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(番外編) 付け合せのポテトさん



 芋生いもおさとる

 新香穂が書く小説内では『他部署の人が差入れにドーナツを持ってきてくれた』という一文のように、たった一度の登場率を誇る男である。

 普段は温和で常時笑みを絶やさないが、言いがかりをつけられると時として毒を吐く、香穂らとは他部署の三十代。

 香穂が自身の書く小説に主要人物として彼を登場させたなら、こう説明するだろう。


 付け合せのポテトさん。他部署に在籍し、課が忙しい時のみピンチヒッターとして派遣されるお助けマン。温厚な人柄であるものの、たまに吐く毒は致死に値する。それはまさにジャガイモの芽による食中毒のようであり、その毒 アルカロイドによって死亡した者は毎年一人は現れる。


 そんな芋生であるが、実は食堂で働く唐沢遥介の妹に、香穂が書く小説の存在を教えた張本人だったりする。ちなみにこの事実は、遥介の妹しか知らない。

 香穂は『いくら特徴を似せ、モデルが実在する小説とはいえ、日本は広い。会社の数も数多。さすがに香穂の会社の課がそのまま物語になっているとは、まさか思いもしないだろう』と高を括っていたわけだが、芋生からすれば逆のことも言える。会社の数は数多、しかし、多くの人が働く会社であれば、同じ趣味の人間など一人や二人いるものだ。それを公表しているか否かの違いだけで。

 恒例で課に派遣される芋生は課の内部を知り、かつ誰よりも客観的な立場で状況を把握できる立場にいる。ある意味では香穂と同じ立ち位置にいるが、その実、香穂よりもはるかに傍観者という立場だ。

 ちなみに、芋生の趣味はオンラインノベルの発掘。誰もが知る作品から、誰も知らない作品までしらみ潰しに読み漁り、気に入りの作品を見つけて満足する種の人間。その事実を知るのは、やはり遥介の妹だけである。

 ――その小説と出会ったのは、土砂降りの土曜日のこと。

 一人暮らしをしているため、買出しをする予定で空けてあった一日。だが、この土砂降りの中買出しをするのは憂鬱で、天気予報をチェックすれば翌日は晴天だという。ならば、日曜日に買出しをしよう、と彼は決めた。どうせその日も暇なのだ。

 そうしてのんびり趣味に没頭していると――見つけた。

 タイトル『とある会社の唐揚げ弁当』。何気なく読み進めていけば、不思議と既視感のようなものを覚える。首を傾げながら読み終え、心のひっかかりを感じながら過ごした数日。

 そんな彼が違和感の正体に気づいたのは、香穂らの課に派遣された日のことだった。

 ――これは……っ、と雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

 まさに小説の通り。昼食時、課に残るメンバーから小説の登場人物を照らし合わせれば、すぐにそれを書いた人物がわかる。

(……新さんか)

 妙に納得しながら、課の面々の観察をはじめる。そして五分もせずして、小説の登場人物が唐沢遥介、飯田直人、春川玉菜だと気づいた。

 香穂に視線をやれば、案の定彼女は飯田を見つめている。

 ――その当時、小説の連載は主人公が白飯課長に憧れている場面であった。小説の相関図は漬物が白飯課長に憧れる、のみの一歩通行だったはず。

 ところが、完全なる傍観者 芋生は悟ってしまった。

(……まじですか)

 香穂は飯田を見つめ、飯田は春川を見つめ、春川は遥介を見つめ、遥介は香穂を見つめる。なんという一方通行。正方形が出来上がってしまった。

 知ってしまうと、それぞれの片思いする面々に同情してしまう。

(なんで気づかないんだ……! 新さんも飯田課長も春川さんも唐沢くんも!)

 非常にじれったくはあったが、芋生はとりあえず静観を決めた。


 その後、芋生の存在に気づくことなく、香穂は小説を進めた。あれから数話が更新され、芋生はさらなるもどかしさに翻筋斗(もんどり)を打ちたくなる。

 ある日などは、会社でこんな場面を目撃してしまった。

 給湯室には香穂と遥介。遥介は二枚のなにかを香穂に見せる。

「映画のチケット、知り合いからもらったんだ。この映画、おもしろそうって、前に言ってたから。……行かない?」

 遥介が言う。香穂はチケットを一枚、手にとった。

 王道中の王道。物語でもよく見るワンシーン。ここまでありきたりな誘い方ならば、女の方は言外に口説かれていると気づくもの。

 ところが、だ。

「よく憶えてましたね。切なくて、涙なくしては観れないって評判だから、ずっと気になっていたんです。……でも、自宅でディスク借りて観ます。泣ける映画って、化粧崩れが悩みで……」

 片頬に手をあて、ふぅ、と溜息をつく香穂。ついで、チケットを返していた。

(あああ唐沢くんが新さんにアプローチしたのにっ。唐沢くんの後ろ姿が切ない! なんか垂れた犬の耳と尻尾が見えるっ! ――のに、新さんまったく気づく様子ないよっ。唐沢くん……なんか可哀想になってきた……)

 社内では女性社員の熱い眼差しを受ける彼。しかしながら、本命には空振りの連続。

(切ないっ、切な過ぎるよ……!)

 ちなみに、芋生の想像通り、この出来事が小説に書かれることはなかった。

 あまりの展開に心を痛めた芋生は、ついに自身が動くことを決意した。




***   ***   ***




 大学の後輩 唐沢からさわ亜紀あき。唐沢遥介の妹であり、芋生と同じサークルに所属しているため、互いによく知っている。ちなみにそのサークルは文芸サークルで、亜紀も芋生と同じ趣味を持つ。

 昼休憩の時間、芋生は早速亜紀と接触するため、食堂へ駆ける。昼の食堂といえば、戦国時代さながらの殺伐さ溢れる空間である。いつもなら、人数が減ってから注文窓口へ足を向けていた。が、今日、この時は特攻した。

 醤油ラーメンのチケットを掲げ、叫ぶ。

「醤油ひとつーっ」

 食堂の窓口は丼もの、定食、麺類で担当が分かれており、亜紀は麺類に配属されているのだ。接触するためだけに、昼食は今日の気分ではない麺類。気づかず自己犠牲に走る男、それが芋生である。

「あ、芋生先輩! いっつも胃が弱いからって麺類避けるからなかなか会えないけど、今日は来てくださったんですねっ。了解でーす」

 騒々しい中、亜紀は芋生の声に反応し、兄に似た美しい顔でにっこり笑った。余談だが、かわいらしい彼女は食堂のマドンナ的存在であるため、麺類窓口には男性社員ばかりが集う。

 そんな亜紀に微笑みかけられた芋生は、殺意のこもった射殺さんばかりの視線を数多の男から向けられるも、なんとか耐え忍ぶ。

「醤油ラーメンです」

 亜紀が芋生のトレーにどんぶりをのせる。

 芋生は安全確認のため、どんぶりから手をはなしたことを見届けてから、身を乗り出して亜紀を小招いた。

 きょとん、と目を瞬く亜紀に「耳かして」と囁く。さらなる殺意を肌で感じ、芋生の胃はきりりと痛む。だがしかし、芋生悟はおとこだった。

(一度決めたことはやり遂げる!)

 あらかじめ用意していたメモをこっそり渡しながら、亜紀の耳元で言葉を紡ぐ。

「唐沢さんのお兄さんがいる課にそっくりな小説見つけたんだ。――必見。おもしろいよ」

 言うだけ言って姿勢を正し、にんまりと笑う。

 亜紀はメモを開いた。そこには、香穂の書くオンラインノベルのアドレスが書かれている。

「ぜひ、確認してみますっ」

 頬を赤く染めながら、彼女は花のように口元を綻ばる。

 なぜ頬を染めているのか。わからないが、芋生は達成感に心内ガッツポーズを決めた。


 それから、芋生は欠かさず香穂の小説が更新されているか日々確認している。

 ある日、小説の恋愛模様相関図が新たに構図が変わったときは、妙な興奮に襲われたものである。

 漬物に告白した唐揚げ。唐揚げの心情を察したキャベツ。

 パソコン前で、芋生は喉の奥で笑う。

 おそらく、この四角関係も長くは続かないだろう。遥介が本気を出して口説きはじめたのだ。これまでは飯田のことがあったため、気遣いながら口説いていた、彼が。

 そして、失恋で傷ついた春川の心を、今度は飯田が本領発揮して慰めるのだろう。

 芋生はこれまでの遥介と飯田の恋愛事情を知っている。なんといっても、彼は様々な部署に派遣される情報通。

 遥介の片思いは長い。同期だった二人の出逢いは入社の頃。入社式か歓迎会の飲み会でかまではわからないものの、とにかくそこで遥介は恋に落ちたらしい。詳しい事情までは芋生の情報網でも入手できなかったのが残念ではある。その辺はもしかしたら遥介の胸の内にだけあるのかもしれない、と芋生は思う。

 一方、飯田の片思いも長い。なにやら残業後に後腐れない相手と遊んでいると耳にしたものの、本来は一途な彼。現在、実らない恋ゆえに迷走中。その迷路も、春川の傷心を目にした途端ぬけることだろう。

「やっば、マジ楽しい。やっぱり物語はハッピーエンドに限るよな」

 香穂のオンラインノベル読者はまだ知らない展開。そして、当事者たちも察していない展開。それを自分だけが知っている優越感。

(あー、楽しくて仕方ない)

 くつくつと喉を鳴らしながら、(……ただ)と芋生は思う。

(新さんの小説、まだオレちゃんと登場してないよな)

 香穂の小説での芋生の扱いは、他部署のドーナツをくれた人。

(さりげなく差入れしたり、恋の橋渡ししてるのに。……脇役くらいにしてくれてもいいと思う)

 しょんぼりと項垂れる芋生であるが――彼はまだ知らない。数ヵ月後、香穂と遥介、春川と飯田が見事結ばれた後、小説の主人公が遥介の妹 亜紀になることを。そして、そのヒーローは芋生だということを。




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