第2話 火花胎動――2
ガタガタと不規則に揺れる馬車は、コウの胃を容赦なく締め上げた。
もう吐くものなど残っていない。それでも酸っぱい何かが喉の奥から押し寄せてきて、コウは口を結んだまま窓の外の暗闇を眺めた。同乗している連中の声が、遠いラジオのように耳の中を流れていく。
「……今まで、西の魔女に挑んで生きて帰ってきた者はいないんだよな」
「ああ。だからどんな力を持っているのか、誰も分からない」
「ビビってんじゃねーよ。過去の討伐隊は誰も神話級武器を持ってなかった。カルナウフ様のあの剣はマジでヤバい。俺たちは後ろでサポートに徹してればいいんだ」
強がりにしては、声が少し上擦っていた。
「そうだ。カルナウフ様は今まで負け知らずでここまで来た。今回も同じさ」
「てか、それにしても――」
頬に古い傷を持つ男が、ちらりとコウに目を向ける。
「異世界からの召喚者だったか。見た目は俺らと変わらねぇんだな」
カルナウフの一団は三台の馬車に分かれ、夜の街道を進んでいた。
コウの乗る馬車には七名の傭兵が同乗している。北欧系、ラテン系、アジア系のような――出自も顔立ちもばらばらな男たちが、狭い車内にひしめいていた。
「おい。お前の何が魔女への切り札になるんだ?」
コウは答えない。
答えられるわけがない。何も聞かされていないのだから。気づいたら見知らぬ部屋の床に倒れていて、よく分からない球を渡されて、よく分からない一団に混ざっていた。切り札と言われても、その球が何なのかすら分からない。
「ちっ。辛気臭ぇヤローだ」
男は吐き捨てるように言って、視線を窓の外へ向けた。
夜が深くなるにつれ、馬車の揺れだけが続いた。
何度か休憩を挟みながら三日が過ぎ、一団は目的の街の手前で馬車を止めた。街には入らず、街道を外れた森の中へ分け入り、カルナウフが全員を呼び集めた。
「先乗りしたニカライが転移魔法陣を構築している。あいつが戻り次第――夜中になるが、魔女の城に乗り込む。陣形はいつも通りだ。俺に任せろ」
いつも通り、と言われてもコウには何のことか分からない。だが質問する気にもなれなかった。どうせ答えを聞いたところで何も変わらない。
「で、お前」
カルナウフの指が、真っすぐコウを差した。
「俺が合図したら、爺さんからもらった球を魔女に投げつけろ。絶対に外すな。絶対にだ。外したら――」
一拍の間があった。
「この剣でお前を真っ二つにしてやる」
冗談ではなさそうだった。
声にも、目にも、冗談の欠片もなかった。本当にそうするつもりなのだと、コウは理解した。だったら他の者に預ければ良い。何故、自分が投げる必要があるのか。しかし、いつもの通りにコウは黙っていた。
「自信がなけりゃ、本番までに練習しとけ」
それだけ言って、カルナウフは作戦会議を終了させた。
死んでもいいとは思っている。だが、あの男に斬られるのは何となく嫌だった。理由は分からない。ただそう思った。
コウは足元の石を拾い上げ、暗い森の奥に向かって投げた。
低い音がして、石が木の幹に当たった。
また拾って、投げる。また拾って、投げる。
狙った場所に当たるまで。当たったら、もう少し遠くの木を狙う。それだけのことだった。頭の中は空っぽで、余計なことを考えなくていい。工場で溶接棒を握り続けていた頃と、やっていることは何も変わらない気がした。
気づくと、森が静まり返っていた。虫の声すら聞こえなくなっていた。
そんな時間がしばらく過ぎると、やがて、赤毛の男――ニカライが、木々の間から姿を現した。
作戦が、始まる。
◆◆◆
「はぁ……。めんどくさ」
城のバルコニーで夜闇に沈む街を見下ろしながら、エデンはため息をついた。
庭師として雇った赤毛の男が、中庭に魔法陣を組み上げていることには気づいていた。移動時間を短縮したいのだろうと思って放置していた。仕事が終われば消せばいいだけだ。取るに足らない小物のすることに、いちいち目くじらを立てるまでもない。
しかし今、その魔法陣から続々と人が湧いて出てくる。
恐らく、いや間違いなく、自分を討伐しに来たのだろう。これで何回目だ。返り討ちにした人数は、百人を超えてから数えるのをやめた。
この街を一歩外に出ると、エデンは極悪非道な魔女として悪名が轟いている。だがそれは半分正解で、半分間違っている。もっとも、その点について誰かと議論するつもりはない。だから討伐指令が下されることに、一定の理解はしているつもりだ。哀れなのは、悪を討つという名目が表向きのものに過ぎず、《《真の目的》》を肝心の討伐隊は誰一人知らされていないということだ。
ネズミのように湧いてくる人影を眺めながら、エデンはもう一度ため息をつくと、そのままバルコニーから飛び降りた。
すとん。
「な!?」
「お、お前がエデンか!?」
「カルナウフ様!!」
上空から音もなく舞い降りた黒髪の美女。赤い瞳が月明かりを受けて光る。細かな装飾が施された緑のドレスが、うっすらと輝きを帯びていた。
カルナウフがずいと一歩前に出て、鞘から剣を引き抜きエデンに向ける。
「貴様がエデンか。善良なる民を誑かす悪の権化。この神話級武器レーヴァテインが天誅を――」
「うるさい」
言い終わる前にエデンは両手を打ち合わせ、乾いた音を立てた。
「螺旋圧搾」
そのまま上下に深く、じりじりとすり合わせる。見えない何かをすり潰すような、その動作が終わった瞬間だった。
傭兵たちの体が、雑巾を絞るように捩じ切られた。生々しい軋み音と断末魔が重なり、次の瞬間には、そこにあったものが全てぐちゃぐちゃの肉塊に変わっていた。
静寂が落ちる。
立っているのは、カルナウフとコウだけだった。
「ふーん……。その剣は確かに神話級武器のようね」
エデンの視線が、カルナウフを一瞥してからコウへと移る。その目に、かすかな驚きの色が浮かんでいた。
「でも、君は何かしら?」
コウには答えられない。
目の前で起きたことを頭が処理しきれていない。なぜ自分が生きているのか分からない。他の全員が肉塊になったことも、この女が何者なのかも、何も分からない。
エデンはコウの目の前まで歩み寄り、その瞳をじっと覗き込んだ。長い沈黙だった。
「私の力が通じなかったのはさておき」
ふっと、口元が緩む。
「君、心が死んでるね」
そして耳元に顔を寄せ、囁いた。
「わたしと一緒に、その心を蘇らせる術を探してみない?」
心が死んでる。
意味が分からない。
理解できない。
だが、理屈の届かないどこかで、何かがビシッとひび割れたような気がした。
――ずっと固く閉じていた何かが。
「今だ!! 球を魔女に投げつけろ!!」
カルナウフの怒鳴り声が、静寂を引き裂いた。
コウは反射的にポケットへ手を入れていた。指が球体に触れる。冷たい、木のような感触。
投げるべきだ。それがここでの自分の役割だ。
だが、手が動かなかった。
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、止まった。
それでもコウは投げた。
練習した通りに、狙った場所へ、正確に。
ドン!!
破裂音にも爆発音にも似た轟音が響き渡る。
「ぐあああああああああ」
野太い絶叫が夜の空気を震わせた。
コウが投げた球は、エデンではなくカルナウフに命中していた。右腕が四散し、神話級の剣が宙を舞う。
コウはそれを、無意識のうちにキャッチしていた。




