38話 「ししょーの師匠」
ギシ、ギシ。一歩足を進める度に床板が軋むような音を立てる。
その音は、足元の不安感を煽るようだが、不思議なほど床は丈夫に感じる。滑らかな質感の木材は足裏にしっかりと密着し、不安定とは程遠い安定感を生み出している。
一歩。薄暗い廊下を確かめるように踏みしめる。少し前が見えづらい程度の薄暗さは、明かりがつけられていないから、というだけで別に現在が夜だからという理由ではない。
その廊下を歩くのは二人の女性だった。一人は焦げ茶の外套をすっぽりと被った小柄な体型をしている。もはや女性ではなく、少女と呼ぶべき彼女は、薄暗い中で一際目立つコバルトブルーの双眸を携え、黒髪を短く切りそろえている。
いつもなら元気そうな笑顔で周囲を明るくする少女――ルナは、どこか緊張感のある面持ちになっている。
その前を先導するように歩いているのは、赤い髪を背中の辺りまで伸ばした大人の女性だ。
強い意志を秘めたつり目に、薄い桃色をした唇を引き結び、困ったように眉をひそめている。
赤を基調としたコートで身を包んでおり、この村の人間とは一線を画している。
そして、彼女の特徴において、より印象的なのは、隻腕であることだ。
包帯でグルグル巻きにされている彼女の右腕があったはずの場所は、肩から先が存在していない。
事故か、なんらかの争いによってかは本人に聞かないことには分からないが、一応予想としては一つだけあった。
この村が、かつての師匠の被害者が集まっているなら、彼女の欠損も彼によって行われたのではないか、ということだ。
とはいえ、それはあくまでも予想に過ぎない。確証があるわけでもないし、確信できるような何かがあるわけでもない。
それに、師匠の過去を知ったとして、それでも彼を信じたい気持ちもあり、彼女の腕の欠損さえも彼の行いだとは思いたくはなかった。
そんな複雑な心情の中であるため、いつもの活発さが顔を潜めて、緊張感を感じているような表情をしているのだ。
薄暗い廊下、という環境もそれに拍車をかけているような気もする。
床の軋む音だけが響く。会話がなく、そもそも口を開かないこの空間において、それしか音を立てるものがない以上仕方がない。
少し時間が経って、その静寂を破ったのは、
「……はぁ。そんな小難しい顔をしなくても、別にアタシはあんたのことをとってくったりしないさね」
後ろを振り返って、呆れたような顔をした女性の方だった。
*
時を少し遡って、この村のリーダーとされる女性の屋敷の前。
メルトは、自分の目的を果たすためにルナと別行動に移った。
一人残されたルナは大きな存在感を放つ建物をもう一度見上げて、それから意を決したように敷地へ足を踏み入れる。
綺麗に整えられた庭木に挟まれた石畳に導かれて、扉の前に辿り着く。
屋敷の規模に見合った、立派な扉だ。そこまで美的感覚に鋭くないルナでもそう認識できるほどに。
ゆっくりと手を持ち上げて、扉を叩く。呼び鈴のようなものは見当たらなかったので、取り敢えずそうしてみるが、これで出てきてくれるのだろうか。
そんな少しの不安を抱きつつ、しばらく待ってみるが、懸念を証明するように反応がない。
「……留守、ですかね」
それか、気づいていないか。どちらであっても、もう一度扉を叩く意味はなさそうに感じる。
ここまで送ってくれたメルトには悪いが、一旦諦めて出直す方がいいか。
そう見切りをつけて踵を返そうとする、寸前。
「待たせて悪いね。それで、どちら様――って、本当に誰だい? 見ない顔だね」
どこか気怠げな赤髪の女性が、扉を開けていた。
「あ、お初にお目にかかります。ルナと言います。少し、聞きたいことがあって尋ねさせてもらいました」
「へぇ。アタシに聞きたいことねえ。あんた、どこから来たんだい?」
「ルナは、この国の隣国のアイナハル王国から来ました……連れてこられました」
「誰に、ってのも聞きたいところだけど、取り敢えずはいいさね。ともかく、別の国から来たってほどだ。よほどのもんなんだろうね。なら、立ち話ってのもなんだ。中に入って話をするとしようか」
言って、ルナを一瞥した後屋内へ入っていく。慌てて付いていくルナ。
*
そうして、今の状況へと至る。
名も知らぬ彼女から呆れ声で言われて、ルナは自分がそれほど思い詰めていたのか、と驚く。
「すみません。少し気を張り過ぎていたようです。お気遣いありがとうございます」
「あんた、まだ年若いってのにちゃんとしてるねえ。ここの子供達にも見習わせたいもんだ」
「そう……ですかね。自分では当然のことだとばかり思っていたのですが」
「子供が礼儀なんて考えなくても、精神が未熟な内はそれが許されてるもんなんだ。あんたみたいな礼儀を学ぶようになるのは、もうちょっと先の筈なんだけどね」
ルナ自身、あまり気にしてはいなかったが、自分の態度は一般的ではないのか。
しかし、ルナは先の言の通り、これが普通だと思って生きていた。今になって考えてみれば、ルナと同じくらいの年頃でルナのような話し方をする人間はいなかったが。
どうして、教えられているわけでもないのに、これが普通だと思っていたのか分からない。
「…まあ、それは良いさね。あんたがそういう人間だってだけの話さ。この戸の先が応接間になる。あんたの聞きたいことは、その部屋で聞くよ」
いつのまにか、廊下を渡り切っていたようだった。ルナと女性の前には襖があった。
女性がそれを開き、畳の敷かれた広い部屋へと出る。
そこには座椅子と木造の長机が置かれていて、なるほど応接間と呼ぶのに相応しい部屋だろう。
女性は豪快に座ると、ルナに手招きする。言われるがままに、女性と反対側の座椅子にちょこんと可愛らしく座るルナを微笑ましく見つめて、
「それで?アタシに聞きたいことってないんだい?」
改めて、ルナに問う。
「……『冒険者狩り』について、お聞きしたいです。貴方は、その人物を捕らえた方だと聞いていまして、この村の誰より詳細な話を聞けるかと」
「――『冒険者狩り』、懐かしい名前だねえ。その質問に答える前に、アタシも名前を言っておかないと話づらそうだね。アタシの名前は、ラウラ。あんたのいう通り、その話題に関しちゃ普通の人間よりは知ってるさね。なんたって――」
長く伸びた赤髪を揺らして、こちらを見据える女性――ラウラはそこで一度区切ると、
「その冒険者狩りと呼ばれた子とは一年半、一緒に暮らしてたからね。当時はあの子から、『師匠』なんて呼ばれてたこともあったね」




