「歓迎はされないな」
翌朝、東の空が淡く染まり始めたころに、リサとウィルはソルジェンテの門をくぐった。
暑い季節だが、水郷地帯の明け方の空気は肌寒さを覚えるほどにひんやりとしていた。これなら、魔法で暑さを軽減する必要もない。
クレムスの湖とは違い、湖畔にもぎっしりと草が生い茂っている。この一帯は湿地草原でもある。昨夜一雨降ったせいもあり、整備されていない地面を踏み締めるとじわりと水が染み出した。総じて、足下は悪い。
辺りを見回す。足下は悪いが、視界は開けていた。草の背丈は低い。唯一の懸念材料といえば、北よりやや西の山を覆う厚い雲だった。あの雲がこちらへ移動すれば、間違いなく雨が降る。
今夜は野営だ。背負った雑嚢にはそのための道具が入れられているが、雨を凌ぐ天幕は持ってきていない。ただの野営なら文句はないが、雨に濡れながらの野営はごめんだった。
天候でも操れる魔法が使えれば良いのだが、カンヘルといえど魔導石の補助なしには使用は出来ない。生産地帯では定期的に天候を操作しているが、すべては魔導石の恩恵だ。それを考えると、カンヘルも魔導石を使用した方が利口かもしれない。
野営をするのは、士官学校の訓練以来だ。クレムス駐屯地は他の駐屯地と比べ、配属後の訓練が厳しいとされているが、それでも野営をする訓練まではやらなかった。
「荷物、持つか?」
気を使ったのか、ウィルが言った。
「いや、このくらい平気だ」
雑嚢は邪魔だが、重くはない。ウィルに持たせるまでもないだろう。
二人は黙々と足を進めた。足下も悪く途中で何度も休憩をとったが、思いの外足取りは悪くなかった。この分なら、予定よりも早くに辿りつけそうだ。
森の向こうに遺跡が見えた。七百年前の大戦で崩壊した街の一部だろう。結界の中にはあちこちに、大戦以前の文明の遺跡が存在した。
クレムスの隣には別名遺跡都市と呼ばれるアルトシュタットという街がある。大戦以前の街を利用して築かれた都市で、観光地としても有名だった。他の遺跡の何十倍もの規模を持っているので、未だに調査が終了していない地区があるという話だ。
遺跡はその多くがアスクルが築き上げたものだ。現在の中央とよく似た建物が並んでいたらしい。それも、面積としては中央の何百倍という規模だったようだ。七百年前のアスクルは想像も絶する文明を持っていたのだ。だが、その時代が良かったとは一概には言えないだろう。
二人は遺跡になど目もくれず、ただただ歩き続けた。魔物との戦闘は面倒だったので、極力魔物を刺激しないように足を進めた。
やがて湿地草原を抜け、森へと足を踏み入れる。気づかぬうちに、足下のぬかるみはなくなっていた。
辺りはすでに薄暗くなっている。頭上を幾重もの葉で覆われた森の中では一層暗さが増す。しかし、森に入ればアウトローキャンプは近い。
「始末するのか?」
アウトローキャンプに辿りつく前に、やおらウィルが口を開いた。横顔を一瞥する。暗くて正確に表情を読取ることは出来ないが、珍しく神妙な面持ちをしているようだった。
彼も人を殺したくはないのだろう。必要とあれば躊躇いはしない。温厚な性格ではないが、残忍な性格をしているわけでもない。
「さぁな」
それはリサとて同じだった。殺さないですむのなら、そうするべきだと考えていた。
「ただ、危害を加えたアウトローは見つけ次第、殺すことが義務づけられている」
不条理な規定だ。今まで真剣に考えたことはなかったが、こうして会いに行くとなるとアウトローの立場がいかに危ういものなのか考えてしまう。
「危害を加えたアウトローか……」
ウィルが意味ありげに呟いた。おそらく、考えていることは同じだ。
「事件に関わったアウトローが何人いるのか、私たちは知らない。アウトローだからといって殺すのは、頭の足りない連中の考えることだ」
「少なくとも、発見されたのは死体だけだ」
あの場に生存者がいたのなら、その者は拷問を受けた後に極刑を受けることになっただろう。余計な苦しみを味わわずにすんだのだから、彼らはある意味では幸運だったのかもしれない。
しかし、そんな屁理屈を抜きにして、リサには確認せねばならないことがあった。そのためには、アウトローと敵対するわけにはいかないのだ。
「殺すかどうかは、話を聞いてから決めよう」
「ああ。この事件は、アウトローが食糧目当てに起こした、なんて簡単には片せない」
リサは黙したまま顎を引いた。
少しして、影となって立ちはだかる木々の合間に、揺らめく橙色の明かりを発見した。大きな明かりがひとつと、小さな明かりが幾つもある。
「あれだ」
二人は間もなくアウトローキャンプに辿りついた。
粗末な木製の小屋が並んでいる。ただの小屋ではない。掘立小屋だ。最低限の柱に、隙間ばかりの壁。その内側に、これまたぼろきれのような麻の布を張り合わせたもの。それが、彼らの根城だった。
見慣れぬ二人に、ここの住民は顔色を変えた。
驚いたことに、小さな子供の姿まであった。好奇心旺盛な子供は、突如として現れた二人に好奇の目を向けた。話をしようとしたのかこちらに駆け寄ろうとして、しかし母親らしき女性に進路を阻まれてしまった。そのまま抱き上げられて、問答無用で掘立小屋へと押し込まれる。
誰ひとりとして、二人に声を掛ける者はいなかった。皆が皆、固唾を呑んで彼女たちを見詰めた。
「歓迎はされないな」
「当たり前だ」
広場と呼べるようなところまで来ると、武器を持った男たちに退路を塞がれてしまう。その目には殺気が宿っていた。
だが、リサとウィルは武器を持った男たちを無視した。大きな焚火を挟んだ前方に、丸太に腰を下ろした男の姿があった。六十はとうにすぎているだろう。二人を一瞥すると、興味がないとばかりに焚火に視線を落とした。手先で小枝を弄んでいる。
おそらく、この男がアウトローキャンプを牛耳っているのだろう。彼が命令を下せば、背後から武器が飛んでくるかもしれない。
「――小奇麗ななりしてんな」
最初に口を開いたのは、丸太に座した男だった。
「あんたら軍人か?」
男は視線を上げて目を眇める。
「一応、そういうことになっている」
リサがぶっきらぼうに答えた。
「俺たちを殺しに来たのか?」
男性の目に鋭い眼光が光った。返答次第では、容赦しないと言っているようだった。
「いや、話を聞きに来ただけだ」
「話だ? 軍人さんが俺たちと話をするためだけに、態々ここへ来たってのか?」
男性は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。周囲からもせせら笑う声が聞こえた。
「笑われても、そうだとしか答えられないな」
「残念だが、俺たちに話すことはねぇ」
男性が手を上げた。刹那、背後で雄叫びが発せられる。
リサとウィルは反射的に振り返った。すると、粗末な槍を持った若い男が、突きの構えで突進してくる。
二人はほとんど同時に中腰に構え、小手で柄を押し上げた。そのまま一歩踏み込み、柄を握る腕と腰に巻いた布をつかんだ。
若い男二人が宙を舞った。
どさ。
リサとウィルに襲い掛かった二人は同時に地面に倒され、動きを封じられる。抜け出そうと必死にもがくが、拘束の手は緩まなかった。
「朝っぱらから歩いて疲れてんだ。こういうことは、なしにしてもらえるとありがたい」
拘束を解く。自由になった男たちは、大慌てで二人から距離をとった。
「食えねぇ野郎だ」
アウトローの頭が仏頂面で呟いた。
「だが、殺すつもりがないってのは本当のようだな」
「最初からそう言っている」
リサの答えに、男は初めて口元を緩めた。
「強い女は嫌いじゃねぇ。けど、女はもっとしおらしい方がいい」
立ち上がったリサは肩をすくめた。
「あんたら、腹は減ってるか?」
「それはもう腹ぺこだ。腹と背がくっつくってのは、まさに今の状態のことだと実感してるところだ」
「少しは遠慮する素振りを見せてみろ」
頭が立ち上がり声を張り上げた。
「客人だ! 飯を用意してやれ!」
野次馬たちが一斉に去っていった。
しばらくして、焚火を囲う三人にスープの入った木の椀と硬いパンが渡された。与えられた食事は、お世辞にもうまいとはいえない代物だった。それでも、二人は残さずに与えられたものを食べきった。
保管庫から食糧を盗もうとした彼らだ。本来であれば、少しでも食糧は温存しておきたいはずだ。それにもかかわらず、突如として現れた得体のしれない軍人に夕食を振る舞った。残すのは道義に反する。
アウトローの頭はリヴィウスと名乗った。姓はと尋ねたところ、ここでは必要ないと答えた。確かに、アウトローキャンプは大所帯ではない。人数は五十を少し超えたくらいだと教えられた。
「それにしても、どうしてアウトローなんかになったんだ?」
ウィルの問いに、リヴィウスは嘲笑した。
「アウトロー、か。街の連中は本当にそう呼んでるんだな」
どういうことかと思い、リサとウィルは目を通い合わせた。軍人二人の反応を見て、リヴィウスはさらに口元を歪めた。
「俺たちは法を持たない。つまりは法を犯しもしないってことだ。それなのに、自分たちをアウトローなんて呼ぶと思うか?」
その理屈はおかしい。法を犯したからこそ街から逃げだして、法を犯し続けるアウトローになったのではないか。
「いいか、軍人さんよ」
まるで子供に教えを授けるような穏やかな声音だった。
「あんたらは、俺たちのことを何も判っちゃいない。たとえば、どうしてここに年端もいかねぇ子供がいると思う?」
「それは親が子供を連れてきたからじゃないのか?」
ウィルの答えにリヴィウスはかぶりを振った。彼は手にしていた小枝を焚火に放り込む。
「確かに昔はそういう輩もいたらしいな」
「どういうことだ?」
「単純な話だろう?」
リサは息を吐き出した。親が連れてきた以外の答えはひとつしかない。
「……ここで生まれたのか?」
「正解だ」
リヴィウスは続けた。
「アウトローってのは本来、法を無視する者をさす言葉だ。つまりは法の中にいる奴のことだ。けどな、今ここにいる連中は、ここで生まれ育った。何代前の先祖だかが、法を犯して街の外に逃げたせいでな。ここはその寄せ集めの場所だ」
リサとウィルは年嵩の男の話に黙って耳を傾けた。
「俺たちの先祖は重犯罪者だったんだろう。殺されるのが怖くて、街の外に逃げた臆病もんだ。その臆病もんが集まって集落をつくった。そして家族をつくった。それが今まで細々と続いてきたんだ」
リヴィウスが付け加える。
「いつのまにかアウトローってのは、街の外で暮らす者の意味になっていたってわけだ。勉強になるだろ、若いの」
最後ににやりと笑って見せたが、二人は口元を緩めなかった。
「勉強にはなるが、ひとつ聞きたい」
「なんだ?」
「あんたたちは犯罪者じゃない。なら、どうして街に戻らないんだ? 街の中なら食い物にも住む場所にも困らない。ここは不便だろう?」
リサもウィルと同じ疑問を抱いていた。しかし、リヴィウスはウィルの言葉を鼻で笑った。
「不便か……。いいか坊主。便利不便ってのは比較対象があって成り立つ言葉だ。あんたらは、今日ここの生活を知って経験した。だが、俺たちは街の中について話に聞いても経験したわけじゃねぇ。比較対象がねぇのに、不便と感じることが出来ると思うか?」
ご説ごもっとも。リサとウィルは反論も出来ずに口を噤んだ。
「街の中のことはある程度知っている。じじいが詳しかったからな。それに代々言い伝えられていることだ」
彼は一旦息をつき、まっすぐにウィルを見据える。
「聞いた話によると、俺らみてぇのが街に戻ると独房に入れられて一生出られねぇっていうじゃねぇか。それなのに態々捕まりに行けってのか?」
ウィルが反論する。
「それは自分から外に出た奴の話だろ? あんたたちは望んで出たわけじゃない」
「そいつは判らねぇ。試すことも出来ねぇからな」
リヴィウスの言う通りだ。万が一、問答無用で独房に入れられたどうしろというのだ。彼らが独房に入れられないという確証はないのだから。
「それにな、これはひねくれもんの邪推だが……」
低い声が短く耳を打った。
「保証はあるのか?」
「は?」
「だからよ、独房に入れられた奴は本当に生きているのか? おまえらは確かめたことがあるのか?」
リサとウィルは目を瞬いた。
想像したこともなかった。終身刑を言い渡された者は、寿命を全うするまで独房の中ですごすと知られている。それが当たり前だと思っていた。
しかし、考えてみればそうだ。終身刑の人間は面会も許されない。つまり刑務所で働いている者以外は、終身刑者の末路を知らないということだ。
「早い話が、終身刑の人間は穀潰しだ。態々生かしておく価値もねぇだろ? 俺ぁ、そんな奴らをいつまでも面倒見るとは思えねぇんだ」
街の中で育った人間は、体制を当然のことのように受け入れている。彼らの方が、遥かに客観的に物事をとらえているようだった。
「まぁ、戯言はこれくらいにしておこう。そろそろ、本題を聞こうじゃねぇか」
軍人二人が神妙な面持ちをする中、リヴィウスは緊張感のない声を発した。




