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悪愛の復讐者  作者: 亜逸
断章

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第67話 告白

 潜入任務の日々は、〝(ナイア)〟に申し訳なくなるほどに幸せで、〝妹〟に助けを求めたくなるほどにつらかった。


 生まれて初めて恋した、好きで好きでたまらない青年(ひと)と一緒にいるのだ。幸せでないわけがなかった。

 その青年(ひと)を騙し、その青年(ひと)の故郷を滅ぼす工作を続けているのだ。つらくないわけがなかった。


 公国軍兵士(オモテ)、《終末を招く者(ウラ)》問わず、完璧に任務をこなす一方で、ヨハンを救うための布石を人知れず打ち続けた。

 その一環として、この数ヶ月間、公都一〇キロ圏内にある魔導経脈の集約点(スポット)を調べ尽くした。

 ヨハン・ヴァルナスがいる限り、公都内でのディザスター級澱魔(エレメント)の召喚は成し得ないと、それほどまでにヨハン・ヴァルナスが優れた魔法士だと、この地にいる《終末を招く者(フィンブルヴェート)》に、帝国上層部に思い込ませるために。

 同時に、ヨハンの実力を看破し、別のプランを用意することで自分の有能ぶりを改めて知らしめ、国崩しの成功と七至徒入りを盤石なものにするために。


 ヨハンを救うために、ヨハンを絶望の底に叩き落とすために動く自分が、あまりにも矛盾していることは自覚していた。

 自覚していたせいか、ヨハンと恋仲になることを望んでも、そうなるために踏み込むようなことは決してしなかった。


 ……いや、それも所詮は詭弁で、踏み込んだ結果、ヨハンに拒絶されるのを恐れているだけなのかもしれない。

 ヨハンと出会うまで恋という感情を知らなかったわたしには、ヨハンがわたしに恋をしているかどうかなんてわからないから……。



 そして――



 公都ヌアークに潜入してから、一一ヶ月の時が過ぎた頃。

 クオンは、人生最良にして最悪の日を迎えることとなった。


 満月が見守る中、公都の巡回警備の任務についていたクオンは、普段とは比較にならない人の多さに少しだけ圧倒されていた。


(まさかヌアークに、こんなにも沢山の人が集まるなんて……)


 今宵はブリック公国の建国祭。

 ブリック公国中の人間が、公都ヌアークに集まっていた。

 今宵に限れば、ヘルモーズ帝国の首都バルドルの人口密度を凌駕するほどに。


 その帝国のスパイとしては建国祭(これ)を利用しない手はない――と言いたいところだが、クオンの働きにより国崩しの仕込みは(おおむ)ね完了しており、クオン以外の国崩しの実行部隊もすでに潜伏済み。

 また、これほど人が多いタイミングで国崩しを行なうと、〝実験〟に差し障りが出る恐れがあるため無理して建国祭に乗じる必要性は皆無に等しく、()()()建国祭くらいは楽しませてやろうというのが《終末を招く者(フィンブルヴェート)》の意向だった。


(まぁ、公国軍の兵士は楽しんでいられるような状況じゃないんですけどね)


 重ねて言うが、ブリック公国中の人間がヌアークに集まっているのだ。

 兵士の大多数が巡回警備に駆り出されるのは、当然の流れだった。


 現在クオンが巡回している目抜き通りでは、普段はあまり開いていない露店が数多く立ち並んでおり、普段とは比べものにならない大勢の人が食べ歩きに興じていた。


(どうせなら、楽しむ側に回りたかったですね。ヨハンと二人で)


 いつの間にか、自然と、敬称を抜くようになった大好きな人(ヨハン)に思いを馳せながらも、酔っ払いの喧嘩を仲裁したり、人ごみに乗じてスリを働く輩や痴漢を捕まえたり……あれよあれよという間に時間が過ぎ去り、警備交代の時間を迎える。


(これで今日のお仕事は、おしまいですけど……)


 巡回警備の報告を終え、ヌアーク城内にある兵士の詰め所から出てきたクオンは、知らずため息をつく。


(お祭りの時間も、もうすぐおしまいなんですよね……)


 ヨハンも同じタイミングで終業とのことなので、一緒に夕食をとる約束はしていたけれど……やはり、どうしても、ヨハンと一緒に祭りを見て回りたかったという気持ちが強い。


(例年、お祭りの最後には花火を上げるという話なので、せめてそれだけでも楽しま――)


 と思っているそばから、ドンッ――という大音が腹の底に響き、夜空に人工の星々が(またた)く。花火の打ち上げが開始したのだ。ヨハンが巡回警備から戻ってくる前に。


()()()思い出でもつくれたらと期待していましたけど……わたしのような人間が、そんなものを期待すること自体が烏滸(おこ)がましかったのかもしれませんね……)


 心の中で自嘲めいた独白を漏らしていたその時、クオンの嘆きを聞いていたかのようなタイミングで、ヨハンが息を切らせながらこちらに駆け寄ってくる。

 そして、クオンが声をかけるよりも早くに、


「クオン! すぐに報告を済ませるから、少しだけ待っててくれ!」


 それだけ叫び残し、詰め所の中に消えていった。


(あれだけ慌てているということは、ヨハンも、わたしと一緒に花火が見たいと思っていると見て、いいですよね?)


 期待で胸が膨らみ、知らず笑みが零れる。

 この後自分に、そんな期待よりもはるかに素敵なことが起きるとも知らずに。


 少しして、詰め所からヨハンが飛び出してくる。


「あっ、ヨハ――わっ!?」


 ヨハンは飛び出した勢いをそのままにクオンの手を引っ掴み、


「何も言わずに僕についてきてくれ!」


 返事も聞かずに、クオンの手を引いて走り出した。

 祭りの場となる都と、花火が打ち上がる方角に背を向ける形で。


「ヨ、ヨハン!? そっちはお城ですよ!?」


 何も言わずについてきてくれとは言われたが、ヨハンの行動が行動だったので、思わず声を上げてしまう。


「わかってる!」


 という返事を聞いた直後、行き先に見える〝それ〟を見て、クオンは気づく。

 ヨハンが向かっているのは城ではなく、その敷地内に設けられた〝それ〟――物見塔であることに。


 物見塔の入口前には、無駄に傲然と立ち尽すカルセルの姿があった。

 どうやら今宵の物見塔の見張り番はカルセルだったようだが……今のカルセルは、物見塔から見張りをするというよりも、物見塔()見張っているような風情だった。


「今度、肉奢れよ」

「ああ」


 すれ違いざま、カルセルとヨハンは短いやり取りをかわす。

 物見塔に向かっていることに気づいた時は「もしかして」止まりだった期待が、今のやり取りを聞いて確信に変わる。


(物見塔で、ヨハンと二人で花火を眺める……最後に、最高の思い出がつくれそうですね)


 嬉しそうに、少しだけ寂しそうに微笑む。

 この状況に至ってなお、()()()()の期待しか抱けていない時点で、ヨハンの心情にまるで気づけていないことにも気づかずに。


 階段を駆け上がり、屋上にたどり着く。

 直後の光景は、生涯忘れることはないと、生涯忘れたくないと思えるほどに美しかった。


 満天の星空を背に打ち上がった花火が、大輪を咲かせては消えていく。

 下界から花火を眺めた場合は建物に視界を切り取られてしまうが、ヌアークで最も高い建造物にあたる物見塔では、視界を憚るものは何もない。

 下界の喧噪ははるか遠く、花火が打ち上がる音だけが耳に響いた。


 この時、この瞬間、クオンは任務を、近い将来起こりうる残酷な未来をも忘れて、ただただ花火に魅入っていた。

 いまだ繋ぎっぱなしのヨハンの手を握り締め、ただただ魅入っていた。


 やがて、最後の一発が今日一番の大輪を咲かせ、夢のような一時(ひととき)が終わりを告げる。


「終わっちゃいましたね……」


 出てきた声音は、隠しようのない寂しさに充ち満ちていた。


「違うよ、クオン」


 一方ヨハンの声音は、隠しようのない緊張と力強さに充ち満ちていた。


「これから始まるんだ」


 その声音のまま断言したヨハンは、手を握り締めたまま、真っ直ぐにこちらを見つめてくる。

 双眸に、決意と覚悟を滲ませて。


 そして――


「クオン。君が好きだ」


 紡いだ。


「好きで好きで(たま)らなくなるくらい大好きだ。だから――」


 夢のように素敵な言の葉を。


「君さえ良ければだけど……僕と付き合ってくれないか?」


 クオンは、一瞬何を言われたのかわからず、キョトンとしてしまう。


(君さえ良ければだけど……僕と付き合ってくれないか?)


 心の中で、一言一句違うことなくヨハンの言葉を復唱し、


「~~~~~っ~~~~~」


 グラスにワインが満ちるように、瞬く間に顔全体を真紅に染め上げた。


 どうしよう。


 嬉しい。


 死んじゃいそうなくらい嬉しい。


 ダメ。


 ニヤける。


 頬の緩みが抑えられない。


 でも。


 なんて答えよう。


 国崩しを実行に移す日が迫っているのに。


 ヨハンの告白を受け入れることなんて……できない。



 だけど――



(断るなんて、もっとできるわけないじゃないですか……っ!!)


 もし、仮に、万が一――いや、億が一、ヨハンがわたしのことが好きで、告白してくれた時はどう答えるかは、とうの昔に決めていた。

 あとは、勇気と声を振り絞って答えるだけでいい。

 たとえそれが、今までの人生で最も困難な「だけでいい」であったとしても。


「あの…………その…………ですね…………」


 今から紡ぐ言葉を考えると、顔から火が出そうだった。

 いや、すでに上気しきっていることを考えると、出てくるのは猛炎の類かもしれない。


 心臓が爆発しそうなほどに激しく脈打つ中、クオンは込み上げ続ける嬉しさと恥ずかしさを言の葉に乗せて、深々と頭を下げながらヨハンの告白に応えた。


「不束者ですが……よろしくお願い……します……」


 数瞬の静寂が下り、


(…………なんか、恋人になったというよりも婚約したみたいな感じの返事になってませんっ!? わたしっ!?)


 おかしい。「不束者ですが」などと言うつもりはなかった。ただ「よろしくお願いします」と答えるつもりだった。

 散々悶絶した後、いつまで経ってもヨハンが何の反応も示さないことに気づき、恐る恐る顔を上げてみる。

 上目遣いで覗いてみたヨハンの表情は、極まりすぎるほど感極まったものになっていた。


「クオンッ!!」


「ひゃうっ!?」


 突然ヨハンに抱き締められ、クオン自身が生まれて初めて聞くほどに珍妙な悲鳴が口から漏れてしまう。

 けれど、こちらを抱くヨハンの腕は、力強さ以上に優しさに充ち満ちていて……気がつけば、クオンも両手をヨハンの背中に回していた。


 逃げ出したくなるほどの恥ずかしさと、ずっとこのままでいたくなるほどの嬉しさが、クオンの中でせめぎ合う。


 いつの間にか、クオンも、ヨハンも、大切な人を抱き締めていた手を緩め、互いに見つめ合っていた。


 そして、自然と、吐息のかかる距離から唇の触れる距離に縮――


「ぁぅ……」


 ――む直前、羞恥の熱にアテられたクオンは後ろに倒れそうになる。


「クオン!?」


 ヨハンが素っ頓狂な声を上げながら、クオンを抱き支える。

 先程までの夢に浮かされたような雰囲気が、ゆるゆると霧散していく。


「ごめんなさい……ヨハン。わたし……もう……いっぱいいっぱいです……」


 本当に、いっぱいいっぱいだった。

 抱き締め合っているだけでも嬉しくて恥ずかしくて死んでしまいそうだったのに、その上キスまでしてしまったら……心臓が爆発して本当に死んでしまうのではないかと思えるくらい、顔も、頭も、火照りに火照っていた。

 

「く……はは……っ」


 不意に、ヨハンが笑い出す。(こら)えきれなくなったと言わんばかりに。

 そして笑顔をそのままに、こう言った。


「実は僕も、だいぶいっぱいいっぱいだったんだ」


 まさかの言葉にクオンもまた堪えきれなくなり、目の前にいる恋人と一緒に、楽しげに嬉しげに笑い合った。



 ◇ ◇ ◇



 その後クオンは、ヨハンと一緒に物見塔を下り、一目見ただけで察したカルセルに祝福され、恋人同士となった初めて食事を満喫をしてからヨハンと別れ、兵舎の自室に戻った。


 今日は幸せな気分で眠りにつける――そんな幸せいっぱいの気持ちで、自室の扉をくぐるも、


「!」


 部屋の隅にある机の上に一通の手紙が置かれていることに気づき、息を呑む。

終末を招く者(なかま)》の仕業であることは考えるまでもなかった。


 先程までの幸せいっぱいだった気持ちを踏みにじられる感覚に襲われながらも、クオンは手紙を(あらた)める。


『収穫の日は二〇日後』


 収穫の日――それは国崩しの決行日を指した言葉だった。

 それだけを確認すると、クオンは机の抽斗(ひきだし)からマッチを取り出し、手紙に火をつけ、窓際に置いていた(から)の花瓶の中に放り込む。


「なんで……よりにもよって……ヨハンと恋人になれた日に手紙(こんなもの)送りつけてくるんですか……」


 こうして、クオンの人生最良最悪の日は、人知れず幕を閉じたのであった……。

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