夜Ⅱ
エレベーターの扉が開くと、部屋の中央で三人が話しているのが見えた。俺と目があった瞬間、咲紅がものすごい形相で叫び声を上げる。怒ってんのか? え、俺なにか怒られるようなことしたか? ……よくわからんが、多分こっちの用件のほうが重要だ。
「咲紅! 親父っさんが発電所にいるぞ! いい言い訳、考えてんだろうな!」
「へ? えーーーっ!?」
そして動きを止める咲紅。しばらくして、動揺を隠そうともせず口を開く。
「な! ななな、なんでよ! なんでパパが! 今日に限って……なんでよ!?」
「そんなこと、俺が知るか! とにかく来てるんだ! だから早いとこ用事を済ませて、さっさとずらかるぞ!」
咲紅にそう答えると、そこに翠が口を挟んできた。
「へえ、親父っさんが来てんのか。ははっ、ミッチーとはち合わせてバトルになったら面白いのにな。親父っさん強そうだし、結構いい勝負になりそうだろ? んで、あとから芽衣子さんも参戦したら、言うことなしだぜ!」
「見たいなら南東のエレベーターに乗れよ。いましがた最上階でそんなのやってたぞ?」
「「「……ええっ!?」」」
その場にいる全員が、困惑した表情で黙り込む。次第に四人は重たい空気に包まれていった。そんな中、やがて未来が引きつった愛想笑いを浮かべ、おずおずと口を開く。
「えっとー……その問題はさておき、先にこっちの予定を済ませてしまいましょう。咲紅ちゃんのお父さんに見つかったら、止められてしまう可能性が高いですからね」
「そ、そうね、そうしましょう。さっさと片づけて、さっさと逃げちゃいましょう」
未来の言葉に対し咲紅はそう応える。が、一番安全で、最も確実な方法を採るなら、
「いや咲紅、おまえは親父っさんと一緒に家に帰れよ。そのあとで俺たちは、ゆっくりと柵の撤去作業をするからさ」
「いやよ! あたしも最後までみんなと一緒に行動する! 途中で帰るなんて絶対いや!」
……だろうな。俺が咲紅みたいな立場だったら間違いなくそう言う。それに咲紅を捕まえたとしても、それで親父っさんがあっさり引き上げてくれるとも思えないしな。やっぱ、捕まる前に急いで終わらせるしかないか。
「んじゃあ、さっさと行こうか」
俺はそれだけ言って、屋上に通じるドアへと向かった。あ、そういえば親父っさんが屋上には出るなとか言ってたな。なんでだろ? うーん……わからん。まあ、どうせたいしたことじゃないだろう。大人が俺たちに注意することって、大抵がそうだもんな。
俺がドアに近づくと、ピッと電子音が鳴った。いまので鍵が開いたのかな? レバーハンドルに手をかけて回すと、ドアはすんなり開いた。
その向こうには、周りを黒い壁に囲まれた上りの階段があった。天辺までの高さはおよそ5メートル、発電所の中央の方向に一直線に延びている。聞こえてくるのは風の音だけ。階段を上りきった先は夜空のはずなのに、星の光は一つとして見えていない。屋上の明るさにかき消されているようだ。
俺が先頭に立って上っていき、そうして屋上に顔を出すと――うわっ! 猛烈に目が眩んだ!
未来に説明されたことを材料に推測すると、たぶん正面にバカでかい穴が空いているはず。直径が80メートルで、深さは500メートルって言ってたかな? 落ちたら間違いなく死ぬ穴だ。その中から鋭い光が溢れ出し、周りにある他の風景を全て消し去っていた。
光が強すぎるせいで穴の縁も見えない。穴の中をのぞいてみたいのだが、これじゃあ足を踏み外しそうで近づくこともできないよ。
「蒼志君、これこれ」
ふいに背中をつついて、未来がなにか手渡してきた。これは――セルフレームの黒いサングラスだ。受け取って、さっそく掛けてみると、
「おお、見える見える! サンキューな、未来!」
「ふふ、よくお似合いですよ? まるでヤクザ映画に登場する、名もないチンピラ構成員のようです」
「へへ、そうかあ? ……ってそれ、ぜんぜん誉めてないじゃん!」
振り返って三人の顔を見ると、未来は丸いレンズ、咲紅はピンクの縁のハート型、翠は自前の細くてつり上がった形のものを掛けていた。それからしばらくの間、俺たちはお互いを指さして笑いあった。
ひとしきりそうしたあと、俺が穴の中をのぞきにそっちへ近づこうとした。すると、
「蒼志君、危ないですよ! 落っこちちゃったらどうするんですか!」
そう言って未来に怒られた。
「それに、お父さんが書いた資料によると、この光には有害な放射線が含まれているらしいですからね。それを打ち消す波長の光も照射されているみたいですけど、完全に相殺されるわけではないようです。なので、あまり近づかないほうがいいと思いますよ?」
ふうん。まあ、とりあえず今は従っておくか。あとでこっそりのぞいてやろう。
それから俺たちは、南の方角――中央制御室のあるほうへと歩きだした。
「そうだ、蒼志! さっきねえ、未来ちゃんに見せてもらったのよ、昔の監視カメラの映像。ちゃんと写ってたわよ? おじさんたち」
「ええ!? なんで俺がいるときにしないんだよ! 俺が見れなきゃ意味ないじゃんか!」
「その点は抜かりないわ。ちゃんとメモリーに保存してあるから、あとで見せてあげる」
「当たり前だ! ……で? どうだったんだよ。どんな感じだった?」
「それがねえ、撃たれてたのよ。レーザーで」
「……ごめん、咲紅がなにを言ってるのか、わかんない」
何度か聞き直したのだが、やはりよくわからなかった。はっきりしているのは、何者かに殺されたということのみ。でも、オヤジも母さんも他人から恨みを買うような人物ではなかった。よく言えばいい人、悪く言えばお人好しって感じだからな。
それにレーザーだって? そんなの、どこにあるんだよ。地下の工場では殺傷力の高い武器は作れないはずだから、それを手に入れるには自作するほかない。そんなものを作れる人間が現在の町にいるか? 絶対いないだろ。だから――見間違いなんじゃないのか?
まあ、なんにせよ俺が自分の目で確認しないことにはどうしようもない。とりあえずはそう結論づけて、目前に迫った今やるべきことに集中することにしよう。
それからすぐ、進む先にさっき俺たちが上がってきたのと同じような、階段の入り口らしきものが見えてきた。見た目はただの四角い穴なんだけど、たぶん中に階段があって中央制御室まで繋がっているんだろう。近づくと――やっぱりそうだった。下りの階段が見える。
ようやくだな。ようやく未来は、博士との約束を果たすことができる。あとはこの階段を下りて、中央制御室でプログラムを実行するだけだ。三百年間の長きにわたり、ずっと独りでこの時を待ち続けていたわけか。俺ならたぶん三ヶ月くらいで諦めてるな。
「未来、おまえすげえな。よく三百年も独りで耐えられたよ」
「どうしたんですか? 急に。蒼志君が私を誉めるなんて……なにか悪いことが起きる前触れでなければいいんですけど」
「素直に感心してるんだよ。俺には到底できないことだからな。あ、長生きできないって意味じゃないぞ? 俺にはそこまでの忍耐力がないってことだからな」
「ふふ、忍耐ですか。ちょっと違う気もしますけどね。私には、他にどうすることもできませんでしたから。ただ耐えて忍ぶしかなかっただけの話ですよ」
俺はただ「ふうん」とだけ応えた。
それから未来が、一際大きな声を出して俺たち全員に尋ねる。
「ねえ、みなさん? 今回の件が片づいたあとも、時々は私と一緒に遊んでくれますか?」
俺たちを信頼しきった表情だ。どんな答えが返ってくるか、わかってて聞いてんだろうな。少し意地悪してやろうかとも考えたが、ここで泣かれると面倒なので思ったままを答える。
「ああ、しばらくは夏休みだしな。また遊びに行ってやるよ」
と、俺。
「もっちろんよ! ねえ、今度は家においでよ。ごちそう用意して待ってるから!」
これは咲紅。テンションは高めだ。
「しょうがねえなあ。まあ柵がなくなれば行き来も楽になるだろうし、べつにいいぜ?」
翠は鼻を擦りながら、照れくさそうに答える。
「えへへ、みなさんありがとうございます。そう言って頂けて、私はとても――」
突然、そこで未来の言葉が途切れた。その顔は階段の奥の方へ向けられている。そして、サングラスのレンズをつまんでクイッとズレを直すと、
「なんでしょう、なにやら機械音が聞こえます」
首をひねりつつ、そうつぶやいた。
機械音? ……ああ、確かに。金属同士がぶつかるような、カチャカチャという音が聞こえる。それは規則正しく一定のリズムを刻み、そして次第に大きくなっているようだった。
「なにかが――来ます!」
珍しく、未来が鋭い声を上げた。その途端、あたりが張りつめた空気で満たされる。誰もが口を開けないまま、薄暗い穴からなにかが出てくるのを固唾を呑んで見守った。
機械音が大きくなるとともに、緊張は徐々に増していく。やがてそれが絶頂に達するころ、なにかはその姿を現した。最初に銀色に輝く細長い足。続けて黒く丸い体。大型犬ほどの大きさのそれは、昆虫のように六本の足に支えられ、階段の上をまるで滑るような動きで這い上がってきた。
「な、なによ、こいつら……」
それは一台きりではなく、何台かが後ろに続いている。
「ネットで似たようなの見たことがあるぜ。自立式無人機、ドローンって呼ばれてるロボットだ。いろんな種類があって、産業用とか、競技用とか……あと、軍事用とか――」
翠がそこまで説明したとき、ふいにドローンが足を止めた。本体の天辺に埋め込まれた赤いレンズのついた球体が、縦や横に動いている。これは目だろうか? ドローンは赤く光る目で、俺たち一人一人を品定めしているようだ。
そして四人ともを見終わると、甲高い電子音を発して――目からレーザー光を放った!
「うおっ!」「きゃっ!」「げえっ!」
狙われたのは未来だ。だが、撃たれることを予測していたらしく、とっさに身を躱していた。ドローンの目から放たれた赤い光は、瞬く間に夜空へと消え失せた。
「みなさん! 逃げてください!」
未来の叫び声を聞き、ドローンから目が離せないでいる咲紅を翠が引っ張っていく。俺は本能的に二人とは別の方向――東のほうへと駆け出す。それから未来は俺のあとを走りながら声を張り上げた。
「この子たちは軍事用ドローンの試作機です! 欠点は連射ができないこと! それと、照準を合わせるのにもたつくこと! 落ち着いて対処すれば、レーザーを躱すのは難しいことではありません!」
まっすぐ北へ向かう翠が「おう! わかったぜ!」と返事をする。それから、
「やっぱ未来はロボットについて詳しいのか?」
俺は走りながら未来の手をつかみ、そう尋ねた。
「いえ、さっきのは映像をネットで検索しただけです。細かいスペックなんかもわかりますけど、いま聞きますか?」
「いや、あとで教えてくれ」
追ってくるドローンの数は全部で四台。二台づつ、二手に分かれている。こいつらは試作機というだけあって、移動する速度はあまり早くない。俺たちの足でもどうにか逃げ切ることができそうだな。と、心に若干の余裕ができたことで、ある考えが頭に浮かんだ。
「未来、反撃しようか。人工衛星のレーザー発振器、使えるんだろう?」
「はい。ちょっと待ってください、いま準備中なので。あと五秒……………………零」
と、同時に俺は立ち止まり、その瞬間を見るため強引に振り向いた。俺の胸に突っ込んでくる未来。その背後に迫り来るドローン。そして――その本体部分を穿つ真っ白な槍。四本の槍は文字通り天地を貫き通し、どの根元にもことごとく銀色の足が光っていた。やがて一秒にも満たない時間が過ぎると、白光は残像を残し音もなく消えていった。
慣性の法則に従い、ドローンが一、二歩あるいてから崩れ落ちる。本体の大部分が蒸発したようで、積み重なった残骸はそのほとんどが銀色の足だった。
「へえー、お見事!」
「えへへ、お粗末様でした」
もちろん翠たちも無事だ。中央制御室と北西のエレベーターのちょうど中間あたりで諸手をあげて振り回している。
「うおー! すっげえな、未来!」
「ナイスコントロールよ! 未来ちゃん!」
それから俺と未来は咲紅たちのいるほうへ向かった。歩きつつ未来に聞いてみる。
「いまのドローン、なんだったんだ? 中央制御室の警備とか?」
「いえ、たぶん……というか十中八九〈被害者の会〉が仕掛けておいたものでしょう」
「え!? いや、なんで……」
「お父さんが殺されたあと、たぶん発電所は〈被害者の会〉に乗っ取られてしまったのだと思います。きっと当時ここで働いていた方は、みんな追い出されたか、こ……。ロックされた扉を開くことはできなかったようですが、それでも彼らの目的――柵を撤去させないこと――を果たすことは十分に可能です。そのために彼らは、中央制御室に誰も立ち入らないようドローンに見張らせたのです。
おそらく蒼志君のご両親を撃ったのも、これと同じものでしょう。あそこ――第四セクターからでも柵の電源を落とすことができますからね。当然〈被害者の会〉は、そこにもドローンを配置していたはずです」
「でも、それって三百年前の話だろう? だいいちバッテリーが持つはずがないじゃん」
「そんなのはどうとでもなりますよ。例えば……そうですね、ここは滅多に人が来る場所ではありませんから、ずっと休止状態にしておくとか。そして、特定の条件を満たしたときだけ、起動するようにしておくんです。管理者権限のカードキーが使われたときとか、あるいは第四セクターへの扉が開いたときとか。メーカーの仕様書によると、連続稼働時間は六百時間とありますから、そうして節約すれば当分の間は持つでしょう。まあ、仕掛けた本人は三百年経っても機能するなんて思いもしなかったでしょうけどね?」
で、そのまま〈被害者の会〉は自然消滅。三百年後にオヤジたちは、そいつらの置き土産に殺されたっていうのかよ。ふっざけんな!
「なあ未来、俺の憤りはどこへぶつければいいんだよ?」
「……わかりません……」
未来は俯いて、そう答えた。
そのとき――不意に彼女の胸を、赤い光が貫いた。ポシェットの肩紐が白煙をあげて焼き切れ、落ちる。その向こうに愕然と立ち尽くす咲紅と翠。未来は大きくバランスを崩し、まるで糸の切れた操り人形のように、巨大な穴が口を開けているほうへ近づいていく。
そこでさらに、もう一本の赤い光が喉元に突き刺さった。未来はそれに押されるようによろめいて、穴の中へと落ちていった。
なにが起きたのかを理解するのに一秒。そして、
「み、未来ーーーっ!」「いやーーーっ!」「未来ーーーっ!」
足元のポシェットを拾い、未来が落ちたあたりに駆け寄る。
「み――うわっ!」
這いよって穴の中をのぞき込むも、一瞬のうちに強烈な熱風に押し戻された。だが、その瞬きする間に俺は見た。穴の底にあって、膨大な光を放つなにかを。それは、紛れもなく――太陽だった!
確か未来は言っていた。毎朝、発電所に送られてくるものは太陽の欠片なのだと。太陽の欠片を拾い集めて太陽そのものを作る? バカな、洒落になってないぞ! くそっ! こんなところに落ちたんじゃあ未来は、未来はもう――!
いつの間にか、咲紅と翠がそばにしゃがみ込んでいた。咲紅が泣き叫ぶ声が聞こえる。翠がなにか喚くのが聞こえる。それともう一つ聞こえてきたのは――規則的なリズムの機械音だった。だが叫び疲れ、もはや体を動かす気力が俺にはない。数秒後には三人とも未来と同じ運命をたどるのだろう、そんな考えが頭をよぎった。俺たちは同時に振り返り、そしてすぐに目を瞑った……。
「――無事か、おまえたち!」
え、親父っさん!? 突然、すぐ近くで親父っさんの声が聞こえた! 反射的に目を開くと、ちょうど親父っさんが一台のドローンを殴り飛ばすところだった! 素手で! 自家用車がひしゃげるような音がして、機械音のリズムは乱れに乱れる。ドローンは10メートルも吹っ飛んで――だが、猫のようにしなやかに着地した。
「親父っさん!」「パパ!」「撃ってくるぜ!」
近くにいた二台のドローンから、耳鳴りのような高い音が聞こえた。直後、親父っさんが直前まで立っていた位置で赤い光が交差する。一瞬先にドローンの背後に回り込んでいた親父っさんの蹴りが炸裂! 二台のドローンは弾き飛ばされるが破壊するには至らず、すぐに体勢を立て直し後方に下がった。
「自力で走れるか!」
「無理だ!」
親父っさんの問いかけに即答する俺。立つことはできる。歩くことも無理ではない。だが、足が震えてうまく力が入らない。走れるかもしれないが、それで逃げ延びるのは難しいだろう。多かれ少なかれ咲紅も、翠も似たような状態のはずだ。
すると、ドローンを牽制しつつ親父っさんがこっちに近づいてきた。そして、
「咲紅、少し揺れるがしばらく我慢してくれ」
と、咲紅にだけ笑顔を向けて、俺たち三人を軽々と小脇に抱えた。当然のように咲紅は右手に一人、俺と翠は一絡げだ。そのままの体勢で、親父っさんは疾風の如く走り出した。数秒おきにそばを掠める赤い閃光。カチャカチャという金属音は次第に小さくなる。そうして俺たちは危機的状況を脱し、やがてドアをくぐってエレベーターホールへと運び込まれた。
ドアの配置から察すると、ここは南東のエレベーターだろう。親父っさんは咲紅を丁寧に床に下ろし、俺と翠は無造作に落とした。
見回すとエレベーターのすぐ横で、芽衣子さんとミッチーが壁にもたれかかってぐったりしている。千霞がピンク色のハンカチを手に持って、その二人を介抱していた。
「さて、蒼志よ。説明してもらおうか」
言いながら、親父っさんは金縁のティアドロップ型サングラスを外す。
「……なにをだよ」
「まずは……穴に落ちた、あの娘についてだ」
「そうだ、未来! 早く助けないと!」
俺は跳ね起きて、ドアのほうに向かおうとした。が、親父っさんに首根っこをつかまれ、それはかなわなかった。
「落ち着け! 行っても無駄だ!」
わかってるよ! 未来がぶら下がってないかと思って穴をのぞき込んだけど、どこにもいなかった! けどさあ、そんなに簡単に割り切れないよ! 例え可能性がわずかであっても――いや、可能性が全くなくても、未来を助けないと!
「落ち着け!」
視界が揺れて、頬が熱くなった。親父っさんに叩かれたんだ。そう理解すると、急に気持ちが落ち着いてきた。そして、あの人懐こい笑顔を二度と見ることはないのだと考え――俺は、五年ぶりに涙を流した。
数分後、親父っさんは俺の涙が止まるのを待ってから、さっきの質問を繰り返した。
「あの娘について、知っていることを話してくれ」
「……名前は白築未来。この発電所を作った白築博士の娘だ」
微かに顔をしかめる親父っさん。かまわず俺は未来についての話を続けた。そうすることで、彼女の存在を深く心に刻み付けるように。
そうして俺の話が一段落すると、親父っさんは小さく息を吐いて、
「……そうか、大筋は理解した。白築未来という存在は、管理局に残されていた資料を読んで前から知っていた。とっくに朽ち果てているものと思っていたがな。もう少し早く会えていれば、彼女を失うことはなかったのかもしれない。だが、悔やんでも仕方あるまい。そんな暇があるのなら――行くぞ」
「え!? 行くって……どこに?」
「中央制御室に決まっている。柵を撤去するのだろう?」
あれ? 反対されると思って、柵の撤去については触れないように説明したつもりなんだけど。なんでバレた?
「言っただろう、白築未来のことは管理局にあった資料で読んだと。当然その資料には、過去にあれが柵をなくすために行動していたことも書かれていた。そして蒼志、おまえも柵をなくしたいと考えていたのだろう? その二人が連れ立ってこの場所に来るのに、他の目的があるとは思えん」
「いや、待ってよ。俺が柵をなくしたいって思ったのは未来の話を聞いてからだぞ? もともと柵のことなんか、たいして気にもしてなかったし」
「……だが、おまえのオヤジに何度も聞かされたぞ? 蒼志は、ずっと町の中だけで暮らしていくのは嫌なようだ、と。あいつらはそれを叶えるためもあって第四セクターの扉を開こうとし、撃たれたのだからな。――すまない、このことはおまえが大人になってから話すつもりでいた」
当時の俺が今の話を聞いてたら、なにがなんでも発電所に行こうとしただろうな。んで、柵に突っ込んで感電死。そうか、それで親父っさんは俺に嘘をついたのか。でもまてよ? ということは、オヤジたちが死んだのは俺が言った――。
「勘違いするなよ? おまえの両親――優志と蒼泉が死んだのは、おまえのせいではない。あいつらと俺と佳代は、学生時分から柵はなくすべきだと考えていた。管理局の職に就いたのも、その理由によるところが大きい。おまえに言われなくとも、あいつらは同じように行動したはずだ」
……そうか。まあ、ひとまずそういうことにしておこう。そうしないと、ここから動けなくなりそうだからな。
「無理強いはしない、どうする」
俺はずっと手に持っていたポシェットを、その感触を確かめるように握り直した。
「俺は行くよ」
「あ、あたしも行く!」
「僕も行くぜ!」
いつの間にか立ち直っていた咲紅と翠も声を上げる。
「咲紅、それに……もう一人」
「翠だ! ア・キ・ラ!」
「咲紅、それに翠。いいだろう、おまえたちの命は俺が保証する。ついてこい」
エレベーターの脇ではミッチーと千霞、そして芽衣子さんが笑顔で手を振っていた。たぶん、いってらっしゃいの意味だろうな。見るからにボロボロで、まだ足腰が立たないみたいだ。でも、みんなやけに清々しい顔をしてるのはなんでだ?
それから親父っさんはドアに近づき、レバーハンドルに手をかけた。そして俺たちに背中を向けたままサングラスを掛け、口を開く。
「目標を見失ったドローンは、おそらく初期位置――中央制御室の前まで戻っているだろう。襲ってくるのはそこに近づいてからのはずだ。だが、油断はするな。確証があるわけではないからな」
「ああ!」「うん!」「おう!」
俺たちがサングラスを掛けたのを確かめて、親父っさんはドアを開いた。
階段を上りきり屋上を見渡すと、点々とドローンの残骸が転がっているのが目に映った。聞こえているのは風の音だけ。大穴のほうから照りつける日差しが、高い熱をはらんでいるのが感じられる。
先頭を歩いていく親父っさん。そのあとに三人は固まってついていく。やがて半分くらい歩いたところで親父っさんは、はたと立ち止まった。
「おかしい。ドローンの残骸の数が増えている」
……本当だ。未来が破壊したドローンは四台のはず。だが、いま屋上には八つの残骸が転がっている。これは、どういうことだ?
真っ先に俺の頭に浮かんだのは、未来が生きているという可能性。穴の途中でなにかに引っかかっていて、人工衛星のカメラで状況を見つつドローンを破壊した。俺は、そうであってほしいと切に願った。だが、
「白築未来はあのときに死んでいる。深さ500メートルの穴に落ち、さらに炎に包まれるのを俺は見た。あの様子では灰すら残さずに、この世から消滅しているだろう」
親父っさんのその言葉で願いは潰える。
「あり得るとすれば、白築未来が死ぬ間際になんらかのプログラムを組んだということくらいか。人工衛星のカメラがドローンを認識すると、自動的に攻撃するようにな」
……きっと、親父っさんの言ったことが正しい。自分が死にかけてるときでも俺たちの心配をする。かなりのお人好しだもんな、未来は。
見れば、翠が頭をかきむしっている。咲紅は、また泣き出しそうな顔になっている。たぶん二人とも俺と似たようなことを思ったのだろう。
「気を抜くな。ドローンがこれで全てだとは限らん」
周りに気を配りつつ、中央制御室に近づいていく。やがて階段の真上に着いたが、新手のドローンが現れることはなかった。階段を下りドアの前に立つと、ピッと音が鳴った。そして親父っさんがドアを開き、みんなでその背中を押すようにして中に入ると、
「――あれ!? なんか普通じゃん! 宇宙船のブリッジみたいなの想像してたのに!」
意外と普通だった。どこにでもある一般企業の事務所といった感じだ。六台の白い事務机が向かい合わせに並べられ、そこから少し離れた場所に大きめの机が一台、全体を見渡せるように置かれていた。全ての机の上に一台ずつ液晶モニターが置いてある。普通と違っているのは真っ白い壁に窓が一つもないことくらいだ。
そして、エレベーターホールと同じで、ここにも全く埃が積もっていない。三百年間放置されてたはずなんだけどな。まるで、毎日掃除されていたみたいだ。
俺たちは、しばらく入り口付近に立ち止まり、無言で部屋の中を見回した。それから全員が、なんとなく一番大きい机のほうに移動し、そして机の上に置かれたモニターが見やすい位置に立ち止まった。俺は、椅子を引いてそれに座った。
机の上に置かれていたのは、液晶モニターとキーボード、そして文字が書かれた白いプレートと、コードで繋がれた黒い箱。液晶モニターの電源は入っていない。
白いプレートには、
『柵を撤去するなら左、全てを停止するなら右のスロットにメモリーカードを挿入しろ』
手書きの文字でそう書かれていた。
黒い箱の側面には、メモリーカードが差し込めそうな穴が二つ並んで空いていた。それぞれの穴のそばには白いシールが貼られ、左と右が書き込まれている。未来が間違えないか心配になって、あとから貼ったみたいだな。意外にも博士は過保護だったようだ。
それから俺は未来のポシェットを探り、例のプログラムが入ったメモリーカードを取り出した。いちど大きく深呼吸して、黒い箱の左側のスロットに差し込む。すると――液晶モニターの電源が入った。が、画面は真っ暗のままだ。十秒くらいして、画面の中央に小さなターミナルウィンドウが開いた。いくつもの命令文がその中を流れていき、やがて唐突にそれが止まると、最後の行に、
『処理は正常に終了した。疲れただろう? 家に帰ってゆっくり休め、未来』
そう表示された。そのあと少しして、モニターの電源は勝手に落ちた。
「……もう終わり? 柵はなくなったの?」
咲紅が鼻をすすりながら、誰にともなく問いかける。
「うん、たぶんね。実際にどうなってんのかはわかんないけど、もう柵は柵として機能してないはずだ」
「こんだけかよ、めちゃくちゃ簡単だぜ。未来のやつ、自分じゃなきゃできないような言い方してたけど、これなら僕にだってできるぜ!」
翠はそう言って鼻をすすった。そして、俺も鼻をすすり口を開く。
「んじゃあ、親父っさん。家に帰ろうか」
「……もう、いいのか?」
「ああ、柵がどうなったのかも早く見たいし。帰ろう?」
中央制御室を一歩出ると、町のほうから鉄と鉄がぶつかる派手な音が響いていた。うわっ、結構うるさいな。部屋の防音がしっかりしてたから聞こえてなかったのか。このぶんだと明日は町中が大騒ぎになりそうだな。そんな心配をしつつ、俺たちは家路についた。




