10、大人の余裕は実はない
「よっ、ひさしぶり」
彼は軽く片手を上げて挨拶し、ズカズカと部屋に入ってくる。
初めて会った時には外見に大分年の差があった二人だが、最近はもうエルウィンが追いついて、少し年の離れた友人程度に外見の差は縮まっていた。数年経てばエルウィンの外見はロードに追いつき、そして……追い越すだろう。
それでもロードとアシュリーが重ねた年月にはまったく叶わない。
まったく年をとってないロードが忌ま忌ましい。
「………なんの用だよ」
不機嫌を丸出しに刺の籠った声音で言うエルウィンも意に介さず、ロードは勝手に机の椅子を引き寄せて背もたれを抱くように腰をおろした。そして寝転んでいるエルウィンをじっくり眺めて、溜め息混じりに零す。
「あのさ、姿形真似てどうなるって言うのよ?」
髪の話であるのは聞かなくても判った。
「うるさい…」
「言っとくけど、イライアスてすげーダンディーな男前だったんだよ? 今のエルウィンじゃ逆立ちしたって叶わないし…」
「うるさいっ」
見たこともない男と比べられて明らかに負けていると言われても納得なんか出来ない。でも、その男の真似をして愛されようとした己の浅はかさ……そこに惨めさも加わって歯ぎしりする。
その顔を見られないように、寝返りを打ってロードに背を向けた。
金色の髪が濃い太陽の色に染まっている。
でも……顔が見えなくなっても、それはやはりエルウィンで、顔が見えなくても金髪だからといってイライアスに似てるとは思えない。
姿形がどうではなく、何をしても…何をしなくても、エルウィンはもうエルウィンでしかない。
ロードにとっても……、もちろんアシュリーにとってもそうだろう。
だから養い子の愚行に激怒して、怒鳴り散らす言葉に滲んでいたものは本人さえ気付いていない。
エルウィンと自分では何が違うのか、ロードには判らなかった。
どうして同じことをしても、結果が違うのだろう?
答えが見つけられないまま、ロードは背を向けたエルウィンに話し始める。
「………でもま、オレも昔、エルウィンと同じことしたけどね」
「え?」
吃驚したエルウィンがロードの方を向く。
紫暗の瞳はエルウィンではない何処か遠くを見て、呟いた。
「アシュリーに好きになってほしくて、こっち見てほしくて、イライアスみたいになろうと思った。でも……代わりになんか誰もなれない。イライアスはイライアスで、オレはオレでしか無い。アシュリーが好きだったイライアスを真似て好きになってもらっても、きっといつかボロが出るだろうし。
まあ……アシュリーの場合、意図的に真似てる人とかただ似てるだけの人を好きになるなんてことないけどさ。……怒られただろ? オレ達のしたことはアシュリーの中のイライアスを汚す行為だもん」
ロードの時、アシュリーから繰り出されたのは拳ではなくて、そのまま即行生命を奪う剣の切っ先だった。首筋に押し当てられた刃の冷たさに戦慄くロードに、冷たい琥珀の瞳は告げた。
『もし次そんなことしたら首を刎ねる。真似なんかされるのはウザくてしょうがないのよ』
底冷えのする冷たい声で、アシュリーはイライアスの代わりになりたいと言ったロードのすべてを拒絶した。
欲しいのは、飢え渇いた時に身体を満たしてくれる相手であって、そこに付き纏う想いじゃない。想いはただ、いなくなった人にだけ捧げるもの。
アシュリーの望みに、ロードには頷くことしか出来なかった。
あれから幾百の時を共に過ごし、少しだけアシュリーとの距離は縮まった。だけど、決定的な溝があるのはずっと感じている。
たとえ、アシュリーとの行為後に甘い戯れがあったとしても、それは長い長い哀れなほど長い時間恋い焦がれているロードに抗うのさえ面倒で流されているにすぎない。決して想いに応える行為ではないのだ。
アシュリーの心はロードに捕えられない場所を彷徨い、決してロードのそばにとどまったりはしない。
そして果てしない時間は、それを空しいと思うロードの心さえ何処かにやって、やがてロードは、ただ諾々と彼女を想うことしか出来なくなってしまった。
告げた後しばらく黙っていたエルウィンは唐突に起き上がって、拗ねたように聞く。
「お前オレがイライアスの話聞いたのアシュリーに話しただろ」
「そりゃね、養い子が良くないこと考えてるって一応親に報告しとかなきゃ」
ニヤッと笑ったロードに向かってそばのクッションを投げ付ける。
だからあんなに的確に、アシュリーはエルウィンが髪を染めた理由がイライアスの真似だと判ったのだ。
「余計なことすんなっ」
「だってエルウィン昔から突拍子もないこと良くするから心配でさ。あ、煙草もらうね」
机の上に置いてあった買い置きの口を勝手に切る。そのロードの科白にまたカチンときた。
「………ライバルの心配なんかするなっ」
「…エルウィン?」
銜えた煙草に指先にともした炎で火をつけていたロードは、一服目の煙で霞むエルウィンを見る。黒い目は苛立ちと不満をいっぱいに、こちらを睨んでいた。
「お前のそれもムカつくんだよっ。なんでいつまでも子供扱いなんだよっ!! 馬鹿にしてんのか!? 所詮子供の……人間のすることだって!!」
「別にオレはそういうつもりじゃ…」
「じゃあどういうつもりなんだよ!」
何もかもにイライラして八つ当たりしたくなる。過去の恥を教えてくれて一瞬共感したロードのそれさえも、侮られているからとしか思えなくなった。
どうやったら対等に扱ってくれるんだ!!
訴えるエルウィンの目を真っ直ぐ覗き込んだロードは、微かに眉を寄せ深く煙を吸う。それを吐くのに合わせて呟いた。
「オレは、エルウィンが子供だからライバル視出来ない訳じゃない。オレはもうアシュリーのことで、誰も羨んだり、憎んだり恨んだり、出来ないだけ」
過ぎった淋しさが、またエルウィンを驚かせた。
「ぶっちゃけオレはエルウィンが羨ましいよ。オレはね、もうエルウィンみたいに一生懸命になれないんだ。アシュリーにオレを好きになって欲しい、オレを見て欲しいって努力……もう出来ない。好きだった時間が長すぎて、必死になる方法忘れちゃった。馬鹿にしてるんじゃなくて、もうなんか…オレにもよく判らないんだ」
最後の一言には涙が交じっているような気がした。
でもロードは笑っている。………それでも見せる儚い笑顔は、ロードが抱える苦痛を表していた。
泣いてもいい場面でも笑うことしか出来ない。
辛い苦しいをそのままアシュリーに訴えたら、だったら諦めればいいとあっさり切り捨てる。それでもそばにいたかったから、アシュリーが何を言っても何をしても笑って従った。
そうすることでアシュリーはロードをそばにいさせてくれた。
……束の間、仮初でも幸せをくれた。
だからそれ以上は望めなかった。
そして気が付いたら、望み方さえ忘れてしまっていた。
大人だと思ってた人の今だから判る苦痛を初めて聞かされ、エルウィンは言葉を無くす。
大人だから、ずっとずっと長く生きているから、その余裕がロードの態度なのだと思ってた。
アシュリーと共に生きられるロードには必死になる必要も、瞬きで別れ行くエルウィンをライバル視する必要もないと……でも違って、ロードはロードなりの苦痛と共に恋心を抱き締めていた。
好き過ぎて相手を手に入れたいという希望さえ消えゆく永の時間。
エルウィンには想像もつかない苦痛。
だけど……ギュッと拳を握ったエルウィンは、ロードの…友人の恋を壊す覚悟を決める。
「ロード、それでもオレ、お前に遠慮は出来ない。お前のこといい友達だと思うけど、オレはやっぱりアシュリーが好きだ」
誰を踏み付けてもアシュリーが欲しい。
決意をきらめかせる瞳は、初めて会った日、イライアスのカケラが眠る場所でアシュリーを好きだと言い切った時と少しも変わらない。
「うん……いいよ、エルウィンはエルウィンの好きにしたらいいんだ。今のオレはお前と張り合うことすら出来ないんだから」
枯れない想いはあるけれど、奪われたくないと願っても、だからどうしようという意思は無い。手に入らないのなら、せめて誰のものにもならないで……願いはあるのに、アシュリーが選ぶなら、誰かを選ぶことさえも受け入れてしまう。
叶わないと判った時から、長い長い時間は恋心さえ腐食させてしまった。
「金髪意外と似合ってる、イライアスには叶わないけど……。でもエルウィンは黒い方がらしくて格好良いよ」
淋しそうに笑ったロードは手を伸ばしてエルウィンの髪をくしゃくしゃと乱す。
子供の時もよくそうされた。その時の癖がまだ抜けないのだろう、子供扱いされているのは判っていたけれど、……この数刻でなんだかそれもどうでもよくなった。
こうされる原因が侮られているからじゃないと判ったからだろうか?
頭を撫でるロードを見て少し悩んだエルウィンは、じゃあ…と一つ提案した。
「お前がアシュリーを諦めるきっかけをオレがやるよ」
「え?」
「アシュリーがオレを好きになったら、お前はアシュリーを諦めろ」
「…は?」
突然何? 訝しむ視線を受け止め、強い意思を持った黒い瞳が瞬く。
「それをけじめに、お前はお前の生きる道を探すんだ。じゃないとお前は幸せになれない。お前はライバルだけど、でも友達だから……オレはお前にも幸せになって欲しい、だからアシュリーを諦めろ」
出来ないと言っていることをきっぱりすっぱり突き付けて、エルウィンはそうしろと迫った。
最初は何を言っているのか全然判らなかったけれど……やがてその意味を理解し、ロードは今までとは趣の違う、少し悪戯な笑顔で煙草を揉み消した。
「………それってなんか凄い勝手。都合よくオレを追い払おうとしてんじゃない?」
「それもある。でも……そのままは辛いだろ? だったらアシュリーがオレを好きになるのきっかけに、諦めればいい」
そうなることが当然のように言い切るエルウィンの力強さに、思わず本当に笑ってしまった。
アシュリーがエルウィンを好きになる?
昔は絶対にないと言い切れた。……でも、エルウィンと出会ってから十年という歳月は思った以上に長く、年月が精神に与える影響は絶大だと知った。
だからかもしれない、そんな都合のいい科白に頷いてしまったのは……。
「アシュリーがエルウィンを好きになったら…ね。いいよ、本当にそうなったらオレ、アシュリーのこと諦めて別の人探すよ」
そうしろよ、と子供の無邪気さで笑う彼のことも、やはり愛しいとロードは思った。




