第零話
「ブラッドちゃん?」
「ん」
ブラッドと呼ばれた幼い顔の少年は、母親に顔を向けた。
見た目は三歳くらいに見える。幼子ながらに、その容姿は麗しく、将来が期待された。黒髪に茶目である。モチモチとした肌は、男児がまだ幼いことを証明しており、やけに赤っぽい頬は、幼児特有のものに見える。
対して母親は、二十代にしては、まるで十代のような華麗さと美麗さを兼ね備えた見た目をしていた。金髪の茶目である。その引き締まった身体からは、普段鍛えているのであろうと言うことが見て取れた。
「今日もまた、モンスター図鑑の絵本を読んであげましょう」
「ぃやったー!」
「……」
ブラッドは、夜寝る前に、必ず絵本を読み聞かせてもらっていた。
ブラッドはその時間が大好きだった。特に理由は無かったし、子供なのでやることが外で遊ぶか、或いは寝るかのどちらかしかないブラッドにとって、読み聞かせとは貴重なものだったのだ。
──家の中には、絵本はその一冊しか無かった。家計の事情で本を多く買うことは、金銭的な都合で厳しかったのだ。
「これは?」
「これは鬼豚。鬼豚は小鬼さんよりも強いと言われているわ」
「すごいねー、おにさんすごいね!」
絵本に描かれた赤い鬼は、小さな緑色の小鬼を脅かしている絵が描かれている。何度も何度も読み聞かされた筈の話を、ブラッドは延々と楽しみ、何度も読んでいる。それでも尚、やはりと言うべきか、子供に飽きは来なかった。
「そして、妖精は精霊にめっぽう強いのです」
深海のような深い蒼色の森に、二体の神秘的な妖精と精霊が描かれている。神秘さを称える絵であり、絵本というにはあまりにも精巧なその絵画は、ブラッドの瞳を深青色へと染めた。
「さらに、魔族は天使に対して強いのです」
「おぉぉ!」
「だけど逆に天使は魔族に強いのです」
「……んんー!」
黒い種族と、白き種族が天の上で争っている様が描かれている。天使は羽を生やしたものや、装備を纏った者など様々であった。対して魔族は黒く、赤く、何処までも吸い込まへそうな黒色──漆黒であった。
「それから、魚人は蜥蜴人さんよりも強いのでした」
「……」
ブラッドは目をキラキラさせその話を聞く。人魚のように下半身が尾になった者たちと、身体中を硬く、それでいて鋼鉄のような煌めきの鱗で覆う蜥蜴人が争っている場面が描かれている。非常に臨場感の溢れる絵で、今にも飛び出して来そうな勢いがあった。
「闇妖精は森妖精に対して強いのです」
褐色肌の耳の長い可憐な女性と、白い肌の耳の長い少女が、対比のように描かれている。森の中で対峙する二人の美少女は、共に何を考え、何を思うのか。張り付いたような顔は、決して揺るぐことのない所感を醸し出しており、無表情という状態を、端的に表していた。
「幽霊と獣人は人間に対してめっぽう強いのです」
「人に対して?」
「ええ」
獣人に襲われ、幽霊に攻撃が通じない人の絵が描かれている。余りにも無力な人は多くが逃げ惑う。そんな中、数人の立ち向かうもの達が描かれていた。
「羽妖精は──…」
◇
「龍と神族だけは、どの種族よりも強いのでしたあ」
母親は読んでいた絵本を閉じた。それは絵本の終了を意味した。ブラッドは少し残念そうにすると、母親に問う。
「きょーりゅーさんがいちばんつよい?」
「ええ。一番。最強よ」
「さいきょー……」
ブラッドは目を輝かせる。それは未知なるものへの探究心──ではなく、最強という言葉の語感、誰しもが少年時代は抱くであろう、男ごころである。
「さ、今日は寝ましょう」
ブラッドは頷くと、布団の中へと入る。
「ねー、お母さん」
「?」
「人間は何に対して強いの?」
「……ッ!」
「人間は?」
「人間は………一番…」
人間は──
「……」
その、希望を湛えた目を絶望に染めることは出来なかった。その希望を挫くのは、あまりにも大人気なく、今の彼女にそれを伝える勇気は無かった。
「…いえ、なんでもないわ。人間さんも、一番強いわよ」
母親は静かに、そして言い聞かせるようにブラッドに言い聞かせる。
「さ、もう寝なさい」
母親はブラッドの額に、この世の愛を抱擁したようなキスをする。そして、囁くように告げた。
「おやすみ」




