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光輝くぼくらの未来  作者: 阿野真一
夏休み三日目
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16/27

午後

〈白築宇宙物理研究所〉


 玄関の左側にかけられた長い木の表札には、そう書かれている。


 ふうん、研究所か。俺はその隣にあるインターフォンに視線を移して……そしてすぐにもう一度、表札に目をやった。なぬっ、研究所だって!?


「おいっ、研究所ってどういうことだよ!」


 つい表札に向かって文句を言ってしまった。


「魔女さんじゃなくて博士さんだったってことじゃないの?」


 いっ!? 魔女さんじゃないってことは、わがままボディーはいったいどうなるんだ!?


「いいから早くインターフォン鳴らせよ。魔女さんに聞けばどういうことかわかるぜ?」


 ああ、それもそうだな。っていうか本人に聞かないとわからないよな。そう考えながら、インターフォンのボタンに手を伸ばす。


 一般的な家屋でよく見かける一般的なインターフォンのボタンを押すと、そのスピーカーからものすごく一般的なチャイムが聞こえた。それからややあって女性の声で、


『……はい……』


 おおっ! 俺はその声を聞いて確信した。この声の主は、間違いなく美少女だと! ふと翠のほうを見ると翠も俺を見ていた。目を大きくし驚いたような顔をしている。きっと俺と同じことを考えているに違いない。それほどに、この声は美しい。


「蒼志、早く! なにか言わないと、ほら!」


 咲紅が肘でつついて小声で急かす。


「な、なんて言えばいいんだよ。わかんないからおまえ言えよ」


「あんたが押したんでしょ? あんたが言いなさいよ。例えば……博士いますか? とか」


 よ、よし、それじゃあ、


「あの……シラチク博士、はご在宅でしょうか?」


『……あ、あの……シラツキ、です。申し訳ありません、博士はちょっと……』


 アンティークの銀のスプーンを軽く打ち鳴らしたような声がそう告げた。


「バカ! シラツキだろ、シ・ラ・ツ・キ! 築はツキとも読むんだぜ!」


 翠が後ろからヒソヒソと文句を言ってくる。うるせえよ!


 それから少し間を空けてスピーカーの声が続けられた。


『……博士はちょっと……死亡しました』


 予想外の言葉に声を失う俺たち。こんなのどう切り返せばいいんだよ。二人に、助けてくれ! と視線で訴えかけたが、返ってきた答えは「「がんばれ!」」の一言だけだった。取り敢えず苦し紛れだが話を繋いでみる。


「それじゃ、あなたは?」


『あ、私ですか? 私はここの所長ですけど』


「ほう、所長さんですか。お若いのに大変ですねえ」


『いえ、もう慣れましたから』


「ところで……実は少々お伺いしたいことがありまして……」


 なんかの刑事みたいなやりとりだなあと考えていると、扉から鍵が外れるような音が聞こえてきた。そしてスピーカーから、


『そうですか。それでは立ち話もなんですので、どうぞ中へお入りく――』


 ん? 最後のほうが少し途切れた。勝手に中に入ってこい、ということだろうか?


「入って、いいんだよな?」


「……いいんじゃない?」


「……いいと思うぜ?」


 ノブを握ってゆっくりと回す。そしてそっと手前に引いてみる。鍵はかかっていなかった。三人で顔を見合わせてから、ゆっくりと扉を開いた。


「おじゃましますよー」


 いちおう断ってから扉をくぐると、適度に冷房の効いた涼やかな空気が俺たちを包んだ。小綺麗な、ごく一般的な玄関だ。土間に靴は一足も無い。涼しさに安堵の息を漏らしながら辺りを見回すが、研究所らしさを感じさせるものはなにも見当たらなかった。


「誰も出てこないわね。なにしてるのかしら?」


「きっと、お茶とかお菓子を用意してるんだぜ」


 玄関の左側は壁、正面に扉。廊下は右の方に続いているので、俺はそっちに向かってさっきより大きな声で呼びかけてみた。


「すぅーいませぇーん!!」


 ……遠くに聞こえる蝉の鳴き声がやけに耳につく。しばらく待ってみたが誰かが現れる気配も、返事さえもない。おっかしーなあ、さっきの美少女声の人はどうしちゃったんだ?


「ねえ、もう上がっちゃおうよ」


 突然、咲紅がそんなことを言い出した。いや、他人の家に勝手に上がっちゃ駄目だろ。


「さっきインターフォンで、お入りくださいって言ってたよね? あれは勝手に部屋に上がって来いってことなのよ。きっと研究が忙しくて手が放せないんじゃないかしら」


 そうなのかな? ……うん、そうかもしれないな。


「なあ、翠はどう思う?」


「ああ、僕も上がっていいと思うぜ。ここで、じっと待ってるのも飽きてきたし」


 それもそうだな。んじゃ上がっちゃおうか。俺が、かかとを踏んで靴を脱ぐと、二人もニヤリと笑ってからそれに倣った。そして、


「「「おっじゃまっしまーす」」」


 と声をかけてから、音を立てないようにそっと廊下に足を乗せた。


 土間から上がって左手、壁際に下駄箱がある。正面の扉は……開けてみると洗面所と風呂場があった。玄関の右隣は二階へ続く階段。取り敢えず後回しだ。もう一つ隣は……なんだろう? 頑丈そうな鉄の扉がある。うーむ、ここも後回しにしよう。そして、その隣はトイレだ。咲紅の顔をチラッと見る。


「なんで、あたしの顔を見るのよ」


「あ、いや、べつに?」


 トイレの向かいにある開けっ放しの扉をくぐると、そこは広々としたリビングだった。白い革張りのソファ、50インチくらいのテレビ、高級そうなステレオ、南国風の観葉植物、白を基調としたカウンターキッチン、木目のダイニングテーブル等々。


 おや? テレビの脇に写真立てがある。手にとって見てみると、気難しそうな白衣の中年男性と幸せそうに微笑んだ美女、そして二人の間に顔色の悪い女の子が写っていた。


「この人が亡くなった博士かしら」


「そうだろうな。隣が奥さんで間にいるのは娘か。俺たちと同い年くらいだな」


「うわっ! なにこの子、顔色悪いなあ。今にも死にそうな顔してるぜ?」


 この写真の女の子が、さっきの美少女声の人なのだろうか。それとも母親のほう……てことは無いな、声が若すぎる。そんなことを考えながら次の部屋へと向かった。


 リビングを出て左手、廊下の突き当たりに六畳の和室があった。床の間に水墨画の掛け軸と質素な壷が飾られている。面白そうなものがないので、すぐに部屋を出た。


 さて、これで一階はだいたい見終わった。次は二階だ。俺たちは急な階段を這うようにしてのぼり、二階の調査を開始した。


「この部屋は博士の書斎みたいね。難しそうな本がたくさんあるわ」


 二階にある二つの部屋のうちの一つ。宇宙関連の本がぎっしりと詰め込まれた本棚が、この部屋にぎっしりと詰め込まれている。本棚の他には木でできた小さな机と椅子。机の上にはスタイリッシュなノートパソコンが置いてある。書斎というより書庫といったほうが正しいような気がするな。俺はズラッと並んだ本の背表紙を、なにげなく眺めてまわった。


「……あれっ? 宇宙の本しかないのかと思ったら、こっちの棚には生物学の本がいっぱいある。応用遺伝子学、バイオ・ノート、細胞遺伝子学、遺伝子医療、ヒトゲノムの……」


 宇宙物理研究所なのに生物に関係した研究もしているのか。へぇー、偉いな。勉強熱心だな。……ん、待てよ? 宇宙と、生物……だと? そうか、そういうことだったのか!


「おい、咲紅! わかったぞ!」


 本の背表紙を読むことに没頭していた咲紅の背中を、ちょっと強めに叩いた。


「びゃっ! な、なんなのよ、いきなり。びっくりするじゃない」


 驚いたお嬢が胸の辺りに手を当てて振り向く。


「聞いて驚け! わかったんだよ、魔女さんの正体が!」


「はあ? ……いいわよ。いちおう聞いてあげるから言ってみなさいよ」


「ふふん、じゃあ言うぞ? 実は魔女さんは……宇宙人だったのだ!」


 どうだ! 驚いただろ! ……あれ? なんか反応うすいな。咲紅は腕組みをしてこっちを見ている。その目は道ばたで、とびっきり大きな犬のフンを目にしたときのようだ。


「根拠は?」


「えっと、本棚に宇宙関連と生物学の本がいっぱいあったから。宇宙の生物っていったら、やっぱ宇宙人じゃん? だから――」


「却下よ、却下! ぜんっぜん、ダメダメね!」


 うっ、そんなにバッサリ切り捨てなくてもいいだろ? 俺だって、絶対そうだ! なんて思ってないし。ちょっとくらい話を合わせてくれてもいいじゃんか。


「ところで、翠君はどこへ行ったの?」


 翠はこの部屋に入ってすぐに「駄目だ、頭が痛くなる。先に隣の部屋に行くぜ!」とか言って出て行ってしまった。あいつは学校の図書室に行くのも嫌がるからな。苦手なんだろう、ここにあるような分厚い本が。


「翠ならサッサと隣の部屋に行ったよ?」


「それじゃ、あたしたちも行きましょ? ここはもうじゅうぶん見たし」


「そうだな、翠を一人にしておくのもなんか心配だしな」


 俺たちは書斎を後にすると、一応ノックしてから隣の部屋のドアを開けた。その瞬間、目に飛び込んできたのは、淡い水色のカーペットの真ん中で大の字になった、翠の安らかな寝顔だった。


「……寝てるわね」


「……ああ、寝てるな」


「まったく。他人の家に勝手に上がり込んで、挙げ句の果てに堂々と熟睡、ってどうなのよ。いったいどういう神経してるのかしら」


 咲紅はそうこぼしながらツカツカと翠のそばに歩みより、かかとを高く振り上げた。そして緩やかに上下する腹を、全体重を乗せて力いっぱい踏み抜いた。


「ぐぼあっ! あ、ああ、お嬢……おはよう」


「おはよう、じゃないわよ! 翠君、他人の家で勝手に寝てちゃダメでしょ!?」


 それから咲紅は、部屋の奥にあるクローゼットの前まで歩いていき、はばかりなくその扉を開いた。そして、中をのぞき込んで物色し始める。おい咲紅、他人の家を勝手に家捜しするのは、もっとダメだろ。


「フムフム、どうやらこの部屋は子供部屋のようね」


 なにがフムフムだ、と思いつつ咲紅の肩越しにクローゼットを覗いてみると、カラフルなベビーベッドやオルゴールメリー、積み木のようなおもちゃなどが所狭しと詰め込まれていた。数え切れないほどのおもちゃは、天井近くまで高く積み上げられている。上にあるものから順番に取っていかないと、間違いなく雪崩を起こしてしまうだろう。これじゃ、絶対子供には取り出せないな。


 それから部屋の中を見回した。室内には特に何も無いが、大きな一枚ガラスの引き戸の向こうに広々としたバルコニーが見える。そこにあるのは白くて円いテーブルと、同じ色の椅子が二つ。他にはエアコンの室外機が何台かうなっているだけだった。


「咲紅、翠、一階に下りるぞ。あと見てないのは、あの鉄の扉の部屋だけだからな」


 きっと、あの扉の奥に研究所があるのだろう。あの美少女声の人はそこにいるはずだ。そんな期待を胸に、俺たちは一階の鉄の扉の前へと移動した。


 ――銀色に鈍く光る鉄の扉。塗装などの表面処理が一切されていない、頑丈さだけが取り柄のような武骨な扉だ。わざわざこんな扉を選ぶ理由なんて、中にあるものを厳重に保護するくらいしか思い当たらない。よほど大切なものがこの中にしまい込まれているのだろう。


「すいませーん! どなたかいませんかー! すいませーん!」


 鉄の扉をノックしながら呼びかけてみた。鉄板を叩くような耳障りな音はせず、鉄塊に拳を打ち付けるような感触だけが残る。しばらく待ったが返事はない。物音一つ聞こえてこない。人のいる気配すらない。と、いうことは、勝手に入って良いということだろうか? 銀色のレバーハンドルをつかんで軽くひねった。鍵はかかっていない。そのままレバーハンドルを引っ張って扉をジワジワと開いていく。その隙間から蛍光灯の光に照らされた短い廊下が見えた。その先は……落とし穴? あ、いや、違った。地下に下りる階段があるようだ。おお、格好いいな! 地下に研究所があるなんて!


「おい蒼志。すげえな、地下の研究所って。なんかテンション上がるぜ!」


 だよなあ、やっぱりそう思うよなあ。ところが咲紅は、


「えー? 地下の研究所? なんだかちょっと怖いわね。あんまりおおっぴらにできない研究でもしてるんじゃないの?」


 と、否定的だ。あーあ、まったく。ぜんっぜんわかってないなあ、咲紅は。


 まあ、それについては今度じっくり語って聞かせるとして、俺はもう一度、奥のほうに向かって声をかけた。


「すいませーん! どなたか――」


 あれっ? いまなにか物音が――なにかが床に落ちたような音が聞こえたような……。


「……はーい、すぐいきますぅー……」


 階段の下から声が聞こえた。間違いない、美少女声さんだ! 三人で顔を見合わせてから、すぐに階段のほうに視線を戻す。やがて階段を上る、トン、トン、トン、という軽い足音が聞こえてきた。そして、だんだんと近づいてくる音に合わせて徐々に彼女がその姿を現す。最初に頭、次に顔、そして肩、それから上半身……、


 その辺で俺は、がっかりした。


「おい……いままで寝てたのか?」


 俺がそう判断したのは、彼女のクシャクシャの頭と半開きの瞳、頬に刻まれた寝跡、それと口の端から垂れたよだれの跡を見たからだ。ついでに言うと、彼女は可愛らしい水色の水玉柄パジャマを着ている――しわくちゃの。さらには右手でクリーム色の大きな抱き枕を引きずっていた。誰が、どう見ても、今まで寝ていたとしか考えようがないだろ。


 それと、俺が初対面の人物にいきなりタメ口をきいているのは、彼女が俺たちと同じくらいの年齢に見えたからだ。それなりの相手にそれなりの言葉遣いをする。そのくらいの常識はわきまえているつもりだ。


「あ、はは……すみません。二度寝しちゃいました。昨日は徹夜だったもので……すごく、眠ふふぇ……我慢できなふふぇ……」


 左手の甲で目をこすり、あくびをかみ殺しながらそう答える彼女。


「ハァ……」と翠が特大のため息をつく。


 それから咲紅が、値踏みするように彼女の全身に視線を這わせ、口を開いた。


「とりあえず、シャワーでも浴びてきたら?」


「……ふぁいぃ、そうさせていただきまふ……」


「あ、そうだ。ねえ、あなたの後で、あたしたちもシャワー浴びさせてもらえないかしら? 汗でベタベタして、もう気持ち悪くって」


「はい、かまいませんよ? じゃあ私、急いで浴びちゃいますので。そのあいだ皆さんはリビングでくつろいでいてください」


 そして彼女は俺たちをリビングまで案内し「それじゃあ、ちょっと待っていてくださいね」という言葉を残して風呂場のほうに消えていった。


 難しい顔をしてソファーに腰掛ける俺と翠。咲紅は上機嫌そうに、ぼんっ、という音を立てて勢いよく座る。


「よかったじゃない。かわいい子で」


 咲紅の言う「かわいい」は意味がわからないな。昨日はトラに向かって「かわいい」を連発してたし。それに、この場合「かわいい」かどうかはそれほど問題ではない。問題なのは「子」のほうだ。彼女はまるっきり子供じゃないか! 美人でグラマーなんじゃないのか!? ここ最近の俺のドキドキとワクワクは、いったいなんだったんだ!?


「蒼志、なんか疲れたな」


 しみじみと翠がつぶやいた。


「ああ、俺もそんな感じ。すっげえ疲れたよ」


「なにぐったりしてるのよ。あ、シャワー次あたしだからね。のぞかないでよ」


 誰がのぞくか! と目で答えたが、ちゃんと伝わったのかどうかはわからない。


 たいした話もせずボーッとしていると、風呂場のほうからブォーッとドライヤーの音が聞こえてきた。それから少しして、さっぱりした様子の彼女がリビングに戻ってきた。


「次のかたどうぞ。脱いだお洋服はかごの中に入れておいてください。あとでお洗濯しておきますので。あ、着替えはなにか適当に用意しますね」


 ふむ、まあちょっとはましになったな。緩やかに波打ったはしばみ色の髪はきちんと整えられ、寝跡やよだれの跡はきれいに消えている。服装も花柄の白いワンピースに替わっていた。ただし、髪と同じ色の瞳は相変わらず眠たそうだが。


「はーい! あたしあたし! 次あたし!」


「それではどうぞごゆっくり。すぐにバスタオルと着替えを持って行きますね?」


 そして咲紅は風呂場のほうへ、声だけ素敵な彼女も少し遅れて同じほうへと姿を消した。


 それから俺は、立ち上がってテレビのほうに近づき写真立てを手に取った。うん、やっぱり同一人物だよな。この写真の女の子と彼女は同じ顔をしている。比較的、顔色が良くなっていること以外は。これは病気が治った、ということなのだろうか。


 三十分後。全員がシャワーを終えて、リビングに集まっていた。L字に並べられた白いソファーの、横のラインに咲紅と俺。縦のラインに翠。翠と向かい合う位置に置いたスツールに彼女が座っている。しかし細いなあ。ワンピースの袖からのびた腕は病的なまでに細い。肌の白さと相まって、その印象をさらに強いものにしている。うーん、やっぱりまだ体調がよくないのかな?


「えへへ、粗茶ですが、よろしければどうぞ」


 頬を染め、はにかむように笑いながら彼女はガラスのテーブルにお茶と水ようかんを並べていく。俺はよく冷えた緑茶を一口飲んでから口を開いた。


「色々と聞きたいことはあるけど、まずはありがとう。シャワーとお茶と、着替えも」


「いえいえ、どうかお気になさらずに。みなさん本当に良くお似合いで」


 俺たち三人は彼女が用意してくれたパジャマを着ている。咲紅はピンクの水玉。翠は濃紺のストライプ。そして俺は無地のグレー。うーん、パジャマが似合うと言われても、あんまり嬉しくないな。


「パジャマパーティーですね。お洗濯が終わったら私もパジャマに着替えますから。あ、パーティーならケーキなんかも欲しいですね。お酒はまだ年齢的に駄目ですから、おいしいジュースを用意して――」


 なんか勝手に盛り上がっているようだが、その前にしておくべきことがあるだろ。


「なあ、とりあえず自己紹介でもしないか?」


 俺の言葉に、咲紅と翠がハッとした顔をしている。うん、なんとなく二人の気持ちはわかるよ。この子の柔らかい笑顔は人を安心させる。気持ちを落ち着かせる。ずっと昔からの気心の知れた友達と一緒にいるような、そんな気持ちにさせる。


「あ、言われてみればそうですね。なんだかみなさんとは初対面という気がしなくて……つい、うっかりしていました」


 彼女はそう言って頭をかき、恥ずかしそうに笑って言葉を続けた。


「それでは私から始めちゃいますね? えっとぉ……私の名前は白築未来シラツキミクです。未来と書いてミクと読みます。この白築宇宙物理研究所を創った、お父さんとお母さんの娘です。両親の跡を継いで、この研究所の所長をしています。どうぞお気軽にミクと呼んでください。みなさん仲良くしてくださいね?」


 パチ、パチ、パチとまばらな拍手。観客が三人しかいないので仕方がない。


「ねえ、ここには一人で住んでるの? お母さんは?」


 咲紅の質問に、未来は少しだけ困った顔をしたが、すぐに笑顔に戻ってそれに答えた。


「お父さんもお母さんもずっと昔に亡くなっています。姉のような人もいましたが、病気で……なので、いまここに住んでいるのは私一人だけです」


「ご、ごめんなさい! 嫌なこと聞いちゃって……」


「いえいえ、もうずっと昔のことですから。気にしなくていいですよ」


 咲紅のバカ。いきなり重い話になりそうな質問をするなよな。そういうのは時間をかけて、ゆっくり聞き出すべきだろ。まあ、俺も聞いてみようかと思ってたんだけど。


 さて、咲紅のせいで少し空気が重くなってしまったが、気を取り直して、


「んじゃ、つぎ俺。えー、俺の名前は永穂蒼志。蒼空のように高く志をもて! ってことで蒼志だ。よろしく」


「蒼志君、ですか。かっこいい名前ですね。こちらこそ、よろしくお願いします」


 ふふん、まあね。自分でもけっこう格好いい名前だと思ってる。


「はい、次あたし! 加倉井咲紅! お母さんが真っ赤なバラの花が好きだったからそのイメージで。友達からはお嬢って呼ばれてるけど、名前で呼ばれるほうが好きかな。未来ちゃん、仲良くしようね?」


「咲紅ちゃん。とっても可愛らしいですね。よろしくお願いします」


 可愛いって言われてかなり嬉しそうだな、咲紅。でも名前のことだからな? おまえ自身が可愛いって言われたんじゃないからな? 勘違いするなよ?


「僕は阿野翠。親父が好きな画家の名前を一文字もらったんだ。まあ……よろしくな!」


「翠君。とても素敵だと思います。よろしくお願いします」


 お、翠、顔が赤くなってるぞ? すっごい照れてるなあ。まあ、女の子に素敵なんて言われたの生まれて初めてだろうからな。無理もないか。


 よし。それじゃあ自己紹介も一通り終わったことだし、そろそろ本題に――、


「それでは自己紹介も一通り終わったことですし、さっそくパジャマパーティー、ですよね? 私、お友達とこうしておしゃべりするの今日が初めてなんですよ。もう、嬉しくって、嬉しくって!」


 ああ、そうか。そりゃあそうだよな。こんなところにずっと一人で住んでるんだもんな。友達なんているわけないよな。そりゃあそうか……。


「ねえ、蒼志君。蒼志君はなにが食べたいですか? 咲紅ちゃんはなにが好きですか? 翠君も食べたいものがあったら、なんっでも言ってくださいね?」


 未来はウキウキした様子でそう言うと、もともと下がり気味の目尻をさらに下げて、人懐っこい笑みを浮かべた。うっ……そんな顔を見せられたら……なんか、俺までウキウキしてしまうじゃんか! うー、仕方ないな、しばらくは未来の望むようにしてやるか!


「俺、昨日から菓子しか食ってないから、なんかしっかりしたもん食いたいなあ」


「あたし、カルボナーラ! プラス、シーザーサラダ! アンド、チーズリゾット! それに、ケーキバイキング!」


「じゃあ僕はピザがいいな、肉系のやつ。あとはフライドチキンと……ハンバーガー! それと……カツカレー!」


 おいおい、そんなの用意できるかよ。ここをどこだと思ってんだ。あんまり無茶を言うなよ。と思ったのだが、そんな俺の心配をよそに、未来は二人の要求をメモ用紙に書き留めていく。あれ? もしかして用意できるのかな?


「それでは準備してきますから、ちょっと待っててくださいね?」


「あ。なあ、俺も手伝おうか?」


「あらまあ、お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です、それには及びません。みなさんはお客様なんですから、どうぞゆっくりしていてください」


 未来はそう言い残して、パタパタと? いや、ペタペタとリビングを出ていった。ちょっと変わった歩き方だな。少し猫背で膝を軽く曲げ、両手を斜め下でゆっくり羽ばたくようにしながら、全身を左右に揺らして歩いていった。動物に例えるなら、ペンギンだな。


「ふぁーああ。いろいろ聞きたかったんだけどな。タイミング、逃しちゃったな」


 俺は両手を上げ、のけぞって欠伸をした。


「あとで聞けばいいじゃない。時間はタップリあるんだし。あ、蒼志がシャワー浴びてる間に頼んでおいたから、泊めてくれって。快くOKしてくれました」


 まあ、この状況で駄目ってことは無いよな。俺たちは最初からそのつもりだったし、たぶん未来もそうだったのだろう。


「ところでさあ、用意できんのかなあ、ピザとか。勢いで言っちゃったけど、ここって町の外だぜ? しかもかなり遠い。アイツどうすんだろ。まさか今から作るつもりか?」


 翠が不思議そうな顔をしてそう言った。それを聞いて咲紅は、


「大丈夫でしょ。だって未来ちゃんは毎日ここで食事してるのよ? きっとなにかいい方法があるんだわ。例えば……えっと、例えば……出前とか?」


「いやいや、出前はないだろう。誰が持ってきてくれるんだよ、こんなところまで」


 と、俺が咲紅の意見を否定した、ちょうどその時、


「みなさぁん、お待たせしました。パーティーの準備が整いましたので私の部屋に移動しましょう。すいません、ちょっと遅くなっちゃって」


 そんなことを言いながら、未来がリビングに戻ってきた。え? まだ十五分くらいしか過ぎてないよ? ちょっと早すぎだろ。


「いや、早すぎだろ。さっき出てったばっかりじゃん」


「えっ? そうですか? まあ、とにかく準備できましたので移動しましょう」


 未来はそう言ってリビングを出ていった。急いであとを追いかけると、彼女は鉄の扉を開けて俺たちを待っていた。そして「こっちです」と、その中に入っていく。鉄の扉をくぐり、短い廊下を進み、十数段の階段を下りるとすぐに部屋があった。二十畳くらいの洋間に淡い水色のカーペットが敷き詰められている。左の奥にノートパソコンが置かれたスチール製の勉強机、右の奥に木でできたベッド、そして部屋の中央には四組の布団がきれいに並べて敷かれていた。


「布団まで敷いたのか。たった十五分でよくここまでできたな」


 布団の周囲には二人が要求した通りの料理が並べられ、湯気を立てている。これだけのものを揃えて、さらに布団まで……。


 驚いて立ち尽くしていると、後ろにいた咲紅と翠が俺の両脇をすり抜けて、布団の上に飛び乗った。もちろん各自が要求した料理のそばに。そして未来に向かって手を合わせ、大きな声で「「いただきまーす!」」と言って、思い思いの料理に手を伸ばし始めた。


 おいおまえら。これ、全然不思議に思わないのかよ?


「なあ未来。これ、どこから持ってきたんだ?」


「それはですねぇ……蒼志君、振り返って階段の左側を見てください」


 俺は言われたとおりに体の向きを変えた。正面に、いま下りてきたばかりの階段が見える。その右側には鉄の扉が、そして左側には……これ、なんだ? 高さは扉の半分くらい。幅は扉と同じくらい。外枠は銀色で、その内側は透明な窓。窓の上には棒状の取っ手がついている。巨大な縦開きのオーブンが埋まっている感じ、かな? 窓から中がのぞけるが、今はなにも入っていないらしく暗い色の底板しか見えない。


「それはですねえ、あなたがたの町に繋がっているんです。町の、地下にある工場に」


 それから未来は勉強机のほうを指さして、


「あのパソコンで注文すると、それの中に送られてくるんです。工場で作られているものなら、なんでも。大きすぎるものは無理ですけどね。そうですねぇ、注文してからだいたい三分後には品物が届きますよ」


 へえ! すげえ便利だな! 三分かあ、ということは……時速何キロくらいで送られてくるんだ? 気になったので聞いてみると、


「そうですねぇ、最も速い時点で時速650キロくらいでしょうか」


 それを聞いた翠がピザを頬張りながら間抜けな質問をする。


「なにぃ、650キロだと? 時速650キロって……どのくらいのスピードなんだ?」


「具体的にわかりやすく言うと、音速の約半分ですね」


 駄目だな。翠は全然わからないって顔をしている。しかしすごい速さだな。どんな仕組みになっているんだろう。話を聞いてベルトコンベアのようなものを想像していたが、そこまで速いとなると……ちょっと無理があるなあ。


「なあ未来。これ、どんな仕組みなんだ? ベルトコンベアじゃ無理だよな? それだけの速度を出そうと思ったら、火薬とかロケットエンジンとか……でも、ちょっと手間がかかりそうだし、それに荷物がグチャグチャになりそうだし……」


「うーん、ちょっと惜しいですね。コンベアは正解ですけど、ベルトではなく磁気浮上式のリニアモーター方式です。きちんと計算して速度調整しているので、荷物が潰れることはありません。ほら、あんなものでも大丈夫です」


 未来は布団のそばに置かれた白い箱を指さした。箱の側面には〈エゴイストおばさんの店〉という文字が赤い色で印刷されている。咲紅が手を伸ばして箱を開けると、中にはフワフワのシュークリームがきれいに並んで収まっていた。


「えへへ、私のです。すごくおいしいんですよ?」


 はぁー、なるほどリニアモーターか。リニアモーターってそこまでスピードが出せるんだ。すげえな。……ちょっと使ってみたいなあ、と誰もがそう思うだろう。なんらかの新しい知識を得ると実際にそれを経験したいと考えてしまうのは、人間の心理としては至極当然のことだ。なので俺は未来に向かって両手を合わせ、


「未来さん! お願いします、一回だけ使わせて?」


 すると未来はニッコリと笑顔で、


「いいですよ? 一回といわず、何回でも」


 そう応えて勉強机のほうへ歩いていく。俺もすぐにそのあとを追った。


「では、椅子に座ってください」


 言われた通り椅子に座った。咲紅と翠はそれぞれ食い物を手に持って、俺の肩越しにパソコンの画面をのぞいている。


 それから未来は「では、説明しますね?」と、なにかキーを叩いた。一秒くらいして画面にデスクトップが表示される。そして……なにかを、どうにかして、それから、なにか打ち込んだ。そのあとエンターキー。駄目だ、速すぎて全くわからない。この女、極めてるな。そのあと少し間をおいて、画面の中央付近に大きめのウインドウが開いた。未来はそのウインドウの左側に並んだ文字を指さしながら、淡々と説明を始めた。


「ここに並んでいるのがカテゴリーです。ツリー構造になっています。クリックすると展開していきます。そしてその都度こちら側に――」


 ウインドウの右側を指さして、説明を続ける。


「該当する品物の写真付きリストが表示されます。リストのこのアイコンをクリックすると、その品物がカートに追加されます。カートの中身はこのアイコンで見ることができます。そこで削除もできます。あとは、欲しい品物がカート内に全て揃ったら、このアイコンで決定。三分後にはあの取り出し口の中に品物が届く、というわけです」


「んん? 代金の支払いはどうすればいいんだ?」


「全部無料です。お金は必要ありません」


 その言葉を聞いた咲紅が目を丸くしている。きっと「うそ!? あたしも頼も、なんにしよう?」とか考えてるんだろうな。でも――、


「なあ、それは合法なのか? それとも……」


「大丈夫ですよ、合法です。過去にお父さんが、工場の運営に関する極めて重要な問題の解決に多大な貢献をしたんだそうです。それで工場の設備をいつでも自由に使える権限を貰ったのだとか。ちゃんと書類も揃っているので全く問題ありません」


 へえ、そうなのか。じゃあ大丈夫そうだな。ま、いざとなったら騙されたって言えばいいか。ようし、それじゃあなにを頼もうかな?


 うしろから咲紅と翠が、あれも欲しい! これも欲しい! とうるさいが、俺は早く結果が見たいので、欲しいものがあるなら後で自分でやってくれ。


「あ、未来、俺の飯はなんにしたの?」


「しっかりしたものと言われたので、カツ丼にしておきました」


 うむ、確かにしっかりしてるな。じゃあカツ丼に合いそうなものをなにか……。


 俺は洒落たデザインのマウスを操作して、カテゴリーの中から食糧品をクリックした。そして、その下に展開された項目を上から順に見ていく。野菜、肉、魚、パン、お菓子、インスタント、レトルト、お惣菜、お弁当、出前――ん、多分ここだな。出前をクリック。さらにその下に展開された項目は店名のようだ。その中から某有名蕎麦屋の名前を見つけ出しクリックした。ウインドウの右側に蕎麦屋のメニューが表示される。下の方にスクロールして……あった! 目的の物をクリックして、決定のアイコンをクリック。そして、最終確認のダイアログでOKをクリックした。これであとは三分間待つだけだ。


 俺は取り出し口の前にしゃがみ込み、注文した物が届くのをじっと待った。


 ……そうして待つこと三分。扉の窓から見えている奥の壁が、音もなく開き始めた。


「おっ、動いた!」


 俺がそう言うと、パソコンを弄っていた三人がこっちに集まってきた。そしてキラキラした目で取り出し口の窓に注目する。未来は見る必要無いと思うんだけど……まあいいよ。


 開いた奥の壁から湯気を立てた丼が徐々にせり出してくる。やがて丼が完全に姿を現すと、奥の壁はもとどおりに閉じ、照明が点灯して中の物をはっきりと照らし出した。俺は取っ手を引いて扉を開け、念願のカレー南蛮を手にすることができた。


「おいっ、すげえな。本当に出てきたよ」


 パチパチと拍手する未来。あとの二人はヘェーといった顔でカレー南蛮を見つめている。それから俺はカツ丼のそばに腰を下ろし、ガツガツ、ズルズルと食事を始めた。うん、さすがは某有名蕎麦屋のカレー南蛮だ。滅茶苦茶うまいな。


 そのあと俺が食事をしているあいだに、咲紅がチョコレートケーキとレアチーズケーキとモンブランを、翠がチョコレートのアイスクリームを取り寄せていた。チョコレートや生クリームの甘い香りと出汁の効いたカレー独特の匂いが複雑に絡み合う。そんな混沌とした空気の中で、心底嬉しそうにシュークリームを頬張る未来の姿がとても印象的だった。ところで咲紅、そんなに食べきれるのか? 残すなよ?


 しばらくして取り寄せた料理やデザートをあらかた食べ終わると、咲紅と翠はすぐに横になってしまった。疲れているのはわかるんだけどさあ。後片付け、しようよ。


「咲紅、翠、寝るなら片付けてからにしろよ」


 俺が残り物のレアチーズケーキとモンブランを食べながら文句を言うと、


「えー、いま? 明日の朝でいいんじゃない?」


「蒼志、僕には無理だ。どうしても体が動かない。あとは任せたぜ」


 おまえらだらしなさ過ぎ! まったく、未来を見習え、未来を。全部一人で片付けてるじゃないか。しょうがないなあ、まったく。


 俺はモンブランの最後のひとかけらを口の中に押し込んでから、周りに散らかっている空き容器や出前の皿を一カ所に集めた。そしてキッチンで洗い物をしている未来のところまで運ぶ。階段を上って、突き当たりの扉を――、


「あ、蒼志! お願い、冷たいお茶もってきて! 冷たいお茶!」


「僕はアイスコーヒーがいいな! 頼んだぜ!」


 くっ……こいつらは……。


 リビングの扉をくぐると、カウンターの向こうでゴソゴソしている未来の姿が目に映った。洗い終わった容器やゴミを大きなビニール袋にまとめているようだ。俺は、


「おーい、これどうすればいい?」


 そう声をかけながらキッチンのほうに近づいていった。


「あら、持ってきてくださったんですか? どうもありがとうございます。えっとー、流しに突っ込んでください。洗ってしまいますので」


 言われたとおりに流しに突っ込むと、未来はすぐにそれを洗い始めた。


「分別は自動でしてくれるんですけど、食べ残しなんかが付いていると腐敗してガスが発生してしまうので……あ、洗い終わったものをそのビニール袋に入れて頂けますか?」


 俺は未来が次々に手渡してくる洗い終わった容器を、軽く水を切ってからビニール袋に突っ込んでいった。やがて全ての容器がビニール袋に収まると、未来は袋の口を縛って、カウンターの裏にあるダストシュートに放り込んだ。そして、


「こっちのダストシュートは、リサイクルのラインに繋がっています。生ゴミ以外は全部、こっちに入れるようにしてください」


 並んで二つあるダストシュートの、片方を指してそう言った。


「ということは、もう片方のダストシュートは生ゴミ専用なんだな?」


「そういうことです」


「入れるとどうなるんだ?」


「裏の川にドボンです。お魚さんとワニさんがキチンと処理してくれます」


 ふうーん。


「では部屋に戻りましょうか。まだ時間も早いことですし、色々とおしゃべりしましょう」


「あ、そうだ。冷たいお茶とアイスコーヒー、あるかな?」


「はい、ありますよ? では用意して持って行くので、蒼志君は先に戻っていてください」


 そのお言葉に甘えることにした。


 流行の歌を口ずさみながら地下の部屋に戻ると、二人がパソコンに向かい……なにをしているんだろう? 後ろからのぞいてみると、どうやらメールを送ろうとしているらしい。


「お茶は?」「アイスコーヒーは?」


 振り向きもせず言う二人に少しだけイラッとした。


「未来が用意してる。それよりなにやってんの? メール?」


「ああ、ミッチーにな。いちおう無事だって知らせておいたほうが安心するだろう?」


 まあそうだな。それにミッチーに知らせておけば勝手に千霞にも伝わるだろうし。メールすること自体は、こいつらにしては良い思い付きだ。けどさあ……他人のパソコンで勝手にメールするのは、どうかと思うぞ?


「あ、翠君、PS愛してる、とか書かなくていいの? ミッチー喜ぶと思うよ?」


「なんでだよ。んなわけないだろ。次に顔を合わせたときに殺されちまうぜ。送信っと」


「翠、おまえ滅茶苦茶にぶいな。なんでわかんないんだよ」


 と、くだらない話をしていると、部屋の扉を開け閉めする音が聞こえた。そしてペタペタという足音のあと、冷たいお茶とアイスコーヒーの入ったピッチャー、それといくつかのグラスを載せたトレーを掲げて未来が姿を現した。ん? パジャマに着替えている。未来は白地に水色の水玉柄パジャマに着替えていた。もちろん、しわくちゃではない。


「未来ちゃーん、待ってたよー」


 咲紅がそう言って、敷かれた布団のど真ん中にペタンと座る。未来は布団から少し離れたところにトレーを置くと、俺たちを見回しながら注文をとった。


「みなさんお茶とアイスコーヒー、どっちですか?」


「お茶!」「コーヒー!」「コーヒー!」


「はい!」


 そして全員にグラスが行き渡ると、突然咲紅が妙な声色を使って場を仕切り始めた。


「それでは、グラスの準備が整ったようですので、乾杯のほうに移りたいと思います。えー、新しい出会いと、新しい友人に。ついでに古い友人にも、乾杯!」


「「「カンパーイ!」」」


 部屋中にグラスを合わせる音が幾度となく響いた。


「えへへ、私、乾杯なんてしたの生まれて初めてです!」


 心底嬉しそうな笑顔を見せる未来。こんな女の子が、なぜこんなところに独りで暮らしているのだろうか。聞いてみたいけど暗い話になると嫌だなあ……あ、その前になぜ俺を呼んだのか、いや、その前に本当に未来が俺を呼んだのかを聞いておかないと。


「なあ、未来。あのさあ……未来が俺を呼んだんだよな?」


「はい、そうです。蒼志君ったら、なかなか気づいてくれないので苦労しましたよ」


 やっぱりそうなのか。気付いてはいたんだけどな、気のせいかと思ってた。そう答えようとしたら、いきなり翠の横やりが入った。こら、いま未来と話しをしているのは俺だぞ!


「なあ、あの文字! あの砂浜の文字ってどうやって書いたんだ? 未来はずっとここにいたんだろ? それなのにあんなこと、超能力とか魔法でも使わないと絶対無理だぜ?」


 未来はその問いに、ちょっと得意げな顔をして答えた。


「それはですねえ、人工衛星です。衛星軌道上からレーザーを使って書きました。あ、その人工衛星っていうのはですね、昔お父さんが作ったものなんですよ。今でも何基かは残っていて、ちゃんと稼働しているんです」


 あ、なるほど、人工衛星か。そうか、ここは宇宙物理研究所だもんな。こういうところの博士なら、人工衛星くらい作っていても不思議じゃあない。そっかあ、人工衛星とレーザーか。それなら俺たちに気づかれずに砂浜に文字を書くくらい可能だな。じゃあついでにこれも聞いておこうか。


「じゃあさ、あの映像はどうやったんだ? 目の前にいきなり映った、幻覚みたいなやつ」


「あれはですねえ、指向性を高めた可視光線に映像を乗せて直接目に照射しただけです。人工衛星の中に実験用の機材がいろいろ積み込まれていまして、ちょうど良いものがあったのでそれを利用しました」


 そんなこともできるのか。すごいな人工衛星。いや、本当にすごいのは、その人工衛星を作った未来の父親のほうか。


「すごいんだな、未来のお父さん」


 俺がそう言うと、未来は嬉しそうに微笑んで父親の自慢話を始めた。


「そうなんですよ! お父さんは、ほんっとうに、すごいんです。宇宙のことだけじゃなくて、機械とかコンピューターのことについてもすっごく詳しいんですよ」


「ん? じゃあ、あのリニアモーターの搬送機械もお父さんが作ったの?」


「はい、そうです。それに町の中にもお父さんが作ったものはたくさんあります」


「へえ、未来のお父さん天才だな」


「はい、それはもう大天才です!」


 未来の話す言葉の端々に、父親への強い気持ちが表れているように感じた。


「そうか、未来はお父さんのことが大好きなんだな」


「はい、大好きです!」


「そうか……羨ましいな、お父さんが」


「……え? ……ええっ!? あ、あの、それは……どっ、どういう意味なんでしょうか?」


 ああ! 俺の頭が未来の父親くらい良ければ、いろいろと面白いものが作れるのに!


 そんなふうに、俺と未来がそれぞれ盛り上がっている様子を、咲紅と翠は驚いたような、感心したような、それでいて訝しむような複雑な表情で眺めていた。学校では、人工衛星なんて今ではもう一基も存在していないって教えられているからな。二人が驚くのも無理はない。


 咲紅が重そうな口を開いたのは、それから少し経ってからのことだった。


「でも人工衛星って……お高いんでしょう? 個人で所有できるようなものなの?」


 咲紅は未来の言葉を信じ切ってはいないようだ。


「未来ちゃんの言うことを疑っているわけじゃないのよ。ただ、空のずっと高いところをなにかが飛んでいて、それを未来ちゃんが操作して、なにかするっていうことが……その……実感できないっていうか……」


「かーっ! 頭かたいなお嬢は。未来は実際にここから砂浜に文字を書いたんだぜ? なんでそれで信じられないかな。じゃあ、お嬢は未来の言葉以上に納得のいく説明ができんのかよ。どうなんだよ」


 と翠。続けて面白そうなことを言い始める。


「未来、人工衛星にカメラ付いてるんだろ? だったらその映像を見せてやれよ。多分それならお嬢も納得するぜ?」


 うん、俺もその映像は見てみたい。そして当の未来も、


「わかりました。論より証拠、百聞は一見にしかずというやつですね!」


 とか言って乗り気のようだし。ただ一人、咲紅だけは「だから、疑ってるわけじゃないって……」とブツブツ文句を言ってるけど。


「では準備するのでちょっと待ってくださいね?」


 未来はそう言って立ち上がり、勉強机のそばに近づいた。そして引き出しの中から黒いケーブルを取り出した。コネクターの形状から推測するとモニターケーブルのようだ。おそらくノートパソコンを使うつもりなのだろう。この部屋にモニターと呼べるものはそれしかないからな。


 しかし俺の予想を裏切って未来はノートパソコンには目もくれず、勉強机の左側の壁の真ん中あたりに近づいた。そして壁の一部に指先で触れると、


「「「あっ!」」」


 と言う間に、壁に巨大なモニターが現れた。大きさは100インチ以上ありそうだ。画面は青一色。右上の隅に白い文字で〈外部入力001〉と表示されている。


「あー、びっくりした。テレビ、あったんだ」


 咲紅が両手で胸を押さえながら、つぶやくように声を漏らした。


「あ、すみません、驚かせてしまって。ずっと壁紙と同じ色を表示していただけなんです。ここに操作パネルがありますので、見たい番組等あればご自由にどうぞ」


 そう言って壁を指さす未来。そして、そこから指を動かして少し下の壁を軽く押す。すると、その部分が小さな扉のようにパカッと開いた。中に並んでいるのはたぶん入力端子の類だろう。未来はその端子の一つに持っていたケーブルの一端を差し込むと、もう一端は手に持ったまま、布団の上のもといた場所に戻り女の子座りをした。


 運悪くと言うべきか、タイミング良くと言うべきか。このとき俺、咲紅、翠の三人は、それぞれが飲み物を口の中にタップリと含んでいた。三人が同時にグラスを口に運んだのは、ただの偶然だったのかもしれないし、なにかきっかけのようなものがあったのかもしれない。ともかくそんな状態で三人は、未来の次の行動に注目していたんだ。


「えへへ、すぐに映しますからね? もうちょっと待っててくださいね? フーーーン、フン、フン、フン、フン、フン、フン、フーーン、フン、フーン……」


 笑顔でそう言った未来の動きはとても自然なものだった。どこかへ行こうと思えば足が前に進むように。なにかをつかもうと思えば手が前に伸びるように。


 そんなふうに未来は首を前に傾げ、肩までの長さの髪を頭の後ろで左右にかき分けた。白くて細いうなじが露わになる。それから未来は、おもむろに首の後ろ側の皮膚に爪を突き立て、そのまま一気に引き剥がした!? さらにその内側にケーブルのもう一端を、ブスリッ! と突き刺した!?


「「「ブーーーッ!」」」



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