「俺の弟は、臆病者ではないからな」
翌日の朝、リサとウィル、そしてジュードはエリオットと共に首都シェーンブルクへと出立した。あまり乗り心地が良いとはいえぬ馬車に乗り込みながら、リサとジュードは昨日から仏頂面を隠そうともしない。エリオットの笑みも、苦笑いへと変わっていた。
馬車が動き出す。
リサは小窓から外を眺めた。馬車は広くない。この狭い空間に己を嵌めた人物と閉じ込められるのは、決して気分が良いものではなかった。
「申し訳ありません。リサさん、ジュードさん」
向かいに座るエリオットが低頭する。謝ったところで、逃してくれる気はないのだから意味もないだろうと呆れる。しかし、謝らずにはいられない雰囲気を醸し出していることも自覚していた。
「……もういい」
そう口にするものの、感情は意のままに制御出来ない。
「それより、おまえの目的はなんだ?」
任務への参加は、借金の返済のためではない。それは建前だ。他に、何か目的がある。
「それについては、ぜひとも知りたいね」
ウィルもエリオットが何か企んでいることに気づいているようだ。
「まさか、本当に冒険者なんてものにさせたいわけじゃないだろう? それとも、軍にでも勧誘するつもりか?」
生憎、忠誠を誓ったとはいえない軍に裏切られたばかりだ。軍への勧誘なら受けるつもりはない。
「あなた方に冒険者になっていただきたいのも本心ですよ。軍への勧誘も悪くはありませんが、柵が多い軍では本来のお力を発揮していただけないでしょう。特に、リサさんとウィルさんは」
エリオットはこう続けた。「私はこう見えて、人を見る目だけはあると自負しているのですよ」と。「だけ」と限定したのは、謙遜だろうかと疑問を抱く。
「シェーンバルト共和国にとどめておくのは、人類にとって不利益になり得る。あなた方には、その実力を遺憾なく発揮していただき、再び人類が世界を踏破するために一役買っていただきたいのです」
大仰な物言いに呆れたのはリサだけではない。隣のウィルも唇を引き結んでいる。ジュードは腕を組んだまま俯き、目を閉じていた。彼に限っては、話を聞いているのかさえ定かではない。
「南方大陸の踏破は目前です。東方大大陸も二年前に開放されました。しかし、開拓が順調とは言い難い。七百年もの間、人類が踏み入れなかった地は多くの獣が蔓延る地と化しています。開拓には、あなた方のような実力者が必要なのです」
未知の地を、ものを追い求める冒険者。エリオットは大仰な言い方をしているが、冒険者の多くは世界や人類のためとは思っていない。彼らは、己が好奇心や名誉欲を満たすために危険な旅へと繰り出すのだ。
正直なことをいえば、面白いのだろう。リサは戦闘が嫌いではない。戦いながら、自由気ままに生きることが許される冒険者は、彼女にしてみれば天職ともいえる。そして、リサ以上にウィルにとっては天職といえるだろう。
しかし、ジュードには天職といえるか、甚だ疑問だ。彼はどちらかといえば、規則に縛られる人間なのだ。それが、短所だとは思わないが。
エリオットも、すでに見抜いているからこそ、先程はリサとウィルを名指ししたのだ。
「悪い話じゃないけどな」
珍しくウィルが真面目腐った表情を見せた。
「残念ながら、俺たちは近いうちに死ぬかもしれない。冒険者になれるか判らねぇよ」
「レヴェリス様のことですね?」
エリオットも笑みを消して、しかつめらしい表情になった。
「申し訳ございませんが、我々には何も出来ないのが現実です。無事に皆さんがお戻りになるのを待つことしか出来ません」
アークの人類を救ったとしても、リサたちがアークに戻ることは出来ない。
クレムス駐屯地の者たちは、今ごろどうしているだろうか。最悪の場合、彼らは反乱分子として抹消されているだろう。政府や軍の企みを証言を出来る人間は、アークから消えてしまったのだ。彼らだけで、抵抗を続けることは難しい。
結果的に、このような状況に陥ってしまった。クレムス駐屯地の人間に協力を仰いだのは間違いだったのかもしれない。
「待つことしか出来ませんが、その後のことならお任せください。こちらで生活出来るよう計らうことなら出来ます」
「生きてたら頼む――としか言いようがない」
「生きてください。リオン様も、私も、それを望んでいます」
エリオットの口調には、利益を求める以外の感情が含まれている。リサはそのように感じた。その他意が何かまでは判らないが。
馬車は蛇行する坂道を下る。外の風景が、徐々に変わった。岩肌の多かった大地に、無数の木が生える。寒い季節、森は色合いを失くすが、温かくなれば一面は緑に覆われるのだろう。
「多くの者が、アークが危機的状況にあることを知りません。リオン様が現界なさったことを喜んでいる者さえいる。アークの状況を知っている者も、その危機には目を向けようとしません」
外界の人間が他人事なのは無理もないことだ。アークの人類が滅びようが、彼らに影響はない。いっそ、アークが存在することでひとつの大陸が封鎖されているのだから、封鎖が解かれることを望んだとしてもおかしくはない。
「正直なことを申せば、アスクルに偏見を持つ者も多い。滅ぶべきと考える輩が存在するのも事実です」
「おまえはどうなんだ? アークの全人類、もしくはアスクルが滅ぶべきだと思うか?」
エリオットはゆっくりとかぶりを振るった。
「アスクルのことはよく判りません。ですが、魔導石があればカンヘルとアスクルに大きな差はありません。優劣がないのなら、なおさら比べる必要もない。つまり、滅ぶべき者など存在しません」
滅ぶべき者が存在しないのなら、何故ソフィアは死を強いられるのか。そう思わずにはいられなかったが、ここで口にしても仕方ない。リサは口を噤んだ。
やがて腹の虫が鳴くころ、馬車は森の都へと入った。
四方を森に囲まれたこの都市は、シェーンバルト共和国の首都シェーンブルクと呼ばれる。一国の中心となる都市というだけはあり、アウクスベルクよりも人通りが多く、また建物も多い。しかしながら、アークの首都である中央とは全く違った雰囲気を持つ街だった。
シェーンブルクは緑溢れる街だ。宵の節である今は、一部の常緑樹しか緑色をなしてはいないが。
街は段丘により二段になっていた。街の中心には段丘を落ちる滝があるが、半分以上が凍ってしまっている。
凍った滝を望むことが出来る宿に、リサたちは案内された。シェーンブルクに宿屋は何軒もあるが、二人が案内された宿屋はその中でも三本の指に入る高級な宿だ。そうエリオットが言っていた。
アウクスベルクの宿屋が貧相だったわけではないが、確かに規模は倍以上もあり、装飾などが高級感を高めている。アークから現れた得体の知れない人間にこの宿を提供するとは何とも待遇が良い。
とはいえ、ここの宿泊費もこれから自分で稼ぐことになるのかもしれないが、確認することはしなかった。
多くはない荷物を預け、一行はすぐに宿を出た。これから任務とやらの司令官と面会することになっているのだ。
面会の場所は、上段街にある大きな木造の建物だ。そこはシェーンバルト共和国の中枢を担う場所でもある。
一行は滝の広場から階段を上り、上段街へとやってきた。木が葉を纏わない季節である今は、段丘からの眺めは見晴らしが良い。
「今回の作戦は、我が国が主導で行うものです。とはいえ、半分は冒険者の方々ですが」
エリオットが面会の前に作戦の内容をざっと教えてくれた。
中央大陸の東に位置する東方大大陸。東方大大陸の西岸には二年前に冒険者が集うキャンプがいくつか建設された。そして、現在は川沿いに内陸へ移動した場所に新しいキャンプを建設しているのだが、そこで問題が発生したようだ。
政府機関と併設された警備軍本部の建物の一室に案内される。
室内にはソファーに座した無骨な男性の姿があった。
「久しぶりだな、ジェイド」
「元気そうで何よりだ、エリオット」
どうやら二人は知り合いのようだ。ジェイドと呼ばれた男のむすっとした表情がわずかに和らぐ。
「紹介する。こちらが、リオン様に招かれたアークの方だ。リサ・ディオンさんとウィル・レインさん。それにジュード・ルーカスさん」
ジェイドは再び表情を引き締め、三人に向かい低頭した。
「今回の作戦を一任されたジェイド・エルガーです」
「エルガーだ」
今度はリサとジュードが低頭した。ウィルは無礼にも頭を下げない。
エリオットに勧められてソファーに腰を下ろす。斜め前に座るジェイドの顔を一瞥するが、その表情は険しかった。
「はじめに言っておく。今回の作戦は激戦が予想される。自分の身を守れない奴を連れて行くことは出来ない。こちらとしても、護衛に人手を割く余裕はないからな」
ぶっきらぼうな言葉に、エリオットが苦笑を浮かべた。
「彼らの実力は確かだ。心配には及ばないだろう」
「ああ。自分の身くらい自分で守れる。何だったら、最前線で戦ってやってもいい」
ジェイドが鋭い眼光を宿す目でウィルを睨んだ。
「大した自信があるようだが、冒険者でもないおまえたちを戦力として数えることは出来ない。それが規則だからな」
「申し訳ありませんが、そういうことになっております」
「そいつは残念だ」
肩透かしを食らったとばかりに、ウィルがだらしなく背もたれに寄り掛かる。アウクスベルクでは冒険者相手に散々暴れ回ったというのに、まだ暴れ足りないようだ。何とも血の気の多い奴である。
「関係ない人間を連れて行くのは、本来ならあり得ない。今回はこいつに免じて許してやるが、勝手な行動は慎むように願いたい」
「了解した」
エリオットという男が人格者のせいで、この任務に同行せざるを得ないということか。リサは密かにエリオットを恨んだ。
「それで、新しいキャンプの建設地で何が起きてんだ?」
ウィルの問いに答えるため、ジェイドが地図を広げる。その地図は東方大大陸のもののようだ。西岸にいくつかのキャンプが描き込まれているが、ほとんどが空白である。およそ、地図と呼ぶにはふさわしくないものだった。
七百年前の大戦は、地形さえも変えてしまうような戦争だった。それ故に、大戦以前の地図は使えない。地道に開拓していかねば、地図の空白地帯は埋まらない。
「新しいキャンプの建設地はここだ」
ジェイドが地図の一点を指さす。大陸の中央部、赤道よりも北に位置する川を遡り、その川が二股に分かれたところだ。
「この川と川に囲まれた位置が建設地だが、夜になると東の山から凶暴な魔物が下りてきて建設地を襲う」
「今までは何とか堪えてきたのですが、死傷者が多数出たこともあり、建設を中止することになったのです」
ウィルが眉根を寄せる。
「キャンプの建設を中止するなら、作戦も何もないだろ?」
「キャンプの建設は中止する。しかし、危険な魔物を放っておくことは出来ない。魔物がキャンプを襲うのを利用して、魔物の掃討を行うのが今回の目的だ」
なるほど。それで激戦が予想されるということか。確かに七百年もの間、弱肉強食の世界を生き抜いた魔物は手強そうだ。
「放っておけば、西岸のキャンプも襲われるかもしれない。危険の芽は出来得る限り早く摘んでおくべきだ」
その意見には同感だ。これから冒険者が内陸部に踏み込んで行けば、彼らの危険も増す。犠牲者を減らしたいのなら、早期に対処すべきだ。
ジェイドが作戦の詳しい内容を話した。
キャンプの建設地に囮となる部隊を置き、夜になるのを待つ。建設地の川を挟んだ北側の岸にも魔法の攻撃隊を配置し、囮の隊が橋を渡って逃げ切るのを待ってから、橋を崩落させるのだという。
危険なのは囮役だが、それはシェーンバルト軍の部隊が担当する。彼らが魔物を引きつけている間、川に配置する船からも魔法と弓で攻撃を仕掛ける。
「おまえたちは、俺が乗る船で待機してもらう。それが一番安全だからな」
「二つ、いいか?」
この作戦で問題があるとすれば、魔物の退路である。
「囮を使って魔物を引き寄せるのはいいが、対岸と川から攻撃を仕掛けて囮が撤退したら、魔物は山へと逃げてしまうだろう?」
「退路を断つために、キャンプの東側にはあらかじめ大量の薪を置いておく。それも、油を染み込ませてな。魔物がキャンプに入ったところで着火すれば、しばらくは時間を稼げるだろう」
薪が燃え尽きる前に魔物を掃討しろということか。数が判らぬ以上、時間が充分にあるかの判断は出来ないが、それも考えてのことだろう。
「もうひとつは?」
「囮の隊は納得しているのか? 下手をすれば、全滅しかねない。それに、作戦前になって臆病風に吹かれても困るだろう?」
ジェイドがこの上なく真剣な眼差しと口調で答えた。
「臆病風に吹かれるような奴は、囮として選ばない」
彼は続けた。
「俺の弟は、臆病者ではないからな」




