第82話 この世でもあの世でもない
〝そこ〟は、浮遊する大小無数の大地で構成された世界だった。
大地の質感は石や岩に酷似しているが、その内に宿した青白い光が脈打つようにゆっくりと明滅を繰り返しているせいで、無機物だと断定するには憚れるものがあった。
空と、浮遊する大地の下を見渡せば、こことは違う形と大きさの大地が上下左右そこかしこに浮かんでいる様子が確認できる。
無数の大地の向こうに見える闇色の帳には、流れる川のように動き回る幾億幾兆の星々――いや、星らしき輝きが瞬いていた。
数ある大地の一つ。そこに描かれた魔法陣に光が灯ったのも束の間、その中心に、一人の女が忽然と姿を現す。
女の体は、初めの内は透けていたものの、時間が経つにつれてゆっくりと像を結んでいく。
魔法陣の光が消えるのに合わせて実体を得たところで、女――ルナリア・シャンリーは疲れたようなため息を吐き出した。
「まさか〝右目〟を使うハメになるとはね~。マグレや奇跡でも、ジスファーのおじ様を倒したのは伊達じゃないってことね。ヨハンちゃん♪」
この場にはいない魔法士の青年を褒めながら、ルナリアはステップを踏むような軽やかさで魔法陣から離れる。
「今後ともよろしくお願いしたいところだ・け・ど、ヨハンちゃんはクオンちゃんのお気に入りだし、陛下から絶対に殺せって言われてるし~」
わざとらしく「う~んう~ん」と悩んでいると、再び魔法陣に光が灯り、ルナリアは「あら?」と片眉を上げた。
ルナリアが現れた時と同様、魔法陣の中心に七つの人影が忽然と姿を現し、ゆっくりと像を結んでいく。
透けていた体の存在感が確かなものになっていき、実体を得ていく。
もっとも、人影の半数がもとから実体を持っていなかったため、その表現には些か語弊があるのかもしれないが。
七つの人影の内、〝人〟と呼べる存在はわずか一人だけ。
残りは、地、水、氷、火、風、雷の属性を有した、顔がある人型澱魔だった。
性別も年齢も属性もバラバラの、六体の澱魔を従えているのは、その身に纏った白衣が全く似合わない、筋骨隆々の老爺。
老爺は、白髪混じりのくすんだ金髪とは対象的な、精力に充ち満ちた碧眼でルナリアを見やる。
「首尾はどうじゃ?」
「ご心配なく。ちゃ~んと〝繋げて〟きたわよ。〝翁〟」
「ならいい」
〝翁〟と呼ばれた老爺――七至徒五位、マティウス・マキナスは、当然の結果だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「ところで~……」
ルナリアは、マティウスの背後で直立不動になっている澱魔たちを一瞥する。
「人間を襲うのが大好きな澱魔ちゃんを、こうも手懐けるとはね~。人造澱魔の研究、順調そうじゃない?」
「ふん。順調なものか。問題が山積みで気が遠くなりそうだわい」
愚痴るような物言いとは裏腹に、マティウスは腕白小僧にも似た屈託のない笑みを浮かべていた。
問題が山積みになっていることを喜んでいるようにしか見えないマティウスに、さしものルナリアも苦笑を浮かべる。
ルナリアも魔法研究者に片足を突っ込んでいる人間なので、多少はこの手の人種に理解がある方だが、そんな彼女でもマティウスの思考と感情は毛先ほども理解できなかった。
「それで、次はどこを繋げればいいのかしら?」
「いや、貴様は一度本国に戻っておれ。我輩は澱魔を根拠地に連れて行った後に、陛下に頼まれた野暮用に着手するつもりじゃからのう」
「野暮用って……確か、私が今繋げてきたコークス王国絡みの件だったわよね?」
「そのとおりじゃ。しかも、よりにもよってグランデルのクソジジイの手伝いみたいな内容のな」
吐き捨てるように言うマティウスに、ルナリアは苦笑する。
マティウスと、七至徒第一位――グランデルは、年が近いせいか単に馬が合わないだけなのか、兎にも角にも仲が悪い。
二人が顔を突き合わせた際に必ず起きる、年輪を感じさせる嫌味と、年輪を感じさせない罵倒の応酬は、七至徒名物――ルナリアだけが言っている――になっていた。
「とにかく、最悪の事態に備えて、ユーリッド殿下と、アルトランの小僧、それから最近七至徒になったクオンとかいう娘っ子を〝こっち〟で拾えるよう準備をせにゃならん。面倒なことにな」
クオンの名前を聞いた瞬間、ルナリアはほんのわずかに顔色を変える。
「〝こっち〟で拾えるようにって……クオンちゃんだけは、ちょ~っとまずいかもしれないわね~」
「この我輩が手ずから準備をするのに、何がどうまずいのか、参考程度に聞かせてもらおうか」
「ちょっとちょっと~。そんな恐い顔で睨まないでよ~。まずいのは〝翁〟の仕事じゃなくて、クオンちゃん本人の話だから~」
その言葉だけで察したマティウスは、「ああ」と得心の声を漏らす。
「その娘っ子、七至徒になれる才には恵まれていても、魔力には恵まれてなかったというわけか」
「そういうこと。直接触って確かめたから間違いないわ。クオンちゃんの魔力は、贔屓目に見ても平均以下ね」
「だとしたら、我輩でもどうすることもできんな。コークス王国の状況が最悪にまで陥らないよう祈るか、拾った際に何も起こらないことを祈るしかないな」
「そんな~、クオンちゃんが傷物になっちゃう~……」
ガックリと肩を落とすルナリアに、マティウスは「ふん」と鼻を鳴らす。
「貴様の性癖などどうでもいいが、貴様の魔法士としての能力は高く買っている。そう遠くないうちに、また我輩の研究のために働いてもらうことになるから、それまで精々羽を伸ばすことだな」
「そんなこと言われても、クオンちゃんのことが気になって、あんまり羽を伸ばす気にはなれないんですけど~。それに私、〝翁〟のためだけの研究には付き合わないって何度も言ってるでしょ~」
「案ずるな。今、我輩が研究しているものもまた、陛下から依頼されたもの。我輩のためだけの研究ではない。いやはや、陛下も研究しがいのあるネタを提供してくれたものだわい」
屈託のない笑みを浮かべるマティウスに、ルナリアは投げやりに応じる。
「はいはい、わかりました~。ご入り用の際はまた声をかけてください~」
「勿論、そうさせてもらう。我輩の研究のために……そして、帝国の永遠の繁栄のためにのう」





