76話 「不可能の宣言」
覚悟が決まった、なんて漫画の主人公みたいな格好いいことを言ったけれど、その割にはまだ脆い。言ってしまえば所詮は十五の子供の覚悟なのだ。
確かに足の震えも止まったし、緊張は和らいだ。けれど、それだけだ。ルナの成長という外的要因に頼って、支えてもらって、立ち上がっただけに過ぎない。
でも、今はそれでいい。こうやってもう一度立ち上がることができるなら、自分の罪のせいでどうしようもなくなった人たちの前に立つことができるなら、それでいい。
ふと横を見ると、イルが不思議そうに小首を傾げている。ファルベの言ったことを全く理解できていないのだろう。それも当然だ。ファルベが一人で勝手に色々考えて、思い悩んでいただけだから。
彼女は単なる部外者で、無関係者でしかない。でも……いや、だからこそ彼女の無邪気な言葉で勇気づけられたのだ。
「だから……ありがとな」
「え……わたし、何もしてないよ?」
「何もしてない……か。そうか、お前にとってはそうなんだろうな」
ファルベの目の前にいる少女には、何か特別な行動をしたという意識はないはずだ。だって、彼女からすれば初対面の同年代の相手……それも同性の相手と仲良くなることなんてその程度のことなのだから。
簡単で、わざわざ意識するまでもない当然の出来事でしかないから。
でも、そんな「当たり前」はファルベとルナにとっては「当たり前」なんかじゃない。普通の人生を送っていない二人には普通の関係を築くことすら普通じゃないのだ。
だから、普通で当たり前で、何も特別なことはない「友達」になってくれて――
「――ありがとう」
「え……? ええ……っと、こ、こちらこそ?」
混乱に混乱を重ねてその上に動揺をトッピングしたようなグチャグチャな心内からかろうじて出てきたのはそんな言葉だった。
もはやイルも自分で自分が何を言っているのか分かっていないだろう。アニメであれば目がグルグルになっているであろう混乱状態の彼女を見てファルベは、
「……それにしても、お前何でこんなところに来てんだよ」
現在、ファルベがいる場所は広場の端に設置されたお立ち台の裏だ。舞台裏、とでも言った方がいいかもしれない。
そんな場所にくる人間はおらず、ファルベは出番までの待ち時間を適当に過ごしていただけだった。それなのに、イルは何故かここに来ている。何か用があるというのなら全然気にならないのだが、見た限りそれは無さそうだ。
イルはファルベからそう質問された瞬間に、何かを思い出したかのように「あっ!」と声を上げると、
「そうだ! ボールがこっちにとんでこなかった?白色で……このくらいの大きさのやつ!」
両手を肩幅程度で広げて、大きさを表すイル。子供用玩具で有名なものだ。程よい柔らかさで弾力もあり、そこそこ丈夫で価格も安い。この村でもその玩具は使っているようだ。
「……っていうか、俺がこの師匠のところに居座ってたときも売ってたし、なんなら持ってたな」
そういえば、ファルベもその玩具で遊んでいる時期はあった。ラウラがどこかへ行ってる時とか、暇な時間は特にやることもなかったので適当に投げたりしていた。
そんな時代を思い出して懐かしみつつ、ボールの行方を探る。だが、そもそもこの近くに飛んできたようには思えない。もし仮にここまでボールが来たのなら、いくら勘が鈍り切ったこの状態でも流石に気づく筈だ。
「こんなところまで来てないと思うけどな。一回もそれらしきものを見てないし」
「そっかぁ……どこ行ったのかなぁ……」
ガクリと肩を落としてどこかへ歩いていこうとするイル。恐らくボール遊びはイルだけじゃなく、他の子供たちも参加しているため、急いで回収しないといけないのだろう。
ファルベはお立ち台の裏から顔だけを覗かせて、広場の様子を確認する。見たところ人だかりはあるものの村長やラウラの姿が見えなかった。そこから、すぐには始まらないだろうと予測を立てて、
「少しの間でいいなら、俺も付き合って一緒に探してやるよ」
トボトボと立ち去ろうとしていたイルに手を差し伸べる。その提案を聞いたイルは表情が明るくなって、
「ありがとうございます! 多分この近くにはあると思うよ!」
さっきまでとは打って変わって喜び勇んで歩き出す。ちょくちょく敬語とタメ口がゴチャゴチャになっているところが気になるのだが、それは指摘するほどのことでもないなと思い、イルの後に付いていく。
「……と、その前に顔を変えとかないとな」
ファルベが話す前に変に絡まれたくないので、自分のスキルを使って色を付ける。顔自体の形は変わらないが、色を付けるだけでも結構印象は変わるものだ。近くにいたルナですら気づけないその変化は、ほぼ確実にこの村の住人も見破れない。
そうして、素性を隠したファルベは、イルと共にボールを探しに歩き出した。
*
「……はあ。それで、こんなにギリギリまで来なかったんだね。全く、あんだけ緊張してたくせに妙に余裕のあるやつさね」
ファルベが探し物から戻ってくると、出番ギリギリだった。結果としてはちゃんと見つかって、事なきを得たのは良かったのだが、再び舞台裏まで来ると、腰に手を当て、呆れ顔で待つラウラの姿があった。
ラウラは別に怒ってはいないし、住人たちの様子も探しにいく前とさほど変わらないので、遅刻ではないと思うが、ギリギリでラウラを心配させたのはファルベの落ち度だ。
イルのボールが茂みに入っていて、探しにくかったのが完全に想定外だった。
「悪かった。ちょっと行けそうだなー……って思ってたんだけど、予想以上だった」
「ま、良いさね。遅刻してたら流石に怒ってただろうけど、そうじゃないなら大丈夫だよ」
取り敢えず、説教は回避できたようで一安心。そもそもラウラ自身が説教をするような性格じゃないのも知っているが、それでもこれだけギリギリだと、小言を言われてもおかしくなかった。
「心の準備はできてるかい? もう住人たちが今か今かと待ってるからさ」
ラウラはまだファルベの覚悟ができていないと感じているのだろう。彼女がファルベと会ったのは、屋敷の時で、広場に来たあたりからラウラはどこかへ行っていた。
だからラウラは心配しているのだろう。住人たちからの悪意を受け止める準備ができているかどうかを。
けれど、ファルベはとっくに覚悟ができていた。というか、ファルベがルナの「ししょー」である以上、遅れをとっているわけにはいかないから、覚悟を決めるしかない。
「ああ。大丈夫だ。もう出て行ってもいいのか?」
「ん?あんたが行きたいタイミングで行けばいいさね」
「了解。じゃあ、行ってくるわ」
こんな反応は予想外だったのか、ラウラは驚愕の表情を浮かべる。緊張してる割にはあまりに軽過ぎる態度のファルベは、いつも通りの表情のままお立ち台に登ると、辺りを見回す。
すると、広場が一瞬にして静まり返り、次に小声で何かを話し始める。
その中のだいたいは、「生きてる……?」や、「本物だ……」や、「村長の言ってたことは本当だったんだ」といった、驚きの声だった。
ただ、一部には舌打ちをしたり、明らかに敵意を向けてくる人間もいた。
おおよそ想定通りの展開だ。こうなることは最初から分かってた。それが怖くて今の今まで逃げてきていたが、もう足は震えない。思考もちゃんと回る。視野を広げて立つことができる――つまり、いつも通りだ。
いつも通りなら、何にも怯え縮こまる理由はない。住人たちの密集する場所を見つめ、大きく息を吸うと、
「――まずは、俺が五年前のあの時。皆さんの大切な人を手にかけてしまったこと。もう取り戻すことのできない、かけがえの無い時間を奪ってしまったこと。それを謝罪します」
悪いことをしたら謝る。この世界の誰もが小さい頃から教えられた、当たり前のこと。それをしなければいけない。
深く頭を下げたファルベは、少し長めに下げていると、外した視界のどこかから、
「謝って許されることだと思ってんのかよ!」
「頭おかしいんじゃねえの!? そんなもんで許せるわけねえだろ!」
「死んで……死んであの世の皆んなに詫びろ!」
口々に飛ばされる罵倒の言葉が、ファルベを襲った。当然のことだ。これだけ言われても反論できない。してはならないほどのことをやったのだから。何も不思議なことはない。当たり前の事象だ。
ファルベは下げた頭を元に戻すと、もう一度広場全体を見回す。ズラリと並んだ住人の顔ぶれは、もはや先程までの穏やかな雰囲気はない。今すぐに暴動が起きてもおかしくない状況だ。
彼らがそれをしないのは、村長やラウラがファルベの立つお立ち台のすぐ真下で見張っているからだ。それがセーフティとなって、一応暴動を抑えることはできている。
「謝って赦されることではないと、俺も分かってます。ですが、俺が自首してから二年間、俺が犯した罪で悲しむ皆さんのことを考えない日はありませんでした。死刑が宣告され、しかしこうして生きながらえてから、自分のやったことの罪深さを知りました。それから、ずっと皆さんに謝罪の場を設けないといけないと思っていたにも関わらず、今日という日まで姿を表さなかったこと。まずはそれを謝罪させてください」
誠心誠意、思っていることをそのまま伝える。ずっと、謝らないといけないと思っていた。罪を告白して、償わないといけないと分かっていた。だけど、これまでアイナハル王国で新たに引き受けた仕事が忙しいからというもっともらしい理由を付け、逃げ続けていた。
そんな自分を変えるためには、ちゃんと最初に、そのことを謝罪しなくてはならない。
「調子の良いこと言ってやがるが、それなら何で今までここに来なかったんだよ! 結局は俺たちに正体がバレたから都合の良いこと言って誤魔化そうとしてるんだろ!? 皆んな騙されるな!」
広場に集まった住人の中の誰かが、大声でそう言った。声の感じからして大人の男性だろう。その声が上がった瞬間、周囲の住人たちが、賛同の意を示し始めた。
「そうよ! 騙されないで!」
「そうやって僕たちから同情を誘おうとしてるんだな。その手には乗らんぞ!」
「絶対そうに決まってる! この野郎……俺たちを馬鹿にするのも大概にしろよ!」
「姑息で卑劣な外道め! どこまで性根が腐り切っておるんじゃ!」
老若男女問わず次々に上がる声は、場の空気を震わせるほどに大きくなり、ファルベの全身を打ちつける。これほどまでに何を言っても否定される現場なんて誰も体験したことがないだろう。
謝罪をしても罵倒され、謝罪しなくても貶される。今ファルベが立ち会っているのは、そういう場所だ。
「これまで俺がこの村に訪れなかったのは……正直に言ってしまえば、怖かったんです。こうして皆さんから糾弾を受けることが。だから今まで逃げていたんです……逃げ続けてしまったんです。皆さんの言う通り、俺は最低で、最悪で、どれだけ償っても償いきれない、罪に塗れた人間です」
自分は犯罪者を捕まえる人間だと考えていれば、その間は気が楽だった。ファルベが仕事熱心だったのは、別に正義感とか、戦うことに楽しみを見出したとかではない。罪から目を逸らすことができるから、だからファルベは冒険者狩りとしての仕事を全うしようとしていたのだ。
それ以外にもあるにはあるが、大半の理由がそれであることは間違いない。
だけど、そのままではいられないと、そのままでいてはいけないと思ったからこそ、
「それでも、俺はそんな人間のままでは駄目だと、そう思っています。償いきれないから、逃げ続けるなんて姑息な人間から、変わりたいと思っています」
住人の罵倒に負けないくらいの声量で正面から訴える。どれだけ言ったって、相手はこちらを認めない。そんなことは言われなくても分かっている。だけど、こうして話すことで少しでも彼らの心に響く可能性があるなら、それに賭けたいのだ。
「……思うだけで! 変われるわけねえだろ! 誰がてめえの言うことなんて信じるか!」
「そうだそうだ!」
「今この場で腹を切れ!」
罵声は変わらず突きつけられる。それもそうだ。ファルベはまだ、償う方法を提示していない。何の根拠もなく、変わりたいなんて言ったところで綺麗事としか思われない。
根拠もなく感情で信じてほしいなんて言えるような状況はもう五年前のあの日から既に失われている。
「信じてもらえない……それは分かってます。俺の立場を顧みれば、そうなるのが当然です。そこで、俺から一つ、皆さんに提示したいことがあります」
その言葉を聞いた瞬間、広場に満ちる悪意の渦が少しだけ収まった気がした。まるで聞き逃せない話に、耳を澄ませているかのように。
「それは――俺が犯した罪を償う方法、です」
――ずっと、ファルベは考えていた。どうしたら罪を償えるのか。重すぎて背負い切れないほど抱えたこの罪をどうしたら雪げるのか。
考えても考えても、これまで答えは出なかった。だけど、この村に来た時に……正確にはこの国に来る道中で、あることに気づいた。
そして、ラウラから補足で説明を受けてから、一つの手段が、頭に浮かんでいた。
ファルベの命をかけて、罪を償う手段が。それは――
「明日の夜、俺は北の森にいる魔物を一人で討伐しに向かいます。この命にかけて、この村を――いや、この国を脅かす魔物を倒し、皆さんのこれからの安寧を保証します。それが、俺のできる皆さんへの償いです」
――村の住人たちですら、結果の見え切っている、不可能の宣言だった。




