告白
遅刻。すみません
食堂には、既に殿下や兄、侯爵やルキウスの姿もあった。
さすがに全員というわけにはいかないけれど。
私の姿を見てどよめきが起こった。髪が短くなっているからだろう。もっとも、切る前も半分は短かったのだけれど。
「可愛い」
ぽつりと殿下が呟いたのが聞こえて、胸がどきりとしてかっと顔が熱くなった。
何故だか、しんと静まり返る。
「うわぁ、すっきりしたなあ」
沈黙を破ったのは、兄だった。
「父上が見たら卒倒しそうだけれど、とてもよく似合っている」
「マリアさんに切っていただきました」
私の髪が酷い状態だったのはみんな知っていることだから、こうなることはうすうすわかってはいたとは思うのだけど。
「へえ。器用だなあ。センスもいい」
「まあ」
マリアが真っ赤になる。
「さすが女神どのは、潔い。随分と思い切られましたな」
デルファス侯爵が感心したように頷く。
「結い上げて何とかするのかなあなんて、思っていたけど、まあ、エリザベスならそうするよな」
ふふっと、兄が笑う。
確かに結い上げてしまえば、多少の段差ならごまかせるのかもしれないけれど。それこそ、サラくらいの腕が必要で、帝都に戻るまで、ひどい状態なのは、ちょっと悲しい。
「幼い頃のベティみたいだ」
いつの間にか立ち上がった殿下が、私を席まで案内してくれてから、椅子を引く。
「ええと、そうですね」
幼い頃はこれよりは少し長かった気はするけれど、あまり結い上げたりはしていなかったから、そんな印象があるのだろう。
「ありがとうございます」
私は殿下に謝意を述べてから着席をする。マリアはといえば、兄にエスコートをされていた。
「避難させていたから、一部使用人の数が足りていなくて、不自由をさせてすまない。エラヌ嬢にも申し訳なかった」
マリアに私の髪を切らせてしまったことに対しての詫びであろう。マリアは伯爵家令嬢だし、聖女だ。使用人のようなことをさせてしまったのは確かに申し訳ない。
「いえ。エリザベスさまの御髪をお手入れさせていただけるなんて、子々孫々まで語り継いで自慢にいたしますから、お構いなく」
「そんなこと、語り継がなくても……」
さすがに呆れたのか兄が突っ込む。
「しかし女神殿はどんな髪形であろうとお美しい。むしろ、今は武装しておられるから、より凛々しくお似合いですな」
「デルファス侯爵、何度も申し上げて恐縮ですが、その女神という呼称は──」
「諦めろ。ベティ」
殿下がにこりと微笑む。
「侯爵一人がやめたところで、既に騎士たちはみな、ベティを女神だと思っている」
「それはそうですな」
デルファス侯爵は頷く。
「でも……私は魔術師で、聖女はマリアさんのほうですし」
癒しの術を使っていたマリアはキラキラしていて神々しかった。女神というなら、彼女の方がふさわしい気がする。
「焔熊との闘いに疲弊し、火羊に囲まれた時。ああ、もうダメだと思っていた時に、雪が舞いました」
ルキウスが遠慮がちに口を開く。
「乱戦の中、吹雪の中に立つあなたは、まさに私たちにとって氷の女神であり、誰よりも美しく神々しいお姿でした。決して大げさな呼び名ではございません」
「まさにまさに。初陣とは思えぬ、獅子奮迅なお姿でございました。本隊と合流するまで持ちこたえたのは、ひとえに女神殿の活躍があってこそ」
「私一人の手柄ではないのですけれど」
それこそ、師匠やザムスたちを含む魔術師の活躍もあったし、何より、前衛で私たちの壁を務めてくれた騎士たちがいたからだ。
「エリザベスさまはもっと誇られてもいいのに」
マリアが呟く。
「誰にもできないことをやってのけられたのです。ましてやエリザベスさまはもともと女神のようにお美しいのですから」
「ええと、でも。私の顔はどちらかといえば悪役顔だから」
釣り目でキツイ顔で、表情を作るのが苦手な私が、社交界で何と呼ばれているか、私は知っている。
「ベティ」
殿下が静かに私の名を呼んだ。
「度のすぎる謙遜はダメだ。くすぐったいかもしれないが、賛辞は謝辞でもある。ベティは素直に受け取ることに慣れなければ」
「──はい」
私が頷く。
そうか。侯爵たちは、私へのお世辞やおべっかで言っているのではない。どちらかといえば、ともに戦った私への『感謝』や『ねぎらい』の意味があるのだ。それを頭から拒絶しては、失礼かもしれない。ただ、やっぱり女神なんて呼ばれるのは、いたたまれない気がするけれど。
「出発前に、少しだけベティに話がある」
「わかりました」
なんの話だろう。殿下の顔を見たけれど。
その表情からは、まったく読み取ることはできなかった。
食事の後、荷物を軽く整理して、私は殿下のいる応接室を訪れた。
「エリザベスです」
「ああ、入って」
扉を開いてくれたのは、殿下本人で驚く。いつもなら、殿下の傍に控えているはずの兄の姿がない──というか、殿下と私の他に誰もいない。
「扉は、少し開けておくから」
安心して、と殿下は続ける。
皇室の別荘には、さすがに執務室はないらしく、殿下はここで仕事をしていたらしく、テーブルの上に書類があった。
殿下の表情は緊張しているのか少し険しい。
「帝都で何か?」
「いや──とりあえず座ってくれ」
「はい」
私は、殿下に勧められるまま、ソファに腰を下ろす。
殿下は立ったまま、しばらくうろうろしていたが、意を決したように私と対面にあるソファに座った。
「ベティ。帝都に戻ったら、結婚してくれないか?」
「え?」
突然の言葉に私は面食らった。
結婚?
そもそも、まだ婚約もしていない。それに、討伐が終わったら聖女との結婚を望む人たちがもっと多くなるだろう。マリア自身は望んでいないようなことを言っていたけれど、世論は完全に無視できないはずだ。
「ごめん。ちょっと順番がおかしいな」
私の戸惑いに気づいたらしく、殿下は頭を掻く。
「前に、イシュタルが俺がベティに隠していることがあると言ったのは覚えている?」
「はい」
馬術のテストをした時に、そんなことを言っていた。
「何から話せばいいのか、難しいのだけれど」
こほん、と殿下は咳払いをする。
「まず、俺とベティの婚約の件だけれど。ベティはラクセーヌ公爵の意向だと思っていたようだけれど。公爵はどちらかといえば反対でね。父上と俺、とくに俺がベティと婚約したいと思って持ち掛けた話だ」
「……?」
初めて聞く話に、私は目を瞬かせる。
「ようやく公爵が折れたとなったとたん、エラヌ嬢が聖女の力に目覚め、話がややこしくなった。とにかく神殿、というか、あの神官長がエラヌ嬢を俺の婚約者にしようとあちこちに手を回し始めた」
「……それは、なんとなくわかります」
だからこその規約だと、この前も聞いた。
「もちろん、神殿を無視すれば済む話ではあったのだが」
この国では、神殿よりも皇帝の力の方が圧倒的に強い。神殿が何を言おうとも、推し進めても大きく問題になることはないだろう。
「神殿や神殿長には、迷宮遺跡についての情報隠匿や、信者に違法薬物を売りさばいているという疑惑があって」
「え?」
それは国家として由々しき事態なのではないだろうか。
「それでまず、エラヌ嬢が本物の聖女であるのか、また、本物であるなら神殿の意志で動いているのかなどを見極める必要があった」
「それは……そうですね」
神殿はともかく、聖女の力は、この国に必要なものだ。
「聖女であることは間違いなかったが、神殿の意志で動いているかどうかが当初全くわからなくて」
しばらく婚約者候補とし、探りを入れていたらしい。
「とりあえず、神殿に弱みを握られている様子はないのを確認し、エラヌ伯爵家をこちらの保護下におくのに、婚約者候補という座は都合が良かった。だけどそのせいで、ベティに肩身の狭い思いをさせてしまった」
殿下はすまないと頭を下げる。
「神殿側は印象操作で、俺がエラヌ嬢を選ぶかのような雰囲気を作っていった。本当はそんな噂を流している人間、全て処罰してやりたかったが……父上、陛下に確実な証拠をつかむまではその方が相手も油断するだろうと言われてね」
「……それで、証拠はつかまれたのですか?」
「討伐隊の遠征中に、動かぬ証拠をつかんだと陛下から連絡がきた」
殿下は少しだけ口の端を挙げた。
「討伐が成功すれば、俺が聖女を選ぶのは確実だという世論に安心したのだろうな」
「つまり……神殿の悪事が明るみになったと?」
討伐の為に大軍が帝都を離れていたこともあり、警備が手薄になったと思った神殿は、明らかに警戒が緩み、ついに違法薬物の保管場所を摘発されたらしい。
「まあそういうことだ。エラヌ嬢については、神殿も信仰で縛ろうとかいろいろ画策していたようだが、神官長では彼女のことは手に負えていなかったようだ」
「マリアさんは、絵本のお姫さまになりたかっただけですから」
おそらく神殿からは私を退け、『殿下の婚約者』になって、皇太子妃になるということをけしかけられていた彼女だったけれど。
彼女は彼女なりのポリシーでしか動かない人だ。幼いと思われる言動をしていても、けっして誰かの言いなりになる人間でもない。
「それから陛下が気になることを連絡してよこしている」
殿下の表情は険しい。
「今回の迷宮遺跡の穴は、神殿の手のものによって、穿たれた可能性が高い」
「それでは、やはり──」
「詳細はまだわからん。そのへんは、この後、ギスカールにも調べてもらう」
ふうっと殿下は息を吐いた。
「隠していたことは以上だ。神殿を欺くためとはいえ、俺はベティをたくさん傷つけたと思う。だけど俺は昔からベティだけだし、これからもベティだけが好きだ」
「……殿下」
殿下の黒い瞳に私の姿が映っている。怖いほど、真剣な瞳だ。
「私は、ただの幼馴染だったのではないのですか?」
ずっと。
婚約者候補になってからどんどん遠くなっていて。
私だけが好きなのだと思っていた。
「俺にとってベティは初恋で最愛の人だ。だからお願いだ。結婚してくれ」
「そんなの……全然わからなくて……寂しかったです……殿下はずるいです」
嬉しいのに。なぜか口をついて出たのは恨み言で。涙がこぼれはじめる。
「ごめん。寂しい思いをさせたし、我慢もいっぱいさせた。俺のせいで酷い言葉を言われて傷つきもしたと思う」
殿下は私の横に座りなおすと、私の肩を抱き寄せる。
私は殿下の胸に顔を押し当て、しばらく泣き続けた。




