「シェーンブルク名物の『鍋の中の蛙』です」
任務まではまだ日がある。
一国の中心であるシェーンブルクは、アウクスベルクよりも栄えている。店も多く、享楽施設もあるようだ。
外界に来て日も浅いリサたちは、店に入らずとも散歩だけで充分な暇つぶしにはなる。しかし、三人が自由に出歩くことに、エリオットはよい顔をしなかった。
政府の人間の庇護下にある以上、好き勝手をするわけにはいかない。何より、また面倒事を押しつけられるのは勘弁願いたかった。ただ、ジュードが図書館に行きたいと願い出たことにより、それだけは許可が下りた。何故図書館かと問われれば、ソフィアを救う手掛かりを探すためである。
ジュードだけでなく、リサとウィルも連日図書館に通い詰めた。扉が開くと同時に入館し、退館を促されるまで文献を読み漁った。あまり座学が得意ではないウィルは、しばし席を外してはいたが無理強いは出来ない。
長時間、本を読み続けるというのは思いの外疲れる。
リサは図書館を背に大きく伸びをした。次いで腰を捻って、固まった身体をほぐす。
昼時はとうにすぎているが、宿で昼食をとろうと思った。こんな時でも、腹の虫が静まることはなかった。心なしか大人しくはなっている気もするが。
――簡単には見つからないな。
未だ図書館の中で文献を読み漁っているジュードに向けて、胸中で呟く。
「お疲れ様です、リサさん」
振り返ると、声の主であるエリオットと、先に図書館を出ていたウィルの姿があった。
「何か用か?」
リサの無遠慮な問いに、エリオットは苦笑を浮かべた。
「連日図書館に通い詰めていると耳にしたので、少し様子を伺いに」
彼が続ける。
「毎晩遅くまで、借りた本を読んでいるそうですね。熱心なのは感心いたしますが、あまり無理をするのは良くない」
「そのくらいしか出来ないからな」
リサは腕を組んで答えた。
ジュードが寝る間も惜しんで調べているというのに、ただ傍観しているわけにはいかない。それに付き合わせてしまっているウィルには悪いが。
「……無駄だと思うか?」
寒空を見上げてぽつりと囁いた。エリオットは感心すると言っていたが、それが虚言であることは判りきっている。
疲れているのかもしれない。答えの判りきっている問い掛けなど、まったくもって無意味だ。
「それを聞いてどうするんですか?」
「興味本位だ」
疲れていても、どうやらまだ強がるだけの余裕はあるようだ。あるいは……。
「そうですね。無駄とは思いませんよ」
思わぬ返答に、リサは彼へと視線を移した。しかし、続けられた言葉に、彼女は自嘲の笑みをこぼした。
「諦めるためにも、自己満足は必要です」
何故か悪い気はしなかった。下手に励まされたり慰められるよりも、心にさざ波は立たない。
「あの人には言うなよ」
「ジュードさんのことですか?」
黙したまま顎を引く。
「彼はずいぶんと思い詰めた様子をしていましたが、ソフィアさんとは親しい間柄なのですか?」
「……らしいな。私も、詳しくは判らない」
本人たちの許可なく話すのも悪かろうと誤魔化すが、それは無意味だった。
「結婚の約束してたって言ってたぞ、リサ。おまえも聞いてんだろ」
リサは余計なことを言うなとウィルを一瞥するが、すでに口にしてしまった言葉を取り消すことは出来ない。ウィルはリサの視線にも悪びれる様子なく、肩をすくめるだけだった。
「――結婚を前提に付き合っているとは聞いた」
「つまり、お二人は婚約者同士なのですね?」
「そういうことだ。まぁ、俺たちもこっちに来て知ったんだけどな」
リサは片眉を吊り上げた。ジュードも態々この男にまで知らせる必要はなかったのだ。
「おまえは勘が鋭いからな。ソフィアもジュードも、隠すのに必死だったろうよ」
自身が勘が鋭いとは思わないが、二人が気を使っていたのは確かだろう。考えてみれば、幾度となくジュードからソフィアの話題を振られたことがある。まさかそのような関係に発展しているとは思いもしなかった。
「なるほど。納得しました」
エリオットが神妙な面持ちを取り繕う。
「ですが、リサさんもジュードさんも、根を詰めすぎるのは良くありませんよ。息抜きがてらに、少し街を案内いたしますが、どうでしょうか? 昼食もまだだと伺っておりますし」
リサもちょうど食事にしようと思っていたところだ。断るいわれはない。
「ああ」
リサの返事に、エリオットが口元を緩めた。
「ジュードさんはまだ中に?」
「誘っても、多分断られるぞ」
「だな」
それでも声を掛けないわけにはいかないと、エリオットは図書館へと入って行った。しかし、リサとウィルの予想通り、彼は単身で二人のもとへ戻ってきた。
「嫌われてしまいました」
後頭部を掻きながら決まり悪そうに言う男に、リサは溜息を漏らした。冗談でもそのような言い方はして欲しくなかった。
「あの人は、好き嫌いで人を見るようなことはしない。悪く思わないでくれ」
姉である自分よりも、現状を憂えているのはジュードだ。リサは自身を薄情だと思わざるを得なかった。それと同時に、己とジュードとの間にある感情の差は何だろうかと疑問にも思った。
エリオットが一瞬、目を見開いた。しかし、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「判りました。リサさんがそうおっしゃるのなら」
一行は滝壺へとやってきた。滝壺の周辺は広場になっており、元気の良い子供たちが大声を上げて走り回っていた。
三人は広場に面する店に入った。
「ここは私が奢らせていただきます」
エリオットが気前よく言うが、彼が支払いを受け持ってくれなければ、無銭飲食で捕まってしまう。
彼はこの店に何度も訪れているらしく、店員とも顔見知りだった。料理も彼が勧めたシェーンブルク名物をいくつか頼んだ。
そして、その料理がテーブルに置かれると、リサとウィルは言葉を失った。
「これは……」
「シェーンブルク名物の『鍋の中の蛙』です」
赤子の一回り以上の大きさの蛙が丸ごと鍋に投入されていた。鍋の縁に顎を乗せて、まるで湯船に浸かっているようだ。
「蛙と目が合う……」
寒さをやわらげるためか、スープには香辛料がたっぷりと入れられている。鍋から立ち込める湯気と、香辛料の香りが三人を包んだ。
「見た目は少々アレですが、中々美味しいですよ」
「いくらなんでも、でかすぎんだろ」
アークでも蛙は一般的に食されている。しかしながら、その外見上丸ごと出されることはない。何より、これほど大きな蛙は見たこともなかった。
「そうですか? これは食用の子供ですから、まだ小さい方ですよ」
――これで小さいというのか……?。
リサとウィルは派手に顔をしかめた。
「成長すると毒を持ちますしね」
エリオットはそう言いながら、手慣れた様子で巨大蛙を解体し始めた。
「それ、食う前に言うことか?」
目の前に置かれた取り皿を前に、リサは息を呑んだ。決して、喉を鳴らしたわけではない。
「リサ」
「なんだ?」
「早く食べろよ」
「おまえが先に食べろ」
「他人に毒味させる気か?」
「おまえこそ」
不愉快にも、この下手物鍋を注文した本人は面白そうに笑っていた。
「毒は入っていませんから、騙されたと思って食べてみてください」
エリオットがフォークに刺した肉をぱくりと口に入れた。そして、さらにもう一口。
「――毒はないみたいだな」
「ですから、そう言っているじゃありませんか。二人とも、往生際が悪いですよ」
そろそろ店員の視線も痛くなってきた。こうなっては、腹を括るしかないようだ。
リサは息をとめて、削ぎ落とした肉を口に放り込んだ。
ごくん。
「どうです?」
「……うまい」
生臭さはなかった。肉自体は淡白だが、香辛料の辛さが後を引く。エリオットの言う通り、見た目はアレだが美味だ。
ウィルも一口食べると、その後は黙々と料理を口に運んだ。




