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「でぇ? ホントにあると思う?」
焚火越しにシャナイアが尋ねてくる。
魔女がラクシャナや異民族のことを気にするわけがない。彼女が気にしているのはストリゴに現れた化け物のことだろう。
アレが魔女であることはシャナイアとシアーシャには伝えていない。
二人がどのように受け止めるかは不明だが、あのような化け物と自身が類似の存在だと伝えることは躊躇われた。知ったところで意味があるわけでもなし、何か深い理由が発覚するまではジグの胸に留めておくことにした。
「……またアレが現れる可能性は低いと見ている」
「それは予想? それとも希望?」
「予想八割、希望二割だな」
「その心はぁ?」
「奴らはずっと祖先の遺産を追い求めてきた。見つけた遺跡は一つや二つじゃないはずだ。二連続でアタリは夢を見過ぎだな」
「……なるほど、確かに二割は希望だねぇ」
”澄人教の希望じゃないと良いねぇ?”と呟きシャナイアが背を逸らして星を見上げた。
焚火に照らされた紫紺の髪が波うつ。
「だが全く何もないとは言い切れん。何かしら祖先に関係する物があるかもしれない」
「あいつ等が動くからにはねぇ……攪乱の線は?」
「ヨラン司祭の言葉が真実なら、澄人教同士は仲間ではない。攪乱するくらいなら自分たちの手柄を優先するだろうさ」
彼らは後ろにいる大司教次第で敵味方がはっきり分かれている競争相手だ。
ギルドの追っ手を振り切るために手柄を諦め、囮になるような自己犠牲精神を持っているとは思えない。
「シャナイア、お前がどんな思惑で付いてきたかは知らん。だが行動を同じにする以上は使わせてもらうぞ」
「魔女相手でも容赦なく利用しようとするその思い上がった発言。たまらないねぇ……いいよぉ、遠慮なく使ってくれたまえよ。見返りは当然、要求するけどね?」
「労力に見合った分しか出さんぞ」
ジグの素っ気ない返答に、彼女は金の瞳に焚火とは違う炎を揺らめかせながら嗤った。
その日は何事も起きずに朝を迎えることができた。
寂れているとはいえ一応は街道付近、そうそう魔獣の襲撃など起きない。寂れているが故に野盗の類もこの辺りを狙うことは稀である。捕まりにくくはあるだろうが、そもそも獲物が居ないのでは商売あがったりだ。
他の皆が寝静まり、見張りが眠そうな顔で焚火をつついている。
彼らを他所に、早くに目を覚ましていたジグは少し離れた場所へ足を運んでいた。
「この辺りでいいか」
小さな丘になっていて視線は通らないが、大きな声を上げれば聞こえる……そんな絶妙な距離を保った辺りで足を止める。
別にやましいことがあるわけではない。ただ新しい魔具の実験をするだけだ。
人目を避けてしまうのは癖のようなものだ。剣技こそ何度か見られはしたが、新しい手札を試す前から知られているというのはどうにも落ち着かない。
バトルグローブを付けた左とは反対、右手の手甲内側に仕込まれた魔具を出す。
細い筒状のそれは一見すると暗殺用の仕込み矢のようだ。
「確か……こうだったか」
ガントの説明を思い出しながら手近な木へ狙いを定めると、グローブの突起を押して起動する。
すると人差し指ほどの太さをした糸が乾いた音を立てて射出された。長弓ほどではないが中々に速く、不意を打って放てば避けるのは難しい速度。
発射の勢いで狙いが少しずれたため、木の幹ではなく太い枝に当たってしまった。
命中した糸は勢いこそ止まったが、ぴたりとそのまま引っ付いている。試しに筒から伸びる糸を触ってみたが、手につくことはない。
「……流石、人格を犠牲にしているだけはあるな」
ジグはその出来栄えを見て満足げに笑みを浮かべ、作り手の技術を称えた。
当初、ガントは粘着性のあるなしはどちらかしか再現できないと口にしていた。
なので汎用性を重視したジグは粘着性を諦めたのだが……なんとか要望に応えられないかと試行錯誤した結果、彼は部分的に再現することに成功した。糸の先端部にのみ粘着性を有し、射出した糸を張り付けることができるのだ。
「ふむ」
試しに引っ張ってみると、枝が撓るだけで取れる様子はない。
試験では完全装備のジグくらいなら楽に吊るせたと豪語していたが、間違いないようだ。
糸切奇居虫の糸は約半日ほどで自然分解されたが、この魔具で保てるのは精々三十分とのこと。長いとは言えないが、一時的な使用には十分過ぎる。
直接的な戦闘で有効活用するには練度と工夫が必要だが、嵩張らずいつでも取り出せる縄を手に入れたと思えば中々に便利だ。ラクシャナは山岳地帯という話なのでこれが役立つ場面もあるだろう。
どの程度の強度を再現できているのかは試してみないと分からない。
機会があったら魔獣に対して使用してみる必要がある。
「高い金を出しただけはある」
必要に迫られてとはいえ、稼いでも稼いでも新しい装備に金が消えていくのは精神衛生上よくない。
このままでは”装備を整える、強い魔獣に挑む、さらに強い装備を求める、さらに強い魔獣に”……と無限に終わらないのではないだろうか。いや、現実にはジグも魔獣の強さにも限度があるのでそんなことはないはずなのだが……どうにも不安が拭えない。
「練習をしなければな……金を無駄にしないためにも」
本当に、これでしょうもない魔具が出来上がったらガントを見限るところだ。
もう一度押すと糸を切り離すことができると聞いていたジグは、突起をしっかりと押し込んだ。
「……あ、いけね」
「どうかしましたかガントさん?」
丸二日作業に没頭していたガントが帰る前、突然呟いた言葉にシェスカが振り返る。
お得意様の案件を片付けたことで彼女は上機嫌だ。五百万一括払いにより売り上げは上々、派手な活躍をする傭兵のおかげでエルネスタ工房の評判も向上。今ならガントの多少無神経な言葉や失敗も笑顔で許せる。それぐらいの仕事を彼はした。
なのでいつになく優し気に尋ねる。
するとガントは後頭部をバリバリと掻きながら、ちょっと鍵を閉め忘れてしまったくらいの感覚で笑いながら口にした。
「いやね。ジグ君に渡した魔具なんだけどさ……切り離すのは短押しで、長押しは引き込みだって伝えるの、忘れちゃってた」
「……」
「人一人くらいなら楽に引っ張れるから便利だけど、結構危ないんだよねぇ……ま、ジグ君なら平気か」
シェスカの顔から微笑みが消える。津波が迫る前、急激に潮が引いていくように。
それに気づかぬガントは徹夜明けの、どこか浮かれた笑い声をあげている。
「いやぁ、徹夜するとぼーっとしていけないね! さ、帰って寝よ寝よ」
野営の片付けをしていたシアーシャが重い足音に気づいて振り返る。
「あ、ジグさん。おはようござい……どうしたんですかその顔?」
「…………なに、大したことではない」
「ものすっごい痣になってますけど」
「…………そうだな、すまんが手当てを頼めるか?」
「はい。あの……もしかして怒ってます?」
「―――いや?」
木へ強かに顔を打ち付け、真っ青な痣をこしらえたジグ。
普段通りの無表情のまま、しかし眉間に刻まれた皺だけは彼の内心を雄弁に語っていた。
「ただ少し……苦情の申し立てが必要だと思っただけだ」
紆余曲折あれども旅路は順調に進んでいった。
言うことを聞かず本を読んでいたシャナイアが酷く酔ったり、何故か馬車と並走する冒険者が他からも出たくらいで、野盗も現れず魔獣も襲ってこない平和な旅であった。
幾度かの野営をする中で皆がイサナからラクシャナの文化を聞き、高位冒険者の経験談をシアーシャが尋ね、ジグが人目を忍ぶように新しい魔具を試していく。
そうしているうちに気づけば周囲の景色も変わっていた。平原や荒野が主だった街道は細く、起伏の激しい道を辿るようになってきた。
山岳地帯にあるラクシャナに近づいたのだろう。
「……」
それに比例してイサナが遠い目で風景を眺めることも増えてきた。
刀を抱いて片膝を立てたまま外を見ている彼女は、黙っていれば怜悧な容姿も相まって一枚の絵画を思わせる雰囲気を醸し出している。
細められた目は懐かしい景色に思いを馳せているのか、変わってしまった故郷を嘆いているのか。
生まれ故郷を失ってから一度も里帰りしたこともなければ、懐かしんだり未練を感じた事のないジグにイサナの気持ちは分からない。生き残るのに必死だった日々を過ごしていると、そんな感傷に浸る間もなかった。
傭兵団にいた頃は戦争で各地を転々としていた。
そんな時、偶に彼女のような表情をしている同僚を見たことがある。生まれ故郷が戦禍に呑まれた団員とは事情も抱く感情も違うが、きっと似通った部分があるのだろう。
視線に気づいたのか、ただの偶然か、イサナの翠眼がこちらを向く。
彼女は普段通りを装った口調で、彼女らしくなく穏やかな声で目的地への到着を告げた。
「着いたわ……と言っても、ラクシャナに数ある集落の玄関口ってだけだけど」




