高氏最上級の奥義。


 煌羅嘉は全身の筋力を蹴りへ集約し、地面を砕かんばかりに踏み込んだ。


「――うぉぉぉぉぉっ!!」


 空間が圧迫される。

 迫る剣圧は、ただの衝撃ではない。質量を持った暴風”ようだった。



 紫雫久の口元に、満足げな笑みが生まれる。

 その瞬間、煌羅嘉は悟ってしまう。

(……こいつ、これを待っていたというのか)

 

 今から放つこの一撃は、目の前の男に()()()()()一撃に過ぎない。

 

 


 紫雫久は体勢を低くし、刀を水平に構えた。

 両手で、水面を切り裂くかのように。


 ――ギィンッ!


 轟音とともに剣がぶつかる。

 本来なら紫雫久の腕ごと叩き折るはずの一撃は、まるで深海へ沈むかのように力を奪われ、剣先からするりと抜けていく。


 

「――っ、“滄洌返(そうれつがえ)し”……! お前、井氏の……!」


「お前の剣技、なかなかによかったぜ? 見直したよ、()()()



 剣先の水滴を払うように、振り切られる紫雫久の刀。同時に煌羅嘉の刀は手を離れ、地面に突き刺さった。


 そして。


「――そこまでッ!」


 銅鑼の乾いた衝撃音が洞窟の天井を震わせ、試験監督の声が残響となって広がった。

 試験開始から丸一日――結界が解かれると同時に、地を縛っていた気配がふっと緩む。



 第一試験、終幕。



 立っている者は三十にも満たない。

 血の気の引いた顔、疲労で震える指、そしてまだ闘気の余熱を纏う者。

 それぞれが“生き残った者”として、二次試験への切符を手にした。


 二次試験までは高瀬家での逗留となるため、剣士たちは足取りもまばらに屋敷へ向かう。

 煌羅嘉は従者を引き連れ、その背はまだ怒りの余焔を帯びていた。

 意外にも突破者となった瑪瑙羽は兄弟子に背負われ、澄々は「いいもん見せてもらったよ」と紫雫久の肩を軽く叩き、笑みを残して洞窟を出ていった。



「よくもまぁ、あんな堂々と試験をさぼろうと思えるよね」

「ま、でも柚たちも休めてよかったじゃん」

「え?」


「俺らが手合わせしてから幻術が止まってただろ? 

 最初から、煌羅嘉が地形の変化を読み過ぎてると思ってたんだよ。

 ――やっぱり高瀬の術士、あいつの動き見て都合よく調整してたなぁ」


 柚珠葉は思わずため息をつく。

 気付かなかった自分より、戦闘中にもそんなことを把握していた紫雫久に呆れた。


 

「怪我、してないよね?」

「いやぁダメだ。思ったよりしっかり痺れた。初めて受けたけど、やっぱ覇鋼は重みが違うねぇ」

「だからってわざと全部の技受けたりしないでよ。そういうとこ変態くさいよ」

「はぁ? 柚には言われたくないです〜! 柚だって、」


「――牡丹根(ぼたんこん)半量、霧柳の樹脂(むりゅうのじゅし)二滴、温鹿脂(おんろくし)三匙、薄荷の葉(はっかのは)小片三枚」


 柚珠葉へ突っかかる紫雫久の目の前に、突然、軟膏の瓶が差し出された。

 それと同時に低く落ち着いた声が降ってくる。


 紫雫久が顔を上げると、そこに立つのは、先ほど岩場でかち合ったあの濃墨の髪の男だった。


 

「ありがたいお心遣いですが、今回は辞退させていただきます。――藤氏(とうし)佐藤花衣霞(さとうかいか)様……」


 代わりに柚珠葉が戸惑いながら断るが、花衣霞はまるで聞こえないかのように紫雫久だけを静かに見つめ、小さく首を傾げた。

 “本当にいらないのか?”とでも言うように。


「――あの、」


「い、いります! ちょうど、あったらいいなって、思っ……て」


 妙に語尾を濁しながら、紫雫久は瓶を受け取った。

 花衣霞は満足げに一度だけ瞬きをすると、そのまま洞窟の出口へ歩き去った。


 

 紫雫久がしばらくその背を目で追っていると、柚珠葉はわざと肩をぶつける。


「……私たちも行くよ」


 紫雫久は気まずそうに咳払いし、二人は洞窟の薄光へと歩き出す。


 


 こうして、長い一日がようやく明けた。

 剣警試験・第一次試験は幕を閉じ――

 残された者は皆、それぞれの事情と、それぞれの思惑を胸に抱えた。


 この先の試練が、誰にどんな影を落とすのか。

 まだ誰も知らないまま、夜が静かに降り始めていた。


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