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光輝くぼくらの未来  作者: 阿野真一
夏休み四日目
24/27

夜ⅠA

 外に出ると日はすっかり暮れていた。気温もぐっと下がり、気持ちのよい風が吹き抜けていく。だが、不思議なことに真っ暗闇というほど視界は悪くない。見上げると、糸のように細長い月と小さく瞬く星々、そして発電所の上から溢れ出すように、強い光が漏れているのが見えた。屋上に照明でも設置されているのだろうか?


 暗くなってからの発電所を見るのはこれが初めてのことだ。たぶん夜の発電所がこんなふうに光ってるなんて、管理局の者以外は誰も知らないだろう。


 まあ、なにはともあれ勝負だ! なんたって、夏休みの宿題のうちで最も面倒くさいと言われる、読書感想文がかかってるんだからな。絶対に負けは許されない。


「A班が俺と千霞とミッチー、B班があきらと咲紅と未来でいいな?」


 そうやって、たまたま近くにいたというだけの理由でランダムに班分けをすると、


「ちょっと、なんであたしがこっちで千霞がそっちなのよ」


 どぎつい目をした咲紅が食ってかかってきた。


「ん? いや、たまたま近くにいたからなんだけど……」


 俺はそう答えて、ついでに、


「もしかして咲紅、俺と一緒がよかった?」


 そんな冗談を付け加えた。


「バッ、バカッ! そんなわけないでしょ! いいわよこっちで! どうせすぐに上で合流するんだから、どっちだって同じよ!」


 そして咲紅は北西の入り口に向かってスタスタと歩きだした。おい、フライング! ……だけど、まあいいか。競争相手は主に翠だし。えーと、それじゃあA班は南東か。


「ようし、みんな準備はいいか? んじゃ――」


 スタートだ! そう言おうとしたところで未来が待ったをかける。


「待ってください蒼志君。シャッター、閉まってますよ?」


「あ、そうだ、忘れてた!」


 それから未来は、肩から下げたピンク色のポシェットをまさぐって、中から銀色のカードを取り出した。そして俺のほうに差し出し、


「はいこれ、スペアキーです。さっき見てたから開け方はわかりますよね? それ、とても大事なものなので、あとで必ず返してくださいよ?」


 面倒くさそうに、ヤレヤレといった顔でそう続けた。


 パッと見はステンレスのような光沢があるが、受け取ってみるとプラスチックのように軽い。表にも裏にも何も書かれていない、シンプルなカードだ。


 俺は受け取ったカードをポケットにしまい、みんなの顔を見回した。そして改めて、


「ようし、みんな準備はいいか? んじゃ、スタートだ!」


 同時に俺は、南東の入り口に向かって全力で走り出した!


 ――が、違和感を覚え、わずか三歩で立ち止まった。ゆっくりと後ろを振り返ると……うわあ、妙な汗が噴き出すほどの異様な温度差を感じる。見下すような冷めた、あるいは醒めた目つきの面々。みんなはスタート位置から一歩も動いていない。


 あれ? 俺、浮いてる? でも翠、おまえついさっきまでノリノリだったじゃん! 


「いや、よく考えたら、なんか女の子たちに悪いかなって思ってさ。特に未来なんか体力なさそうだし、きっとついてこれないぜ?」


 うっ、至極まっとうな意見だ!


「わたしは本を読むのが好きだ。だから読書感想文は自分で書きたい」


 表情を変えず、淡々と述べるミッチー。


「すいません、蒼志さん。私はもうすでに書き終えてしまっているので」


 千霞、おまえもか……。


 とまあ、こんな具合にみんなから総すかんを食らい、結局この勝負は無期延期となってしまった。くそっ、翠の裏切り者!


 俺が心の中で翠に毒づいた、そのすぐあとに、


「みーくちゃーん! シャッター! あーけーてー!」


 100メートルの彼方から、咲紅の雄叫びが聞こえてきた。未来はそれにカードキーを持った手を大きく振って応える。ふん、入り口のシャッターが閉まってることくらい先に気づいとけよ。まったく、考えの足りないやつだ。


「じゃあな、またあとで会おうぜ!」


「では後ほど」


 翠と未来はそういい残し、小走りで咲紅のもとへと向かった。


「んじゃ、俺たちも行こうか」


 勝負がなくなったのに二手に分かれるのは、未来にあっちの様子を見てきてほしいと頼まれたからだ。発電所の現状を把握しておきたいんだと。そんなわけで俺と千霞とミッチーは、黒光りする壁伝いに南東の入り口を目指した。俺の左隣に千霞、その後ろをミッチーがついて歩く。


 うん、やはり千霞は俺にベタボレらしいな。さっきはちょっとかっこ悪いところを見せちゃったけど、千霞の俺に対する好感度は高い位置をキープしたままのようだ。俺の左腕を体全体で抱え込み、肩のあたりに頬ずりしちゃったりしている。甘い香りが鼻の奥を、柔らかな触感が心の奥をくすぐっていた。


 虫の声に耳を傾けつつ、足首ほどの雑草を踏んで歩を進める。適度な暗さと適度な静けさで、いい雰囲気なのだが――ミッチー邪魔だな!? あわよくば、肝試しの夜の続きをと思ったのだがな! ミッチーがそこにいると、なにもできないな!


「……蒼志、なにを考えている」


「え? いや、べつに? こっちのエレベーターはちゃんと動くのかなあ、とか?」


「……本当か? なんとなく普段より鼻の下が長い気がしたのでな。またエロいことでも妄想しているのかと思った」


 うそ! そんなに伸びてんの!? と、焦りながらもさり気なく鼻の下を隠すが、


「ふははっ、冗談だ。わたしの位置からおまえの鼻は見えんよ。だがその様子だと、どうやら図星のようだな? この、エロ蒼志め。まあ、度を越さない程度に頑張れよ」


 くそっ! 面倒くさいやつだな、こんちくしょう!


 そうこうするうちに、南東側の入り口が近づいてきた。閉じたシャッターの上には外灯が点り、あたりの様子をぼんやりと浮かび上がらせている。とはいっても、シャッターの他に見えているのは雑草の生えた地面くらいのものだが。


 それから俺はポケットからカードキーを出し、未来と同じようにしてシャッターと、その内側のドアを開いた。そうして中へ足を踏み入れると、そこはさっきのと全く同じ造りのエレベーターホールだった。白い壁と黒い床、入り口と向かい合う位置にエレベーター、天井には所々に照明が埋め込まれている。三人でキョロキョロしながらエレベーターに近づくと、ポンと音がしてドアが開いた。


「動くかなあ? まあ、動かないのは仕方ないとしても、昇ってる途中とかに壊れんのは嫌だな。そうなると、落っこちるか閉じこめられるかの二択だぞ?」


「蒼志さん、怖いこといわないでくださいよう。私、高いところと狭いところは全然ダメなんですから」


 千霞がそう言って体を押し付けてきた。いや、俺じゃない! 千霞のほうからくっついてきたんだ! と、言い訳するような心持ちでミッチーをチラッと見ると――あれ? 笑ってる。なぜか微笑ましいものでも見るように目を細めていた。


 ……まあ、とにかく先へ進もう。いずれ必ずチャンスは訪れるはずだ。


 それから俺たちはエレベーターに乗り込んだ。すぐにドアが閉まる。そして俺たちの不安をよそに、音も立てずに上昇を始めた。


 計ったわけではないので正確ではないが、二秒ほどだったと思う。床に押さえつけられるような感じが少しだけして、そのあと二秒くらいしてからエレベーターは減速し、そしてすぐに止まった。


「ずいぶんと早いな。デパートのエレベーターの一階分くらいだぞ?」


「ええ!? もう着いたんですか? 100メートル?」


 ミッチーと千霞が驚いている。俺は研究所でいろいろと見て、実際にさわっているからな。博士――未来の父親が、このくらいは朝飯前に作れるということをよく知っている。だから、いまさら驚きはしない。


「ふっふーん、すげえだろ。でも俺、未来の家でもっとすげえ物いろいろ見たもんね」


「ほう、なかなか興味をそそられる話だな。蒼志、わたしも未来さんの家に行ってみたいと思うのだが、次の機会にでもそのように取り計らってはもらえないだろうか?」


「わっ、私もっ! 私も行ってみたいです!」


「ええ? どうしよっかなあ? いちおう俺たちの秘密基地みたいなもんだからなあ……まあ仕方ないか。よし、あとで頼んでおいてやるよ!」


「おお、すまんな。恩に着るよ」


「ありがとうございます!」


 そんなふうに話しながらエレベーターを降りる。この部屋も一階とほとんど同じような造りで、違っているのは扉の位置だけ。ここ最上階の出入り口はエレベーターを降りて右側にある。つまり、中央制御室の方向だ。


 俺は扉に近づいてレバーハンドルを握り、力を込めてそれを回そうとした。ガチャガチャと音がする。だが、扉は開かない。


「あっれー? 鍵がかかってるのかなあ? でも、周りにカードリーダーみたいなのはないし……いったいどうやって開ければいいんだろう? 困ったなあ。あ、ミッチー、悪いんだけどさあ、未来のところに行って聞いてきてくんない? これ、どうやって開けんのか」


 そう言って俺がカードキーを差し出すと、ミッチーはそれを受け取り、


「……まあ、いいだろう。しばし待て」


 そう言い置いてエレベーターで降りていった。ふっ、チョロいな。


 それから俺はリュックを下ろし、そばにいる千霞のほうに向き直った。そしてその両肩をがっちりとつかみ、乱れそうになる呼吸を整えて、


「ちっ、千霞っ、続きしようか、こっ、このあいだの。今なら誰もいないし、ここなら誰もこない。なあ、いいだろう?」


 耳元でそうささやいた。


 さっき千霞は腕を絡めてきたり、体を押し付けてきたりしていた。俺はそれを、そういうアピールだと受け取った。だからドアが開かないなんてウソをついて、ミッチーを追っ払ったんだ。結果、こうして場が整ったら、あとは行為に及ぶのみ。もちろんOKだよな!?


 ――ところが、


「や……やめてください。私、そんなつもりじゃ……」


 千霞はそう口にすると、俺から逃げるようにして身をくねらせた。予想外の反応に一瞬だけ躊躇するも、すでに我慢の限界を越えていた俺は引き下がるようなことはしなかった。


「そりゃないだろ!? あれだけあからさまに誘っておいて、いざとなったらこれかよ!」


「私、誘ってなんかいません! 勘違いさせてしまったのなら謝ります。だから――」


「ええい、うるさい!」


 俺は声を荒げ、両腕に力を込めて千霞を扉に押し付けた。驚いたように目を見開き、俺の目を見つめる千霞。逃れようともがいているが、俺の手を振り解くには至らない。


「そ、蒼志さん、怖いです……」


 千霞は震える声でそれだけ言うと、首をうなだれて一切の抵抗をやめた。


 右手であごをつかみ、強引に上を向かせた。眉間にしわを寄せ、潤んだ瞳は斜め下のほうを向いている。俺はゆっくりと顔を近づけて、千霞の小さな口をふさいだ。


 そして、キスをしたままの体勢で、浮き出た鎖骨のあたり――キャミソールの肩紐に手を伸ばす。はじめに左肩……抵抗する素振りはない。どうやら観念した様子だ。それから右肩――に、手を伸ばした瞬間! 千霞のうしろのドアがガチャガチャと音を立てた!


「うわわわっ! なんだなんだ!?」


「なななっ、なんですか!? いいところで!」


「えっ、いいところ?」


「そんなことよりドアっ! 何事ですか、いったい!」


 はっ! そうだ、俺たちの邪魔をするのは、いったいどこのどいつだ!


 ミッチーが向こうのエレベーターを使い、屋上を通って戻ってきたのかとも思ったが、その考えは一瞬のうちに霧散した。気配がまるで違っていたからだ。ドアの向こうでは血に飢えた怪物が目を爛々と光らせている。俺にはそう思えてならなかった。


 俺たちは床にしりもちをつき、何者かがドアを開くのを固唾を呑んで見守っている。やがて硬い音と共にレバーハンドルが回り、ドアがこっちに向かって押し開けられた。軋んだ音を立て、隙間は徐々に広がっていく。そうして、闇の中からその巨躯を現したのは――え!? 親父っさんだった!


「蒼志か。なぜおまえがここにいる。咲紅はどうした」


 親父っさんが重々しい声で俺に問いかける。


 ええ!? なんで親父っさんが発電所にいんの? いやまあ、発電所管理局の局長なんだからいても不思議じゃあないんだけどさ。いや、タイミング良すぎだろ。そんなに頻繁には来ないはずだぞ? 多くて年に一、二回って言ってたし。


「おまえがなぜ、ここにいるのかと聞いている。咲紅をどこへやった」


 頭を屈め窮屈そうにドアをくぐる親父っさん。見るからに重量がありそうなわりに足音はしない。グレーのスーツ姿だが、その所々にいくつか穴が空いている。どこかに引っ掛けでもしたのだろうか? あ、でも穴の周りが焦げているような……。そうして全身が中に入ると、極端に部屋が狭くなったように感じた。


「おおかたの見当はつく。おまえが咲紅を拐かし、どこかに閉じこめているのだろう」


 千霞の様子が気になり見てみると、口を大きく開けたまま、ただ親父っさんを見上げていた。無理もない、なんせ初対面だからな。こんなところに突然こんなのが現れたら、誰だってこうなるはずだ。けど、足は閉じたほうがいいぞ? それじゃあ親父っさんのほうからパンツが丸見えだ。


「ふん、黙秘というわけか。ならば仕方がないな」


 親父っさんが極太の両腕を伸ばし、俺たちにつかみかかってきた!


 やべえ! とっさに俺は千霞の腕をつかみ後ろに飛びすさる。すんでのところで躱せたが、息つく間もなく次の攻撃が俺たちに襲いかかった。だが、俺たちを傷付ける意志が薄いせいか、それほど速度はない。その攻撃も、どうにかやり過ごすことができた。


「かっ、かっ、かあっ!」


 必死に声を絞り出す千霞。が、その意味はさっぱりわからない。


 チラリと後ろに目をやると――エレベーターのドアが開いている! あと少しだ。あと少し後ろに下がれば、そこに逃げ込むことができる!


 俺は千霞の両肩をしっかりとつかみ、逃げるタイミングを計った。


 親父っさんの腕がわずかに上がる。きっと、すぐにさっきと同じ攻撃が来る。それを躱した瞬間にエレベーターに逃げ込めばいい、そう考えた。が――、


 速い! これまでの攻撃とは比較にならないスピードだ! 意表を突かれた俺は、金縛りにあったように動くことができない。思わず目を閉じ、庇うように千霞を抱きしめた。


 ……あれ? なにも起こらないな。捕まって、ひどい目に遭わされると思ったんだけど。


 恐る恐る、ジワジワと目を開くと……ミッチーだ! ミッチーが俺たちと親父っさんの間に立ち塞がっている!


 そうか、ミッチーが戻ってきたからエレベーターが開いたんだ。まてよ? ってことは、しばらくそこから様子を窺ってたな!?


「おい、ミッチー! もうちょっと早く出てこい!」


「出てきてやっただけ有り難いと思え。そのまま降りることもできたんだからな」


 ミッチーは親父っさんの腕を払った姿勢のまま動きを止めている。親父っさんは仁王立ちして、左の肩を無造作に回している。そして、


「ふん、並木の次女か。あまりでしゃばると痛い目を見ることになるぞ」


「でしゃばるつもりなどない。あのまま放っておくと千霞が潰されそうに見えたのでな、やむなく加勢したまでだ。だが光栄だな、伝説の格闘家に顔を覚えてもらえているとは」


 今なんか聞き捨てならないようなことを言ったぞ!? 伝説? 格闘家? 親父っさんが? なんだよそれ、初耳だよ!


「なんにせよ、おまえたちを先に行かせるわけにはいかん。あくまでそうするというのなら、覚悟してもらおう」


「……手合わせ願おうか」


 ミッチーは左手を顔の前に、右手を鳩尾のあたりに置いた空手の構え。対する親父っさんは、両手を少し開き顔の高さに構えている。見るからにボディーがガラ空きなんだけど……どうなのよ、これ。俺は格闘技に関しては、ずぶの素人なのでよくわからない。


「……ムエタイ?」


 なんだって? タイが食べたいの? 千霞がタイのムニエルが食べたいとか言ったが、いまは忙しいのでまたあとで、な?


 しかし、なぜこんなことになってんだ? ミッチーが常に戦いを求めているのは知ってた。でも、なんで親父っさんまで戦闘モードなんだ?


 親父っさんは俺たちの目的を知らないはずだから、それが原因ということはないだろう。でも、無断外泊とか町の外に出たってだけじゃあ、ここまでする理由にはならないよなあ。なにか他にあるのだろうか? 俺たちがこの先に進むのを、力ずくでも阻止しなくてはならない理由が。


「蒼志さん、いったいどうなっちゃうんでしょうね?」


「うん、どうなっちゃうんだろ、俺たち」


 斯くして――戦いは唐突に始まった。


 まず先手を打ったのはミッチーだ。持ち前のスピードを生かして連打に継ぐ連打。拳と蹴りを織り交ぜた猛攻で親父っさんを翻弄する。


 そんな感じに見えるんだけど、実際はどうなんだ? 親父っさん、半分くらいは手で防いでるみたいだけど、けっこう当たってる。でも、ぜんぜん痛そうじゃないし、避けようともしない。やっぱ、筋肉かなあ? 分厚い筋肉のせいで効いてないとか?


「かなり不味い状況ですね。みっちゃんの攻撃は全て紙一重で躱されています。わずかに重心を移動させることで勢いを殺したり、当たる角度を微妙に変え、受け流して空振りさせたり。このままではみっちゃんの体力が心配です。空振りは消耗が激しいですからね」


 ミッチーの攻撃の合間を縫って、親父っさんが攻撃を仕掛ける。ミッチーは軽くステップを踏んで躱した。様子見ていどの軽いジャブだが、それでも俺くらいなら余裕で吹っ飛んじゃうんだろうな。そう言えば親父っさんの攻撃が少ないような気がする。疲れてんのかな? まあ、けっこう年だし、毎日仕事してるから仕方ないか。


「……打たされていますね。加倉井厳一朗はわざと隙をつくって、みっちゃんに打ち込ませているんです。そして自分は手数を減らし、体力を温存する。みっちゃんは伝説の格闘家と戦えるとあって少し舞い上がっているようです。普段ならこんな見え透いた手に引っかかったりはしません」


 ……しばらくはそんな攻防が続いた。


 そして千霞が解説したとおり、先にミッチーが苦しそうな顔を見せ始める。親父っさんの表情は最初から変わらないままだ。そこからは疲労の色どころか、他のどのような感情も読みとれない。次第に親父っさんの攻撃は熾烈さを増し、逆にミッチーは防戦する一方となった。やがて――、


「くっ!」


 親父っさんの拳がミッチーの顔面をとらえた。ミッチーは弾かれるように、俺たちのいるほうへと倒れ込んでくる。千霞と二人で助け起こすと、


「さ、さすがは加倉井厳一朗だ。隙がない」


 ミッチーは肩で息をしながら、呻くようにそう言った。


「大丈夫かミッチー! おい、しばらくじっとして休んでろ。そのあいだ親父っさんは俺が引きつけておくから」


 どうしよう。辛そうにするミッチーを休ませるためそう声をかけたが、親父っさんをしばらく引き付けておく方法なんて全く思いつかない。


「無理だ、蒼志。相手はあの加倉井厳一朗だぞ? 万全の状態のわたしたちが束になってかかったとしても、おそらく傷一つ付けることは――」


「意気地なし!」


 俺たちの声だけ聞こえていた部屋に、はじけるような音が響く。ミッチーの弱気な言葉をさえぎり、千霞が彼女の横っ面をひっぱたいた!? 


「いいの!? こんなに簡単に諦めちゃってもいいの!? 言ってたじゃない、わたしはこの町で一番強くなるんだって! そのために毎日、血の滲むような特訓を重ねてきたんでしょ? 伝説の格闘家――加倉井厳一朗を倒すということは、この町の格闘家すべての頂点に立つということと同義よ。そのチャンスが目の前に転がってるっていうのに、みすみすふいにしちゃってもいいの? あなたはまだ立ち上がれるでしょう? 腕だってちゃんと動くじゃないの! 戦うのよ、みっちゃん! 私たちのために! いいえ、なによりみっちゃん自身のために!」


 えー!? 千霞ってこんなんだっけ?


「ふっ、そうだな。こんなところで休んでる場合じゃなかったな」


 不敵な笑みを浮かべてそう口にし、ミッチーが立ち上がった。だが、蓄積されたダメージのせいか、足元がふらつく。


 その隙を見計らい、親父っさんが蹴りを放ってきた! 


 眼前に迫り来る電柱のような足。いかん! このままでは俺たちも巻き添えだ! だがもう、どうすることもできない! 千霞はしゃがんだまま頭を抱え込む。ミッチーの様子は見る余裕がない。そして俺は目を閉じて、千霞に強く抱きついた。


 ……あれ? なにも起こらないな。間違いなく蹴り飛ばされて、惨たらしいことになると思ったんだけど。


 恐る恐る、ジワジワと目を開くと……芽衣子さんだ! ミッチーのすぐ前に芽衣子さんがいる! 芽衣子さんはその細い腕で、親父っさんの蹴りをきっちり受け止めていた!


「芽衣子さん! ずっとエレベーターの中で俺たちがピンチになるの待ってただろ!」


「う、なんでバレた!?」


「ミッチーが現れたあとエレベーター動いてないんだから、そうとしか考えらんないよ!」


「な、なるほど」


「んで? トラ帯はどうしたんだよ、トラ帯。見たところ巻いてないようだけど。もしかして、負けちゃったの? それとも見つかんなかった? トラ」


「見つけたわよ、そして勝ったわよ! 華麗なる締め技で! けどねえ……けど、できるわけないでしょうが、あんな可愛らしい子の、生皮を剥ぐなんて! 仕方ないから、しばらくじゃれ合ったあとで解放してあげたわよ」


 なるほど、メイド服が破けているのはトラとじゃれ合った跡か。襟元の裂け具合とか、スカートが切れてスリットが入ったようになってるところとか、俺の趣味にピッタリだ。トラ君とは、お友達になれそうな気がする。


 それから芽衣子さんは、滅多に拝ませてくれない真っ白な太ももをチラ見せしながら、


「とにかくここは任された。あんたたち、先に行きなさい」


 そう言って、親父っさんの後ろのドアを指さした。


「いや、無理だよ。親父っさんのそば通れないし」


「んじゃ、あっち」


 そして指先をエレベーターのほうに向ける。まあ、それしかないだろうな。一旦、一階に降りて北西のエレベーターを使う。芽衣子さん一人を残していくのは心苦しいが……この人なら大丈夫だろう。


「ミッチー、千霞、行くぞ!」


「いや、蒼志。わたしもここに残って闘う」


 言うと思った。ミッチー、すげえ楽しそうな顔してるもんな。


「じゃあ千霞、行くぞ!」


「すいません、蒼志さん。私もこの試合を最後まで見届けたいです!」


 ……うん、そんな気はしてた。格闘技、大好きみたいだからな。


 芽衣子さんからカードキーを受け取って、結局は俺一人がエレベーターに乗り込んだ。


「待て蒼志! 屋上には出るなよ! いいか、絶対に屋上には出るんじゃな――」


 ドアが閉まり、親父っさんの言葉はそこで途切れた。


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