第25話 神速の剣
ストウロに隣接する形で拡がる大森林。
その中を、ヨハンはただひたすらに走り続けていた。
翠風を身に纏って機動力を劇的に向上させる魔法――〝シルフィーロンド〟を使うことも考えたが、木々生い茂る森の中を高速で移動するのは自殺行為に等しい。
〝シルフィーロンド〟の機動力を利用して、木々の天辺を足場に森の上を行くという方法もあるにはあるが、敵が潜んでいるかもしれないこの状況で無闇矢鱈に目立つ行動は、できれば避けたい。
緊急を要する事態にならない限り、〝シルフィーロンド〟は使わない方が無難だと結論づける。
(それに、距離はせいぜい四キロ程度。このペースで向かえば、そう時間はかからない)
落ち着いた思考とは裏腹に、落ち着かない心が、ヨハンの足を前へ前へと送り出していく。
しかし、次の瞬間、
「!?」
どこからともなくぶつけられた〝それ〟を前に、否応なしに足を止めさせられてしまう。
(この手の感覚が鈍い僕でもわかる……! 今感じた〝それ〟は間違いなく殺気だ……! いったい誰が――)
「動くな」
背後から中性的な声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だった。
続けて左肩越しから伸びてきた光刃が、ヨハンに見せつけるように、首に触れる一ミリ手前で静止する。
「なぜ、こんなところにいる?」
予想どおりの質問。
言われたとおり動きを止めていたヨハンは、あえて質問を無視し、訊ね返す。
「それはこちらの台詞だ。なぜ君がここにいる? 《グラム騎士団》の騎士である君が?」
然う、ヨハンに殺気をぶつけ、光刃を突きつけたのは、《グラム騎士団》の騎士――テストだった。
「質問を質問で返すのは感心しないね。それとも、このまま何も答えずに首を刎ねられるのがお望みなのかい?」
そう言うわりには、テストからは、先程のような殺気は微塵も感じられなかった。その殺気に関しても、今にしても思えば警告以上の意図はなかったように思える。
(素直に答えた方がこじれずに済むかもしれない。だが、魔力感知について理解を示してもらえるかどうかは賭けになるな)
数瞬悩んだ結果、理解を示してもらえる方に賭けたヨハンは、素直に答えることにした。
「ここからもう少し進んだところにある地点から、魔力の昂ぶりを感知した。僕がここにいるのは、その原因を確かめるためだ」
「なるほど、やっぱりそうだったか」
予想外の言葉に、ヨハンの目がわずかに見開く。
「不躾ですまなかったね。まずありえないとは思ってたけど、念のため、キミが帝国の息のかかった人間かどうか確かめておきたかったんだ。キミが〝白〟だということはわかったから、もう楽にしていいよ」
そう言って、テストは光刃を引っ込める。
先の言葉も大概に不可解だったが、こうもあっさりと疑いが晴れたことが、ヨハンにとっては不可解極まりなかった。
兎にも角にも背中越しで会話をする必要はなくなったので、ヨハンは振り返り、朱髪朱眼の騎士と向き合う。
背丈はヨハンよりも頭半分ほど低く、体の線にしても、恵まれているとは言い難いヨハンよりも明らかに細い。
間近で向き合えば、なおさら美少女という印象を強く受けてしまう。
それこそ《グラム騎士団》の女性を入団させないという不文律が、嘘なのではないのかと思えるほどに。
「一応、自己紹介をしておこうか。ボクはテスト・アローニ。ご存じのとおり《グラム騎士団》の騎士を務めさせてもらっている」
「……ヨハンだ」
「下の名前は『答えたくない』と言ったところかい?」
「そんなところだ」
多少なりともツッコまれることを覚悟したが、こちらに気を遣ってくれたのか、テストはそれ以上何も言ってこなかったので、ヨハンはそのまま会話を続けることにする。
「訊きたいことがある。先程君は『やっぱりそうだったか』と言ったが、アレはどういう意味だ?」
「言葉どおりの意味さ。〝視〟るからに魔法士であるキミが魔力を感知しても、なんら不思議はないからね」
「見るからに、か。それが真実だとして、なぜこうもあっさり武装媒体を引いた? コークス王国の現状を考えたら、魔法士と聞けば帝国を想起するのが普通だろう」
「キミが帝国の魔法士には〝視〟えなかった――では納得できないだろうから言うけど、さっきの質問で、キミが魔力の昂ぶりを感知したと答えた時点で、キミが〝白〟であることはボクの中では九割方確定していたんだよ。なにせ、魔力の昂ぶりはボクも感知していたからね。キミが帝国の魔法士だった場合、嘘をつくにしても、わざわざボクに余計な情報を与えるような答え方はしないだろう?」
その言葉に、いよいよヨハンは瞠目する。
「魔力を感知できるのか? 魔法士ですらない君が?」
「驚くのも無理はないけど事実だよ。対魔法士戦では、魔力を感知し、魔法を発動した際に生じる〝熾り〟を見切ることが肝要……それが、ボクの剣の師匠の持論だからね」
確かにその通りだと、ヨハンは思う。
使用される魔法にもよるが、ヨハン自身〝熾り〟さえ察知できれば、目を瞑っていても魔法による攻撃を回避することができる。
それを可能にしているのは、尋常ではない魔法の知識と、〝熾り〟をも察知する魔力感知力にあった。
ゆえにテストの師匠の持論には、ヨハンも納得せざるを得なかったが、
(魔法士は何百何千と魔法を使い、その際に生じた自身の魔力の流れを掴むことで魔力感知力を養う。その過程なしに、魔法士並みの魔力感知力を物にするなど――)
あのクオンですらできなかったことだぞ――とは、続かなかった。
たとえ心の中でも、憎しみ以外でクオンの名を呼びたくはなかった。
「ここまで言えばもうわかってるだろうけど、ボクがここにいる理由はキミと同じさ。というわけだから、話はこのくらいにして、そろそろ魔力の昂ぶりを感じた目標の地点に向かわないかい? キミのことを引き止めたボクが言うのも何だけど」
「……そうだな」
相槌を返し、ヨハンとテストはすぐさま走り出す。
ヨハンは走る速度を落とさないよう気をつけながら、先の会話の中でどうしても気になっていたことをテストに訊ねた。
「ところで、君は僕のことを『見るからに』魔法士だと言っていたが、いったいどこをどう見てそんなことがわかったんだ?」
「見るというよりは〝視〟る、だけどね」
「ますます意味がわからないのだが」
「目だけで見るのではなく、第六感をも含めた、あらゆる感覚を総動員して〝視〟る。そうすれば、ほんのわずかな立ち振る舞いや雰囲気を〝視〟ただけで、その人間の得物が何なのか、どういう戦法に精通しているのか、どれほどの実力を有しているのかが朧気ながらわかってくる」
「それで『見るからに』というわけか。にわかには信じられない話だな」
「だろうね」
「だが、そういう君が『見るからに』女性であることは、僕にもわかる」
不意打ち気味に、今まで散々驚かされた意趣返しも込めて、ヨハンはカマをかける。
しかし、
「この話の流れでよくカマをかける気になったね、キミ。はっきり言ってバレバレだよ」
「やはり、これくらいでは動じないか」
「こんな見た目だからね。そういう風に思われることには慣れてる。まあ、あまり良い気分はしないけどね」
「それは……すまなかった」
素直に謝るヨハンに、テストは心底意外そうな顔をする。
「謝罪の言葉だけでは不服か?」
「いや、そういうわけじゃない。ただ……ボクがキミのことを〝視〟誤っていただけさ」
「素直に謝るような人間には見えなかったと?」
そういう風に思われるのはあまり良い気分ではないと言った手前、方向性は違えど、ヨハンのことをそういう風に思ってしまったことを恥じているのか、テストの首肯はややぎこちなかった。
下手な魔法よりも魔法じみたテストの〝視〟る力も、そこまで万能ではないらしい。
(まあ、テスト自身、〝視〟ただけで相手の人間性までわかるとは一言も言ってなかったしな)
そこで思考を打ち切り、自然と会話も打ち切り、二人は走ることに専念する。
やがて、あと少しで目標地点にたどり着くというところで、またしても魔力の昂ぶりを感知したヨハンとテストは、全く同時に足を止めた。
魔力の昂ぶりを感じたのは、まさしく目標地点からだった。
「またか……!」
「みたいだね。だけど……これはいったい?」
一人訝しがるテストに「どうした?」と訊ねると、
「つい先程まで、目標地点には人の気配なんて全くなかったのに、今は一〇人近い気配を感じる」
それだけで大凡のことを察したヨハンは、ハッとした表情を浮かべた。
「まさか――」
「シッ……! 静かに」
テストに制止され、ヨハンはすぐさま口をつぐむ。
「気配が、こちらに近づいているのか?」
「ああ。とりあえず正体を確かめたい。そうだな……あそこに隠れて様子を窺おうとしよう」
テストが指さした、比較的大きな木が密集している場所に、足音を立てないよう気をつけながら移動し、木陰に身を隠す。
待つこと一分。
グダグダと駄弁りながらこちらに近づいてくる、フード付きの外套に身を包んだ者たちを一〇人視認する。
そしてフードの下に見えるのは、ヨハンから全てを奪った、《終末を招く者》どもが被っていたものと全く同じ意匠の、古拙な仮面。
それを認めた瞬間、ヨハンの表情が狂喜と憎悪に歪む。
生け捕りにして情報を引き出そうなどという考えが浮かぶ前に、理性が彼方へと消し飛んでいく。
目の前にいる〝奴ら〟への殺意だけが心を満たして――
「落ち着け」
波紋一つない水面を思わせる澄んだ声に窘められ、ヨハンは我に返る。
続けて、息を吸い込み、ゆっくりと吐き出すことで荒ぶる心を落ち着かせた。
「どうやらキミも《終末を招く者》に恨みがあるようだが、今は奴らの狙いを確かめることが先決だ」
キミ〝も〟と言ったこと。
《終末を招く者》を知っていること。
ヨハンに、ある確信を抱かせるには充分すぎる材料だった。
(テストも、《終末を招く者》に恨みを持っている手合いか)
軽い共感を覚えながらも、ヨハンは息をひそめ、視界の奥を横切っていく《終末を招く者》どもの会話に耳をそばだてる。
「わかってたっちゃあ、わかってたことだけど、ラガル様待っていてくれなかったな」
「目の前に獲物ぶら下げられて、黙っていられるような人じゃないからな。だから先発隊はクジで決めたんだろ?」
「俺たちはともかく、後発隊は最悪だろ。あんな小さい村じゃ、着く頃にはもう全部終わっちまってるぞ」
「つうか、終わらせる気満々だけどな。ギャハハハハッ」
あんな小さい村が、どの村を指しているかなど言に及ばない。
そして、その小さい村で《終末を招く者》が何をしようとしているのかも言に及ばない。
「……ヨハン。アイツらをまとめて攻撃できる魔法はあるかい?」
ひどく冷たい声音で、テストは訊ねる。
「もちろんあるが、いいのか? 世界的に禁止されている魔法を使っても」
応じるヨハンの表情には、落ち着かせたはずの憎悪が舞い戻っていた。
「生憎、世界全体のことを考えて戦えるような、デキた人間じゃないんでね。それに魔法を使えば使うほど澱魔が生まれるのなら、その分だけ斬って捨てれば済む話さ」
「そういうことなら任せてもらおう。だが、見るからに下っ端とはいえ、相手はあの《終末を招く者》だ。魔法一発でやられてくれるほど容易くいくとは思わないことだな」
「わかってる。討ち漏らしがあった場合は、ボクが対処しよう」
ヨハンは憎悪に嫌悪を織り交ぜた視線で《終末を招く者》を睨みつけ、レティアたちを助けた際に使用した地属性魔法を、可能な限り声量を絞って詠唱する。
「汝を貫きしは、絶死の墓標――〝アルバセメタリー〟」
直後、魔法発動の〝熾り〟を察知したのか、一〇人の敵の内三人が地を蹴り、木の枝へと飛び移る。
ほぼ同時に、地面から突き上がった無数の岩槍が、その命ごと残りの七人を刺し貫いた。
岩槍が消失した瞬間、テストが左手に持った武装媒体を起動しながら木陰から飛び出す。
ヨハンが使っているものよりも光刃がやや細い、長剣型の武装媒体だった。
テストの存在に気づいた敵の一人が掌の魔法陣をかざそうとするも、そのタイミングに合わせるようにして加速したテストが、刹那にも満たぬ間に肉薄する。
直後の光景は、ヨハンを瞠目せしめるほどに凄絶だった。
テストは長剣媒体が届く間合いに入り込んだにもかかわらず、掌をかざしていた一人目の敵の脇を素通りし、その奥にいる二人目に襲いかかる。
何をしている――と、ヨハンが口に出そうとしたその時、一人目の首が、今さらながら斬られたことに気づいたようにゴトリと地面に落ちる。
テストが二人目の心臓に光刃を突き立てたのと、全く同時に起きたことだった。
心臓から光刃を引き抜こうとした刹那、その一瞬の隙を狙って、最後に残った一人が軽刃媒体片手にテストに斬りかかる。が、なぜか途中で失速してしまい、前のめりになりながらテストの脇に倒れ込んだ。
遅れて、軽刃媒体を持っていた手首と、仮面に覆われていた首がゴトリと地面を転がり、そこから流れた血が赤い水溜まりをつくる。
さらに遅れて、最初に首を斬り落とされた敵の体が仰臥し、首と一緒に斬られたフードが、ゆっくりと地面に舞い落ちた。
あっという間の出来事に、ヨハンは呆然とするしかなかった。
二人目を仕留めた刺突以外、テストの剣筋がついぞ見えなかったヨハンは、ただただ呆然とするしかなかった。
「終わったよ」
光刃を消し去った武装媒体を懐に仕舞い、声をかけてくるテストに、ヨハンは呆けた声音で間の抜けた質問をする。
「斬った、のか?」
「ああ。その様子だと、ボクの剣は全く見えてなかったみたいだね」
どこか誇らしげにしているテストに向かって、ヨハンはぎこちなく首肯する。
文字どおりの意味で、ヨハンにはテストの剣が見えなかった。
武装媒体は、青白い輝きを放つ無形の力――魔力を、刃という形で具象している。
その輝きゆえに武装媒体の剣筋は、実剣のそれに比べて幾分見切りやすい。にもかかわらず、である。
(間違いない……テストの剣は人の域を超えている。それこそ、クオンと同じくらいに……!)
それほどの剣技をどうやって修得したのか?
剣の師匠とは何者なのか?
訊ねたいことは山ほどあるが、今はそんなことをしている余裕はないと自戒する。
「テスト、僕は村に戻ろうと思う。魔力の昂ぶりの方は任せてもいいか?」
「二手に分かれるという案自体は賛成だ。村にはコーダさんとゲイツがいるといっても、相手が《終末を招く者》じゃ楽観できないからね。けど、だからこそ言わせてもらうけど、役割は逆の方がいいんじゃないか? 魔力の昂ぶりに関しては、どう考えてもキミの専門分野だし、一緒に走って確信したけど足はボクの方が確実に速い」
「普通に走ればそうだろうが、魔法を使えば話は別だ。僕なら風属性魔法で森の上を走って行ける。それに、魔力の昂ぶりの原因もすでにわかっている。〝グラウンドヴァイン〟と呼ばれる、魔導経脈を利用した地属性の長距離移動魔法が原因だ。〝グラウンドヴァイン〟は魔導経脈の集約点を出入り口にしており、一度に運べる人数も十人に限られている」
「まさしく、というわけか……!」
先程テストの剣に驚かされたヨハンと同じように、ヨハンの魔法の造詣の深さに驚かされたテストが得心の声をあげた。
「目標地点に魔法陣があるはずだ。それを潰せば出入り口がなくなり、〝グラウンドヴァイン〟は機能しなくなる。〝グラウンドヴァイン〟使用直後は魔導経脈の流れが荒れるため、すぐには同じ〝道〟は使えないが、それも魔導経脈の機嫌次第だ。《終末を招く者》が言っていた後発隊が来る前に潰――」
三度目の魔力の昂ぶりを感知し、ヨハンは途切れた言葉の代わりに舌打ちを漏らす。
「どうやら、魔導経脈の機嫌が良かったみたいだね」
皮肉ともつかないことを言いながら、テストは懐から武装媒体を取り出し、空いた手でヨハンの背中を軽く叩いた。
「キミの提案がベストだ。コーダさんたちと合流できたら、事情を説明してやってくれ」
「状況が許してくれたらな。……そちらも、気をつけろよ」
「気をつけるような相手が出てきてくれるなら、むしろ望むところさ」
頼もしい台詞に後押しされたヨハンは、すぐさま魔法の詠唱を開始する。
「舞い踊れ、風の精よ――〝シルフィーロンド〟」
翠風が体に纏わり付いたのも束の間、ヨハンは地を蹴って高々と跳躍。
間近にあった木の天辺に着地する。
さすがにこれには驚いたのか、地上にいるテストが目を見開かせながら、こちらを見つめていた。
ヨハンは木から木に飛び移りながら、飛ぶような勢いで大森林の上を移動していく。
ストウロ村のある方角を凝視すると、夜闇を押しのけるように上がる火の手が見て取れた。
そしてその火は、焦燥という形でヨハンの心をも焦がす。
(これではまるで、ヌアークが陥落した時と同じじゃないか……!)
護るべき者たちのために迫り来る脅威に立ち向かい、護るべき者たちの傍を離れて戦った結果、ヨハンは全てを失った。
そして今もまた、護るべき者たちのためにその傍を離れた結果、護るべき者たちが危機に晒されている。
最悪極まりない既視感が、最悪極まりない未来を幻視させる。
(頼む……! 今度は、今度こそは間に合ってくれ……!)





