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『White Cage――透明な献身――』  作者: 長谷川鈴凪
2 White Dedication  純白の自己犠牲

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6/20

5 ─ TSO専属医療室

 「発作の間隔が短くなっている」

透也は、ジャケットを腕にかけスリーピースのベスト姿で診察デスクに腰掛けていた。そのデスクの主たる椅子には、企業医師であり精神科医でもある上澤薫うえざわかおるが座っている。 透也の同級生でもあり、よく似た背丈の男だが、まとう雰囲気は真逆だった。透也が命令を下す冷酷な支配者なら、薫は相手を自分の管理下で優しく守る庇護者だ。

ここはS/F社の、SF(Security Force)だけが立ち入りを許された特殊区画。ベッドを設えた鍵付きの個室も完備されている。外傷もメンタルケアも、この部隊にとっては日常の一部に過ぎない。


名前を言わなくても、誰のことを指しているかは明白だった。

「何か心当たりはあるのか?」

薫が手にタブレットのタッチペンを持ちながら聞く。カルテを見つめるその眼差しには、静かな包容力があった。薫は、紗奈の主治医だ。

「…………」

心当たりなど、挙げればきりがない。返答がないこと自体が、もはや答えているようなものだった。

ついにこの男の理性のタガが外れたか、と薫は冷ややかな目で透也を見た。

「……とりあえず、出社したら僕のところへ来るように伝えておいて」


 いつものように学校を終え、黒塗りのセダンに乗り込み、髪を束ねようとした時だった。

「医療室に顔を出すようにとのことです」

運転手の言葉に、紗奈は髪を束ねる手をぴたりと止めた。そして、脱力したようにシートに身体を沈める。


  昨日と変わらない威圧感のある高層ビルの地下へ、車が滑り込んでいく。紗奈は制服のまま車から降りると、三十五階にあるフロストガラスの自動ドアの向こう──TSO専属医療室に足を踏み入れた。明るく、清潔感のある白い空間に、紗奈は眩しそうに目を細めた。

「紗奈、今日は着替えてないんだね」

コーヒーカップを片手に診察室から出てきた薫が、髪も下ろしたままの制服姿の紗奈を見て言う。

「どうせ、すぐには終わらないもの」

その返答に、薫はわずかに苦笑した。紗奈とは彼女が十一歳の頃からの付き合いだが、治る気のない患者ほど骨の折れるものはない。

ソファに座るように促し、薫は紗奈の横に、少し距離を置いて座った。

「透也が心配していたよ」

その瞬間、紗奈の睫毛まつげが小さく揺れた。ドクン、と鼓動が跳ねる。 透也の思考の中に、自分が存在しているという事実だけで、胸の奥が熱を持つ。そんな彼女を、薫は冷静に観察すると同時に、心のどこかで安堵していた。

(良かった……。まだ透也の理性は焼き切れてなさそうだ)


十七歳の彼女が抱えるには、あまりにも重すぎる執着。そして透也もまた、その愛に呑み込まれたのか、あるいは意図して呑ませたのか。

医学生だったあの頃、未熟な自分のせいで、この少女の心を救い上げることができなかったという深い悔恨。今や自ら透也の盾になることを渇望し、死に場所を探しているような危うい少女。


「先生は、魂が引き裂かれる感覚を味わったことはある?」

紗奈は虚ろな目で、ぽつりと呟いた。

「私は毎日、その痛みに耐えてる。透也は私に『行くな』と言うの。私は──ここにいたくないのにっ!」

最後の言葉は、声にならない叫びに近かった。一瞬にして紗奈の呼吸が浅くなる。

「落ち着いて」

静かにトーンを落とした声で、薫が手を伸ばす。 確かに悪化している……。最近は比較的、落ち着いていたというのに。

 だが次の瞬間、紗奈は薫の身体をソファに押し倒し、馬乗りになってその動きを封じた。 彼女が本気になれば、敵を制圧するプロの手順を熟知している紗奈に、戦闘訓練を受けていない薫が勝てるわけがなかった。

涙で潤んではいたが、その狂気を孕んだ瞳に呑まれそうになる。

「何をしている」

地面を這うような低い声が、頭上から落とされた。 紗奈の身体が、ピタリと動きを止める。瞳にわずかな理性が戻る。

「……あっ……あ」

「私を見ろ、紗奈」

透也は歩み寄ると、彼女の首筋を片手で掴み、強引に自分へと向けさせた。 ぐっと指先に力が込められる。

……息ができない。行き場のない酸素が尽きかける強烈な予感の中で、なぜか、紗奈の唇がふわりと微笑んだように見えた。

「離すんだ、透也!」

薫の鋭い制止に、透也がようやく手の力を抜く。 解放された紗奈の肺が、酸素を求めて激しく咳き込んだ。透也はそんな彼女を、ただ冷酷に見下ろしている。自分以外の男に暴走し、縋りつこうとしたことへの罰だとでも言いたげな、暗い目で。


 睡眠薬を飲まされた紗奈は、個室のベッドで静かに眠っていた。規則正しい、小さな呼吸だけが繰り返されている。

 個室を出た瞬間、薫は激しい怒りとともに振り返った。

「僕がゆっくり落ち着かせようとしていたのに、君のせいで台無しだ!」

「……確かに荒治療だったが、紗奈に組み敷かれて、お前が本気で動けると思っているのか」

冷淡な言葉に、薫は歯噛みした。確かに、あの状態の紗奈を、力で制圧するのは不可能に近い。

「紗奈は私が救う」

透也はネクタイを緩めることもなく、ベストの皺を軽く手で整えた。

「何が、救うだ。壊しているの間違いだろ! 彼女には別の可能性もあった。君の独占欲に燃やされない、普通の未来が!」

薫は怒りで声を震わせた。だが、透也の表情が動くことはない。

あれでは一言、言葉を発するだけで相手を平伏させるあるじと、そう躾けられた犬だ。


「……違うな。あの時、私が生き方を教えなければ、あれは死んでいた」


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