午後Ⅱ
いやー、なんにせよ腹減った。朝食を大量に食ったからファミレスまで余裕で持つだろうと考えていたのだが、甘かった。食ったのは塩鮭だけど、甘かった。
暑いから汗かきまくってるし、なによりずっと自転車漕ぎっぱなしだからな。消費するエネルギーもハンパじゃないってことだ。
そんなわけなんで、ちょっと急ごうか。約束の時間までまだ余裕があるが、早めに行って腹ごしらえしたい。そう思い、さっそく林の中に突入しようとすると、
「ちょっと待って蒼志! 準備がまだだから! ……あれ? どこしまったかしら……」
咲紅は翠が背負ったリュックの中をゴソゴソとまさぐっている。なんだよ準備って。
「あった! これよ、これ!」
そうして咲紅が取り出したのは、赤い色の折りたたみ傘だった。なるほどね、虫除けか。きっと上から虫が降ってきても大丈夫なように、雑木林を抜けるまでずっと差してるつもりだろう。いい考えだとは思うけど、でもさあ、
「咲紅、それ木に引っかかって歩きにくいと思うぞ? まあ、べつにいいんだけどさ」
「ふん、一昨日みたいな不幸を確実に避けられるのなら、ちょっとくらい歩きにくいのなんて我慢するわよ」
「おととい? 咲紅ちゃん、咲紅ちゃん。おととい、ここでなにがあったんですか?」
「……聞きたいの? あの、おぞましくも忌まわしい、恐怖の事件を!」
「あ、やっぱりいいです! 怖い話は聞きたくないです!」
それから咲紅は、わざとらしく大きな音を立てて傘を開き、柄を抱え込むように両手でしっかりと握った。
「これでよし。蒼志、あんた一番前。翠君はあたしの後ろね? 二人とも、しっかりとあたしを守るように!」
「「はいはい」」
「……あ、あの……私……」
「ああ、未来ちゃんは一番後ろでいいんじゃない? それじゃあ、出発!」
やけっぱちのようにも聞こえる咲紅の号令で、俺たちは再び迷路のような林へと踏み入った。
幾重にもなる茂った葉が日光をさえぎり、涼やかな空気が四人を包む。多様な木々が壁を作り行く先々を塞いでいるが、道順はだいたい覚えているので迷うこともないだろう。つまり、若干ジメジメしている以外はすこぶる快適ってことだ。
――一名以外はな。
「おいお嬢、痛えよ! 傘たためよ!」
さっきから翠は咲紅が振り回す傘や、それにはじかれた木の枝を全身に浴び続けている。傘を畳むよう何度も咲紅に呼びかけているが、その声は傘の立てる音にかき消され咲紅の耳には届いていないみたいだ。
「ええー!? なに!? 翠君、なにか言った!?」
けど……本当は聞こえてるんだろうな。咲紅はチラチラ後ろを気にしながら、意地の悪そうな笑みを浮かべている。まあ、そういうやつだよ、咲紅は。
それからしばらく、翠は黙ってその状況を耐え忍んでいた。が、唐突に、
「お嬢、見てみろよ! あそこ、あの木の枝、ナナフシだぜ!」
と、咲紅の横にある低い木を指さして、大きな声を張り上げた。
咲紅に対してのささやかな復讐のつもりだったのだろう。きっと彼女は悲鳴を上げて恐怖するに違いない。翠はそう期待していたはずだ。だが、
「はぁ? ……えいっ!」
武器を装備した女はめっぽう強い。咲紅は怨敵がいるであろう場所を目掛け、ためらわず傘を突き出し攻撃を仕掛けた。
「あっ、お嬢なにやってんだよ! ナナフシだって懸命に生きてるんだぜ!? 一寸の虫にも五分の魂って言葉があるだろ!」――バサッ――「それなのに傘で攻撃とか……んっ、がっ、んっ、んっ……オエッ、ペッ、ペッ! なんか変な物が口に入った! しかも噛んじゃったぜ! うげっ、苦っ! ペッ、ペッ!」
「うわっ! 翠君、私のほうにつばを飛ばさないでくださいよ! いやっ、汚い!」
「げえっ! 翠おまえ、ナナフシ食ったの!? いくら腹が減ったからって、なんでもかんでも口ん中に入れんなよな!」
「ごめん翠君、なるべく口を開かないでもらえる? なんか青臭い……」
「うるせえよ! だいたい、お嬢がこんなとこで傘なんかさしてっから――」
「あ! おい、もうすぐ林を抜けるぞ! ほら、寺の塀が見えてる!」
先にある木々の合間から、寺の白い塀が見えてきた。環七を走る車の騒音も、かすかに聞こえている。まもなくして俺たちは、大きな杉の木の間を通り林を抜け出した。
「時間は……ちょうどいい頃合いだな。どっちでもいいんだけど、ファミレス近いから歩いて行こうか。自転車はここに置いたままにして」
「そうね、そうしましょうか。ま、あたしもべつにどっちでもいいけど」
「どっちでもいいけど、早くうがいしたいぜ。ペッ、ペッ!」
「どっちでもいいですけど、私につばをかけないでくださいよ!」
おととい町を出発してから、ちょうど丸二日くらいか。空気というか、匂いというか……なんか懐かしい雰囲気があたりを漂っている。
「なあ、なんか懐かしい感じがするな」
みんなにそう声をかけると、
「そうねえ、帰ってきたって感じがするわね」
「空気がマズいような気がするぜ」
「でも、みなさんが町を出発してから、まだ二日くらいしか経っていませんよ? 懐かしいとまで言うのは大袈裟すぎるような気がします」
「ああ、多分それだけこの二日間が充実してたってことだろう。つまり、町での生活を忘れそうになるくらい、俺たちは楽しんでたってことだよ」
俺がそう答えると、未来は顔を赤くして嬉しそうに笑い、でも、すぐにその気持ちを隠すように表情を引き締めて、
「えへへ、そうですか。楽しんでいただけたのですか、そうですか。えへへ……」
そしてまた頬をゆるめた。
「おい、未来。なんか顔がにやけてるぜ?」
「え? いや、全然そんなことないですよ」
「未来ちゃん、なにか嬉しいことでもあったの?」
「いーえいえ、ぜーんぜん。全然なにもないですよ?」
そのまま塀と林の間を進んでいくと、すぐに俺たちの自転車が見えてきた。どうやら誰にも見つからなかったようだな。面倒なことにならずにすんだと、三人で胸をなで下ろした。
そして自転車の脇を素通りして、久しぶりにアスファルトの道路に立つ。
「なんじゃこりゃ! バカみたいにあっちーぜ!」
「ほんっと、翠君のように暑苦しいわね」
「まったくだ。翠っぽいな」
「むしろ翠君そのものです」
「おい、特に最後のほう! 意味がわかんねーぜ!」
ベタつくアスファルトからは噎せるような熱気が立ち上り、頭上からは衰えを知らぬ太陽が照りつける。なんか柵の外にいたときより気温が高い気がするな。ひょっとして、これがヒートアイランド現象と呼ばれるものなのだろうか? まさか実際に自分が体感することになろうとは、思ってもみなかったよ。
それから俺たちは、背の高い寺の塀と閑散とした駐車場に挟まれた道路を環七に向けて歩き出した。みんなぐったりとうなだれて口数は少ない。自動車の騒音がだんだん大きくなるにつれ、遠くにあったサイケデリックな鳥の看板が近づいてくる。そうして歩を進め、やがて俺たちは環七を横切る横断歩道の前に立ち止まった。
「はあー、やっとついたあ。ねえ、入ったらとりあえずドリンクバー頼もうよ?」
咲紅がホッとしたような声を漏らし、信号の押しボタンを押す。と、
「ああっ! あー……」
その様子を残念そうに指をくわえて見守る未来。
たぶん、自分で押してみたかったんだろうな。未来が生きていた頃はずっと入院してたようだし、死んでからはずっとあの家に閉じこもっていたみたいだ。ってことは、俺たちが普段から何気なくしていることも、未来にとっては初めてのワクワクする出来事なのだろう。
だから、なるべく未来にはいろんなことを経験させてやりたい。俺はそう思った。
「あれ? ミッチーたちもう来てるぜ?」
翠の声に促され、環七を挟んですぐ目の前にあるファミレスの建物に目を向けた。ぶっとい支柱のてっぺんで、クルクル回る極彩色の鳥の看板。一階部分は全て駐車場で、その上に数本の柱に支えられた店舗が浮いたように乗っかっている。まあ、ファミレスにはありがちな造りの建物だ。
その客席部分の最も俺たちに近い席に、ミッチーと千霞が座っているのが見えた。窓際で俺たちを見下ろすミッチー、その向こうで千霞は手を振っている。こっちでも翠と咲紅が手を振り返している。
……のんきなもんだな、咲紅。おまえ気づいてないのか? ミッチーの向かいの席に座って腕組みしている人物の存在に。
「蒼志君、信号が青になりましたよ? 渡りましょう?」
……まあ、仕方ないか。いずれは必ず顔を合わすことになるんだからな。覚悟を決めて素直に怒られるとするか。
「未来ちゃん、あの奥の方にいるヘチャムクレとは、絶対に喋っちゃ駄目だからね?」
「ええっ!? いえ、そんなわけには……」
「カレー食いたいぜ、カレー。いやまてよ? ……やっぱカツカレー大盛だぜ!」
ハァ……ほんっと、おまえらのんきだよなあ。
そうして信号を渡りきり、ファミレスの入り口へと続く階段に足をかける。
「蒼志君、どうかしたんですか? 顔色がすぐれないようですけど」
「うん? ああいや、べつにどうもしないよ? ただまあ、仕方ないことっていうか、いずれは必ず通る道っていうか、人っていうか……」
未来は気にしなくてもいいんだよ。怒られる理由なんて、これっぽっちもないんだから。
「あたしケーキ食べたいな。でもパフェとかアイスクリームも捨てがたいわねえ。どうしようかしら? んー、全部頼んじゃおうかな? ねえ、蒼志! 残ったら食べてくれる?」
だが、怒られる理由が満載の咲紅はこんな調子だ。おまえ、そんなことより親父っさんになんて言い訳するか考えてんのかよ? ……まあいいよ。ここで俺たちを待ちかまえている人物と顔を合わせて、おまえがしょんぼりする姿を見るのが楽しみだ。
「ああ、食ってやるから好きに頼むがいいさ。頼めるものならな」
「ほんとに!? よし、じゃあ未来ちゃん、デザート全種類頼んじゃおうか?」
「そうですねえ、それはとてもいい考えです!」
……ふん。
とまあ、俺たちはそんなふうにして階段を上っていった。そして、カランコロンと音がするガラス戸を開け店内に入ると、あの人と似たような制服を着た店員が俺たちを出迎えた。
「ようこそ! いらっしゃいませ!」
形は似ている。が、色は淡い緑色だ。その制服を着た女の子は、接客業が天職だと言わんばかりの笑顔を俺たちに向けている。かなり重たそうな胸が目の毒だと思った。
「四名様ですね! お席にご案内します! こちらへどうぞ!」
「いや、連れが先にきてるんだ。ほら、あそこに」
そう言って、空席が目立つホールの窓際の席を指さした。
「あ、じゃあ、どうぞ!」
鼻の下を伸ばし名残惜しそうにする翠を引きずって、ミッチーたちの席に近づいていく。
「あの蒼志君、待ち合わせのお相手は二人だって言ってましたよね? なんか、三人いるように見えるんですけど」
「うん、ああ、まあな」
ここにきてようやく気づいたようだ。未来が言ったことが耳に届いたのだろう。突然、咲紅がさりげなさを装い、その場でクルリと回れ右をした。その顔は無表情。だが、明らかに強張っている。そして、いま通ったばかりの入り口に向かい、足音を殺して歩きだした。
そんな咲紅の肩を、俺はがっちりとつかんで声をかける。
「咲紅、観念しろ」
「うう……」
右手に翠、左手に咲紅を引きずって件の席に近づいていく。三人掛けの長いシートが、テーブルを挟んで向かい合っているボックス席。窓際に、緑のアロハとベージュのハーフパンツのミッチー、その隣に薄紫のキャミソールとデニムのミニスカの千霞。そしてミッチーの対面には、白黒のメイド服をきっちり着こなした芽衣子さんがふんぞり返っていた。
「うおーーーっ! 芽衣子さんじゃないですか、こんなところで奇遇ッスね! おひさしぶりッス! お会いできてとても嬉しいッス!」
急に翠のテンションが高くなったのは、ずっと芽衣子さんのことが好きだったとか、格闘家としての芽衣子さんに憧れていたとかの理由からではない。単なる習性――あるいは本能だ。こいつは適齢期の女性の前にでると、かなり高い確率でこんな反応を示す。
ちくしょう、翠め。俺が必死にこの場を言い逃れる方法を考えてるっていうのに「僕は関係ないぜ?」って面しやがって。
まあでも、芽衣子さんならたぶん――、
「ねえ、翠くぅん? きみ、なんで自分だけ無関係ですって顔してんの? 二人を止めなかった時点でえ、当然、同罪でしょう、があっ!」
ほら、ね?
「いでででででっ! すいません芽衣子さん! でっ、できればアイアンクローではなくっ、ヘッ、ヘッドロックのほうでお願いしま、いでででででっ!」
「反省の色が薄いっ!」
「ぐあっ! いでででででっ!」
そうして、ひとしきり翠がのたうちまわったあと、芽衣子さんはクルッとこっちを見て、
「永穂、咲紅ちゃん。わかってるわよねえ?」
うっ、視線が痛い。芽衣子さんは、文字どおり刺すような目で俺たちを睨んでいる。
「……わかってるよ。悪かったよ」
「……わかってます……すいませんでした……」
無断外泊。柵の外に出たこと。どう考えても俺たちが悪い。それに、逆らっても説教が長引くだけ――いや、それだけでなく痛い目を見ることにもなりそうなので、ここは素直に謝っておくのが正解だろう。神妙な面もちの俺たちの顔を、無言でジッと見つめる芽衣子さん。やがて表情を少しゆるめてため息をつき、
「わかってんなら、あたしから言うことは特にないよ。ま、あんたたち、そういう年頃だもんね。でも親父っさんにはちゃんと謝っときなよ? かなり心配してたみたいだから」
ふう、どうやら正解だったようだ。下手に言い逃れなんてしようとしてたら、そこにうずくまって呻いていたのは俺だったかもしれない。と、足元にうずくまり、こめかみを押さえて呻いている翠を見ながら思った。
説教らしい説教もなく、ひと安心した俺たちも席に着く。ミッチーと千霞のとなりに咲紅、芽衣子さんのとなりに俺と翠。そして、いわゆるお誕生席に未来が座った。
パッと見はソファーに見えるが、それほど座り心地はよくないファミレスらしいシートだ。ガタがきているテーブルの足下には、木切れを噛ませてぐらつかないようにしている。
「ところでさあ、なんで芽衣子さんがここにいるんだよ。俺たちがここに集まるって、なんで知ってたんだ?」
「ん? そんなの聞いたからに決まってんでしょ」
「だから誰にだよ。千霞? ミッチー?」
「サクラよ」
サクラ? えっと、誰だっけ? サクラ、サクラ、サクラ……ああ、サクラさんか!
「って、なんで芽衣子さんとサクラさんが知り合いなんだよ!」
「中学のときの同級生よ。それからの腐れ縁ってやつね。あ、ちゃんと聞いてるわよ? 去年の肝試しのとき、あんたが怖がってる振りしてサクラに何回も抱きつこうとしたこととか。まあ、永穂も一応は男の子だからねえ。仕方ないっちゃあ仕方ないんだろうけどさあ、初対面の女の子にいきなり下心丸出しで接するのはどうかと思うな」
うっ! 狭い町だからな。別口での知り合い同士が偶然にも知り合いだった、なんてこともあって然るべきか。
でも、ということは千霞かミッチーがサクラさんに話したってことだよな? ああ、ちゃんと口止めしとけばよかったな。しばらくはネチネチと言われそうだ。
そんなふうに思いつつ千霞のほうに目を向けると、
「わっ、私たちは言うつもりなんてなかったんですよ!? でも、みっちゃんの部屋でサクラちゃんにも秘密にしとこうねって話してたら、突然ベランダ側の窓が開いてサクラちゃんが入ってきて『ふん、この私に隠し事など億千万年早いわ!』って!」
はぁ? つまり盗み聞きか? でもミッチーの部屋は夜中でも特訓できるように、きっちり防音処理してあるって聞いたけど。まさか、盗聴器でも仕掛けてんのかな? 妹の部屋に盗聴器とか……サクラさんも、ただの美人さんじゃあないということか。
でもまあ作戦の内容まではバレていないみたいだからな。もしそこまで聞いているなら俺たちと顔を合わせた瞬間に、まずそのことに言及しているはずだ。なにしろこの作戦が成功すれば、おそらく芽衣子さんを含んだ大勢の人たちの未来に多大な影響を及ぼすことになるのだから。
ともかく作戦の邪魔になりそうな芽衣子さんには、早いところ退散してもらいたい。なのでサッサとお引き取りいただけるよう、少しだけあからさまに促してみた。
「……んで? 俺たちを叱りに来たんじゃないなら、芽衣子さんはなんでここにいるんだ? なんか用事?」
「んん? なによその態度、ずいぶんつれないじゃないの。まるで私がここにいちゃあダメなような言いかたね? ……あやしい。あんたたち、なんか隠してる?」
げっ、墓穴掘った! あからさま過ぎたか!
「心配してた弟分、妹分がやっと帰ってきたって聞いたから、無事を確かめるため仕事を放り出してすっ飛んできたっていうのに……お姉さん! 悲しい! わっ!」
俺が後悔した一瞬あと。流れるように自然な動作で芽衣子さんに肩をつかまれたかと思うと、なにをどうやってどこがどうなったのかはわからないが、いつのまにか俺はテーブルの上にうつ伏せにされ、そこでガッチリとサソリ固めを決められていた。
「いでっ! いでででででっ! ギブ! 芽衣子さん、ギブ! ファミレスのテーブルの上でサソリ固めとか、恥ずかしくないのかよ! 注目、すっげえ注目されてる! そんなんだからいつまでたっても彼氏の一人も「ふん!」いでっ! いでででででっ! すいませんっ! すいませんでしたっ!」
即座にテーブルを叩き何度もギブアップしたのだが、芽衣子さんが技を解いてくれたのは、しばらく俺が苦しんだあとでのことだった。
「で、なに? なにを企んでんのよ、あんたたち。まあ、だいたい想像はつくけどね。どこかにおいしいもの食べに行くんでしょ? いーなあ。ねえ、あたしもまぜてよ。おいしいもの食べに連れてってよお」
くっ! まだだ、まだごまかせる。どこか適当な店の名前をでっち上げて、そこで待ち合わせることにする。で、すっぽかせばいいんだ。ようし、みんな余計なことを言うなよ?
ところが。痛む腰を押さえつつ、その考えが伝わるようみんなの顔を見回していると、
「それが……メールには、これから発電所に行って柵を壊すんだとか……」
おい、ミッチー! なんでおまえには俺の気持ちが伝わらないんだ! ちょっと考えればわかるだろ! 俺たちがそんなことを計画してるってことが耳に入ったら、芽衣子さんがどんな反応を示すかぐらい!
「はぁ? 発電所? んで柵を、壊す? ……へえ」
ほら、まず突拍子のない話だから考えが追いつかず、呆気にとられるだろ。
「なるほど、発電所で、柵をねぇ……そっか、発電所で、柵かぁ……」
それからしばらく、どういうことか考えるだろ。
「ははっ、いいんじゃない? できるかどうかはともかく、頑張ってみれば?」
そして猛烈な勢いで反対される……って、あれ? なんか予想したのと違うな。
「……芽衣子さん、反対しないの?」
不思議に思い、恐る恐るそう聞いてみると、
「反対? しないわよ? だって、子供の遊びにいちいち大人が水差してちゃ興ざめでしょ。それともなに、反対してほしかったの? 止めようとする友人を振り切って危険に飛び込んでいくとか、そういう設定?」
ああ、どうやら芽衣子さんは勘違いしているようだ。俺、毎年夏休みに入ると、実現不可能な突拍子のないことをなにかしら言ってるもんな。幻の川の主をつり上げるとか、悪の組織の秘密工場を見つけるとか。まあこの際ちょうどいいから、ずっと勘違いしたままでいてもらうことにしよう。
「でもさあ、遊びとはいえ町を守ってる柵を壊すなんて不謹慎だ、とか思わない?」
「ん? んんんんん? ああ、そっか。あんたたち子供目線だと、大人はみんな柵のことを滅茶苦茶ありがたがっていて、絶対必要なものだと思ってるように見えんのよね。あのね、みんな表向きはそんな顔してるけど、実際は違うからね? そうねえ、あたしの周りでは三対七で柵不要派が有利ってとこかしら」
え、なにそれ、マジで?
「だって邪魔でしょ? そりゃあ、ずっと昔みたくライオンやらトラやら、わんさかいるんならあった方がいいけどさ。二、三匹ならあたしがやっつけてやるわよ、喜んで。それにね? 柵も、発電所や工場も所詮は人間が作った機械なわけでしょ? てことは、いつかは壊れちゃうわけでしょ。だからいつそうなっても困らないように、人間は柵や発電所に頼らず生きていけるようにならないとって、あたしは思うのよ。違う?」
いやまあ、確かに俺もそう思うけど。
「学校でもそんなふうに教えてんだから、あんたたちがそう思うの無理ないけどさ。学校も学校よね。いい加減に教科書作り直せってーの。あたしが最初にそれ聞いたの、ばあちゃんからだからね? ばあちゃんもばあちゃんに聞かされたって言ってたから、柵がなくなった方がいいって人は昔からかなりの数いたはずよ?」
「なんだよそれ、おかしいじゃん。だったら――柵はいらないって人がそんなにいるんなら、なんで今こんな感じなんだよ。ネットとか、テレビとかでもそんなこと全然言ってないじゃんか。なんでみんなそれを問題にしないんだよ」
「それはさあ、やっぱ世間体とか、そういうのが邪魔して言いにくいんじゃない? 少なからずそれらのお世話になってんのは事実なわけだし、過去にトラの犠牲になった人がいるのも事実なわけだし。だからね、なーんとなく大声では言っちゃいけないことのような気がするのよ。ねえ、わかる?」
「……まあ、なーんとなくは、ね」
なーんとなくはわかるが納得はできないな。けっこう重要な問題だぞ、これ。このまま放置しておけば、いずれそのツケは町の人全員の身の上に降りかかってくるだろう。
けど、そんなふうに考えてる人が何人もいるんなら、あとで柵を壊したことがバレても言い訳するのが楽そうだな。しめしめ。
「まあ、とにかくそういうわけなんで、子供たちだけで発電所に遊びに行くから。大人はついてくるなよな、興ざめするから」
「そんなこと、言われなくてもわかってるわよ。ところで、ずっと気になってたんだけど、その、お誕生席に座ってる病弱そうなかわいこちゃんは、どこの誰ちゃん? あたしとは初めましてよねーえ?」
「はっ、はいっ! わわわっ! 私の名前は白築未来でつ! いまのお話にあった――」
あ、いかん! 未来が余計なことを言いそうな気がする!
「あー! あーーー! こいつは白築未来、隣のクラスなんだ。きのう荒川で知り合って、それから一緒に行動してる。なっ!」
「え!? いえ、その――」
「あー! 人見知りであんましゃべんないけど、なかなか結構いいやつだよ、なっ!」
「あうう……以後、お見知りおきを……」
「へー、未来ちゃんか。あたしは梶芽衣子。こいつらバカなことばっか言ってるけど、みんな根はいいやつだから。仲良くしてあげてね?」
「はひ、それはもう……ゴニョゴニョ……」
そのあと俺たちは、積もる話の無難なところだけを簡潔に話し合い、そして日替わりランチ――本日は目玉焼きハンバーグセット――を平らげてからファミレスをあとにした。
「芽衣子さん、ごちそうさまっした!」
「「「「「ごちそうさま」でした」」!」」
翠の号令に続いて一応の礼を言う俺たち。すると、ちょっと照れたような顔で軽く手首をぷらぷらさせながら、
「ああ、いいってことよ。給料もらったばっかだし」
お、なんか気になること言ったな。ちょっと聞いてみよう。
「へえー、給料ってメイドの? んじゃ親父っさんから? ふうん。なあ、芽衣子さんって毎月どれくらい貰ってんの?」
「気になる? あたしの給料がいったいいくらなのか。ふふふふふ、それはねえ……それは、ヒ・ミ・ツ・よ」
なんじゃそりゃ。べつに教えてくれたっていいじゃんか。……ははーん、これはあれだな? このさき給料日の度に俺たちにたかられることを恐れてるんだ。ってことは、結構な金額を貰ってんのかな? こんど親父っさんにそれとなく聞いてみよう。
とまあ、それはさておき、
「ところでさあ、芽衣子さんもこっちなの?」
ファミレスを出てすぐに目の前の横断歩道を渡り、今はお寺を囲む高い塀に沿って歩いている。芽衣子さんはたぶん車で来ているはずだから、ファミレスの駐車場で別れることになると思ったんだけど。
「え? ああ、うん! そうそう実はこっちだったの。こっちの駐車場に止めたんだったのよ、あたしのミニ。……ウソじゃないわ、本当よ?」
……へー、そうなんだ。
それから見覚えのある車が一台も見あたらない駐車場の前を通り過ぎ、もうすぐお寺の塀と雑木林の間へ入ろうかというところ。
未来はミッチーと千霞とも、だいぶ打ち解けたみたいだな。今は二人の間に挟まれて、にこやかに会話している。咲紅は面白くなさそうな様子でそのあとに続き、翠はみんなの様子を気にしながら一番前を歩いている。
そして俺と芽衣子さんは一番後ろを、みんなから少し距離を置いて並んで歩いていた。
「へえー、こんなとこ入って行くんだあ。こんなとこ、普通の人はあんまり近寄らないわよねえ。へえー、なるほどねえ」
「あの、芽衣子さん? 駐車場はあっちですよ?」
そう言って、俺が駐車場のほうを指さすと、
「ん? ああそうね、そうよね。でも、えーっとー……そう! 見送りよ、お見送り! あんたたち、なんだかちょっと淋しそうに見えたから、お見送りしてあげるわ。……ね?」
俺は全然さびしくないから、そんなの全く必要ないんだけど……あまり邪険にして機嫌を損ねると、またなにか必殺技が飛び出しそうだからな。もうしばらくは様子を見るか。
なにはともあれ、発電所まではあと少し。正直言っていまいち実感がわかない。本当に俺たちにあの柵を壊すなんてことができるのだろうか? そして、未来は父親との約束を果たすことができるのだろうか? あと、俺の両親のこともなにかわかるかもしれないんだったな。
うーむ、このさき予想もつかないような出来事が、いろいろと起こりそうな気がする。オラ、じゃなくて俺、ワクワクすっぞ!




