「七九二戦三〇七勝八四分だ」
リサが特務隊隊長の執務室を訪れるのは二度目だった。執務室は前回来た時と何も変わっていないように思えた。立ち位置も変わっていない。前回との相違点といえば、オルディスの姿がないことくらいだろう。
「さて、報告を聞こう」
アドルフはしかつめらしい表情を崩さない。相変わらず、眉間に深い皺が刻まれていた。
「保管庫でアウトローが使用したと思しき魔導石が発見されました。死体となって発見された三人の死に方にも不可解ところがありました」
「死に方?」
頬杖をついたまま眉をひそめる。二人は、三人のアウトローの死に方について、不自然だった点を説明した。爆発のこと、三人が心中のような死に方をしていたということだ。
「確かにおかしいな。アウトローが魔導石を持っていたことにも疑問を感じる」
「ですから、アウトローキャンプへと行きました。そこで、彼らから不審者の情報を得ることが出来ました」
アドルフは神妙な面持ちを崩さぬまま息を吐き出した。
「不審者、か」
「おそらくは、その不審者が魔導石を持ってきたのではないかと考えています」
リサとウィルは事前に、保管庫から奇跡的に帰還した青年については話さないと打ち合わせていた。彼のことを口にすれば、アウトローを掃討する命令が下されるかもしれないからだ。
「さらに、アウトローはその不審者に捨て駒にされた。彼らは盗み出した食糧を持ってはいませんでした。アウトローキャンプから消えた人数と死者の数は一致しています」
リサは眉ひとつ動かさずに偽りの報告をした。彼女は基本的に厳格な性格であるが、ただ頭が固いわけではない。それに加え、意外と義理堅い人間でもあるのだ。
「おまえたちの話を聞く限りでは、確かに、その不審者が魔導石を持ってきたと考えられるな。それで、今はその不審者について調べているということでいいのか?」
二人は顎を引いた。
「不審者について、どこまで調べがついている?」
「特定は出来ていません」
アドルフが片眉を吊り上げる。含んだ物言いに気づいたようだ。
「つまり、特定は出来ていないが、疑わしい人間はいるということだな?」
もう一度二人はうなずいた。
「確証はありません。しかし、我々は不審者がリガス教の人間だと考えています」
「リガス教だと……?」
アドルフは信じられないとばかりに目を見開いた。
「話が飛躍しているのではないか?」
「アウトローは亜人によって困窮していました。その場に不審者が現れ、保管庫から食糧を盗み出す計画を持ち掛けた。あまりにも出来すぎているとは思いませんか? 不審者は亜人の存在を知っていたとしか考えられません。しかし、亜人の存在を知っているのはおかしい。そこで、亜人について調べました」
上官の表情が険しくなる。
「亜人について調べたのか」
「はい。不審者の手がかりがなかったので駄目元で」
ウィルが飄々と答えても、アドルフの表情が緩むことはなかった。それでも構わずに彼は続けた。
「亜人について調べていると、今度は亜人と魔導石が関係している疑いが出てきました。魔導石の出荷量は教都が一番多い。それで、リガス教に至ったわけです」
二人は押し黙る上官が言葉を発するのを待った。
やがて、アドルフが重たい口を開く。
「何故、亜人と魔導石との関係を疑った?」
「ソルジェンテの遺跡です。遺跡は亜人の根城になっていました。そして、隠された地下室には使用済みの魔導石が山のようにあった。それに、床には何かを消した痕跡も。地下室は階段を壊して塞がれていました。壊されたのは、比較的最近のことです」
「なるほど。それで疑ったというわけか」
息を吐き出す。上官はゆっくりと背もたれに寄り掛かり、目を閉じた。
「おまえたちの推測は判った。確たる証拠もない中で、そこまで推理出来るとは大したものだ」
アドルフは一息に言い、目を見開いた。
「しかし、どれも状況証拠だ。リガス教が怪しかろうと手出しは出来ない」
想像していた通りの言葉だった。リガス教は強い影響力を持つ。それは政府すら無視出来ないほどの力だ。確かな証拠をつかめていない今、推測だけで行動を起こすのは危険だ。各地の信者が暴動を起こすかもしれない。上官として判断に慎重になるのは当然のことだ。
「それに加え、亜人については別の者が調査をしている。おまえたちは保管庫の件と亜人が、何らかの関係を持っていると推測した時点で、私に報告し指示を仰ぐべきだったのではないか? 報告があれば、その者たちと捜査協力することも出来ただろう。これは報告の義務を怠ったと判断するに充分だ」
リサとウィルは唇を引き結んだ。すでに覚悟は出来ている。
「ウィル・レイン。リサ・ディオン。両名共に三日間の拘留と十日間の停職に処する」
覚悟はしていたが、二人は微かに目を見開いた。報告義務を怠っただけで科せられる処罰にしては重い。
「停職だけでなく、拘留もですか……?」
「特務隊は軍内部で比較的自由に動ける部隊だ。だからこそ、処罰は他の隊よりも厳重にしなくてはならない」
アドルフは続ける。
「処罰期間中、不審者についての捜査は他の者が行うことになる。しかし、その後はおまえたちが捜査しろ。それまでに、私も動きやすくなるよう手を打とう」
彼は執務机に置かれていた通信機で、憲兵隊に連絡をとった。内容はもちろんのこと、二人の身柄を引き渡すことについてだった。
逃亡などとくだらないことは考えなかった。目の前で自身の身柄について話されるのは、複雑な心境だが諦めがついていた。抵抗も反論も無駄だ。無駄と判っているのなら、する必要もない。
「停職中は大人しくしていろよ」
考える時間は山ほどあった。三日間も独房に入れられていたのだ。考えるなという方が土台無理な話である。
軍本部の地下室にある独房から出されたリサは寮へと戻り、気分転換にシャワーを浴びた。
彼女は越してきたばかりで任務を与えられた。部屋には整理されていない荷物が散らかっている。
停職は良い機会だ。リサは散らかった荷物の整理を始めた。荷物は少ない。一日もあれば綺麗に片すことが出来るだろうと見込みを立てた。
しかし、彼女の見込みは儚くも崩れ去ってしまった。
荷物の整理が半分ほど終わったころだ。無線でウィルに食堂までくるように言われたのである。彼女は断わったが、ウィルは聞く耳を持たなかった。
仕方なく重たい腰を上げて寮の一階にある食堂まで行くと、呼び出した本人が遅めの昼食を頬張りながら手を振った。その姿を見て、リサは短く息を吐き出す。
人の姿は数えるほどだった。今は昼間だ。寮に住む大抵の軍人は、同じ敷地内にある本部に出勤しているはずだ。
「よぉ。初めての独房はどうだった?」
「考えごとをするには意外と快適だ。こんな場所より」
嫌みの一言も言いたくなる。だが、ウィルは嫌みなど気にもとめなかった。
「何を考えてたんだよ?」
リサは溜息をついた。この男には何を言っても無駄だ。
「クレムスで一度暴動が起き掛けたことがあった。そのことだ」
ウィルはあの騒動を知らない。首を傾げるのも仕方ないことだった。
「暴動は大袈裟だな」
リサは周囲に人がいないのを確認し、再び口を開いた。
「クレムスで殺人があったんだ。街の外で、三人の遺体が見つかった。その事件と亜人については情報規制されていたんだが、何故か施設居住者に情報が漏れてしまった。それで、居住者が施設を移転させろと騒ぎを起こした」
ウィルが納得したようにうなずく。
「何故か、か。その何故かってのが関係してるってわけか?」
「軍の人間以外で亜人と殺人の情報を知っているのは犯人だけだ。それに、騒ぎを起こしたほとんどの人間が教都へ行きたいと言っていた。国をつくるのに、民の存在は重要だからな」
部屋を片すには良い機会だが、それまで動くことが出来ないのはもどかしい。まだ停職期間に入って一日目だというのに、早くも次に何をすべきか考えていた。
「停職中だろうが考えることは出来るけどな、どうせ十日間は何も出来ねぇんだ。休みを謳歌しようぜ」
のんびりとした口調に、リサは肩をすくめた。誰が見ても、彼が停職中であるとは思わないだろう。
「この前みたいに、魔法を教えろとは言わないだろうな?」
魔法の訓練が休みを謳歌することに繋がるのは、世界中を探してもこの二人だけだ。普通の人間なら、停職中は部屋で大人しくしている。
「いい案だな。それ」
リサは半信半疑で口にしたのだが、ウィルが名案だとばかりに指を鳴らした。
「本当にやるのか?」
ここはクレムスとは違う。軍本部の敷地は広いが、考えもせずに魔法を放つことは出来ない。
「いや、さすがに魔法は諦めがついたからやらない」
「じゃあ、何ならやるんだ?」
にやりと笑うウィルに、リサも同じように返した。
「決まってんだろ。そんなの」
「――そうだな」
二人は立ち上がり、訓練場へと向かった。
三日間も独房に入れられて、身体がなまっている。ウィルとの訓練は、良い運動になるだろう。士官学校時代、彼と知り合ってからは毎日のように手合わせをしていた。それこそ、周囲の人間が呆れるくらいに剣を打ち合った。
短い草を踏み締める。ただの手合わせだろうと、気を抜くことは出来ない。リサとウィルは負けず嫌いなのだ。特にリサは冷静沈着に思われがちであるが、実際には血の気が多い。無論、戦闘狂のウィルほどではないが、彼女も充分に戦闘狂の素質を持ち合わせていた。
先に地面を蹴ったのはいつものごとくウィルだった。一瞬にして間合いを詰め、横薙ぎの一閃を放つ。
リサは身体を低くし、頭上で水平に構えた木剣で水平斬りを上へ弾いた。さらに膝を曲げ、低い位置で蹴りを放った。
蹴りは、ウィルが前宙したことで回避されてしまう。続けて放たれた、振り向き様の一閃を、リサは剣腹で防いだ。背後の相手の鳩尾目掛けて肘を打ち込むが、ウィルは後方に跳び退いた。
間髪入れずに、二人は間合いを詰める。右上段からの袈斬りがぶつかり合い、手に痺れる感覚が生じた。
ウィルの斬撃は速くて重い。一方、リサの斬撃は速さはウィルを上回るものの、彼に比べると軽い。鍔迫り合いは不利だ。
一歩足を引き、木剣を傾けることで鍔迫り合いを脱する。不意に支えがなくなったウィルの木剣が地面に打ちつけられた。その峰を強く踏みつけながら突きを放つが、彼は躊躇いなく折れた剣を手放した。身体を捻って突きを回避する。
突き出された剣を握る一方の手首をつかまれ、一瞬にして視界が一転した。背を丸めて受身を取り、のし掛かったウィルを蹴り上げてさらに一転。
しかし、彼は近くに落ちていたリサの剣を取り、腹部に突きつける。
「おまえの負けだ」
「……引き分けだ」
木剣が腹部に突きつけられたのと同時に、彼女は軍靴に隠していたナイフをウィルの首筋に突きつけていたのである。ナイフは訓練用の物ではない。本物だ。
「七九二戦三〇七勝八四分だ」
「まだまだ、俺にはかなわないな」
「それだけが取柄だろう?」
「だけって言うな」
ウィルがむっとした表情で言い、リサは小さく笑った。手にしたナイフを鞘にしまい立ち上がる。寝転がったままの相棒に手を差し出した。
「もう一戦やるか?」
「食べた後だから身体が動かない」
「言い訳か?」
「言い訳なんて、負けた時にしか言わねぇ」
「負けたら言うんだな」
苦笑を漏らすリサの手をつかみ、ウィルが立ち上がった。
「特に魔法の試合だと言いたくなる」
「勝負にならないからな」
「うっせ」
憮然と呟くが、その表情はすぐに和らいだ。
「昔はよく手合せしたな」
「ああ。士官学校からおまえが異動になる前まで、毎日のようにやっていた」
「木剣なんかすぐに折れちまった」
「真剣もすぐに折れたさ。何度も怒られた」
自身が踏みつけて中ほどから折れてしまった木剣を拾い上げた。
「――どうやら、また怒られたいようね」
リサとウィルは反射的に声がした方へと顔を向けた。声の主の女性を見て、ウィルが無遠慮に顔をしかめる。
「ノエル……」
「教官と呼びなさい。馬鹿者め」
呼び捨てにされた女性が、しかつめらしい表情で指の関節を鳴らす。
「まったく、中央に来たのに恩師に挨拶もないとは。相変わらず礼儀がなってない」
「恩師ってのは、教え子側が使う言葉だろ。自分で言うなよ、ノエル教官」
「やめろ」
挑発するような物言いをする相棒を牽制する。このまま放っておいては、面倒事に発展しかねない。
幸いにも、ウィルは何も言わずに肩をすくめた。彼も幾分かは大人になったということだろう。
「――ご無沙汰しております、ノエル教官」
「卒業以来よ。どうやら、鍛錬は怠っていないみたいね」
先程とは違い、ノエルは穏やかな表情を見せた。士官学校に在学していた際には、決して見せなかった顔だ。
「そう叩き込んだのは教官です」
「私が教え込まずとも、おまえたちは身にしみついていたよ」
それにしても、と彼女は続けた。
「レインがこちらに異動になったとは聞いていたが、まさかディオンも異動になったとは……。中央の人間も、ようやくおまえたちに目をつけたというわけね」
「耳が早いな」
「おまえたちはとんでもない問題児だったから、嫌でも耳に入ってくる」
士官学校時代を思い出して、リサは小さく笑った。クレムスでも問題児とされていたが、これでも士官学校時代にずいぶんと矯正されたのだ。この、目の前の女性に。
「今は停職中だって?」
「ほんと早ぇ……」
ウィルではないが、本当に呆れるほどの耳の早さだ。
「目をつけたとはいえ、扱いを心得たわけではないようね。おまえたちは、二人揃うと倍以上の力を発揮するが、それ以上に厄介さが増す」
リサとウィルは肩をすくめた。褒められているのか、けなされているのか判ったものではない。
「それ、褒めてんのか?」
「一応、称讃しているつもりだよ」
意地の悪い言葉だ。
「素直に喜べませんね」
そうは返すものの、しかし彼女がこのようなことをいう教え子は、そう多くないだろう。手が掛かった分、思い入れが深いのかもしれない。
「なぁに。おまえたちは、普通に褒めたところで喜びはしないひねくれ者よ」
「あんたには、ひねくれ者扱いされたくないね」
ノエルが笑みの色を濃くする。
「けれど、扱いにくいひねくれ者を拾ってくれたアドルフ隊長には称讃を送りたい。クレムスでは、おまえたちの真価は発揮されないから」
「その結果、停職ですが」
おそらく、クレムスでは停職などにはならなかっただろう。いっそ、でかしたと言われるかもしれない。
「停職程度ですめばいい。中央は他の都市と比べてやりにくいのも事実。だから、あまり暴れすぎないように気をつけなさい。捨てる神あらば、拾う神ありというけれど、逆もまたあるのだから」
「それをいうなら、出る杭は打たれるだろ?」
「打たれた挙句、捨てられないように」
曲がった杭は使い物にならない。なれば、捨てる他にないが、この生存権において捨てるの意味は左遷だ。期待を寄せているノエルには悪いが、左遷されようと困ることはない。
「気をつけます」
それでも建前上、忠告は受け取る。すると、ノエルは満足そうにうなずいた。
「停職で時間を持て余しているようなら、ここじゃなくて学校へきなさい。訓練生にもいい刺激になる」
「停職中の人間に言う台詞じゃないだろ」
まったくだ。教えを授ける立場であれば、部屋で大人しく反省していろと諭すべきところであるが……。
「気が向いたら行きますよ」
諭したところで反省などしない。それが判っているからこそ、彼女は訓練に誘っているのだ。
しかし、今日のところは寮に戻って部屋を片してしまいたい。訓練に付き合うのはよい暇つぶしになるが、またの機会にしよう。
「待っているよ」
リサとウィルは後ろ手を振る恩師を見送った。そして、充分に離れたところでウィルがぽつりと呟いた。
「――何だかんだ怒られなかったな」
「そうだな」
士官学校時代、木剣を壊せば問答無用で鉄拳が飛んできた。それにもかかわらず、今回は怒鳴り声ひとつ上がらなかった。明日は雨に違いない。
「男でも出来たのか?」
「そんなに変わるものなのか?」
「男の俺に聞くなよ」
二人は互いに肩をすくめた。真偽のほどは定かではない。士官学校に顔を出す際に聞いてみよう。
――いや、殴られるからやめておこう。
興味はあるが、痛いのはごめんだ。ウィルであれば気にせず聞くかもしれないが。
「さぁて。剣も折れちまったことだし、大人しく戻るか」
「さすがに、二本も折るわけにはいかない」
「二本折ったら、停職が長引くかもな」
折れた木剣をどう始末しようかと考えながら歩いていると、突如として無線が鳴った。
停職中に無線が鳴るということは、仕事のことではないだろう。だが、それ以外で無線が鳴ることなどあるはずもない。
ウィルと二人で怪訝に思いながら応答すると、聞き慣れた男の切羽詰まった声がした。
〈ディオン、妹さんが倒れたぞ! 出来ればウィルと二人で、すぐにクレムスまで戻って来い! 駐屯所の医務室にいるからな!〉
心臓が握り潰されたような感覚に、全身の血の気が引いた。




