エピローグ
かつて柵があった場所には、数え切れないほどの鉄の棒が無造作に散らばっていた。あの日、帰りがけに見たときは確かにそんな様子だったのだが、数時間後には全部きれいになくなっていたそうだ。
目撃者の証言によると、どこからともなく現れた何十台もの工事用ドローンが、どこかしらへ運び去っていったらしい。朝の情報番組で言っていた。そのドローンは間違いなく白築博士が準備していたものだろうから、きっとリサイクル工場にでも運んでいったのだろう。
その番組には、親父っさんも出演していた。もちろん柵がなくなったことを公表するためだ。原因は老朽化。あるていど老朽化が進むと自動的に柵が撤去されるよう最初から設定されていた、と説明していた。まあ、全くの嘘じゃあないよな。実際は、そうするよう博士が未来に言いつけてたんだけど。
それから親父っさんは、柵がなくなっても町は安全であるということを付け加えた。外敵と呼ばれる肉食動物がその数を大きく減らしていること。今後は警察が町の周囲を巡回すること、等々。
思ったより町は、大きな騒ぎにはならなかった。パニックに陥るような人は一人もいなかったし、発電所管理局や町役場に詰めかける人も数えるほどだったようだ。
多分、いちばん大騒ぎしてるのは商店街だろう。町解放記念と銘打って、今も大安売りセールの真っ最中だ。いつまでするのかは知らないが当分は続けるようなので、気が向いたらそのうち行ってみようかと思っている。咲紅を連れて行けば、いい気分転換になるかもな。
咲紅は――咲紅は、あの日以来ずっと落ち込んでいる。だが、少しずつ立ち直ってはいるみたいだ。
あの日の翌日は、ずっと部屋に閉じこもって一歩も外に出てこようとしなかった。夕食の時間になっても下りてこなかったので、しびれを切らした芽衣子さんが部屋に突入した。けっこう長い時間かけて説得し、それでようやく食堂に顔を出した。が、その日は結局なにも口にしなかった。
しばらくは俺が話しかけても上の空で、全く会話にならなかった。でも、無理矢理にでも話し続けるうちに、少しずつ応えが返ってくるようになってきた。最近では、偶にだが笑顔を見せてくれることもある。
出会って二日とはいえ、仲のよい友達を亡くすのは始めてのことだからな。こうして塞ぎ込んでしまうのも無理はないのかもしれない。
けどさあ、そうやって俺たちが辛そうにするのを、未来は嫌がるんじゃないか?
だから、俺は落ち込まないことにした。といっても表向きだけなんだけどね。いまだに部屋に一人でいるときは、机に突っ伏してうだうだ考え込んでしまうことがある。実は脳のバックアップがどこかにあって、そのうちひょっこり復活するんじゃないか、とかね。でも人前では、そういうところは見せないようにしている。上から未来に見られていても大丈夫なように。
翠は毎日、図書館に通っている。あの日の夜、俺が毛布を頭からかぶって眠ろうとしてたらアイツから電話が掛かってきて、
「未来がやり残したことは僕が片づける! ネット上のウィルスを全て駆逐するぜ!」
一方的に、言うだけ言って切りやがった。それから翠は一日も欠かすことなく、図書館でコンピューターの勉強をしている。まあ、なにかしらしていれば気が紛れるからな。とりあえず応援してやることにした。芽衣子さんに言ってサンドイッチを作ってもらい、一日おきに届けてやっている。今日も頼んでおいたので、そろそろ――、
「できたわよ、サンドイッチ! テーブルの上に置いとくからね!」
部屋のドアの向こうから、芽衣子さんの声が響いてきた。
「ああ、ありがと!」
と、いうわけで、出かけるとするかな。ただし今日は翠の横で、仕方なく夏休みの宿題を片づけにいくのではない。昨日寝るときに思いついた、ある計画を実行するんだ。
俺はグレーのトリムTシャツとGパンに着替え、さっき準備しておいた釣り竿を手に咲紅の部屋へ向かった。
「咲紅ぅ、そろそろ出かけるぞぉ?」
ドアをノックし、心持ち優しい声で呼びかける。機嫌を損ねて「あたし行かない!」なんて言い出されたら、せっかくの計画がパアだからな。
「おまたせ」
静かにドアを開いて、白いカットソーとホワイトデニムに身を包んだ咲紅が廊下に出てくる。どうやら俺の心配は杞憂に終わったようだ。咲紅は、微かながらもその顔に笑みを浮かべていた。今日は気分がいいいのかな? それとも、完全に立ち直ってくれる日が近いのかもしれない。
「さっき電話で未来ちゃんのお墓参りにいくって言ってたけど、どういうこと? そんなものいつの間にできたのよ」
「できたっていうか、これから俺たちで作るんだよ。作るっていうか、あれだ、博士たちと一緒でいいだろ。葬式もしてやれなかったからさ、可哀想じゃん? せめて、墓参りくらいはしてやりたいって思ってね」
親しい人を亡くした心の痛みは、内に溜め込むのではなく、無理に忘れ去るのでもなく、表に出して悲しんで癒すものだと聞いたことがある。それが葬式という儀式を行う理由の一つだと。葬式は無理だけど、それと似たようなことをして咲紅の悲しみを引き出すことができれば、元通りの咲紅に早く戻ってくれるのかなあ、なんて思ったんだけど……浅はかな思いつきだろうか?
「まあ、確かにそうよね。じゃあ、いきましょう。みんなと待ち合わせなんでしょう?」
「サンドイッチ、半分持ってくれよ。今日は量が多いからさ」
「うん、わかった」
ほらね? 普通に受け答えはするんだけどさ、なんか心ここにあらずって感じなんだよ。
人生経験豊富な大人にならなんとかできるのかもと思ったけど、親父っさんは咲紅のことを恐れるように避けてるし、芽衣子さんは「時間が解決してくれるわよ」なんて言って完全に放置だしさ。今日、墓参りにいくことで、ちょっとは良くなってくれるといいなあ。
それから俺たちは、自転車に乗って図書館へと向かった。道中、言葉を交わしたのは「暑いな!」「夏だからね」の一度きり。頼みもしないのに間を持たせてくれたのは、ジイジイとやかましい蝉の声だった。やがて、やや気まずい空気を纏わりつかせたまま、俺たちは図書館の敷地に入った。
緑あふれる公園の中ほどに建てられた、四階建ての白い建物。ここに移転した当初は、物珍しさからたくさんの人が――読書ではなく――見物に訪れていたが、一年も経てば夏休みだというのに人影はまばらだ。
待ち合わせは午前九時。五分くらい早く着くように家を出たはずなのだが……おかしい。人気のない開館前の図書館の正面口に、緑色のTシャツを着た茶髪の少年が自転車にまたがり立っている。珍しいな、翠が遅刻しないだなんて。
「遅い! 遅すぎるぜ、おまえら!」
「おまえが早すぎるんだ。まだ時間前だろうが」
咲紅は……話に乗ってこないな。気のない笑みを浮かべて俺たちの様子を窺っている。会話に参加する気はまるでなさそうだ。
そのあとすぐに、千霞とミッチーが銀杏並木の向こうから自転車をおして現れた。二十メートルくらい向こうで、淡いブルーのシャツワンピースをはためかせ千霞が声を上げる。
「おはようございます、蒼志さん! ……ついでに、あとの二人も」
十メートルくらいの距離まで近づいてから、白Tシャツに緑ジャージのハーフパンツをはいたミッチーが口を開く。
「おはよう、みんな」
「おはよ」「おはよう」「オイッス!」
そうしておざなりの挨拶をすませ、俺たちは白築宇宙物理研究所へと出発した。まずは、車通りの少ない住宅街を突っ切って環七を目指す。
「なあ蒼志、町の外へ出られる道ができたというのは本当か?」
走り出してすぐに、ミッチーがそう聞いてきた。
「ああ、光明寺の脇に行き止まりの道があっただろ? その道が延長されたんだ」
「へえ、ずいぶん急ぐんだな」
「こういうのは勢いが必要なんだってさ。親父っさんが言ってた。ちょっと間をあけると、すぐにグダグダになってナアナアになってウヤムヤになるんだと」
まもなく俺たちは住宅街を抜け出し、環七を荒川方面へと走り出した。歩道の幅がやたら広いので二列に並ぶ。先頭の俺の隣に千霞、その後ろに翠とミッチー、一番最後に咲紅が続く。咲紅の様子が気になるが、俺が先導する格好なので後ろに下がるのは難しい。
しばらくそうしてヤキモキしていると、そのうちに鳥のマークが描かれたファミレスの看板が近づいてきた。暑さを凌ぐため、ここで少し休憩を取りたい気もするが、あとのことを考えると時間的にそんな余裕はないな。
「是非とも苺ショートが食べたいです!」
と意見する千霞には悪いんだけど、素通りして近くの横断歩道を渡った。そして、すぐそばの脇道に入ると、
「うおお、本当に道ができてるぜ! 町の外が見えてる!」
光明寺と駐車場に挟まれた道の先に、緑の草原が広がっているのが見て取れた。柵の手前にあった雑木林は、道路の部分だけ切り取ったようになくなっている。
二、三日前に開通式だか貫通式だかの写真を親父っさんに見せてもらったが、あまり大々的という感じではなかった。他にも何ヶ所か同じように工事しているそうなので、きっとそれらが片づいた頃にまとめて大騒ぎするつもりなのだろう。
あたりを見回すが、俺たちの他に通行人はいないようだ。何人かは見物人がいてもいいんじゃないかと思うんだけど……やはり一人もいない。外敵――いや、肉食動物に襲われるのを怖れているのだろうか? ともあれそんな状況なので、俺たちは道幅いっぱいに広がって自転車を走らせていた。……が、咲紅は一人でポツンと後ろからついてくる。速度を落として並ぼうかとも思ったが「うざい」とか言われたら嫌だしなあ。
葛藤を抱えつつも先に進んでいき、寺と駐車場を過ぎて雑木林に差しかかる。木陰に入って急に涼しくなったせいだろう、みんなの口からは大きなため息がこぼれた。
「あ、やべえ、サツがいるぜ!?」
「いやいや、全然やばくないだろ」
やばくはないが翠の言うとおり、林を抜けたあたりに数人の警察官が立っている。肉食動物の町への進入と、町の人が勝手に外に出るのを防ぐのが目的だ。と、親父っさんに聞いた。早い話がなくなった柵の代わり、もしくは関所だな。俺は親父っさんに許可を取り、手紙を書いてもらったので、ここを通ることができる、はず。
警察官が赤い旗を振っている。たぶん止まれってことだろうな。それに従って俺たちが素直に停車すると、一人の日焼けした中年警察官が正面から近づいてきて、
「永穂蒼志君だろう! 親父っさんから話は聞いてるよ! でも一応、確認するから手紙を見せてもらえるかい?」
そう言って、やけに白い歯を見せた。へえ、警察でも親父っさんは親父っさんって呼ばれてんのか、と変なところに感心しつつ、親父っさんの手紙を見せる。するとすぐに、
「オーケーだ! 通っていいよ!」
とサムズアップして、すんなり道をあけてくれた。そのとき別の若い警察官が、
「破壊神が一緒ならトラが出てきてもへっちゃらだな」
そうささやくのが聞こえた。ふうん、警察官の間でも有名なのか、ミッチーは。今回、許可を取ることができたのはミッチーのおかげもある。その際に親父っさんは、
「並木の次女が一緒なら、外敵が現れても咲紅に危害が及ぶことはないだろう」
そんなふうに言っていた。おいおい、咲紅だけか? 俺は?
……まあいいよ、自分の身くらい自分で守るさ。そんなことより先を急――、
「ふふふ、腕が鳴るぜ! 外敵たちよ、かかってこい!」
ミッチーが気合いを入れ直した。どうでもいいけど翠の口ぶりがうつってるなあ。
さておき、こうして俺たちは緑の絨毯のような草原へと自転車を漕ぎ出したんだ。日差しは強く、風は穏やか。すぐに空気の味が町中とはまるで違っているのに気づく。なんか錆びた鉄の臭いがするんだよなあ、町の空気は。気のせいかな?
「かあーっ! やっぱ町の外の空気はうまいぜ! ぜんぜん埃っぽくないからなあ!」
気のせいじゃなかったみたいだ。
それからしばらく、くだらない雑談を交わしつつ草の上を進んだ。あまり深くないとはいえ、アスファルトの上を走るのとはわけが違う。デコボコした地面にもハンドルを取られ、走りにくいことこの上ない。
ミッチーは問題ないだろうが、他のメンバーは体力的に大丈夫だろうか?
「――おい千霞! 気をつけて自転車こがないと、その格好じゃあパンツが見えっちまうぜ? あ、いや、見せてんのか! んじゃあいいや。最高、ははっ!」
「みっちゃん! 翠さんの今の発言、聞きましたか!? セクハラですよ、セクハラ! ちょっと懲らしめてやってください!」
「ようし、まかせろ! ふん!」
「ちょっと、やめろミッチー! うわあっ!」
そして自転車が倒れる派手な音。うん、大丈夫そうだな、みんな。でも、咲紅は……相変わらずなにか思いつめた表情で、黙々と自転車を走らせている。体調は悪くなさそうなんだけど……。
休憩を入れるべきかとも思ったが、木陰がない。これほど強く日が照りつける中では、体を休めるなんてことできないだろう。なのでもう少し頑張って、森の入り口で休憩を取ることにしよう。
「なあ蒼志、こっちで方向あってんのか? 森を突っ切る道はもっとあっちだぜ?」
自転車を起こしながら、翠が聞いてきた。
「いいんだよ、森は歩いていくから。ちょっと寄り道しなくちゃいけないし」
それから二十分くらいして、俺たちは森の入り口にたどり着いた。このあいだ野宿したのと全く同じところ、のはずだ。が、レジャーシートを敷いた跡は全く残っていない。その場所の雑草は、元通り太陽に向かって真っ直ぐに延びていた。
翠が適当な場所にレジャーシートを敷いて、その上に俺がサンドイッチとドリンクを並べる。そして全員で腰を下ろし、好き勝手に手を伸ばし始めた。
空のずっと高いところを黒っぽい鳥が飛んでいる。時折、ピーヒョロと聞こえるから、トンビかな? これから町が発展していけば、そのうち飛行機なんかも作られるようになるのだろうか、そんなことを思った。
その間みんなはずっと喋りっぱなしだが、未来の話は全くと言っていいほど出てこない。咲紅が気落ちしているのを気遣ってるんだろうけど……俺は未来の話がしたい。ミッチーと千霞は、未来についてあまり知らないだろうから教えてやりたいんだ。こんな変なやつがいたんだって。でも、咲紅のことを考えると、みんなに合わせるべきなのかもな。
休憩を終え、体力が回復した俺たちは、自転車をそこに止めたまま森の中へ足を踏み入れた。俺、咲紅、翠の三人は慣れているので問題ないが、千霞は飛び出した木の根や、滑る落ち葉に苦戦している。ミッチーはというと、持ち前の驚異のバランス感覚で俺たちの誰よりスムーズに足を運んでいた。
「千霞、わたしが手を引いてやろう」
「あ、ありがとう、みっちゃん」
あ、しまった! 俺の役割、奪われた!
ミッチーのフォローが巧みなおかげもあって、俺たちは順調に森の中を進んでいき、意外なほどあっさりと例の川に突き当たった。岸から川のをのぞき込むと――あった! 少し上流に黒い岩があって、そこに白いものが引っかかっている。
「止まってくれ、みんな。ちょっとここですることがあるんだ」
俺はそう言い置いて、背中から釣り竿を下ろした。長さは四メートルと少し、先のほうに少し手を加えてフックを取り付けてある。木の枝に注意して川のほうに延ばしていき、白いものに空いた穴にフックを……入った! そして、釣り竿を縮めて白いものを回収した。
「おい蒼志、それは……」
訝しげな顔でミッチーが聞いてくる。他のみんなは遠巻きにして、俺のすることに注目している。そうか、説明が必要だな?
「これはなあ、未来の頭蓋骨なんだ」
所々が欠けた小ぶりな頭蓋骨を突き出して、みんなにそう告げた。
「「「「……ええっ!?」」」」
「墓に埋めてやろうかと思ってさ。未来は自分の使い古した体を、生ゴミとしてこの川に捨――自然に帰していたんだ。この頭蓋骨は、おそらくワニが食べ残したもの。間違いなく未来の遺骨だよ」
厳密にいえば俺たちが接してきた未来のものではないが、本人の骨であることには違いない。なので、かまわないだろう。
「……言いたいことはわかったわ。でも、最低」
うっ! 久しぶりに咲紅が口を開いたと思ったら、そう言われた。そして、
「蒼志、ちょっとずれてるぞ?」
「蒼志さんのそういうところには、ついていけないかも……」
「おまえ、もう少し考えたほうがいいぜ?」
あれ? 意外と不評だ! なんでだ!?
「まあいい、先に進もうか」
そう告げて背中を向けたミッチーの目は、まるで靴裏の潰れたカメムシを見たときのようだった。ええー!? お墓にはお骨だろ! 俺、間違ってないよな!?
こうして俺は、やりきれない気持ちを抱えたまま森を進むはめになった。前を向いて黙々と歩いていると、背中越しにヒソヒソと話す声が聞こえてくる。蝉の鳴き声が邪魔ではっきりとは聞こえないが「……蒼志のやつ常識が……」「……デリカシーが……」「……残念な感性……」くそっ! こんな感じだ!
そんな心ない嫌みらしき言葉に背中を押され、無心に歩を進めていると、やがて上りの斜面に差しかかった。顔を上げると遠くの木々の隙間から、研究所の青い屋根と灰色の壁がのぞいているのが目に映る。
ふう、やっと着いたか。もう一踏ん張りだな。
「おい! 研究所が見えるぜ!」
「おお、あれがそうか。なんとも普通の家だな」
「大自然の中に一軒だけポツンと……なんとも不思議な感じですね」
それからまもなくして研究所から延びる土の道の上に出た。このあいだと変わらず、雑草は少しも生えていない。まあ、こんな短期間で草ボウボウにはならないか。けど、そのうち荒れてくるんだろうな、この道も、研究所の庭も。
感慨にふけりつつ歩きやすい緩やかな登りの坂を進んでいき、ようやく俺たちは研究所の玄関に到着した。
「はー、やっと着いたぜ! 蒼志、裏山に登るのは、研究所でちょっと休んでからにしようぜ? みんな疲れてるみたいだしさあ」
確かにみんな汗だくになり、ミッチー以外は息づかいも荒い。多かれ少なかれ俺も似たようなものだ。なので、そうしたいと思わなくもないが、
「山だけに、そうしたいのは山々だが、先に墓参りに行っておこう。たぶん休んじゃうと、しばらく動きたくなくなるから」
「ああ、それもそうですね。じゃあ、もうちょっとがんばりましょうか」
くそっ! 俺の渾身のギャグは無視か! ……まあ、べつにいいけど!
それから俺たちは研究所の裏に――あれ? なんか咲紅がボーッとしてる。玄関を見て……悩んでる顔だな、これは。どうしたんだろう?
「咲紅、いくぞ? どうした、気分でも悪いのか?」
「――えっ? あ、ごめん、考えごと。大丈夫よ、いきましょう」
それから研究所の裏に回り込んで、頂上へと続く山道を登り始めた。傾斜が緩やかなうえずっと木陰が続くので、それほど険しい道のりではない。みんなで軽口をたたきつつ足を運んでいった。
「いでっ! なにすんだよ、ミッチー!」
「すまん翠。足が滑った」
「うそつけ! 足が滑って、なんでそんなに綺麗な後ろ回し蹴りになるんだよ!」
敵が現れないのでミッチーが欲求不満気味のようだ。
けど、意外と動物には会わないもんだなあ。けっきょく今回はトラにもワニにも出くわさなかったし、リスでもいないかなあ? 期待してたカブトムシも一匹も見ないし……時間帯が悪いのかな? こんどネットでよく調べてみよう。
ほどなくして俺たちは、つづら折りの山道を踏破し頂上に到着した。
降り注ぐ日差しは強いが、風が吹いているおかげであまり不快には感じない。ところどころ雑草の生えた広場があり、その端には文字が刻まれた黒っぽい岩が置いてある。このあいだ来たときと違うのは太陽の位置、千霞とミッチーがいること、そして未来がいないこと。
「うわー、すっごい景色ですねえ! ヤッホー!」
「そうだな、地面に吸い込まれそうだ」
「ミッチーも叫べよ、気持ちいいぜ? ヤッホー!」
「ふん」
広場の端に立ち地上を見下ろす三人と、少し離れた場所にいる咲紅を後目に、俺は未来の骨を埋めた。そして線香と、タバコと、ワンカップを供えて手を合わせる。それから目を閉じて、少しすると後ろにみんなが集まってくる気配がした。俺たちはしばらくの間、黙ってそうしていた。
「――んじゃ、研究所にいこうか」
それから、俺が振り向いてそう言うと、
「え? ええ、そうね、それがいいわ。いきましょう、いきましょう」
と、咲紅が明らかに不振な挙動で返事をする。目が泳いでるし、声も裏返ってるし……。
「早いとこシャワー浴びたいぜ! 僕が一番だからな!」
「バカなことをいうな。レディーファーストだ」
「そうです、翠さんは一番最後です! その前に……蒼志さん、ご一緒にいかがですか?」
……咲紅の様子は気になるが、とりあえず研究所まで戻ろう。そこでちょっと二人きりで話してみようかな?
そんなことを考えながら山を下り、俺たちは再び研究所の玄関前にたどり着いた。
「あ、カギは!? たぶんカギ締まってるぜ? どうやって開けるんだよ」
「ああ、コレで開くらしい」
と、ポケットから発電所のカードキーを取り出し、翠の目の前でひらひらさせる。どこかで雑談してるときに未来がそう言ってたんだ。
そして、そのまま俺が玄関に近づくと、ドアノブのあたりからカチッという金属音が聞こえてきた。カードキーをポケットにしまい、ノブに手を伸ばして――、
「待って! インターホン、いちおう鳴らしてみて! 一人暮らしの女の子の家に、勝手にズカズカ入っていっちゃダメよ!」
突然、咲紅が声を上げる。いやまあ、一理あるけどさあ……まあ、咲紅の気分を害さないためにも、いちおう押しとくか。
俺は、ノブをつかもうとした手の進む向きを変え、インターホンのボタンを押した。一般的なチャイムの音が聞こえる。文字で表すならピンポーンだ。すると、
『――はい、ちょっと待ってくださいね?』
えっ? あれっ? インターホンから未来の声!? なんだコレ、どうなってんの! いま確かに未来の美少女声で、ちょっと待ってくださいって! ………………あ、あれか! 自動で応答するシステムか! いやまてよ? 玄関のインターホンにそんなのあったっけ?
そうやって俺が混乱していると、
『――すいません蒼志君、玄関を開けてもらえますか? いま両手が塞がっていて……』
ええっ? 俺の頭はさらに混乱した! どうなってんだよ、いったい! 振り返ると、咲紅は目に涙を浮かべ両手で口を覆っている。あ、いや、涙は今こぼれ落ちた。その後ろでは翠、千霞、ミッチーの三人が呆けた顔で立ち尽くしている。
とにかく勢いをつけて玄関を開くと――いた! 未来がいた! 両手で松葉杖をついて、あごにインターホンの受話器を挟んでいる! ええっとー……なんて言えばいいんだ!?
「ひっ……久しぶりだな!」
「ええ、そうですね。すいません、連絡できなくって」
「な、なんで――おまえ、死んだだろ!?」
いかん、声が震える。目頭が熱くなってきたけど――我慢だ!
「ええまあ、そうなんですけどね? ええっとー……」
未来は眉を寄せて、いかにも困ったといった顔をしている。どう説明したらよいものかを考えているようだ。
あ、そうだ、咲紅! ずっと咲紅の様子がおかしかったのは、もしかすると未来が生きていることを知ってたからじゃないのか?
「おい、咲紅! おまえ知ってたのか!? 未来が生きてるってこと!」
「し、知らないわよ! 知ってたら絶対みんなに言うわよ! ……ただ……」
ただ? ただ、なに?
「ただ、未来ちゃんの頭脳は『当時最高の性能を誇っていたコンピューター』の中にあるって言ってたわよねえ?」
よくは覚えていないが、言ってたかもしれないな。でも、それがどうした?
「それから、人工衛星には『世界中で最も優れたコンピューター』が搭載されてるとも言ってたわよねえ? それをふと思い出して、この二つのコンピューターは実は同じものなんじゃないかって気がついたのよ。つまり、未来ちゃんの頭脳は人工衛星の中にあるんじゃないかってことに。なにか確証があるわけでもないし、ぬか喜びさせたら悪いと思って言えなかったんだけどね?」
「さすがは咲紅ちゃん、ご名答です。よく覚えていましたねえ」
なるほど、人工衛星に頭脳があるってことは、実際に未来の頭に入っているのは通信機の類か。確かに、それなら未来の体がどんな目にあっても、この研究所が存在する限りは何度でも復活できるな。
「――って、いつ気づいたんだよ!?」
「中央制御室に向かって歩いてるとき。ドローンの残骸が増えてたでしょう? パパは未来ちゃんがプログラムを組んだって言ってたけど、あたしは未来ちゃんにそんなことができるかなって思ったの。それでいろいろ考えてるうちに、ね?」
ぐぬぬ、言われてみれば確かに……未来の頭の中は十三歳の普通の女の子だって言ってたもんな。瞬時に複雑なプログラムを組むなんて芸当ができるわけがない。俺、なんでそんなことに気づかなかったんだろう? ああ、落ち込んで損した! でも、
「未来! そういう大事なことは先に言っといてくれよな! そしたら無駄に落ち込まずにすんだのに!」
「最初に撃たれたとき、言おうと思ったんですよ? すぐに復活するから大丈夫だって。でも、撃たれたところがあまりにも痛くて、つい接続を切っちゃったんです。それでなにも言えなくなっちゃって……」
すると翠が、
「んじゃあ、復活したあとですぐに連絡くれよ! みんなすっげえ凹んでたんだぜ!?」
「すいません。でも連絡してたら、きっとすぐに様子を見にきてたでしょう? リハビリしているところは、あまり見られたくなかったので……」
周りの女連中が全員そろって肯いている。そ、そんなもんか? 手伝いとか、応援とかしてやるべきだと思うんだけど? うーむ、よくわからんが、ここはおとなしく従っておこう。逆らうと、集中攻撃を受けることになりそうだ。
そのあとミッチーが、
「しかし未来さん、ずいぶんと縮んだなあ」
それから千霞が、
「本当ですねえ! いったい何歳になっちゃったんですか?」
「えへへ、十三歳です。でも、すぐに元通りになりますよ。なにしろ成長期ですから」
そこで、すかさず翠が声を張り上げる。
「胸はぜんぜん成長しないけどな! まあ、とにかく未来の部屋にいこうぜ? そんで、祝! 復活記念パーティーだ!」
「ちょっ、なに言ってんですか! ちょっとは膨らむんですよ!」
翠は未来のクレームを軽く聞き流し、ズカズカと家に上がり込んでいく。他のみんなも口々に「おじゃましまーす!」などと言って、翠に続いた。
そうして玄関に取り残された、俺と未来。
「……おまえ、これからどうするんだ?」
ここに一人で暮らすより、町に引っ越したほうがいいんじゃないか? 俺はそう言いたくて、未来に聞いてみた。たぶん親父っさんに頼めば女の子一人くらい受け入れてもらえるはず。それに、学校に通えば未来が欲しがってた友達もいっぱいできるだろうからな。
――ところが。次の瞬間、未来は俺が期待していた答えとは、全く違うことをしゃべり始めたんだ。
「私……こんどは、お母さんとした約束を果たそうと思います。そのときは蒼志君、少しだけ手伝ってもらえますか?」
「えっ、お母さんとも約束してんの!? ……んで、なんて言ったんだよ、お母さんは」
「それはですねえ――未来、幸せになりなさい、って!」
そう答えた未来は、幸せそうに微笑んでいた。




