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日が暮れ始め、野営地に適した小川を見つけた辺りで馬車を止める。
魔術で水が使えるのならわざわざ川など必要ないのではと思うかもしれないが、そういうものでもないらしい。魔力の温存や利便性、手間の削減など様々な理由を考慮した結果、水辺の方が効率が良いのだとか。
「……ふぅ」
小川の冷えた水で顔の汗を洗い落とす。
爽快な気分だ。確かに手早くこれを味わうには魔術のひと手間が邪魔に感じる。
生活用水が流れ込まない人里離れた小川のせいか、透明度の高い清流だ。
しかし飲み水にできるかは別の話。見た目がきれいだからと安易に口にすれば痛い目に遭うことだろう。他に選択肢がないのならばともかく、魔術で飲み水が用意できる現状で口にする意味はない。
水袋からゆっくり水分を補給していると、他の面々の様相が視界に入った。
「うっぷ……でそう」
ベイツが苦しげに口元を押さえている。彼の装備は鎧も込みならジグと同等の重さだ、日頃走っていないなら無理もない。それでもついてこれるだけ大したものだが。
「お前、弛んでるな。基礎を怠るなと、新人に言えんぞ」
「わかってらぁ……やれやれ、ミリーナを見習わなきゃいかんね」
グロウから受け取った水を勢い良く飲み干して苦笑した。
つるりとした頭から伝った汗が顎先へ滴る。
「……」
端の方ではイサナがすました顔で額の汗を拭っている。
他の冒険者に情けないところを見せられないと平静を装っているが、小刻みに肩が上下するのを隠しきれていない。水に手を付けていないのは、今飲めば噎せてしまうからだろう。
「……ほう?」
しかし以前に足を競い合った時のイサナならばベイツと同じようにへたりこんでいたはずだ。
彼女は軽装なため馬車に積まれた物資を背負いこんで参戦していた。ベイツと比べてもそう大きな差はない。明らかに持久力が上がっている。
自身の弱点に気づいて走り込みでも始めたのだろうか。
まったく、これだから天才は手に負えない。
何故か”私も走る”と言い出した時には首を傾げたものだが……なるほど、自分がどこまで追いつけたかを確認するためだったのかもしれない。本当に負けず嫌いな性格をしている。
「一朝一夕では抜かせんさ」
ジグは小さく笑うとそう独り言ちて踵を返し、野営の準備を手伝いに向かう。
先ほどからこちらに向いている誰かさんの高性能な耳ならば、その独り言を拾い上げてくれると確信して。
「……ッ!」
背に聞こえる悔しげな呻き声は……聞かなかったことにした。
馬車というのは本当にありがたい存在だ。
荷物も人も運べるし、雨風を気にせず眠れて天幕も必要ない。食事と見張りだけ用意すれば野営になるのだから楽なものだ。
「馬がいるって素晴らしいですね」
馬車で食事を摂りながらシアーシャがその快適性に感激している。
「そうだな。馬と人は切っても切れん関係だ」
「でもどうして馬なんですか? 狼とかじゃいけないんです?」
浮かんできた疑問にシアーシャが小首を傾げた。
もっともな疑問だ。ジグも以前、気になって師に聞いたことがある。
「一つは気性の問題だな。種にもよるが、馬は比較的温厚な性格をしていて人に慣れやすい」
「ま、狼に限らず肉食獣は大抵荒いからねぇ……狩る側の生物が持つ性ってやつさぁ」
シャナイアが硬いパンをスープに浸しながら語る。
狩る側代表の生物たる魔女が言うと説得力が違う。力で全てを御せる生き方をしてきた者の考え方というやつか。しかしそう考えると、格上に徒党を組んで挑みかかる人間のなんと異常なことか。
逸れた思考を戻して話を続ける。
「二つ目は走る際の姿勢だ」
「姿勢?」
興味をそそられる話にイサナが耳を動かす。食事の邪魔になるためか、一本にまとめられた白髪が馬の尻尾のようだ。
「狼や肉食の獣は走る時に背筋が波のように上下するが、馬や牛は背筋がほとんど上下しない。この差は人間が乗る時の負担を考えると想像以上に大きい」
「なるほどな……確かに魔獣でも肉食の奴は頭がほとんどブレない代わりに体の方はすげえ勢いで揺れてる。あれじゃあいくら鞍付けても振り落とされちまうわな」
「なるほど、な。そもそも騎乗に適していない……のか」
人が騎兵に馬を選んだのもその点が大きい。
また馬は賢く人の意図を汲むことができ、軍馬として育てれば戦時の異様な高揚にも耐えることができる。そして有事には非常食にもなる。
「そして三つ目だが、肉食獣は効率が悪い」
「効率……ですか?」
いまいちピンと来ていないシアーシャが疑問符を浮かべた。
「肉食獣の餌はなんだ?」
「お肉です……あっ」
「肉食獣一匹からとれる肉の量と、育つまでに与える肉の量が釣り合っていない。馬や牛は牧草……もっと言えばその辺に生えてる草を勝手に食って育つが、肉食獣はそうもいかない。効率が悪いとはそういう事だ」
単純な手間や向き不向き、性格がどうという問題ではなく、そもそも得られる利益と掛かる費用が致命的なまでに割に合わない。そして割に合わない商売をする者など誰もいない、それだけのことだ。
「狩るならともかく、家畜化するには無駄が多いんですね……勉強になりました」
得心したシアーシャが感心したように頷いている。
「見かけによらず……って言葉を何度思ったかな。あなた意外と博識よね」
「俺ではない。師が何でも知っている男だっただけだ」
ジグの師……傭兵団副団長、ヴィクトール=クレイン。
クレインという姓は団長が作ったもので、脛に傷もつ者や過去と決別した者に名乗らせた。
ヴィクトールの出自は団員でもほとんどが知らず、また安易に聞くことを躊躇わせる空気を身に纏った豪傑だった。ただ腕っぷしだけの兵とは一線を画し、知識や武勇、心の強さなどあらゆる面で隙の無い完成された男。
傭兵の才しか持たない自分とは文字通り格が違う。
疑問に感じた事は彼に聞けばなんでも答えが返ってきた。
剣のこと、兵法のこと、世のこと……理解できないことはあれど、納得のできない答えが返ってきたことは一度としてない。
「あなたの師か……前にも少し聞いたけど、随分な傑物のようね」
イサナが武者震いして刀の鞘を撫でる。
ジグがこれほどまでに持ち上げる人物と一戦交えてみたい……そんな内心があふれ出ているようだ。
「よせやい、これから寝るってのに盛り上がるんじゃねぇよ」
一足先に食事を終えたベイツが迷惑だと水を差す。
見張りは交代制で馬車一台につき二名、計六名が担当する。多いと感じるかもしれないが、野盗以上に危険な魔獣という存在があるこの大陸では一般的だ。
たとえ不意打ちで一人が食われても、もう一人が悲鳴を上げるくらいの時間は作らなくてはならない。
最初の担当はジグとシャナイアだ。途中でベイツとグロウに代わるので、二人はもう寝なければならない。
「やぁん! 二人っきりだね、ジグくぅん?」
「そうだな、だが横には座るな。互いの死角を補う位置を意識して、まとめてやられるのは避けろ」
「……やぁん、すっごく現実的」
隣で阿呆なことを抜かすシャナイアを流すのも慣れてきた。
次いでジグはちらりと馬車の方を見ると、ため息をついて向かいへ回ろうとする彼女の耳元へ声を潜めて囁きかける。
「あと」
「ひゃん!?」
「生娘かお前は。……耳の良いのが一人いる。話の内容には気を付けろ」
「うぅ……ボクぁ生娘ですう」
シャナイアが耳を撫でながら消え入るような声で苦情を申し立てる。
自分からぐいぐい来るくせにちょっと近づくと途端に身を引くのが非常に面倒くさいなと、ジグは心の中だけで思った。
脛を蹴られた、見透かされているらしい。
表情は変えていないはずなのにどうして見抜かれるのか、不思議でならない。
「見え見えだよっ!」
これが魔女の勘というやつなのだろうか。




