「俺にはソフィアを見捨てることは出来ない」
アウクスベルクの町に戻り、休息を取った。
目を覚ましたころには、すでに日が暮れていた。通りを歩く人の姿も疎らだ。山を登っている最中は疲れを感じなかったのだが、ベッドに入ると疲れが溢れ出したのだ。
――ジュードさんと話さないとな。
リサは息を吐き出した。憂鬱な気分に負けてはいけない。これは義務だ。
ジュードの部屋の扉を叩く。すると控え目に扉が開き、ジュードが顔を覗かせた。
「ディオンか……。何か用か?」
「少しお話ししたいことがあるんですが、よろしいですか?」
リサの言葉に、ジュードが目を伏せた。どうやら、あまり気が乗らないようだ。
しかし、ここで諦めるわけにはいかない。
「ジュードさん」
少し強い口調で名を呼ぶと、彼は短く息を吐き出して「わかったよ」と了承の言葉を口にした。
外に出る前、不意に視線を感じて背後を振り返った。
吹抜けになった二階の廊下にウィルの姿があった。目が合うと、彼は片手を上げて見せた。
――行ってくる。
リサは心の中でウィルに囁き掛けた。
坂を上り、湖の畔までやってくる。町外れのこの場所ならば、夜に人は来ない。誰にも邪魔されることなく話を出来る。
「寒いな……」
アストルムと会った時は暖かかったというのに、今夜は凍えるような寒さだ。魔法で体温調整をしているリサは問題ないが、ジュードは身体を縮めて寒さを堪えている。長話はやめた方が良さそうだ。
「ジュードさん」
呼び出しておいて、自分から話し掛けないわけにはいかない。
「ソフィアとは、どうだったんですか?」
共通の話題を模索すると、必然的にソフィアの話になる。しかしながら、この質問はいかんせん漠然としていた。横目でジュードの様子を伺うと、案の定眉根を寄せていた。
「どうって?」
「……うまくやっていたんですか?」
「ああ。多分な」
「たぶん……?」
返事はなかった。
会話が続かない。気まずい雰囲気が二人を包んだ。沈黙を長引かせないためにも、ここはさっさと本題に入った方が良いのかもしれない。
仕切り直そうと口を開き、しかしジュードに先を越さてしまう。
「俺とのことは反対か?」
「反対?」
ジュードがうなずく。
「こんなことにならないで、もしも結婚って話になっていたら、おまえは反対するのか?」
リサは息を吐き出した。
何故そのようなことを聞くのだろうと疑問に思った。だが、このぎこちない態度では仕方ないだろう。
「しませんよ。ソフィアが自分で選んだのなら、ちゃんと祝います」
彼女は続ける。
「ウィルなんかより、ちゃんとあいつを大切にしてくそうですしね」
この言葉に、隣の男は乾いた笑い声を漏らした。
「あいつと比べられるのは、ちょっと複雑だ」
「それでも、ソフィアが選んだのはあなたですよ」
誰が何と言おうが、それは紛れもない事実だ。リサとしても、妹の選択が間違っているとは思わない。
「結婚を前提に付き合っていると言っていましたが、それはソフィアも了承していたんですよね?」
「ああ。彼女はまだ学生だから、正式にではなく口約束だったけれど」
「そう、ですか」
ジュードとソフィアについて話せたのは有意義だった。しかしながら、その分侘しさは募った。このまま話を続けては、それも増すばかりだ。
「――ジュードさん」
リサは意を決して、隣の男の名を呼んだ。
「私は、レヴェリスと戦います」
ジュードが弾かれたようにリサの肩をつかんだ。
「ソフィアを殺すのか……!」
「そう、ですね」
リサの肯定の言葉は、ジュードの怒りの炎に油を注いだ。今度は乱暴に胸座をつかまれ、足が宙に浮く。それでも、彼女は激情に歪んだ元上官の顔をまっすぐに見据えた。
「たったひとりの家族なんだろ! どうして殺そうとするんだ⁉ それでもおまえは、ソフィアの姉なのか!」
「だから、ですよ……!」
リサは胸座をつかむ手を振り解く。
「考えてもみてください。ソフィアが、アークの人類を滅ぼすことを望んでいると思いますか?」
「思うわけないだろ!」
「そうです。あいつは、そんなことを望むような奴でも、放っておけるような人間でもない」
ソフィアは優しい。可憐な外見に反して、しっかりとした信念を持っていた。そんな彼女だからこそ、アークを滅ぼすことは望んでいないと判る。
「ソフィアはまだ生きている。レヴェリスに身体を乗っ取られても、生きている以上、どこかに意識はあるはずです。苦しんでいるんですよ。レヴェリスに器とされ、抗うことも、悲鳴を上げることも出来ずに、人を……殺してしまった」
リサは続ける。
「私はあいつの姉として、これ以上苦しませることはさせたくない。だから、殺します。それが、私の義務です」
「それでも……、俺にはソフィアを見捨てることは出来ない……っ」
奥歯を噛み締めるジュードの表情は、苦悩に溢れていた。その痛ましい様子に、リサは遣る瀬無さを募らせる。しかし、彼女にも貫くべき信念がある。
「見捨てろと言っているわけじゃない。ジュードさん。あの子を楽にさせてください」
「やめろ……!」
「このまま何もしなければ、みんなレヴェリスに殺されます。あなたも、ソフィアに殺されてしまう」
ジュードは、ソフィアを救う術があるはずだとは口にしなかった。すなわち、彼も心の奥深くでは諦めているのだ。彼女を助けることは出来ないと。それでも決断を下せないのは、やはり恋人だからだろう。リサとは違う種の愛情を抱えているのだ。
「殺すくらいだったら、殺される方がいい……」
それは聞き捨てならない。
「ソフィアにジュードさんを殺させるわけにはいかない」
「ならば、俺は! ソフィアを殺させるわけにはいかない……っ! どうしても戦うというのなら、俺はおまえたちを殺してでもとめる!」
ジュードが再びリサの胸座を取り、右の拳を振り上げた。
リサは躊躇いなくジュードの脛を蹴る。痛みを堪えながら振られた拳を避けるため、胸座をつかむ手を握り、両の足を地面から浮かせて体重を掛けた。
ジュードが体勢を崩し、前のめりになった。リサは彼の腕をつかんだまま地面に倒れ、腕に脚を絡めて動きを封じた。
地面にうつ伏せになったジュードがもがくが、リサは容赦なくあばらに爪先を打ち込む。
「うっ!」
これで肋骨が何本か折れただろう。
激痛によってうまれた隙に、ジュードの左腕を捻じ曲げる。片腕を後ろ手に拘束し、リサはジュードの背に伸し掛かった。
「すみません、ジュードさん。けれど、ソフィアの分も生きてください……!」
さらに反対のあばらに拳を叩き込んだ後、彼女は短く呪文を唱えた。
「待て、ディオ――」
ジュードの全身から力が抜けたことを確認し、リサは拘束の手を緩めた。ゆっくりと立ち上がり、服についた埃を払っていると、隠れていたウィルが姿を現した。
「容赦ねぇな」
「やっぱり来ていたんだな」
リサの言葉にウィルは肩をすくめて見せた。
「こうなるかと思っったんだ」
ウィルが魔法により深い眠りに就いた元上官の身体を軽々と背負い上げた。そのまま二人は歩みを進め、リオンの屋敷へとやって来た。
「やはり、そうなってしまいましたか」
階段の上にいるリオンが三人を見下ろして言った。リオンも、ジュードが最後までこの皮肉な運命を受け入れることは出来ないだろうと予想していたのだ。
階段を上がり、木製の床にジュードを寝かせた。
「話しても、納得してもらえなかった」
「だからとはいえ、暴力に訴えるのはあまり感心いたしません」
「勘違いするな。先に手を出したのはジュードさんの方だ」
しかつめらしく答えるが、結果的にリサが一方的に暴力を振るっていたのは確かだ。何せ、横たわる男は肋骨を折られているのに対し、彼女は掠り傷ひとつ負ってはいないのだから。
「こいつの暴力的思考は、今に始まったことじゃねぇよ」
「ふざけるな。おまえだけには言われたくない」
「俺はいつだって大真面目だ」
ひとしきり口論を続けた後、リサはウィルの相手をやめてリオンに向き直った。
「この人のこと、よろしく頼む」
「ええ。お任せください」




