「やるぞ」
片刃の曲剣を剣帯に差す。アストルムの恩恵か、重さはあまり感じられない。身体も驚くほどに軽かった。
久しぶりに手にした剣に、身が引き締まる思いがした。あるいは、これから決戦に向かうためか。
リサは深呼吸した。
夜明け前。空気は身震いするほどに冷たい。こんな時間にひっそりと出て行くのは、まるで夜逃げのような気分だ。
――したことないけれど。
宿屋を出て、まだ暗い街の中をリオンの社へ向かって歩く。アウクスベルクの街は、ちらほらと明かりの灯った民家が点在するが、夜明け前に出歩いている者はほとんどいなかった。
坂道を上り広場を抜ける。彼女が進む道は一度下り坂となって、またすぐに上り坂へと変貌を遂げた。
坂の先に少女の姿があった。目を凝らさずとも、それがリオンだということはすぐに判った。
「ウィル殿は?」
「すぐに来るだろう」
無表情の少女に向けて端的に答える。しかし、来た道を振り返るが、まだウィルの姿は見えなかった。
「気分はいかがですか?」
訪れた沈黙をリオンが破る。
「良くも悪くもない」
「それは何よりです」
心のこもっていない言葉に、リサは片方の眉を吊り上げた。最後まで、つかみどころのない奴だと思った。
「――満足か? 結局、おまえの思惑通りになった」
何とはなしに問い掛けると、リオンはゆっくりとかぶりを振った。
「まだ思惑通りとは言えません。あなた方が、無事にレヴェリスを打倒してくだされば、私としては何も申すことはございませんが」
「それはやってみないと判らないな」
リサは小さく肩をすくめた。
「お二人方が彼の者を倒せば、きっとソフィア殿も救われます」
「そういう話は好きじゃない」
救われるかなど、そんなことは本人にしか判らない。いや、そんな大それたこと、出来やしないのだ。きっと。
「言葉で取り繕ったところで、あいつを殺そうとしていることに変わりない」
リオンにではなく、リサは自身に言い聞かせた。
「結局、私はソフィアではなく、あいつを選んだんだ」
ようやく姿を見せた男を指差して言った。
この選択が正しいかは判らない。それでも、間違っていないという自信はあった。
「あなたはソフィア殿を見捨てて、逃げようとは思わなかったのですか?」
「頼んでおきながらそれか?」
「この者の記憶を見ておりましたら、興味が湧きまして」
それは意外だ。このつかみどころのない守護者にも、好奇心をそそられるようなことがあるのかと寒心せずにはいられなかった。
「思ったさ。けれど、また逃げるわけにはいかないからな」
話はここまでだと、リサはやってきた男に声を掛ける。
「遅いぞ」
「少し遅れたからって、封印が解けちまうわけじゃねぇだろ」
ウィルは悪びれる様子もなく肩をすくめた。決戦前だというのに、何とも緊張感のない奴である。
「――それでは、レヴェリスのもとへお送りいたします。どうか、ご無事で」
リオンが差し出した華奢な手を握る。繋いだ手から魔力の流れを感じた瞬間、二人の視界は暗転した。
目を開けると、そこは四方を崖に囲まれた空間だった。上を見上げると、入道雲を浮かべた空と、緑の葉を纏った木々が目に入った。
間違いない。ここはアークの神殿の奥にある竪穴だ。一度、レヴェリスと対峙し、敗北した地でもある。
「やっぱ、ここはまだ暑いな」
緊張感のない声が耳に届いた。アークは紅の節となり、暑さはずいぶんと和らいだが、それでも身体を動かせばすぐに汗ばむ陽気だ。
竪穴の状況は、あの時とほとんど変わってはいなかった。
異形のものが暴れ回ったせいで、岩の地面には無数の亀裂が走っているが、召喚に使用された魔法陣は消されずに残っている。変わったことといえば、異形のものに潰された死体と使用済みの魔導石がなくなったことくらいだ。
少なくとも、死体と魔導石は回収された。ここには誰かが踏み込んだようだが、今は人の気配はない。
「誰かが来たみたいだな」
異形のものを召喚した魔法陣とは別に、ここにはレヴェリスを封じた魔法陣がある。誰かが足を踏み入れていたのなら、魔法陣を解かれているかもしれない。
――リオンがそんな易い封印を施したとも思えないけどな。
何しろ、態々リサに封印を破壊するための魔法を伝授したのだから。
「封印の魔法陣は無事か?」
一応、ウィルに尋ねる。すると、彼は竪穴の大空間の一角を指差した。
「あれだ。無事みたいだな」
地面の岩が不自然に盛り上がっていた。この前、ここでレヴェリスと対峙した時にはなかったものだ。
近づくと、盛り上がった岩を囲むように円の紋様が描かれていた。魔法陣はほのかに光を発しているが、未だ強い陽射しに魔法陣の光は掻き消されていた。日陰になっていれば、ウィルに聞かずとも目に入っただろう。
盛り上がった岩を見下ろす。この中に、ソフィア――レヴェリスが眠っているのだと考えると、無意識のうちに奥歯を噛み締めていた。
「この中に封印されてるってんなら、このまま魔法で一発どかんとやって終わりに出来ねぇもんなのか?」
しゃがんだウィルがぽんと岩を叩く。これでは中のレヴェリスも、怒り心頭に発することだろう。
「確かに、そんなことが出来るんだったら是非もない」
リサは腕を組んで答えるが、妹との別れがそんなものですまされてしまうのも納得出来なかった。尤も、ウィルが口にしたこと自体出来ないのだが。
「封印ごと中身もどうにか出来たら、リオンがそうしていただろう? 私たちに依頼するまでもなく」
「まぁ、その通りだな」
しゃがんだままウィルががリサを見上げる。
「準備は?」
「少し待て」
リサは自身としゃがみ込んだ男に、最上級の守護魔法と強化魔法を掛けた。生死をかけた戦いだ。気を抜くことも、手を抜くことも出来ない。
「こっちの準備は?」
ウィルが自身の胸を親指で指す。それを見て、リサは短く息を吐き出した。そして、盛り上がった岩から距離を取るために歩み出す。
「出来ているからここに来た」
ウィルもリサを倣いレヴェリスを封じた魔法陣から離れた。
充分な距離を取り、リサは魔法陣を振り返る。すると、遅れてやってきたウィルが彼女の前でとまり、左の拳を突き出した。
ウィルの翠玉の瞳を見返し、リサは同じく左の拳を合わせた。
「やるぞ」




