第21話 謁見
フリングホルニ皇国陥落から四日後。
ヘルモーズ帝国首都バルドル。
その中心にある皇城の一室で、七至徒用の正装に身を包んだクオンが、苦笑交じりに独りごちた。
「ふふ、我ながら似合ってませんねぇ」
服の裾を摘まみ、姿見の前で体を左右に振ってみる。
カソックに似た黒色の儀礼服。
それが七至徒用の正装になるわけだが、カソックに似ていると称したことからもわかるとおり、その見た目は大人の男性に似合うように拵えられている。
大人でもなければ男でもないクオンに似合わないのは道理。のはずだが、
「存外、様になっているぞ」
唐突に、背後から男の声が聞こえてくる。
髪が短いせいか、あるいは容貌の美しさのせいか、声の主の言うとおり、クオンの正装姿は本人が思っている以上に様になっていた。
もっとも、この状況は似合う似合わないを論じる以前の問題だったので、クオンはわざとらしくため息をつくと、その場でクルリと振り返って声の主を糾弾する。
「も~う。駄目ですよ、シエットさん。レディが着替えてるのに無断で部屋に入っちゃ~」
いつの間にかクオンの背後に立っていた者は、白髪白眼の男――シエット。
彼もクオンと同じく七至徒用の正装に身を包んでいるのだが、髪色のせいか、彫りの深い顔立ちのせいか、先の言葉がイヤミに聞こえるほどに様になっていた。
「着替え終わったかどうかなど気配でわかる」
「気配でわかるって……うわ~、いやらしい~」
「なぜそうなる」
シエットは疲れたようにため息をつくと、
「そんなことよりも――」
「乙女にとっては『そんなこと』じゃないですよぉ」
というクオンを無視して、シエットは言葉をつぐ。
「もう時間だ。行くぞ」
シエットが踵を返して歩き出し、クオンは軽く肩をすくめてから彼に続き、部屋を出る。
他国から吸い上げた金品をふんだんに使った荘厳華麗な廊下を歩きながら、〝仮面〟の下で、クオンは緊張していることを自覚する。
(七至徒になった以上、皇帝陛下との謁見は避けられないことは、わかりきっていたことですが……気が重いですね)
クオンがかぶっている〝仮面〟の名は、狂気。
それを外すことができない以上、陛下への無礼は避けられない。
かといって、ここで〝素〟の自分を晒してしまうと、最悪、陛下から直々に七至徒失格の烙印を押されることになりかねない。
好きこのんで七至徒などという人外を集める陛下が、狂人でもなんでもない普通の小娘を欲するわけがない。
(無礼になりすぎない程度に無礼に振る舞う……これはもう〝仮面〟のわたしに丸投げするしかありませんね)
人知れず覚悟を決めたところで、謁見の間に通じる大扉に到着する。
その前に立つ二人の衛兵がクオンたちを認めると、ゆっくりと大扉を開き、中に入るよう促してくる。
シエットの隣に並び、中に入ると、鏡のように磨かれた大理石の床と、その上に敷かれた真っ赤な絨毯がクオンを出迎えた。
そして、絨毯の向こう。謁見の間最奥にいる御方こそ、ヘルモーズ帝国を統べる皇帝であり、《終末を招く者》が命を賭して仕える主君。
ヴィクター・ウル・レヴァンシエル、その人だった。
シエットとともに奥へ進み、階段と呼ぶにはあまりにも緩やかな段差の手前で足を止め、その最も高い位置に設けられた玉座に座るヴィクターに向かって、二人は跪拝する。
現在、謁見の間には、クオンとシエット、ヴィクターの三人しかいない。
外には大扉を護る衛兵が二人いるが、ヴィクターが世界中を敵に回す立場であることを考えると、些か不用心がすぎると思うところだろう。
ヴィクターの圧を感じ取れない、並みの人間ならば。
(弱者にヘルモーズ帝国の皇帝は務まらない、なんて話を聞いたことがありますけど……いくらなんでも、これは度が過ぎてますね。一人の護衛も置かないわけですよ)
〝仮面〟をかぶってなお手汗が滲むヴィクターの圧に、クオンは内心息を呑む。
これほどの圧を覚える相手など、七至徒を含めてもそうはいない。
それこそ、七至徒の長であり、第一位を務める〝あの老人〟くらいのものだろう。
「七至徒第二位シエット・ラグナ。同じく第七位クオン・スカーレット。陛下のご用命により参上仕りました」
シエットの言葉が耳朶に触れ、クオンは思考を打ち切る。
すると、
「ふん。やはり、グランデルはサボりか」
ヴィクターの口から、つい先程思い浮かべた〝あの老人〟の名が出てきて、思わず苦笑しそうになる。
その隣で、シエットが跪拝したまま疲れたような顔をしているものだから、苦笑は深まるばかりだった。
「くっくっくっ……七至徒の長がアレでは、貴様も苦労が絶えんな。シエットよ」
「痛み入ります」
真面目すぎる反応がつまらなかったのか、あるいはおかしかったのか、ヴィクターは肩をすくめてから二人に告げる。
「堅苦しいのは、これくらいでいいだろう。もとより、貴様ら七至徒に礼儀作法など求めていないからな。まあ、何度そう言い聞かせても、いつまで経っても堅苦しいままでいる堅物もいるわけだが」
「言われてますよ、シエットさん」
「……貴様は、もう少し堅苦しさというものを覚えろ」
そんなやり取りを見て、ヴィクターが愉快げに片眉を上げる。
「これは、さすがの己も訂正せざるを得んな。少し見ぬ間に随分と柔らかくなったではないか。シエットよ」
「……お戯れを」
「戯れてたのは、わたしとシエットさんの方ですけどね」
皇帝の御前で、シエットは露骨に疲れたようなため息をつき、いよいよ堪えきれなくなったヴィクターが喉を鳴らして笑い出す。
「そういえば、そこのクオンは、貴様が七至徒候補に取り立てたのであったな」
「……はい」
「つくづく苦労性だな、貴様は」
もう一度喉を鳴らして笑った後、ヴィクターはクオンに視線を移す。
「さて、そろそろ貴様の顔を拝ませてもらうとしよう」
「顔、上げていいんですか?」
「ああ。というか、堅苦しいのはこれくらいでいいと言った時点で、楽にしても構わなかったのだがな」
「いやいや新参者のわたしには、そのような恐れ多いこと、とてもじゃないけどできませんよ~」
と言いながらも、婀娜っぽい表情を浮かべながら顔を上げ、立ち上がる。
クオンの顔を見たヴィクターは、思わずといった風情で感心の吐息をついた。
「ほう、美しいな」
「あ、ナンパはノーサンキューですよぉ」
「……クオン。今のは、いくらなんでも無礼がすぎるぞ」
一人だけ跪拝を続けるのは馬鹿らしくなってきたのか、シエットが諦めたように窘めながら立ち上がる。
「よい。気にするな。むしろ、普段は事務的な物言いしかしない貴様の口から感情が漏れ出ていることが、愉快で仕方がないくらいだからな」
「……本当に、お戯れがすぎます。陛下」
努めて事務的に徹したようなシエットの物言いに、ヴィクターは愉快げに口の端を吊り上げ、視線をクオンに戻す。
「それからクオンよ。ナンパがどうとか言っていたが、生娘に手を出す趣味は己にはない。だから、案ずるな」
最後の言葉が妙に引っかかったクオンは、〝仮面〟の下で一抹の不安を覚えながらも、心外そうに訊ねる。
「陛下ぁ。わたし、一目見ただけでわかるくらい生娘してますかぁ?」
「ああ。どれほど化粧を厚くしようがな」
不意に、心臓が飛び跳ねる。
崩れそうなほどに、心が動揺し始める。
だが、長年かぶっていた〝仮面〟までは崩れることはなく、〝素〟の自分を見抜かれたかもしれないという不安を完璧に押し殺しながら、クオンはわざとらしく小首を傾げた。
「わたし、化粧なんて全然してませんけどぉ?」
数瞬、クオンを見つめていたヴィクターだったが、
「ふっ、まあよい。貴様が思っている以上に、貴様が七至徒にふさわしいということはわかった。肝心の第一位がアレでは意欲が削がれるかもしれんが、せいぜい励むがよい」
「はぁい。がんばりまぁす」
「話は以上だ。下がってよいぞ」
クオンとシエットは慇懃に一礼した後、言われたとおりにヴィクターの前から下がり、退出する。
先程交わしたヴィクターとの会話が、妙に意味深になっていたことをシエットに突っ込まれたら面倒だったので、クオンは先手を打つべく、彼に向かって両掌を拡げた。
「見てください、これ。手汗びっしょりですよ」
実際に手汗をかいたことを利用し、意外性を感じさせる話題をシエットに振る。
すると、こちらの目論見どおりに、シエットは意外そうな言葉を漏らしてくれた。
「貴様でも緊張することがあるのだな」
「するに決まってるじゃないですか~。まさか一国の主が、グランデル老に勝るとも劣らない実力者だなんて思いもよらなかったですもん」
「なるほど。陛下のお力に気づいていたというわけか」
「気づくに決まってるじゃないですか~。あれだけ威圧感を振りまか――ひゃあっ!?」
思わず〝素〟の悲鳴をあげてしまう。
とはいえ、こればかりは仕方のない話だった。
背後から両手で胸を鷲掴みにされ、あまつさえ揉みしだかれてしまったのだから。
「~~っ~~!」
〝仮面〟では隠しきれない羞恥の赤を頬に滲ませながら、クオンはその場で勢いよく旋転することで魔手を振り払い、背後を振り返りながら後ずさる。
クオンの胸を揉みしだいたのは、七至徒用の正装に身を包んだ、二十代半ばほどの美しい女性だった。
膝裏まで届くほどに長い、ウェーブのかかった桃色の髪。
後髪も長ければ前髪も大概に長く、右目は完全に髪で隠れてしまっていた。
隠れた右目とは対照的に、髪を分けてしっかりと視界が確保された左目は紫水晶にも似た輝きを宿しており、その下にある泣きぼくろが彼女の魅力を引き立たせていた。
肌はおろか、唇も色素が薄く、深窓の令嬢を思わせる雰囲気を醸し出しているが、
「や~ん、もう少しだけ揉ませて~」
声は、聞くだけで男を骨抜きにしかねない程に艶っぽく、両手の指を艶めかしく動かすその様は、どこまでも扇情的だった。
自分以外の女性七至徒。
心当たりなど一人しかなかったクオンは、〝仮面〟の下から動揺を滲ませながらも、目の前にいる女性に向かって訊ねる。
「あ、あなたが、七至徒第四位のルナリア・シャンリーさんですか?」
「そのとおりよ。隠れ巨乳のクオンちゃん♪」
反射的に胸を隠しながら、さらに一歩後ずさる。
ルナリアは獲物を前にした肉食獣のように舌舐めずりをし、〝仮面〟をかぶってなお抑えきれなかった悪寒が、クオンの背筋を伝った。
「……シエットさん。助けてください」
「珍しいな。貴様が助けを求めるとは」
「求めますよ~。ある意味陛下よりも強烈じゃないですかぁ、この人」
シエットは表情を変えることなく鼻を鳴らし、ルナリアを見やる。
「そういうことだ。新人いびりはそれくらいしてやれ、ルナリア」
「新人いびりだなんて失礼ね~。私はただ純粋に、クオンちゃんとエッチしたいだけよ」
「不純極まりない寝言をほざくな。それより何しに来た?」
「だ~か~ら~、クオンちゃんとエッチ――」
「何しに来た?」
にべもない、シエット。
さすがにこの堅物が相手では分が悪いと判断したのか、ルナリアは小さくため息をついてから、
「クオンちゃんに挨拶しに来たのよ。でないと、こんな野暮ったい服なんか着たりしないわよ」
七至徒用の正装を指で摘まみ、愚痴るように答えた。
「ところでクオンちゃん。私については、どれくらい知ってる?」
「七至徒第四位であることと、帝国一の魔法士であること。それから、暗殺者としても超一流という話は……つい先程身を以て体験しましたね」
思わず、〝仮面〟の頬が引きつってしまう。
「あら? もしかして後ろをとられたこと、悔しかったりしてる?」
「そんなことないですよぉ。これからは、断固として、もう二度とルナリアさんに後ろをとらせたりなんかしませんからぁ」
「何それ……燃えるわ~」
「そんなこと言ってたら、本当に燃やしますよ。シエットさんが」
「勝手に私を巻き込むな」
という淡々としたツッコみを無視し、クオンは話を戻す。
「あと知っていることと言えば、先日わたしに突っかかってきた、ラガルさんを七至徒候補に推薦したことくらい……ですかねぇ」
その言葉を聞いた瞬間、ルナリアはニンマリと笑う。
「そのラガルちゃんのことで、クオンちゃんの耳に入れてもらいたいことがあるんだけど~」
「何ですかぁ?」
と、のんびり応じながらも、ルナリアの口からラガルの名前を出てきたことで、ほんのわずかに心臓の鼓動が早くなったことを自覚する。
ルナリアの様子を見る限り、先日ラガルを脅しすぎたことを不興に思っている様子はなかった。
そもそもルナリアは、自身が推薦したラガル以上に、クオンのことを気に入っている節がある。
事実、シエットから聞いた話によると、クオンの七至徒入りに真っ先に賛成したのがルナリアだった。
シエットよりも先にクオンの存在を知っていたら、ラガルの代わりに七至徒候補に取り立てていたとさえ言っていたらしい。
貞操の危険はさておき、ルナリアがクオンを気に入っていることは紛うことなき事実。ならば、ラガルのことでいったい何の話があるのか……言い知れぬ不安が、クオンの胸中を澱ませる。
「クオンちゃんがブリック公国の天才魔法士くんを見逃したこと、七至徒に近しい者の間じゃ周知の事実だってことは把握してるわよね?」
その瞬間、言い知れぬ不安が明確な不安へと変じる。
「まさか……ラガルさんは、ヨハンのもとに向かったのですか?」
「そのまさかよ。ラガルちゃんったら、いまだにクオンちゃんのことを蹴落としたくて、しょうがないらしいの」
ルナリアはわざとらしく肩をすくめ、「でもね~」と前置きしてから言葉をつぐ。
「ラガルちゃんの立場で七至徒になったクオンちゃんに手を出すわけにはいかないし~、ぶっちゃけちゃうとラガルちゃんってば、クオンちゃんに完全にビビっちゃってるから、回りくどいことしかできなくてね~。クオンちゃんが見逃した天才魔法士くんを殺すことで、クオンちゃんの判断が間違いだったことを証明して、クオンちゃんの七至徒入りをなかったことにしてやるって言って、部下をい~っぱい引き連れて、天才魔法士くんが最後に目撃されたコークス王国に行っちゃったのよね~」
緊張感のない物言いで、長々と、〝素〟のクオンに緊張をもたらすことを言う。
ラガルは魔法士としての才能をルナリアに見出され、七至徒候補に選ばれた。
その才能と情熱を弱者を嬲ることのみに傾けた結果、聞くもおぞましい拷問用のオリジナル魔法を創り上げたという話だ。
その拷問用の魔法をヨハンに向けるつもりでいるとしたら――そこまで考えたところで、クオンはあえて、心底馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに嗤みを浮かべた。
ひび割れかけた〝仮面〟をかぶり直すように。
「ルナリアさん。ヨハンが言ってたことなんですけど、彼……呪文の改編と、一度見た魔法を完璧に再現することが得意らしいんですよ」
「あら? その話が本当なら、とんでもないわね~」
同じ魔法士ゆえか、ルナリアが口調以上にヨハンに興味を持ったようにも見えたが、今は無視して、酷薄な嗤みをつくることに集中する。
「ラガルさん、自分の魔法で返り討ちにならないといいですねぇ」
大丈夫。
きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら、クオンは酷薄に、刻薄に、嗤った。
なぜか膨れ上がり続ける不安を、覆い隠すように……。





