第41話 再会・2
一ヶ月半前――
ヌアーク城内、左翼側階段前の大回廊は、ブリック公国軍兵士の死体で埋め尽くされていた。
その中で唯一死体ではない兵士――カルセルは、床に這いつくばったまま〝奴〟を見上げることしかできなかった。
古拙な仮面とフード付きの外套に身を包み、二本の軽刃媒体を携えた〝奴〟。
ブリック公国軍最強の剣士――レグロを含めた、大勢の兵士を無傷で斬り殺した〝奴〟。
その〝奴〟が、こちらに近づいてくる。
さながら、死神のように。
カツ、カツ、と響く足音が途絶えた時。
その時が、オイラの命が尽きる刻限。
だと思っていた。
少なくとも、カルセル自身は。
カルセルの目の前で足を止めた〝奴〟は、床に這いつくばったまま震えているカルセルを見て、これ見よがしにため息をつく。
「もはや抵抗する気もなし、か。くだらん」
仮面の下から、無機質で、中性的な声が聞こえてくる。
どことなくクオンの声に似ているような気がして……ますます絶望的な気分になる。
どうやら、恐怖のあまり耳までおかしくなってしまったらしい。
「戦意のないクズを斬ったところで、武勲に泥を塗るだけ。視界に入っているだけでも不愉快だ。さっさと、この場から消え失せるがいい」
そう言って〝奴〟は、左手に持った軽刃媒体で、壁に空いた大穴を指し示す。
〝奴〟と遭遇する前にカルセルが戦った、敵の魔法士が放った火属性魔法によってできた穴だった。
〝奴〟の言葉の意味は、すぐには理解できなかった。
消え失せろ?
ということは見逃してくれるのか?
バカな。
有り得ない。
仲間を殺しまくった、こいつに言われたとおりに。
尻尾を巻いて逃げるなんて。
そんな心とは裏腹に、体は勝手に立ち上がり、穴を目指して走り出していた。
左肩と左太股の負傷を無視して、「止まれ」と叫ぶ心を無視して、体は一体不乱に穴を目指して走り出していた。
……いや、「止まれ」と言った心はあくまでも上っ面だけで、その奥底では逃げることに賛成していたのかもしれない。
事実、カルセルは安堵していた。
殺されずに済んだことを。
見逃してもらえたことを。
自己嫌悪に陥るほどに安堵していた。
「最低だ……オイラは最低だ……」
目尻に涙を浮かべながら、自分を罵る。
けれど、やはり、体は逃げることをやめようとはしなかった。
負傷した左太股が痛みを訴えても、逃げる足を止めようとはしなかった。
やがて城を抜け、公都を抜け、夜の平原を抜け……公都を焼く炎の灯りすら見えなくなったところで、カルセルは立ち止まる。
「助かった……のか? オイラだけ? おめおめと?」
最低だ。
オイラは最低だ。
救いようがないほどに最低だ。
最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ。
込み上げてきた自責の念に耐えられなくなったカルセルは、一緒に込み上げてきた嘔吐感にも屈し、胃の中のものを全て吐き出した。
吐き出し、吐き出し、胃液しか出なくなってもなお吐き出した。
溢れた涙は嘔吐のせいか、それとも自己嫌悪のせいか、あるいは仲間を失った哀しみのせいか……もはやカルセル自身にもわからなかった。
わかっていることは、ただ一つ。
死んだ仲間にも、生き残っているかもしれない仲間にも、顔向けできないということだけだった。
◇ ◇ ◇
目の前にカルセルが、友がいる。
いまだその事実が信じられず、ヨハンはどこか夢でも見ているような心地でカルセルに訊ねる。
「生きていた……のか……?」
直後、
「!?」
カルセルは執務室から逃げ出した。
小太りな見た目に反した、ブリック公国軍トップクラスの瞬発力を見せつけられた瞬間、いよいよ夢ではないと確信したヨハンは、すぐさま彼を追って執務室を飛び出した。
カルセルの背中は、すでに廊下の彼方。
瞬発力ではやはりカルセルには及ばないが、
(持久力なら、僕に分がある……!)
全速力で、カルセルの背中を追う。
勝手の知らない砦だと、見失った時点で追いつくことはほぼ不可能になる。
ゆえに、ヨハンは必死でカルセルを追いかけた。
砦の廊下は曲がり角が多く、通路の幅も決して広いとは言えないため、カルセルの体型だと人とすれ違う際にどうしても速度を落とさざるを得ず、結果、ヨハンとカルセルの距離は着実に縮まっていった。
やがて、カルセルが逃げる先――廊下の彼方から差し込んでくる外の光が見えてくる。
どうやらこの廊下は外回廊と直接繋がっているようで、今度は砦を隠す背の高い木々と太陽を観客に追跡劇を繰り広げる。
そして――
「捕まえ……たぞ……! カルセル……!」
外回廊の中程で、劇は幕を閉じた。
「ハァ……ハァ……ハァ……!」
ヨハンに肩を掴まれたカルセルは、両手を膝の上に乗せて俯きながら、ひたすら荒い呼吸を繰り返していた。
一方ヨハンも息も絶え絶えになっており、問い詰めようにもまともに言葉を発することができなかった。
二人は肺が求めるがままに何度も呼吸を繰り返し、一分以上かけて落ち着いたところで、
「よかった……生きてたんだな、カルセル」
一聴して、カルセルが生きていたことに心底安堵し、心底喜んでいることがわかる声音でヨハンは言った。
一ヶ月半前のヌアーク城内で、カルセルに似た体型の首なし死体を見て、クオンに殺されたと思い込んでいた分、安堵も喜びも一入だった。
もっとも、その首なし死体も同じ兵士であることに違いはないので、必要以上に喜ぶような真似はしなかったが。
「よくなんて……ないよ。オイラは……オイラは最低なんだ!」
己を罵るように、あるいは懺悔するように、カルセルは叫ぶ。
「オイラは逃げたんだ! レグロを……仲間を殺した敵に見逃されて! 逃げたから助かったんだ! そんな奴が生きててよかったなんて…………よくないよ……全然……よくないよ……」
涙ながらの叫びを聞いたヨハンは、頭を強く打たれたような衝撃を受け、よろめきながら後ずさる。
カルセルが、敵に見逃されて生き延びたことがショックだった……わけではなかった。
ヨハンが強い衝撃を受けたのは、カルセルが、レグロを殺した敵に見逃されたという部分にあった。
「それは……本当なのか?」
責められると思ったのか、カルセルはビクリと震えながらも、ぎこちなく首肯を返した。が、
「そんな……いったい何を考えて……何のつもりでカルセルを見逃した……? クオン……!」
憎悪とともに出てきた名前に、カルセルは瞠目する。
「え? クオンちゃんって…………どういうことだよ、ヨハン!?」
自己嫌悪も懺悔も忘れ、カルセルは問い詰める。
他ならぬカルセルが相手では無言を貫くわけにもいかず、ヨハンは覚悟を決め、話した。
クオンが帝国から遣わされたスパイであることを。
公都に澱魔を放ち、ディザスター級を召喚し、ヌアーク城を襲撃した《終末を招く者》の一員であることを。
そして、レグロを殺し、カルセルを見逃した仮面こそが、まさしくクオンであることを。
話をしていく内に、クオンへの怒りが沸々と込み上げてきたせいか、先程までカルセルの生存を喜んでいた、カルセルの知っているヨハンは鳴りをひそめ、今となっては〝いつもの〟と呼んでも差し支えのない、抜き身の刃じみた雰囲気を醸し出していた。
「そんな……クオンちゃんが……」
ヨハンが、ブリック公国軍にいた時は目つきも口調も別人のようになっていたせいか、あるいは、クオンが帝国のスパイなどというタチの悪い冗談を言うようなヨハンではないことを知っていたからか、カルセルはこちらの言葉を一切疑うことなく聞き入れてくれた。
けれど、受け入れるのは、まだ少し時間がかかりそうな様子だった。
もっともヨハンはヨハンで、クオンがカルセルを見逃したという事実を受け入れきれていない様子だが。
二人して、沈んだ顔をしていると、
「事情はともかく、今はお互いが生きていたことを喜ぶべきだと思うよ」
不意に、第三者――テストの声が聞こえてくる。
声が聞こえてきた方向――ヨハンとカルセルが走ってきた方向に視線を向けると、こちらに歩み寄ってくるテストとストレイトスの姿が見て取れた。
「だけど……オイラは、仲間を殺した〝奴〟に見逃され――」
「あーあーあー。その話は聞き飽きた」
耳を塞ぎ、無駄に大きな声を上げて、ストレイトスはカルセルの言葉を遮る。
目の見えない人間にとって、最も重要な知覚となる耳を塞ぐストレイトスを剛胆と見るべきか馬鹿と見るべきかは、意見が分かれるところだろう。
「カルセルくん。君がここに来た日にも話したことだが、俺たち《グラム騎士団》も君と同じく、王や仲間たちを殺した帝国軍から逃げ、今もこうして生き恥を晒している。悔やむなとは言わない。だが、悔やみすぎるな。君は、ただ生き恥を晒すためだけに《グラム騎士団》に入ったわけではないのだろう?」
カルセルは目尻に溜まっていた涙滴を拭うと、力強く「はいッ」と答えた。
その返答に満足げな笑みを浮かべた後、ストレイトスはヨハンに顔を向ける。
「さてと、ヨハンくん。先程の話の続きだが……」
そういえば――と、ヨハンは、カルセルが執務室にやってくる前に話していたことを思い出す。
「確か、僕に聞きたいことがあると言っていたな」
「ああ。規律とか、そういうのにうるさいラムダスがいない内に確認しておきたいのだが……君は、魔法を使うのか?」
ミドガルド大陸では、ヘルモーズ帝国ただ一国を除いて、魔法の使用を全面的に禁止している。
ヘルモーズ帝国同様、禁止されているとわかっていてなお魔法を使うのか?――ストレイトスは、そう訊ねているのだ。
「使う。周りがなんと言おうが、使う。帝国に、《終末を招く者》に、クオンに復讐するために」
ヨハンが魔法を「使う」と明言したからか、先程まで見せていたものとは比べものにならないほどの憎悪を目の当たりにしたからか、カルセルは驚きを隠し切れていない様子だった。
「躊躇もなく、か?」
「今さら躊躇する理由もない」
「そうか。いい答えだ」
ニヤリと笑うストレイトスに、ヨハンは目を丸くする。
「貴方は、魔法の禁を破ることに忌避感はないのか?」
「時と場合によるな。平和なご時世に魔法を使っているバカがいたら当然とっちめるが、生憎今は魔法を使いまくってる帝国が幅を利かせているご時世だからな。騎士道はおろか人道に悖るような〝力〟ならともかく、魔法はただ澱魔を余計に生み出すってだけで、その本質は俺らが世話になっている武装媒体とそう変わりない。忌避する理由はどこにもないさ」
「帝国を倒すために魔法を使った結果、大陸中に澱魔が溢れかえった場合はどうするつもりだ?」
「その時は、俺たち《グラム騎士団》が一体残らず刈り尽くすまでだ」
事もなげに言うストレイトスに、ヨハンは呆れた言葉を返す。
「聞いていた以上に、型破りな人だな」
「よく言われる」
「そしてラムダスさんによく怒られる」
ここぞとばかり口を挟む、テスト。
無駄にニヒルな笑みを浮かべていたストレイトスが、ガクッと崩れそうになる。
「テストくん……そこは事実でも黙っておくのが人情というものだろう」
「すみません。少々笑顔にイラッときたもので」
「それひどくない!?」
素っ頓狂な声をあげるストレイトスをよそに、ヨハンとカルセルは心の中で、
((事実だったのか……))
と、同じように考え、同じように呆れていた。
ストレイトスは「ゴホン」と、わざとらしく咳払いをした後、何事もなかった風を装いながら話を再開する。
「ヨハンくん。もう一つ聞きたいことがある。軍を相手取った場合、君が持ちうる最大の魔法を使えば、どれくらいの数を削ることができる?」
「それは、敵兵の練度によるとしか言えないな」
「帝国軍の兵士と戦ったことは?」
「《終末を招く者》ならばあるが、帝国兵とは一度も戦ったことはない」
「帝国兵は、《終末を招く者》の標準的な構成員よりも、格段に弱いと思ってくれていい」
「それなら、魔法陣を用いた特殊魔法を使えば……おそらく、五〇〇近くは削れると思う」
事もなげに言うヨハンに、テストとカルセルが目を丸くする中、ストレイトスは猛々しく口の端を吊り上げた。
「その言葉に、嘘偽りはないな?」
「軍と戦った経験がないから肯定はしにくいが、雑兵相手に限れば十中八九可能だろうな」
そこまで言ったところで、さすがにストレイトスの意図が読めたヨハンは、半ば以上に確信しながら疑問をぶつける。
「砦に攻めてきた帝国軍と戦う際、僕の魔法をアテにするつもりか?」
「ご明察。先日捕まえた帝国のスパイに吐かせた情報によると、コークス王国に派兵された帝国軍の数は二万強。王都の護りや、現在侵攻中の軍を差し引いた場合、《グラム騎士団》を掃討するために捻出できる兵の数は、おそらく五〇〇〇から六〇〇〇〇。その一割近い数を一発で消す力を、アテにしない道理はない」
「僕が、その戦いに付き合う道理もないがな」
「そこをなんとか――と、言いたいところだが、思ってもいないことは口にするもんじゃないぞ、ヨハンくん。君の心音は、すでに君が腹をくくっていることを教えてくれている」
悪態代わりに舌打ちする
たしかに、ストレイトスの言うとおり、ヨハンはすでにもう腹をくくっていた。
《グラム騎士団》には、カルセルとテストがいる。
カルセルはもとより、テストも、もはやヨハンにとっては見捨てられない人間の一人になっていた。
(それに、ここで《グラム騎士団》がやられてしまったら、コークス王国はおろか大陸西部全体が帝国に併呑されてしまう。そしたら次は、大陸南西部の番だ。ブリック公国に累が及ばないようにするためにも、《グラム騎士団》を潰させるわけにはいかない)
どこか言い訳めいていることを自覚しながら、心の中で独りごちる。
キミは目的のためだけに誰かを利用できるような人間じゃない――と、テストに言われたことがあったが、確かにその通りだと思い知る。
《グラム騎士団》については、復讐のために利用することしか考えていないなどと言っていた自分が、ひどく滑稽に思えるほどに。
「……わかった。協力しよう。その代わり――」
「わかっている。あくまでも俺の権限の許す限りになるが、この《グラム騎士団》、君の復讐に協力することを約束しよう。どのみちコークス王国を取り戻したとしても、帝国との戦いは続くだろうからな」
「ということは、ヨハンも《グラム騎士団》に入るのか?」
弾んだ声で訊ねてくるカルセルに、ヨハンはかぶりを振る。
「僕はあくまでも〝協力者〟だ。騎士団に入るつもりはない。それに、魔法士である僕を騎士として迎え入れるのは、騎士団にとっても都合が悪いだろう」
そう言って、ストレイトスに視線を向けた。
ストレイトスは、まるで見えているかのように頷き返し、
「ラムダスを筆頭に、大半の騎士が反対するのは間違いないな。ヨハンが平然と禁を破ることに対する忌避感は勿論、王や仲間を殺した魔法そのものに忌避感を覚えている者は数多い」
「だからこの危機を利用して、ヨハンに騎士団を救わせるというわけですか。少しでも、ヨハンへの忌避感を軽減させるために」
「そういうことだ、テストくん。相変わらず、よく〝視〟えているじゃないか」
「ストレイトスさんには負けますよ。今はまだ、ですけどね」
剣士としての意地を覗かせる、テストの言葉だった。
「なにはともあれ、テストくんもヨハンくんも長旅で疲れただろう。今日のところは、ゆっくり休むといい。というわけでカルセルくん。ヨハンくんを空いている部屋に案内してやってくれ」
言われたとおり、案内のために足を踏み出そうとするカルセルを片手で制し、ヨハンはストレイトスに訊ねる。
「その前に、先日捕まえたと言っていた、帝国のスパイに会わせてくれないか?」
「それは……無理だ」
「やはり、無理か」
たいした落胆もなく、ヨハンは引き下がる。
〝協力者〟として迎え入れられたとはいっても、今日来たばかりの人間が、重要な情報源となる捕虜に会わせてもらえるなどという都合の良いことは、さすがのヨハンも考えていなかった。
ゆえに、断られたことは予想どおりだったが、
「ああ。不覚をとったせいでな」
「不覚?」
どうやら、断られた理由はこちらの予想とは違っていたらしく、ヨハンは思わず聞き返してしまう。
「そうだ。不覚だ。尋問に当たっていた騎士には気をつけるよう言っておいたのだが、どうにも、ある程度の情報を引き出すことに成功したことで気が緩んでしまったらしくてな。その隙を突かれて自決されてしまったよ」
「……今さら言うことでもないが、本当に、一筋縄ではいかない相手だな。ヘルモーズ帝国は」
「確かに、ただ力で押し潰してくるだけの相手だったら、どんなに良かったか。……とまあ、そういうことだからカルセルくん」
ストレイトスはカルセルに顔を向け、今度こそヨハンを空き部屋に案内するよう無言で促す。
カルセルは首肯を返し、ヨハンに言った。
「というわけだから、案内させてもらうよ。ヨハン」
「気持ちは有り難いが、今は休んでいる暇は――……? カルセル?」
話している途中に、カルセルがニンマリとした笑みを浮かべるのを見て、ヨハンは眉をひそめる。
「あ~、ごめんごめん。ちょっと安心したんだよ。雰囲気とか口調とかは変わっても、そういうところはいつものヨハンだな~ってわかって」
「そういうところとは、どういうところだ?」
「ほっといたら勝手に無茶してしまうところ。オイラの目から見ても、今のヨハンが疲れてるのは丸わかりだよ。休める時は、しっかり休まないと」
「そうか……そうだな」
そういうところがいつもどおりなのはカルセルも同じで、相も変わらずこちらの至らぬところを窘めてくれる友人を前に、ヨハンは無意識の内に微笑を零す。
カルセルにとってはそう珍しくない、けれど、公都ヌアークを発ってからのヨハンにとっては極めて珍しい、穏やかな笑みだった。
そんな、いつもどおりのやり取りを交わしたからか、ようやくカルセルが生きていることを実感できたヨハンは、静かに、確かに、その喜びを噛み締めた。





