宵の口
その日もいつものごとく水になったかのようにぐでぐでと水の中で寝ていた。
寝ていても周りの音は聞こえるものである。
静寂の中に清らかに落ちる滝の音。木々を揺する爽やかな風。つがいを探す懸命な小鳥の囀り。
もうこれから暗くなる黄昏時、空は更に赤みを増していく。
『今日もよく寝たものだ。さて、寝るとするか』
ヲブラスは長い時間寝ることにより自らの睡眠属性を高められる。直近睡眠属性を使った・・・いや、そもそも最近の戦闘が半年も前なのである。つまりヲブラスは半年もの間睡眠属性を溜め続けていることになる。だが、それがどのような威力を持つのかなど今のヲブラスには最早気にすることではない。
寝る前に真下を泳ぐ小魚を一匹食べ腹ごしらえをする。どうせこれから眠るのだ、別に多く食べる必要も無い訳だが・・・。
そもそも夜行性であるヲブラスが夜に寝る必要は殆どないが何時でも寝ているヲブラスにとってそれを言うのは無粋だろう。
ヲブラスは水面から体の上部分だけ出して眠り始める。フカフカなヲブラスのたてがみを目当てに小鳥達はヲブラスに飛び降りる。
飛び降りる時の衝撃はダンジョンボスのヲブラスにとって些細な威力であり、いつものことであるため別段不機嫌になることはない。
―だが、そんな穏やかな一日も悪夢へと変わる。
森の入り口での爆発。それは森にいた鳥達を一斉に飛び去らした。
ダンジョンの中でもトップクラスで広いこのダンジョンの最深部にもその威力は僅かだが届いていた。
ヲブラスはゆっくりと動き体の上の小鳥達を逃がす。
ヲブラスの頭の中では侵入を知らせる警報がうるさい程鳴り響いていた。
当然ヲブラスも黙ってはいない。なんたってヲブラスが最も嫌う、"眠りを妨害"されたのだから。
沸々と沸く怒りにたてがみが逆立ち、その毛の1本1本から睡眠粉が染み出す。
いつもはしまっている前足の爪は飛び出し、爪に染み込んでいた睡眠液は周りの草花を萎れさせる。
臨戦態勢の整ったヲブラスは狼らしく喉を逸らし、そして、森全体に轟く程の遠吠えをする。
「怒り心頭に発す」
この言葉は今のヲブラスを表す為に作られたのだと思わず納得してしまう位の迫力であった。
『ウオオオォォォ!!』
先の遠吠えに呼応するかのように森中のモンスター達が一斉に雄叫びを上げる。
"狼王の怒号"
それはヲブラスが激昂したときのみ発動可能し、それを聴いた味方のステータスがおよそ2.5倍にもなるとてつもなく強力な技なのである。
ヲブラスのダンジョンの難易度が他のダンジョンに比べ飛び抜けて高いのはヲブラス単体の強さに加え、ヲブラスが持つあまりにも圧倒的なカリスマ性にある。ずば抜けたカリスマ性はダンジョン全体の統率、能力強化をするだけでなく、ヲブラスの持つ強力な睡眠属性により相手を戦闘不能状態に追い込む。
ヲブラスの居る白の千糸はダンジョン最深部であるため侵入者が入ってすぐである現段階ではヲブラスが攻撃することが出来ない。だが、ヲブラスには狼王の怒号をはじめとした複数の援護技が存在する。これらを使いこなす事により侵入者の進行を妨害するのだ。
そして、妨害を進める間でダンジョンモンスター達が集める侵入者の情報をより精密により的確に集める。そうした裏での情報戦でヲブラスが敵と対峙するときに有利に勝負を進める。
ここまで本気で防衛するのは当然意味がある。
そもそもダンジョンというのは、そこに君臨するボスの力によって管理される。ダンジョンにおいてボス以外のもの全てはボスの力で修復が行える。ボスはボス自身の回復力で復活する。たとえ、死んでしまったとしても召喚獣として登録されていれば復活する事ができるのである。だから、ボス達は討伐後召喚獣として契約するか問うし、幾らでも復活する。
そんなシステムが存在している為、通常のボス達は大方特攻したり、遠距離型でも撤退をしない。全ては豪華特典付きの召喚獣契約の為に。だが、ヲブラス自身は契約特典を貰わなくても十分強いし、なにより誰かの下に付くのがとっても嫌だったのである。
・・・しかし、まあ。この時のヲブラスは久々の戦闘に加え、激昂状態からのスタートだった為既に自分が契約していたことなど忘れていたが。
ヲブラスが味方への後方支援を続けていると、伝令係の燕がヲブラスの目の前に降り立ち口早に戦況を報告する。
『今回の侵入者は一人で、主に火炎魔法を使う模様。初撃を見たフォレストオウルの観測では、ドラゴンブレスlv4を使う事から魔剣士レベル80以上と推測。装備には睡眠軽減が付いている為第二部隊での撃退は厳しいと思われます!』
燕は報告を終えるとすぐに飛び去って行った。
『そうか、火炎魔法か』
ヲブラスは耳を澄まし、状況を確認する。様々な音が響くこのダンジョンで必要な音を探し出す。
まだ全線が戦っているのだろう、トロントの叫び声やジャイアントトロントの雄叫びがかすかに届く。
その音を聞いたヲブラスはすぐに滝壺へと入った。そして―
"雨水"
この技は広範囲に水を飛ばす事で火属性の技の効果を半減し、植物系のモンスターに持続回復効果を与える。
ヲブラスが使ったこの技はレベル最大まで強化していて、効果範囲はなんとダンジョン全体にまで広がる。効果時間は吹き上げた水が落ちきるまで続き、その量は滝壺ほぼ全ての水量である。
当然のことだが、この威力で技を使ってしまうと滝壺から水が無くなってしまい、水を得られないヲブラスは高火力の水属性攻撃が使え無くなる。それでも、幸い滝壺に流れる滝の水量は少なくなく、比較的すぐに溜められる訳でそこまで心配する必要もない。
吹き上げた水が雨のように降りしきる中、2度目の伝令が、次は猫がずぶ濡れになりながら伝えに来た。
『悪いお知らせから言いますが、残念ながら私がでる頃にはもうトロント部隊は全滅、敵は第二部隊との戦闘をはじめました!』
ある程度想定はしていたが、ここまでとは。少し敵を侮っていたようだ。だがそれより気になるのは・・・
『では、良い知らせとは?』
『はっ。それは先ほどヲブラス様が使われた"雨水"によって地面は泥濘み、敵の移動速度低下を招いています。そして、敵のスキルによって得意の睡眠属性を奪われた蛙共も「これで戦える!」とまさに水を得た魚のように喜んでおりました』
作戦は上手く行ったようだ。これで滝壺に水が溜まるのを待つことができる。
『それでは、私はこの辺りで』
報告の終わった猫は茂みの方へと駆け出した。
『また詳しい情報頼むぞ』
猫は我の言葉には返事をせず暗い闇へと消えて行った。
上を見上げると降りしきる水の中、満月が頂点より少し傾いた所で煌々と闇を照らしていた。
これが悪夢の始まりか、はたまた瑞夢なのか。それでも、まだまだ夜は始まったばかり。