16.動き出す歯車
マリエラはその日、緊張した面持ちで王宮の廊下を歩いていた。
二度目の王子からの誘いを受け、王家のプライベートな庭園へと向かっていたのだ。
王族が許可した者だけがそこに立ち入ることを許される場所。つまり、マリエラは王子の特別な人間として認められたということだ。
(婚約者候補、とはいっても私とダリア様だけ。他の令嬢たちはみんなもう婚約者レースから離脱しているようだし、これはもう一刻の猶予もないわね)
王子からはまだこれといって気持ちを明かされてはいないけれど、もし王子がその気ならこちらに拒否権はない。王子が私との婚約を望んでいると言えば、すぐにダリアは身辺警護の任を解かれるだろう。
となれば、ダリアとともにこうして会える機会は数えるほどしかない。婚約者は、二人もいらないのだから。
(今日で、ダリア様の信頼をどうにか得られるといいのだけれど)
そっと腕に抱えたバスケットに、視線を下ろす。中に入っているのは、王都で今評判の菓子店の人気スイーツだ。
これはマリエラの賭けだった。あとはダリアが望む反応を見せてくれることを祈るしかない。
マリエラは、静かに深呼吸をして王子のもとに歩み出すのだった。
「今日は少し元気がないようだが、どうした?具合でも悪いのか。医師を呼ぶか」
緊張にこわばるマリエラに、王子が心配そうに声をかける。
「いいえ、元気です。ただ殿下の前だと緊張してしまいまして。今日もお招きいただいて、マリエラはとても嬉しいです」
そう言ってにっこりと微笑めば、王子はすっかりご機嫌である。
はじめはただのエロバカ王子と思っていたが、実際にこうして何度か話してみると人柄は悪くないようで、ただちょっと楽な方に流されやすいというか、短絡的というか。
(ダリア様のお相手としてはもちろんもったいないけれど、まぁ悪い人ではないのね。エロだしバカだけど)
「お待たせして申し訳ございません。ごきげんよう、殿下。マリエラ様も」
ダリアが姿を見せた時、小さくマリエラの肩がはねた。
マリエラは、ダリアが自分の身辺を探っていることに気が付いていた。伯爵家のメイドと思しき少女が、男爵家の屋敷の周辺に身を隠してこちらを窺っているのを見つけたのは、昨日のこと。
その顔に、ダリアは見覚えがあった。
(あれは確か、ダリア様付きのメイドだわ。間違いない。きっと私の過去を探っているのね)
ダリアのことだ。もう自分が隠し子などではなく、仕立てられた令嬢だと確信しているだろう。
男爵は偽の証人を用意してあるから素性はばれないと言っていたけど、ダリアがそんなものに安々と騙されるとは思えない。
マリエラは、ダリアに全神経を集中させて平静を装い、挨拶をした。
一見ダリアはいつもと同じ態度に見えるが、やはりこちらに向ける視線がわずかに鋭い気がする。
(落ち着いて。きっとうまくいくわ。ダリア様なら気づいてくれる)
「今日は、殿下とダリア様に王都で人気のお菓子を用意してきましたの。三人で一緒にいただきませんか」
「まぁ、それは嬉しいわ」
「さすが、マリエラは気が利くな。私が甘いもの好きなのを知ってくれているとは、嬉しいな」
王子はすっかり自分のために用意してきたのだと都合のいい勘違いをしているが、実際にはこれはダリアのために用意してきたものである。
食べてもらいたいからではなく、自分のことを思い出してもらうために。
毒見は、すでに入室前に事前に済ませてある。
王子は嬉しそうに、そのうちのひとつを掴むとさっそく食べ始めた。
「なかなかうまいな。侍女たちが騒いでいた店の人気商品とあって、見た目もいいし」
「ダリア様もどうぞ召し上がってくださいな」
内心ドキドキしながら、ダリアの反応を待つ。
「……とってもおいしいですわね」
ダリアはにっこりと微笑み、マリエラに礼を述べる。
だがその言葉とは裏腹に、その表情に一瞬陰りが走るのをマリエラは見逃さなかった。
予想通りの反応に、マリエラはそっと微笑んだ。そしてマリエラ自身も、一口口に運ぶ。
「確かにおいしいですわね。けれど、これはもっとスパイスを利かせて……。そうですわね、ココルなどのドライフルーツなどを入れたほうがもっと味わいが深くなると思いますわ」
突然菓子の品評を始めたマリエラに、ダリアも王子も困惑したような表情で動きを止めた。
構わずに、マリエラは話し続ける。
「こちらのケーキなら、隠し味にミモラのエッセンスを入れて、土台には香ばしいナッツを入れれば食感もよくなりますし」
その言葉に、ダリアが反応した。
目を大きく見開いて、マリエラを凝視している。
マリエラは、ほくそえんだ。
今マリエラが説明したレシピは、かつてダリアが孤児院に差し入れてくれたダリア手製の菓子そのものなのだ。
ミモラのエッセンスは通常、お菓子作りには用いられない。けれど、ダリアのお菓子には入っていた。その微かな味と香りに、マリエラは気が付いていた。
はっと何かに気が付いたような、何かを思い出したようなダリアの表情に、マリエラは自分の賭けが成功したことを確信したのだった。




