29話 「洗脳」
目の前で行われたそれは、見間違いようもなく、他の誰が見ても間違うことのないほど、美しい土下座だった。
「ちょっと待て、お前何を……」
この世界の犯罪者は基本的に自信過剰な場合が多い。というのも、冒険者という時点で、ある程度スキルによる強さが担保されており、その力を過信しているからだ。
弱い魔物や無能力の人々に対しそれを振るうことで、自身のスキルが誰にも負けないものだと錯覚してしまうからだ。
だからこそ、これまでファルベと相対してきた犯罪者は一様に自信過剰な節が見受けられたのだが、今目の前で土下座する男にはそれがない。
「僕じゃ、ぼぼ僕じゃないんです……。どうか、許して……下さい……」
途切れ途切れな言葉で、謝罪のようなうわ言を呟く。顔が隠れてしまっているのでどのような表情を浮かべているのか分からないが、悲壮感はありありと感じられる。
「あ、えっと……とにかく中で詳しく話してもらえるかな」
いつものぶっきらぼうな口調も崩れてしまうほどに、ファルベは動揺していた。
*
彼の自宅、その内部は恐ろしいほどに荒れ果てていた。壁や床にはいくつもの傷が入っており、足元は移動するのが困難なほど物が散乱していた。
本当にまともな生活が遅れているのか疑わしいというレベルだ。
「それで、これまでの話をまとめると……」
その部屋で男の話を聞くこと一時間。異様な臭気にもそろそろ慣れてきた。……嫌な慣れだ。
「つまりあんたは複数人の冒険者に脅されて、殺しを行ってしまったと。俺たちが来たときにすぐ出てこなかったのは、その犯行がバレたと思って怯えていたから……それでいいよな」
「そ、そそそんな感じ……です」
相手が認めたことに少し安心したように息を吐くと、フードを一層目深にかぶる。
そして、
「その冒険者ってのは誰なんだ? あんたの知り合いとかか?」
どのような事情があれ殺人を犯した彼に嫌悪することはあれど同情することはないが、彼を唆したらしい人物達の情報は気になるところだ。
「そ、その……分からないんです…」
「分からないって、何でですか?」
引っ掛かりを感じたルナが質問する。全く見知らぬ人間がわざわざここまで来て男を脅すことにメリットを感じないのは同じ意見だ。
「顔は、見た筈なんですけど……なな、名前も、聞いた筈なんですけど……ぜ、全然、思い出せなくて……」
本当に、心の底から困っているという風に眉を寄せて泣きそうな表情になる。
だというのに、
「なるほど、やっぱりか……」
ファルベは何かに納得するように呟く。そして、
「……あ、悪い。ちょっとトイレ借りてもいいかな」
「いい……ですけど……ああ案内、しますね……」
「いや、この部屋に来るまでに見かけたから、場所は分かるよ」
言いながら立ち上がり、背後の汚れた襖を開いて外に出る、その直前。
ルナの耳に顔を近づけて、
「ルナ、あいつの目をなるべく見るな」
真剣な声でそう呟く。
「え? どうしてですか?」
何でいきなりそんなことを言い始めたのか。理解が追いつかない、というより理解できない。
「まあ……とにかく、分かったな」
言うが否や今度は立ち止まることなく、出て行く。
*
どこまで行ってもこの異常な臭気はついてきて、廊下に出てきた今でもそれは感じられる。
このまま真っ直ぐ玄関に向かっていけば建前上の目的地に着くことはできる。
だが、ファルベは真っ直ぐには行かず、階段を上り二階へと向かう。
階段を一段一段上るたびに臭気はより強くなっていって、階段から最も近い部屋、その扉に手をかける。
鍵でもかかっているのか、その扉は力を入れても開く気配はない。
「ここだな」
心底から不快だとでも言いたげに、そう呟いた。
*
ファルベが出て行って、気まずい空気に包まれた部屋の中。ルナはなるべく彼を見ないようにあちこちに視線を泳がせていた。
そんな彼女を男は不思議そうに見つめていたが、忙しない性格とでも思ったのか、少しすると視線を外す。
そんな中、再び襖の開く音。それと共にファルベが戻ってくる。
「あ、ししょー! やっと戻ってきた」
離れている時間はそれほど長くなかったが、気まずい空気に耐えきれなかったのか、ルナが目を輝かせて嬉しそうにこちらへ駆け寄ってくる。
しかし、ファルベはそれに構わず、ズカズカと踏み込むと、男の額に指を当てて、
「な、なな何を……するつもり…」
彼の言葉は最後まで続くことなく、直後、男の顔全体が真っ黒に覆われた。
「なな何で……前が……み、見えない……。何で……」
困惑する男。だが困惑しているのは彼だけではない。
「どうして、そんなことを? ……って、ししょー! そんな手を引っ張らなくても、ルナは一人で歩きますから……」
強引に手を引っ張られるルナもまた、混乱の渦の中にいた。
「いいから、すぐに分かるさ」
襖の奥へ進み、廊下を真っ直ぐ進んで、外に出る。
さっきまでの空気とは全く違う新鮮なそれをしっかりと肺に取り込んで、一つ、ファルベはため息を吐く。
その後、家の中から、男の叫び声が聞こえた。
*
叫び声。ずっとファルベとルナの鼓膜を震わせ続けいているのは、それだ。
高く、高く。どこまでも響く声を聞きながら、
「もう、何が何やらですよ。最初から全部説明してもらってもいいですか?」
子供らしく、可愛らしい怒り顔で説明を求める。
「そうだな。だけど、その前に依頼書をもっかいよくみてみろ。お前、家の特徴ぐらいしかみてなかっただろ」
ファルベに言われた通り、依頼書をもう一度よく見直すと、そこに気になる単語が書かれていた。
「スキル――『洗脳』!」
そう、確かに洗脳と書いてあったのだ。
「ああ、あいつは洗脳のスキルを持ってる。それで――自分を洗脳したんだ」
「え?」
自分を洗脳する、どうしてその結論に至ったのか、そもそもどうして、そんなことをする必要があったのか。
「もっと下の項目に書いてあるんだが、あいつが俺の取り締まる対象になった原因は、『母親の殺害』だ。理由までは本人にしか分からないけど、何らかの事情で母親を殺してしまって、その罪悪感に押し潰される前に、自分で自分を洗脳したんだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。理解できてないんですけど、どうして彼が罪悪感を消すために洗脳した何てわかるんですか?」
「あの家の中、見ただろ?壁や床一面に傷が入っていて、部屋も荒らされていた。明らかにあれ全部人工的にできたものだった。恐らく殺人を犯した時に狂乱してできた傷だろうな」
確かに、部屋は異常なほど荒れていて、床と壁は隅々まで傷があった。
そういえば、異常という言葉で思い当たるのがもう一つあった。
「なら、あのおかしな匂いは…」
「ああ。腐敗した死体の匂いだ。あの匂いの源泉…二階に上がってすぐの部屋に、女の死体があった。それが、そういうことなんだろうな」
理解した瞬間、ルナは喉元まで迫る何かの物体を感じた。
口を押さえてそれを鎮めると、
「なんだか気持ち悪くなってきました……」
「今更かよ。それより、俺はともかくルナもあの匂いを我慢できるとは思ってなかったな」
「なんとか…本当にギリギリでしたけど……。それで、あの方に何で『着色』したんですか?」
ルナ達が部屋を出る前に、ファルベは男の顔を真っ黒に染めていた。その理由がわからない。
「あいつ、自分で自分を洗脳してたからな。それを解いただけだ」
「その自分で洗脳したってのも根拠があるんですよね」
「あいつの言葉を思い出してみろ。『複数人の冒険者に脅されて』とかなんとか言ってただろ。でもな、この村は勿論、この周辺の集落にも、冒険者はいないんだ。だから、脅されようがないんだよ」
彼の言葉が、嘘であったことから自身を洗脳したと見抜いたのか。
「スキルってのは、基本的に精神が安定していないとちゃんと発動しないんだ。動揺したり、混乱したりすると上手くスキルを発揮できない場合が多い。その例は今までもあっただろ。だから、いきなり視界全部奪って、混乱させた」
「それで自分の洗脳を解いて……」
「始めてまともな状態で、自分の現状を直視したんだ」
叫び声の理由。それが明かされたが、すっきりとすることはない。
「ああ、そうだ。因みにあいつの目を見るなって言ったのはそれが洗脳のトリガーだからだな。スキルを体験したことがあったから、なんとなく分かったんだけど」
ファルベの説明が終わった後、しばらくして、彼の悲鳴が止まる。
叫び疲れて声が出なくなったのか。
「さて、そろそろ騎士団の連中に連れて行ってもらわないとな」
そう言って、ファルベは懐から懐中時計のような物体を取り出し、薄い蓋を持ち上げる。中には水晶のようなものがはめ込まれたそれに顔を近づけると、
「あー、聞こえてるか?俺だけど――」
連絡を取り始める。
*
「ファルベ様、お久しぶりですね」
騎士団に連絡してから、ここに訪れたのはいつぞやの青年だった。分厚い鎧を着込んだ金髪の男。その背中には背丈と同等の大剣を背負っており、いかにも騎士といった風貌だ。
「あんた、騎士団の…名前なんだっけ」
「はは。ファルベ様はお変わりないようで。私はアレクと申します。ファルベ様にとってはあまり印象的な名前ではないかもしれないですが、覚えていただければ幸いです」
「いや、昔からの俺の悪い癖だ。最近は出来るだけ名前を覚えようとしてるんだけど……アレクな。多分覚えた」
不安の残る返事にアレクは苦笑いを浮かべると、
「そこまで気になさる必要も……いえ。ファルベ様がそうなされたいのでしたら、それが正しいのでしょう」
「アレク、アレク。うん、大丈夫……の筈だ。それで、アレク。今回の対象はあの家の中にいる。それをあの変態の所まで連れて行ってくれ」
「あの方をそう卑下なさるのもよろしくはないですよ。……変わり者なのは否定しませんが」
「そうかよ。それより、あの家なんだけど、中はだいぶ臭いがきついからな。気をつけてくれ」
「ご忠告感謝いたします。では、私達は作業に取り掛かりますので、ファルベ様達は戻られると良いでしょう」
言って、何人かの棋士を連れて建物の方へ歩いていく。
「と、その前に」
アレクが立ち止まり、ファルベの方へ向き直る。
「まだなんかあるのか?」
「最近、『冒険者狩り』に関して探りを入れている人間が城下町にいるそうですよ。ファルベ様なら問題ないかもしれませんが、一応、報告しておきますね」
それだけ言うと今度こそ彼らは建物の中に入って行った。
その姿を見届けたファルベの心には、言葉に表せない、嫌な予感が漂っていた。
【補足】
最後に登場した青年、アレク君は第6話で出てきている彼です。




