早朝
意識が……だんだんハッキリしてきた。えっと、なんだっけ? あ、そうだ、朝だ。起きないといけないんだ。ゆっくりと目蓋を開くと、目の前に翠の寝顔があった。
それから、ぼうっとした頭で昨日あったことを思い起こす。朝……昨日は野宿したんだったな。あれからたった二四時間しか経っていないはずなのに、もう何日も前のことのような気がする。寝坊してかなり日が高く昇ってから起きたんだっけ。それからみんなで屈伸して森に入った。何時間も歩いた。そして川にはワニがいた。なにかの骨もあった。あれはやっぱり人間の頭蓋骨だったと思う。それから山に登って魔女さんの家――ではなくて、この研究所にたどり着いた。ファンタジーの可能性も覚悟していたのだが、SFで良かったと思う。比較的、常識が通用しそうだから。
寝返りをうって体の向きを変えると、目の前に未来の寝顔が現れた。大きな枕に顔を押しつけて気持ちよさそうに寝息を立てている。この子が人間じゃないなんて未だに信じられないな。まあ、脳以外は人間と同じらしいから、外観から判断するのは難しいのかもしれないけど。けど、表情や行動なんかも完全に人間のそれなんだよな。泣いたり、笑ったり、得意げになったり、あとあわてた様子なんかも。
俺がその寝顔をじっと見ていると、ふと目蓋が動いたような気がした。じっと見続けていると、目がゆっくりと半分だけ開いて止まった。すぐにまた、ゆっくりと閉じる。未来はそんな動きを何度か繰り返し、
「……ううっ、そ、蒼志君。女の子の寝顔をじっと見つめるなんて……あまり宜しくない趣味をお持ちのようですね……」
と、よだれの跡がついた口元を動かした。その声を聞いて、俺は昨日あった全てのことが夢ではなかったのだと感じることができた。
「おはよ、未来。いま何時だ?」
俺がそう聞きながらムクリと起き上がると、
「……おあようございます……今、午前三時十七分です……お願い、少しだけ、待ってください……いま、血圧が……」
未来は体をピクリともさせずそう答える。体調が良くないのか? よくわからないがすごく辛そうだ。言われたとおりに待っていると、未来は突然「ハッ!」と気合いを入れて起き上が……ろうとするが起き上がれない。五度目の「ハッ!」で、やっと上半身を起こすことに成功した。それから、
「……申し訳ありません。低血圧なもので……朝はいつも、こんな感じなんですよ」
気怠げにそう言って深くため息をついた。そして両手をついて「よっこらしょ!」のかけ声とともにフラフラと立ち上がり、
「さてと。私はタオルや着替えなどを用意するので、蒼志君はみなさんを起こしてあげてください。朝食は……帰ってきてからにしましょうね?」
そう言い置いて、階段をペタペタと上っていった。やっぱり人間としか思えんな。
未来を見送ったあと、未だ夢の中にいる二人の肩を強く揺さぶって起こす。
「おい、咲紅、翠。朝――と言うには少し早いが時間だ。起きろ」
すると二人は目をこすりながらノロノロと起き上がり、それぞれ携帯電話の画面をじっと見つめてから極めて不機嫌そうに口を開いた。
「……なに、朝? 朝なの? 嘘でしょ?」
「……早すぎだろ。なんだよこの時間……狂っていやがるぜ」
「なに言ってんだよ、おまえら。きのう未来と約束しただろ、裏山に登るって。もう忘れちゃったのかよ」
咲紅は胃のあたりをさすりながら苦い顔をしている。きっと昨日の夜、いろんなものを食べ過ぎて胃が気持ち悪いのだろう。
「咲紅、食い過ぎだ。いくら太りにくい体質でも、あんまり度を越すと太るぞ?」
「……大丈夫、全く問題ないわ。いくら食べてもあたしの体重は、林檎三個分より重たくはならないから」
そして「シャワー行ってくる」と言い残して部屋を出ていった。なんのこっちゃ。
ふと翠のほうを見ると、二度寝していた。まあそんな気はしてたよ。仕方がないので以前、芽衣子さんに教わった腕ひしぎ逆十字で起こしてやった。
しばらくして、未来と咲紅がさっぱりした顔で部屋に戻ってきた。着替えも終えて、すでに出発の準備は万端のようだ。それから俺と翠も顔を洗いに洗面所へいった。そして自分の服に着替えてから部屋に戻ると、
「――ってお店のクレープがすっごくおいしいのよ。今度一緒に行こ?」
「わあ、いいですねえ。是非連れて行ってください!」
食い物の話で盛り上がっていた。胃の調子が悪かったんじゃないのか? まあともあれ、
「準備できてるのなら、さっそく行こうか。頂上まで四十分、日の出の時間が四時四十三分だから、今から出発すればその少し前に着けるはずだ」
俺は昨夜みんなが寝たあと、こっそりネットで調べておいた情報を披露した。頂上まで四十分というのは未来から聞いた話だ。
「それじゃあ行きましょうか。未来ちゃん、案内よろしく!」
「はい。では出発!」
そうして笑顔で歩き始めた未来について行く。このまままっすぐ玄関へ向かうのかと思っていると、鉄の扉を開けて廊下に出たところで、
「あ、ちょっと待っていてください。持って行くものがあるので」
そう言ってリビングに入っていった。そして、本当にちょっとで出てきた。両手で大きな花束を抱えている。肩に斜めにかけた黒いミニショルダーも今とってきたものだろう。
「花束? 未来、なんでそんなもん持って行くんだ?」
翠が不思議そうな顔をしてそう聞いた。俺はなんとなく察しがついている。咲紅もわかったみたいだな、そんなふうな顔で未来に微笑みかけている。
「えへへ、行けばわかりますよ」
未来は翠にそう答えて玄関へと向かった。
それから靴をはきかえて玄関の扉を開くと――外は、完全に夜だった。東の空はそろそろ白み始めているはずだが、ここは山の西側なのでまだその気配は感じられない。月明かりと星明かり、それに研究所の窓の明かりだけでは、この森の闇を照らすには力不足のようだ。
「未来、懐中電灯ある?」
それが無ければ歩けない、というほどではないが、安全を第一に考えるべきだろう。夏休みを過ごす上で最も重要な決まり事だ。この決まりさえ守っていれば、たとえ宿題を一つもやらなかったとしても全く負い目を感じる必要はない――と、俺は思う。
「あ、すいません、気がつかなくて。みなさん夜はあまり見えないんでしたね。では、このくらいでどうでしょうか?」
――は!? あたりが急に明るくなった! 俺たちの周囲十メートルくらいだけ、歩くのに困らないくらい明るくなった! 咲紅と翠も驚いてあたりを見回している。二人は光源がどこにあるのかを探しているようだ。前後左右に首を回しているが……そんな探しかたじゃあ永久に見つけられないだろう。
「咲紅、翠、たぶんあれだ」
そして俺は上を指さした。二人ともハッとした顔で夜空を見上げる。星々に紛れてどれかはわからないが、あのなかの一つが未来の人工衛星なのだろう。そう思って上を向いていると、周囲を照らす明かりが点滅を始めた。頭上にある星のうちの一つも、それと全く同じタイミングでまたたく。
「あれが私の星です」
はぁー、なるほど。わかりやすい。
「未来ちゃん……すごーい! ねえ、考えるだけでなんでもできちゃうの?」
「なんでもというか……全ての操作は考えるだけで行えます。というか、それ以外に方法がないというか……なんというか……」
「じゃあさ、もっと明るくしようぜ? んで、もっと広く照らすんだ!」
翠のリクエストに微笑み返す未来。花束を咲紅に渡し、目を閉じて両手をゆっくりとあげていく。すると光は未来の動きにあわせて見る見る強さを増し、山肌をなめるように一気にその範囲を広げていった。そして、未来の両手がまっすぐ上を向くころには、視界にある全てがまぶしく照らされ、俺の目には一足早く朝が訪れたかのように写っていた。
「うはぁ……こいつぁ、すごいぜ!」
翠が間抜けな声を出し、咲紅は絶句する。俺もなんと言っていいかわからない。無理に言葉にすれば、圧巻の一言に尽きる。それからしばらく周りの景色を見渡したあと、さしあたって気になることをなんとなく聞いてみた。
「なあ、そのポーズはなんなんだ? ジェスチャーでコマンドを実行したりすんの?」
すると、
「こ、これは! ……ただの演出です……」
朝焼けのように顔を染めて答える未来。恥ずかしいならやらなきゃいいじゃん。
「戻しますね! 普通にっ!」
そう言って両手をサッと下ろすと、徐々に光は弱まっていきその範囲も小さくなった。咲紅と翠が残念そうに「「あー」」と声を上げる。
「それではそろそろ出発しましょう! ねっ?」
未来はお茶を濁すように口走り、そそくさと庭のほうへ歩きだした。そして、よく手入れされた庭を通り抜け研究所の裏手に回りこんでいく。
「なあ、庭とか玄関までの道の手入れにもレーザー使ってんの? 土の道って、ほったらかしにすると草がボウボウになるだろ?」
「はい。時々焼いておくだけで、あとは雨が灰を洗い流してくれるので楽ちんです」
人工衛星、本当に便利だな。うちの庭も未来に頼んで……と思ったが、芝生だから無理か。全部灰になっちゃうもんな、残念。
「みなさん、こっちですよー」
そう促す未来のあとについて行くと、すぐに登り坂になっている土の道が見えてきた。心なしか地面が黒っぽく見えるのは、三百年の間に染み込んだ灰のせいだろうか。道幅は、まあ普通だ。大人が三人並んで歩けるくらいはある。両側は森。空からの光で照らされてはいるが、木には葉が茂っているので影になる部分は多い。
その緩やかな登り坂を、未来は先頭に立って歩き始めた。追いかけて隣に咲紅が並ぶ。俺と翠はその後ろに数歩分あいだを開けて続いた。何故、彼女たちとのあいだに距離を置くのか。それは、聞かれたくない話をするからに決まってんじゃん! 幸いにもあたりは虫たちの鳴き声でやかましいくらいなので、この程度の距離でも俺たちの会話の内容を知られることはないだろう。
「なあ、翠」
念のため声のトーンを少し落とす。
「おまえにしては珍しいな。なんで未来にはちょっかい出さないんだ?」
「はあ? 人間じゃないからに決まってんだろ」
「いや、おまえなら人間かどうかより、女かどうかを重要視すると思ったんだけど」
「んー、まあ、そういう場合もあるけどな。今回はちょっとあれだ、痩せすぎだ。見ていて痛々しい。とてもじゃないが、そんな気分にはならねーぜ」
「へぇー。でもさあ、いっぱい食わせれば太るかもしんねーぞ? それに……ある意味、未来は男の夢なんじゃないか?」
「ユメ? ……どういうことだ? 詳しく聞かせろよ」
「ああ。いいか、よく聞けよ? ……五年ごとに、新品の体になるんだぞ?」
翠はすぐにその言葉の持つ深い意味に気づいたようだ。たちまち顔色を変え、真剣な目をして考え込んだ。そして、しばらくそうしてから重々しく口を開く。
「……ああ、すげえな」
それからすぐに、
「なに二人でコソコソしてるのよ。どうせまたいやらしい、下品な話でもしてたんでしょ」
咲紅が振り返り声をかけてきた。チッ、これから本題に入るところだったのに。見れば彼女たちは二人とも、清々しい笑顔をしている。どうせ空々しい、お上品な話でもしていたのだろう。
「んなわけないだろ。俺たち、いやらしい話は大嫌いだから。因みに今してたのは数学の話な? フェルマーの定理は飽きちゃったから、オイラーの多面体定理の証明について議論を交わしてたんだ」
俺は翠と目配せを交わし、前を歩く二人に追いついた。すると咲紅が、
「へえー、面白そうね、あたしも聞きたいな。ねえ、それがどんなものなのか説明してよ」
無茶を言うな、そんなの俺が知ってるわけないだろ。こんなときは、
「えーっとー、実はそれについては俺より翠のほうが詳しいんだ。ほら翠、早く咲紅に教えてやれよ、オイラー」
「はあ? 僕? ……いや、そういうのはたぶん未来が詳しいと思うぜ? なにしろコンピューターだからな。な、そうだろ未来?」
「わ、私ですか? いや、その……私の頭脳は確かにコンピューターですけど、その中身は十三歳の普通の女の子ですよ? なにしろ、ただのコピーですから。ですからそんな難しいことわかるはずありません」
「「「ええっ、そうなの!?」」」
「みなさん……私に対してどんなイメージを持っていたんですか。博士は未来を作りたかったんですよ? オイラーとかフェルマーとかを理解できてしまったら、それは未来ではなく、未来の形をしたなにか別のものですから。あ、でもネットには常時つながっているので調べることは可能です。もちろん理解しているわけではないので説明は無理ですけど」
確かに未来が作られた理由や目的を考えれば、それは当たり前のことなんだけど……まあ、博士が自己満足するために作ったんだから、別にいいんだけど……なんだかなあ。
俺が――たぶん未来以外の三人が――なんだかなあ、と思っていると、急に未来が「ふう……」と言って立ち止まった。どうやら疲れてしまったようだ。
「すいません、話をしながら登るのは初めてなもので……会話することが、こんなに体力を消費するものだとは思ってもみませんでした。あ、いや、お話するのが嫌ってわけではないですよ? ただ純粋に、私の体力が――」
研究所を出発してからおよそ二十分。道のりは、まだ半分くらい残っているはず。行く先を見れば、何度か折り返しながら頂上に向かう道は、それなりに続いているように見える。まあ別に日の出に間に合わなかったからどうだ、というわけでもないのでのんびり行けばいいか。そう思っていたら咲紅が、
「蒼志、あんたおんぶしなさい」
と、どこかの貴族がその奴隷に言うように、やたら高圧的な態度で俺に命令した。未来をおんぶしてやるのは嫌ではないが、咲紅の言いかたが気にくわないので言い返してやる。
「なんで俺なんだよ。翠だっているだろ」
「翠君だと、ちょっと……なんか、ねえ?」
「んじゃ、おまえが自分ですればいいだろ」
すると翠がにやにや笑いながら、
「いや蒼志、それはちょっと難しいと思うぜ? 例えるなら、竹串の上につまようじを立ててバランスをとるようなもんだからなあ」
なかなかうまいことを言う。それを聞いた咲紅は目をつり上げて、
「なんですって!? あたしのどこが竹串だっていうのよ!」
「肉が付いてないところとか、凹凸がなくってまっすぐなところとか。そっくりだぜ」
「翠君あんたねえ……あんたは女の子に対して、そういうデリカシーのないことばかり言ってるからまともに相手にされないのよ! このままだと一生かかっても結婚どころか彼女さえ絶対にできないわよ!」
「なんだとお!」「なによ!」
とまあこんな感じで、なぜか咲紅と翠の言い合いになってしまった。よくあることなので、いつもは放っておくんだけど……今回は未来が仲裁に入った。
「あ、あの、私、がんばって歩くので、お二人ともケンカは――」
「未来ちゃんはいいのよ、気にしなくて。悪いのはあの翠君だから」
「そうだぜ、未来は悪くない。全部あの竹串みたいなのが悪いんだ」
だが全く相手にされていない。未来は「いや、でも……」とか「仲良くして……」とか「私なんかのために……」とか言いながら、あたふたと二人のあいだを行き来している。なんというか……いいなあ。これまで俺たちの身近にはいなかったタイプだ。そう思い、新鮮な展開に心を和ませていたのだが。
不意に未来の様子が変わった。しばらく未来は困り顔で二人のあいだを往復していたのだが、パタリとその動きを止めて二人のちょうど中間くらいに立ち止まった。仲裁することを諦めてしまったのだろうか? うつむいて身じろぎ一つしない。その表情は……影になっていて、よく見えないな。
咲紅と翠はそれには気づかない様子で「気持ち悪い!」とか「ヒステリー!」とか言い争っている。この様子だと、まだしばらくは続くだろう。
……そう思っていた。未来が、その顔を上げるまでは。
ワナワナと震えながら顔を上げた彼女は、怒った顔と悔しい顔と悲しい顔を全部足して、十を掛けたような表情をしていた。そして、涙をこらえようと力を込めて見開いた目。だが涙は顔を上げたことでこぼれ落ちてしまったらしい。頬には二本の筋が、今まさに描かれつつあった。一粒流れてしまえば次の一粒が落ちるのはたやすい。やがて大粒の涙がいくつも、未来の頬の上をとめどなく流れ落ちていった。
「ごほんっ! おい咲紅、翠、ごほんっ!」
咳払いして、未だ未来の様子に気づかず口喧嘩を続ける二人に注意を促す。すると二人は思い出したように未来のほうを見て、しまった! といった表情を浮かべた。
なぜなんだろう。咲紅が泣いていても大して気にならないが、未来が泣きだすといたたまれない気持ちになる。咲紅の涙には慣れてしまっているせいなのか、それとも彼女たちの個性の違いによるものなのか。どちらにせよ、それは目の前の二人も同じだったようだ。あわてた様子の彼らは顔に不自然な笑みを貼り付け、持てる言葉を尽くして謝罪とご機嫌取りをすることとなった。
「あのね、未来ちゃん。あたしたち本気で喧嘩してたわけじゃないのよ。これはいわゆる、ひとつの……そう! スキンシップみたいなものなのよ!」
「はあ? スキンシップだあ? あ、ああ、そうだぜ未来。俺とお嬢は本当に仲がいいんだ。よく言うだろ、喧嘩するほど仲がいいって。だからこれはぜんっぜん、未来が泣くようなことじゃないんだぜ?」
「ひぐっ……ほんどでずがあ?」
そんなふうに二人は未来をなだめすかし、どうにか泣き止ませることに成功した。
そのあと、結局は俺が未来をおんぶすることになった。まあ別にいいけど。見た目からしてそんなに重くないだろうし。そう思っていたら、そうでもなかった。頭の他にも、いくつか生命維持に必要な機械類が埋め込まれているらしい。体重を聞くと、60キロくらいだと答えた。歩くときにバランスをとるのがけっこう難しいのだそうだ。なるほど、ちょっと変わった歩き方をするのはそれが原因か。
しかし……重いな! それほど急勾配ではないとはいえ山道を60キロもの荷物を背負って登ることは、普段から鍛えていない俺にとって正しく荷が重い。けど、辛そうな顔を見せるわけにはいかない。俺が辛そうな顔をすればきっと未来は遠慮して、自分で歩きます! などと言い出すに決まっている。そうなると……嫌じゃないか? 弱々しい女の子が辛そうにしているのに、助けてやれないというのは男として……なあ?
「蒼志君……本当にすいません。私、すごく重くって……」
「うん? ああ、全然大丈夫。ちょうど体鍛えようかなって思ってたところだから」
もちろん強がって言ったことだ。俺はプロのスポーツ選手ではないし、将来そうなりたいとも思わない。なので誰がそんな無駄なことをするか! 本音を言えば、今すぐ家か研究所に戻って布団の上に体を投げ出したいに決まってるだろ!
なのに! 俺が言ったことを真に受けてか、あるいはただの嫌がらせなのか。咲紅と翠が口々に「へえー、そうなんだー」とか「よし、手伝うぜ!」とか言って未来の肩に手を添え、そしてそのまま下向きに力を加え始めた!
「おいおい、重いよ! ふざけんな!」
そして、そうこうしているうちに俺たちは山頂へとたどり着いた。うわ、明るいなあ。いつの間にか星の影は消え、人工衛星の光も見えなくなっている。が、太陽はまだ顔をのぞかせていない。遥かに望む山脈の向こう側から、赤みがかった強い光がジワジワとこちら側に溢れ出そうとしていた。
背中から未来を降ろしつつあたりを見回すと、そこは狭いながらも平らな草の生えていない広場のようになっていた。未来の部屋より少し広いくらいかな? そして唯一そこにあるものが、この目の前のゴツゴツした岩だ。大きさは大人がギリギリ一抱えできるくらい。黒っぽい色をしている。
未来は俺の背中から降りるとすぐに岩のほうへ近づいていき、そのそばにしゃがみ込んだ。そして花束をお供えする。それから岩に向かって優しく微笑んで、
「お父さん、お母さん。私にも、すてきなお友達ができました」
と、一言ずつ、噛みしめるように語りかけた。
そんなふうに言われると、照れるというか、恥ずかしいというか……なんともいえない気持ちになり、三人で顔を見合わせて苦笑いする。そして振り向いた未来と四人で笑い合ったちょうどそのとき、俺の背後から鋭い光が差し込んできた。真正面から受けて、まぶしそうに目を細める未来。朝日は岩の表面にも照りつけ、そこに刻まれた文字をくっきりと浮かび上がらせた。
〈天才科学者 白築賢人 真理子 やすらかにここに眠る〉
「え。天才科学者って……これ、未来が彫ったのか?」
それを見た翠の反射的な質問に、未来は困った顔でポリポリとほっぺたを掻き、
「それはですねえ、お父さんにそうしろと言われていたんです。私もちょっとどうかなって思ったんですけど……まあ、遺言というか、本人がどうしてもと言っていたので……」
すると咲紅が納得いかないといった顔をして、
「お母さんは反対しなかったの? 恥ずかしいからやめて! とか」
「それが……死んだあとのことなんてどうでもいいわ。好きにすれば? と言ってました」
うーん、写真で見た限りでは頭の固そうな、いかにも科学者である! って感じの人たちだと思ったんだけど……ちょっと違うみたいだな。父親も、母親のほうも。
「そんなことより! みなさん後ろ、後ろを見てくださいよ! なかなかの景観ですよ!」
未来に言われて一斉に振り向く三人。日差しの目映さに思わず目を閉じてしまう。それから少しずつ、ジワジワと目を開いていき――見下ろしたその世界は、広かった。
風に吹かれ、さざなみのように揺れる草原、遠く霞んで見える山々の連なり、太陽は燦然と赤く輝き、全てを自分の色に染め上げていた。俺はただ、ただ広いと感じた。首を巡らせぐるりと風景を見渡すと、その印象はさらに強いものとなった。他にも思ったことはあるが、深く心に感じたのはそれが全てだった。
「……なんだか、ちょっと怖いような気がするわね」
咲紅が自分の体を抱きしめるようにしてつぶやいた。どういう意味だろう?
「怖い? 高いから怖いってことか?」
「じゃなくて……こんなに広いところにずっといたら、自分がとけて、広がって、ものすごく薄くなって、最後には存在自体が無くなってしまうような、そんな感じがするの。……言ってること、わかる?」
……わかるような、わからないような。要するに、自分の存在があまりに小さすぎて、この世界において全く意味のない無価値なものに思える、ってことか? きっと、今までの世界が小さすぎたんだよな。直径15キロしかないんだから。ずっとそんな世界で生きてきて突然こんな雄大な景色を見せられたら、そんなふうに考えてしまうのは当たり前のことなのかもしれない。かと思えば、
「うっひょー、なんだよこれ! すげえな、めちゃくちゃ広いぜ! あ、あの丸いのが例のやつだな? 近くに二つ、遠くに見えてるのも合わせると四つ。はぁー、昔はあれが全部、町だったっていうのかよ。へぇー……」
こんなふうに簡単に、純粋にすぐに受け入れてしまうやつもいる。俺はどちらかといえばこっちだろうな。
「なあ、未来?」
ふと気になったことがあるので聞いてみる。
「なんで町の跡には草も木も生えていないんだ? 明らかに不自然だろ。三百年も経っているのに、こんな状態というのは」
「それはですねえ、きちんと調査して確認したわけではありませんが、おそらく宇宙船を建造する際に排出された有害な物質による影響かと思われます。とにかく急いで完成させることが第一でしたから、じきに自分たちがいなくなる星の自然環境への配慮なんて、二の次、三の次ですよ」
そうなのか。まあ、なんとなく予想はついてたけど。水鳥のように、きれいに飛び立つことはできなかったわけだ。なんか残念だけど、仕方ないのかな? 当時は環境汚染がかなりひどかったようだし、一刻も早くこの星から逃げ出したかったのだろう。
「蒼志君、そんなに残念そうな顔をしないでください。大丈夫ですよ、いずれ時が過ぎれば生えてきますって、木も、草も。そしたらみんなでピクニックにでも行きましょう! お弁当とおやつを、たくさん持って!」
「うん、とても魅力的なお誘いだとは思うけど……是非、行きたいなとは思うけど……それって何百年先の話だよ。俺たち、たぶん生きてないよ?」
「いえいえ、そんな何百年もかからないですよ。ここより少し南のほうに行けば、まばらにですが草が生えている跡地もあるんです。ですからたぶん、このあたりも数年のうちには緑が目立つようになるのではないかと」
「へえ、そうなんだ。数年先くらいなら行けそうだな。でもさあ、どうやって降りるんだよ。町が抜けた跡だから三十一階層分。けっこう深いんだろ?」
「そうですね、だいたい100メートルくらいかな? 降りる方法は、んー……実力で」
実力ってなんだよ。まあ、下まで降りるかどうかはともかく、ピクニック自体には全員が賛成なので、そのうち近くまで行ってみるということに話はまとまった。
それから未来はミニショルダーをまさぐって煙草を取り出した。お父さんに、だろうな。封を切ってお墓の前に置いた。次にお酒。渋いワンカップだ。お母さんに、かな? ふたを開けて――アルコールの匂いにむせた。そして、お墓の前に置いた。次に出てきたのは黒くて細い棒状のもの。紙の帯で二十本ほどがまとめられ、束になっている。長さは15センチくらいだ。その次に取り出したのは百円ライター。ああ、なんだ線香か。未来は線香の束に一気に火をつけて――煙を吸ってむせた。そして、その束をお墓の前に立てて手をあわせる。俺たちも未来の後ろでそれに倣った。
しばらくそうしたあと、未来は膝に手をついて「いたた……」と悲鳴を上げながら立ち上がった。それから三人の顔を順番にじっくりと見て、ゆっくりと口を開く。
「さてと。お墓参りも済んだことですし、そろそろ本題に入りましょうか」
「「「本題?」」」
「私がみなさんをここまで――研究所までお呼び立てした理由です。みなさんに、どうしても手伝っていただきたいことがあるんです」
未来は微かな笑みを浮かべているが、その瞳からはこれまでにない真剣さが感じられる。どうやら本当に大事な話をしようとしているらしい。咲紅にも、翠にもそれは伝わっているようで、二人とも茶化したり急かしたりする様子はない。ただ黙って未来が話し始めるのを待っている。ごくり、と、誰かがのどを鳴らす音が聞こえた気がした。
「みなさん。みなさんは町の外側の世界を見て、どう思われましたか?」
「俺は、すごい広いな、かな」
「あたしは、意外と安全そう、かしら」
「僕は、これだけ土地があるのにもったいないぜ、だな」
するとその瞬間、未来は「それを待ってました!」と言わんばかりに翠を指さして、
「はい! いま翠君がいいこと言いました! そうでしょう? もったいないでしょう。誰も住んでいない土地ですよ? 町の跡地はアレですけど、それ以外の場所ならいろんなことに使えるじゃないですか。家を建ててもいいし、田んぼや畑にすればお米やお野菜も作れます。海のほうに行けば海洋資源も取り放題です。使っちゃえばいいじゃないですか、誰のものでもないんですから。……なのになぜ人々は、あんな小さな町の中にギュウギュウ詰めになって閉じこもり、外の世界に出ようとはしないのでしょうか?」
未来は誰かに答えてほしそうな顔をしている。それでは、俺が答えてやろう。
「それは、その必要がないからだ。いま未来が言ったものは全て町の地下施設で生産することができる。労力を使わずとも同じものを得ることができるから、人々は町の中から出ようとはしない。土地だって、ギュウギュウってほどじゃないと思うぞ」
「おっしゃる通りです。地下施設が順調に動き続ける限りは人々が町の外に出る必要はありません。ですがそれは逆説的に言うと、地下施設が動かなくなれば人々は町の外に出なければならない、ということでもあるんです。でも……いま突然そうなって、人々が町の外に出て地下施設に頼らない生活を始めようとしたとして、それは可能だと思いますか?」
少し考えて、その問いに咲紅が答える。
「……難しいでしょうね。百五十万人分の食糧を安定して供給できる環境を整えるのに、いったいどれほどの時間がかかることか……想像もつかないわ。食料の生産に関する正しい知識がある人なんて今の町にはほとんどいないでしょうし、多少は備蓄があるって聞いたことがあるけど、そんなものきっとすぐに食べ尽くしちゃうわよ」
「どうせその備蓄ってやつも地下施設で保管してるんだろ? すぐに腐っちまうぜ」
うーむ、そうやって考えてみるとだんだん不安になってくるな。でも、
「でも、そんなことにはならないんだよな? 当初は宇宙船として作られたわけだから、最低でも目的地に着くまでのあいだ、八百年以上は使い続けられるように設計されてるはずだろ? まだあと五百年くらい余裕があるじゃん」
「まあ、そうですね。余裕をもって千年くらいは使えるように設計されています。ですが、その数字は正しい使いかたをした場合のものです。例えば専門の技術者による定期的なメンテナンスとか。していますか? メンテナンス」
「え? 機械が自動でしてくれるんじゃねえの? 学校ではそう教えられたぜ?」
「小さな故障や大まかなメンテナンスは機械任せでも問題ありませんが、どうしても人の目と手が必要になることもありますから」
……してないだろうな、メンテナンス。そんな話、聞いたことないし。俺も翠と同じで全自動だと思ってた。たぶん、町の住人はみんなそう思っているだろう。考えてみればそうだよな。神様の最高傑作である人間の体でさえ、全自動で完全に保守するなんて不可能なのに、人間ごときが作った機械なんかにそれが可能なわけがない。そして必要な手入れを怠れば、それは大きな故障の原因になり得る。
「つまり、地下施設はいつ止まっても不思議ではない状態にあるって言いたいのか?」
「ええ、そういうことです」
「でも想像できないわね、そんなこと。故障したなんて話、一度も聞いたことないし。意外に大丈夫なんじゃないのかしら?」
「大丈夫かもしれませんが、そうでないかもしれません。大勢の人の命に関わることですから、やはり最悪の事態を想定しておくことは重要だと思います」
「「「うーん、確かに」」」
「それに、そう懸念する理由はもう一つあるんです。そして、こちらのほうが状況はより深刻です。発電所についてなのですが……生前、お父さんはこう言っていました。あの発電所の耐用年数は百年だ、と」
……百年? あと百年……じゃなくて? 三百年前に作られた物の耐用年数が百年、ということは――とっくに過ぎてんじゃん! しかも、二百年も!
「それはまずいだろ! いきなり止まっちゃう可能性もやばいけど、事故とか、爆発とか! 発電所の事故って悲惨なものが多いじゃん! 早いとこみんなどこかに避難しないと!」
焦ってそう言うと、未来はパタパタと小さく両手を振りながら、
「あっ、いえいえ、安全面での問題はありません。危険な状態になれば、すぐに自動で停止するようになってますから。ですから問題は、いつまで電力が供給されるのか、ということです。地下施設も当然その電力で動いているので、発電所が停止するということは……」
「……町の人たちが……俺たちが生活できなくなるってことだな……」
「……冗談、でしょ?」
「……マジかよ……」
未来の言ったことが、嘘でも冗談でもないことはわかっているのだろう。二人が目に湛えているのは疑いの色ではなく、怯えと不安の影だった。
じっと押し黙る三人。自分がその寿命を終えるまで、絶対に安全で安定した生活が約束されていると思っていた。でもその安心感に根拠となるものはなにもなかったんだ。これまで生きてきた人たちが偶然生きてこられたから、俺たちもそうなんだと思い込んでいた。ただそれだけのことだったんだ。俺の心の深い場所にあったなにかが、風に吹かれた煙のように消えてしまった、そんな気がした。
「そんなに落ち込まないでください。いますぐ止まってしまうというわけではありませんから。もしかしたらこの先何百年も問題なく稼働し続けるかもしれませんし。でも……いつかは必ずそうなるんです。ですから! いつそうなっても大丈夫なように、今から備えておかなければならないんです!」
「備える? 発電所や地下施設に頼らず生きていける環境を整えるってことか? そして未来は、そのことで俺たちになにかさせようと考えている?」
「えへへ、そういうことです」
「て言ってもなあ、なにができるんだ? 僕たちに。どこにでもいるただのガキだぜ?」
悔しいが翠の言うとおりだ。未来の言ったことは理解できるし、それは必要なことだとも思う。が、ただの子供である俺たちにいったいなにができるというのか。町の人たちが俺たちの突拍子もない話を聞いて、それでこれまでの生活を一変させるような重大な決断を下してくれるとはとても思えない。それにもう一つ、人々が町の外に出るのに大きな障害となるものがある。それは――、
「それにね、未来ちゃん。あの柵はどうするの? あれがある限り、町の人たちは外に出ることができないと思うよ?」
それだ。あれをどうにかするのは俺たちだけの力じゃ絶対に無理だ。そして、あれをどうにかしない限り、未来の言うようにすることは不可能だろう。
「あれは――あの柵は本来、外から猛獣の類が進入するのを防ぐためのものであって、人を閉じこめるためのものではないんです。ですから内側から人が出ようと思えばいつでも出られるはずなんですよ。穴を掘ったり、橋を架けたり、飛ぶ機械を使ったりして。柵があるから外には出られない、なんて嘘です。町の中に閉じこもる言い訳として、あの柵の存在を利用しているだけなんです。ですから――」
未来は一旦言葉を切り、ミニショルダーの中を探って黒っぽい小さななにかを取り出した。そして、それを指先で摘まんで俺たちに見せつけ、
「これを使って! 言い訳のもとであるあの柵を無くしてしまいさえすれば、町の人たちは外の世界に目を向けざるを得ないのではないかと!」
あれは……メモリーカードだな。
「この中には、お父さんが作った柵を撤去するためのプログラムが入っているんです。これを発電所の端末で実行すれば、あの柵は即時撤去されます」
「そうか、博士はいずれ柵が不要になることを予想していたんだな」
そんなふうに感心していると、
「いえいえ予想ではありません、予定です。あの柵は最初から、いずれ時期が来れば撤去する予定だったんです。お父さんの考えでは、柵を設置してから遅くとも十年以内に」
「えっ、十年? でも外敵は? その頃はたくさんいたんだろ?」
「……その呼び方はあまり好きではありません。肉食動物と呼ぶべきです。
それに、たくさんいたのは肉食動物だけではありませんよ? ありとあらゆる動物たちです。でもそれは、ほんの一時期のこと。柵が設置されてから数年後には、そのほとんどがいなくなってしまいましたから」
「……もうちょっと詳しく説明してくれよ。その、動物たちについて。なんでいなくなったのか、その理由とか」
すると未来が一瞬だけ俺を睨んだ――ような気がした。が、彼女はすぐに目を逸らし、遠くにある山の方を眺めながら淡々とした口調で話し始めた。
「その動物たちは、もとからこのあたりに生息していたわけではありません。宇宙船に乗せるため世界各地から無理矢理に連れてこられたのです。ですが、実際に宇宙船に乗せられたのは、彼らから採取した精子と卵子だけでした。まあ、確かにそのほうがいろいろと効率がいいですからね。
こうして不用となった彼らは、人道的見地から殺処分にするのは忍びないということで野に帰されました。ただし、もともと住んでいた場所ではなく、この国の町の外に。そんなことが全国の宇宙船のそれぞれで行われたんです。当時は相当な数の動物たちが、国中のいたる所を闊歩していましたよ。まるでサバンナや、アマゾンのように」
未来は三人のあいだを通り、広場の端のほうにゆっくりと近づいていった。そして、端まで歩いてそこで立ち止まり、眼下に広がる穴のあいた草原を見下ろして話を続けた。
「でも……ここはそんな、動物たちにとっての楽園と呼べるような場所ではありませんでした。気候の違いなどもありますが、なにより汚染されきった土壌では草食動物が生きるのに必要な植物が育たなかったのです。そして草食動物が生きていけなければ、彼らを餌とする肉食動物もいずれ同じ運命をたどります。斯くして動物たちは時が経つにつれ確実にその数を減らしていき、ごく一部を除いたほとんどすべての種がそれから数年のうちに死に絶えてしまったのです。
もちろんお父さんは抗議しましたよ? 全ての自治体に動物たちをもとの場所へ帰すようにと。でもそんな暇はないとか、経済的に無理だとか言われて全く相手にしてもらえませんでした。動物たちの数があまりにも多すぎて、個人でどうこうできる状況ではありませんでしたし……できることといえば、近所で暮らす動物たちに餌をあげることくらいしかありませんでした。でもそうしているうちに、だんだん情がわいてきちゃうし、もう――」
俺も他の二人もなにも言えなかった。人々のあまりに身勝手で無責任な行いに呆れかえるばかりだ。だが、不思議と怒りの感情は湧いてこない。ただ自分にも彼らと同じ血が流れているということに、恥ずかしさを覚えた。
「――とまあ、そんなわけですよ。蒼志君、わかりましたか?」
うっすらと涙を浮かべた未来に、俺は無言で頷いた。そうか、未来はこの話をするのが嫌だったから、さっきあんな目をしたんだな。俺は彼女の悲しげな顔を見てそう思った。
「……どこまで話しましたっけ? えーっと……お父さんが息を引き取るときに約束したんですよ。あの柵をできるだけ早く撤去するって。それで結局みなさんへのお願いというのは、私を発電所まで連れて行ってほしい、ということなのです。いやあ、何度も自力で行こうとしたのですが、その度に敢えなく行き倒れてしまいまして。なにしろ体力がないものですから。あ、コンピューターの操作なんかは私が行いますので、そこらへんの心配は御無用です。どうでしょう、私を発電所に連れて行ってはいただけないでしょうか?」
未来は不安そうに、上目遣いで俺たちの顔色をうかがっている。まもなく俺が、
「しょうがないな。わかったよ、連れてってやるよ」
そう答えると、彼女は目を見開いて安堵の溜め息をつき、それからヘナヘナと表情を緩めた。だって断れないだろ? そうしないと町全体が困ったことになるっていうんだから。まあそうなるのはずっと先の話かもしれないけど、いつか誰かがやらないといけないことなら、いま俺がやってやるよ。
「ついでだからいいぜ。どうせ町に帰るとき近くを通るからな」
翠もとくに文句はないようだ。が、咲紅は腕を組み難しい顔で、
「そんな安請け合いしちゃっていいの? 柵を無くすんでしょ? 数は少ないけど肉食動物は確かにいるし、それで事故とか事件になっちゃったらどう責任とるのよ」
「大丈夫だって。俺たちでさえ、ここまで無事に歩いてこられたんだぞ? 大人たちがあれだけいっぱいいて、大丈夫じゃないわけがないだろ」
しかもその中には、親父っさんや芽衣子さんみたいなのも含まれる。トラが十匹くらいまとめて襲ってきても、間違いなく返り討ちにしてしまうだろう。
「……それもそうかしら? よくよく考えてみると、柵なんかなくってもぜんぜん問題ないような気がしてきたわ。それじゃあ、行っちゃいましょうか。みんなで、発電所に!」
と、いうわけで、俺たちは町にとってけっこう重大な決断を、勝手に軽々しく下してしまった。町は、俺たちは、いったいどうなってしまうのか? 先行きは少々不安に思うが後悔はしていない。だって、なんかすっげえ面白そうだからな!




