午前
さて、と、これでよし。
このくらいしておけば……大丈夫でしょう。間違いなくあの人は私からのメッセージに気づいて、そしてお友達をゾロゾロ引き連れて遊びに来てくれるはずです。
あ、いやいや、過度な期待は禁物です! 万が一、それが叶わなかったときに、ショックが大きいですからね。立ち直るのに半日くらいはかかってしまいます。
なのでまあ……そうですね、もしかしたら来てくれるかもしれないなあ、程度に考えておきましょうか。
え? そんないい方法があるなら、なんでもっと早くそうしなかったのか、ですって? いや、だって怖いじゃないですか。町の人たちにハッキリした形で私の存在に気づかれてしまったら、あのときと同じように組織の人たちが現れて、また私を殺してしまうような気がするんです。それでいつも二の足を踏んでしまってたんですけど、そろそろ思い切った行動に出ないと、いつまでたっても埒があきませんからね。
いやあ、でも、あのときは本当に大変だったんですよ? 玄関のチャイムが鳴って、お母さんが応対しに行ったと思ったら、いきなり銃声が鳴り響いて……それから彼らはリビングでテレビを見ていた私に銃を突きつけておいて、二階の書斎にいたお父さんを殺して、そして、そのあとで私の頭も撃って……。
あの組織は自然消滅してしまって、今はもう存在していないってことは知ってます。でもですね、なかなか拭いきれないものですよ? 自分が殺されたときの恐怖感というものは。
――あ! あの人、気づいたみたいですよ!? こっちに向かっているようです!
こうしちゃいられません、お茶とお茶菓子を用意しなくっちゃ!
♢♢♢
どこまでも澄み渡る青い空、容赦なく照りつけるまぶしい太陽、熱く灼けた真っ白な砂浜、それと水着姿の女の子。
俺の目の前にいる千霞の水着はオレンジ色のチェックのビキニだ。こぢんまりとしてはいるが、比較的女の子らしいバランスの取れた肢体が、俺の視線を釘付けにする。そして、その比較対照の――、
「ちょ、ちょっと、蒼志! どういうことよ、これは!」
これだ。どうやら少し機嫌が悪いみたいだな。俺たち四人の姿を認めるなり、血相を変えて怒鳴り散らしている。
「いや、どういうことって言われてもなあ。たまたま宿泊所が同じだったから、今日は一緒に遊ぼうかってことになって……なあ?」
と、みんなに同意を求める。俺に膝枕してくれている千霞と、レジャーシートにうつ伏せに横たわるミッチーと、そのミッチーをうちわで扇いでいる翠に。
「そういうことじゃなくて……あんたたち、ちょっとくっつき過ぎじゃない!?」
「えー? だってさあ、気持ちいいんだよ。ぷにぷにして」
すると千霞が、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、俺の髪をさらさらと撫でながら、
「蒼志さんの髪も気持ちいいですよ? あ、加倉井さんもされてみてはいかがですか? 膝枕。でも、その細すぎる足は、あまり膝枕をするのに向いていないかもしれませんね」
うん、確かに。たまに咲紅の部屋で耳掻きをして貰うことがある。そのとき膝枕をされるのだが、骨が顔にあたってけっこう痛い。
「おお、よくわかったね、千霞。まったく、そのとおりなんだよ」
俺が手を伸ばし千霞の頭を撫でてやると、咲紅は「バァーーー」と声を伸ばしつつ右足を大きく振り上げ、そして、
「カッ!」
と叫んで、その足を力いっぱい振り下ろした!
「痛っ! ブヘッ、ペッ、ペッ」「あうっ! ペッ、ペッ」
大量の砂が俺と千霞に向かって勢いよく飛び散る。それから咲紅は少し離れた場所にあるデッキチェアに飛び乗り、ウェストポーチから文庫本を出して仏頂面で読み始めた。
「いきなりなにすんだよ! ペッ! なあ、ひどいと思わねえ?」
翠とミッチーに意見を求めたが、二人とも我関せずといった顔だ。なんだよ、俺が悪いって言いたいのか? そう思いつつ、ふと千霞の顔を見てみると……あれ? なぜか笑顔だ。してやったり、といった表情で口に入った砂を吐き出している。
「千霞、水に入って洗い流そう」
「はひ……ペッ、ペッ」
そう言って立ち上がると……少し離れたところに、妙なものがあるのに気がついた。
「なあ、千霞。こんなのあったか?」
「はい? ……なんですか? これ。さっきまではありませんでしたよね?」
俺たちの視線の先には『お願い私を助けて!』という文字が、砂を掘って書かれていた。一つの文字の幅が30センチくらいある。こんなものをこんな場所に書いていたら、俺たちのうちの誰かが気づくと思うのだが。
「なあ、これ何だろ。おまえら、誰かがこれ書いてるのとか見た?」
翠とミッチーにも聞いてみた。ミッチーが「よっこらせ」と言いながら起きあがる。白とグレーのボーダー柄タンキニで、ボトムは黒のショートパンツ。うへえ、手足長いな! まあ、それは置いといて。ミッチーは低めのハスキーボイスで、
「どれどれ……ふーん、お嬢が書いた、というわけではなさそうだな」
「ああ、咲紅が立っていた場所から、これを書くのは不可能だ」
俺は咲紅が砂を蹴散らした跡を、あごで指しながら答えた。
「僕とミッチーも違うぜ。ずっとこっちにいたからな」
ということは、やはり俺たち以外の誰かが書いたとしか思えないな。でも、一番近くにいる家族連れとでも10メートルくらいあいだが離れているし……うーむ、謎だな。
……おや? 実は寂しがり屋の咲紅が、ちらちらとこっちを見ている。俺たちの話しの内容が気になっているようだ。ふう。まったく、しょうがないなあ。
「咲紅咲紅、ちょっと来て。ちょっと不思議なことがあるんだ」
「えっ? しょっ、しょうがないわねえ!」
そう応えて、まんざらでもないといった顔でこっちに歩いてくる。そして、
「うおっほん! じゃあまず、現場の検証から始めましょうか」
実は咲紅は、謎が大好きだ。テレビのミステリー番組は録画して必ず見るし、推理小説なんかもよく読んでいる。現に、いま読んでいた文庫本も、表紙になんとか殺人事件と書かれたものだ。
「これが謎のメッセージね? ふんふん、砂を掘って書かれている。結構、きれいな字ね。そして容疑者は四人。蒼志、翠、ミッチー、千霞」
咲紅は謎の文字の上に屈み込んで推理を始めた。――ん? 四人?
「咲紅おまえ、自分は入れないのかよ」
「あたしはこんなの書いてないから犯人じゃないわ。それに、四人の八つの目をかいくぐって、第三者がここに近づくのも不可能。文字のまわりに怪しい足跡は無い。翠とミッチーは少し離れた場所にずっといた。蒼志は、バカな女と! いちゃいちゃと! ベタベタと! みっともなく乳繰り合っていた!」
「ちょっと加倉井さん。バカな女って、いったい誰のことですか? それにみっと――」
千霞の意見を完全に無視して、咲紅は推理を続ける。
「――つまり! この文字をここに書くことができた人間は、存在しない!」
「はあ? つまり、わからないってことかよ」
翠が突っ込む。すると咲紅は人差し指を額に当てて、
「んー、慌てるなよ相棒。謎はすべて、まるっと解けたぜ、じっちゃんの名にかけて」
「……お嬢、おまえはいったい誰なんだ?」
咲紅は、ミッチーの突っ込みを無視して続ける。
「つまり、これは……あ! あれだ、あれと同じよ。ミステリーサークル! 宇宙人かどうかはわからないけど、誰かに襲われた誰かが私達にメッセージを――」
あー、そっちに行ったか。聞いての通り、咲紅の推理が的を射た結論に辿り着くことは、まずありえない。テレビで推理物のドラマを見ているときもこんな感じだ。クイズ番組の正解率は高いんだけどな。不思議だ。そして、咲紅の残念な推理は続く。
「――そうよ、空からレーザーで書いたのよ! きっとそうだわ!」
……なんか微妙な空気になってる。そろそろ止めてやった方がいいな。そう思い、空を指さして力説する咲紅に声をかけた。
「咲紅、ちょっと早いけど飯にしようか。俺、腹減っちゃったよ」
「あ、そ、そうね! みんな、お昼食べましょう! お弁当持ってきたから、ね?」
時刻は十一時三十分。ちょうどいいと言えば、ちょうどいい時間だ。俺たちは、連れ立って昼飯を食いにいくことにした。フードコートに着くまでは微妙な雰囲気のまま移動したが、さすがは芽衣子さん特製の普通のお弁当だ。食べ始めるとみんな笑顔になり、次第に会話も弾んできた。
「最近、大会で見かけないけど、芽衣子さんは元気なのか?」
ミッチーが言っているのは、武道館で毎月行われている総合格闘技の大会のことだ。二人は、その大会で何度か闘ったことがある。結果は全て芽衣子さんの勝利に終わっているが、前回の試合のあと芽衣子さんが、
「いやー、やっぱ、あの子強いわ。次やったら、私負けちゃうかも」
とか言っていた。思うに実力伯仲のライバル同士といったところか。因みに町の格闘技界では、芽衣子さんは『北の魔王』と、ミッチーは『西の破壊神』と呼ばれている。
「うん。普通に元気だよ? さっき家を出るときTVゲームしてた。プロレスのゲーム」
昨日、お土産に持って帰ったPS148のことだろう。
「お嬢、芽衣子さんに伝えておいてくれよ。また試合しましょうって」
「あのさあ……僕、思ったんだけどさあ。格闘技やってるやつって、ちょっと頭がおかしいんじゃないの? 無駄に痛い思いして何の得があるっていうんだよ」
翠がまた余計なことを言った。千霞が遠くのミートボールに箸をのばしながら、
「翠さん、格闘技の経験はあるんですか? 自分でやったこともないのに、そうやって馬鹿にしてるのなら翠さんは本物の馬鹿ですよ?」
するとミッチーが、ミートボールの入ったタッパーを千霞の方へ寄せてやり、
「大丈夫だ、千霞。翠には今日からあたしがきっちり稽古をつけてやるから。二、三日もすれば格闘技の楽しさを、ちゃんと理解してくれるだろうよ」
そして翠が、おにぎりを頬ばったままで口を開く。
「ああお! ほおはえはうお!」
「「「「きたないな!」」」」
それから俺は、エビフライを尻尾までよく噛み、ちゃんと飲み込んで、
「でも大丈夫だ翠。ミッチーの本音は、ただおまえと一緒にいたいってだけだから、きっと手取り足取り優しく教えてくれるよ」
それを聞いたミッチーは、普段の落ち着きをすっかり失った様子で、
「バババッ、バカッ! そんなわけあるか!」
そのあと隣に座っている千霞が、俺のほっぺたに付いていたご飯粒を指で摘まみ自分の口へと運んだ。それを見た咲紅が、俺と千霞を交互に指さし声を荒げる。
「いい加減にしなさいよ! あんたたちみたいなのを正しくバカップルっていうのよ!」
とまあ、こんなふうに、楽しい食事の時間はゆったりと流れていった。
急に人数が増えたにもかかわらず、芽衣子さんのお弁当は全員の胃袋を満足させるのに十分な量があった。みんな気怠げな顔で、膨れたお腹をさすっている。午後からの予定を話し合うと、ほとんど全員の意見が一致した。もちろん、砂浜で昼寝だ。
「えー? あたし、眠くないのにー」
一人だけスイカ割りを提唱した咲紅が文句を言っているが、あとの四人は昨晩あまり寝ていないので、勘弁してくれ。悪いがスイカ割りはまた今度、な?
一刻も早く横になりたいので、急いで寝床を探す。だいぶ人が増えたようだが、まだ混み合っているというほどではない。なるべく周りに人がいない場所を探し、誰も使っていないビーチパラソルの下を確保してレジャーシートを広げた。
バスタオルを丸めて枕代わりにし、川の方に足を向けて横になる。右から俺、千霞、ミッチー、翠、そしてどこからかデッキチェアを運んできた咲紅。
咲紅はみんなが寝ている間中、読書にいそしむつもりのようだ。
「じゃあ咲紅、おやすみ。適当な時間に起こしてね」
「おやすみなさい」
「くー」
「んがー」
おい、向こうの二人! やけに寝付きいいな!
そして咲紅の方もすでに、なんとか殺人事件の世界へと旅立っていったらしい。みんなの「おやすみ」は、まるでその耳に届いていない様子だ。
それじゃあ俺も……軽く目を閉じて、それから、深く息をした。
今朝のことを思い出す。朝、目を覚ますと目の前に千霞が丸くなって寝ていた。夜中のうちに俺の布団に潜り込んだらしい。俺が寝ていた場所は入口近くだったので、他の男子には見つからずにすんだ。二人を起こして、部屋をこっそりと抜け出した。それから食堂で四人分の朝飯を作っていたミッチーと合流した。シンプルで基本に忠実な朝食をおいしく頂いた。そして水着に着替えて砂浜でごろごろし、今に至る。
昨日のことを思い出す。昼に食べた芽衣子さんのスペシャルランチ。ウォータースライダーの頂上からの景色。色々な屋台で遊んだこと。そして花火大会に、肝試し大会。夜は翠と男同士の話しをした。
一昨日は……何があったかな?
終業式があって、帰ったら芽衣子さんが怒ってて……
……それから咲紅と買い物行って……
それから芽衣子さんの感触が……
……それから……親父っさんが……
……グゥ……
……。
――ん? なんだろう。なんか眩しいな。暗闇で懐中電灯の光を目に当てられたような眩しさを感じ、俺は眉根を寄せてうっすらと目を開いた。ぼやけた景色が次第に鮮明になっていく。やがて目の前に浮かんできた映像は、あの日見た風景――オヤジたちの葬式の日に見た、柵のそばの風景だった。
五年前、葬式が行われた寺のほど近く。親戚や両親の知り合いと話をするのに疲れて寺を抜け出した俺が、人気のない場所を探してたどり着いた場所だ。目の前には金属製の頑丈そうな柵。その向こう側には、背の低い雑草の平原がずっと先の山まで続いている。草と、所々むき出しになった土以外、他には何もない。
そういえば一昨日もこんな、夢だか幻覚だかを見たな。だけど、その時とは明らかに違っている点がある。いま見えている風景には動きがあるということだ。よくよく見てみると、柵の向こう側にある雑草が風に揺れている。
そして……視点が移動し始めた。柵がある方に向かって。おいおい、このまま行くと柵にぶつか……らない? 通り過ぎちゃったな。この景色を見ている何者かは、柵の上を難なく通り過ぎてしまった。そして徐々に加速していき、どんどん町から遠ざかっていく。
うーむ、何だろうな? これ。絶対に夢や幻覚なんかじゃないと思うんだけど。
まもなくして、視点の主は草原から森へと入った。いや、森の上を飛んでいる、と言うべきだろうな。何メートルも高さがあるはずの樹木が次々と足下を通り過ぎていく。そして森を抜けると、今度は山を登り始めたようだ。前方に見えていた空が今は全く見えない。視界に入ってくるものは木と草と地面だけだ。それから少しすると、川に突き当たった。映像は徐々に速度を落とし、川沿いに山を登っていく。
ん? あれは……家、だな。一軒の家が見えてきた。青い瓦葺きの屋根の、大きくも小さくもない、ごく普通の家だ。長いこと手入れがされていないらしく、灰色の壁は大部分が蔦に覆われている。そして、小さくてわかりづらいが、二階のベランダに人影があるのが見えた。真っ白い服を着た女の子、かな? こっちを見上げて手を振っているようだ。その女の子はしばらくそうしていて、じきに家の中へと姿を消した。
それから少しのあいだ家を見下ろしたあと、視界は徐々に暗くなっていき、やがて完全に真っ暗になってから、もとの荒川の青空に戻った。
相変わらず日差しは強く、肌を撫でて行く風は穏やかだ。さっきより、幾分大きく聞こえている喧噪の中で、俺は大きなあくびを一つした。
隣では千霞が俺の方を向き、丸くなって眠っている。その向こうにはミッチーが気を付けの姿勢で眠っている。さらに向こうでは翠がいびきをかき、一番向こうでは咲紅が、顔に開いたままの文庫本を乗せて眠っている。
携帯電話を取り出して時間を見た。ここで横になってから、二時間ほどが過ぎている。
「千霞……おい、千霞」
「……う、うーん、だめですよ……もう食べられません……はっ! あ、蒼志さん。あれっ? 私のプリンはどこですか?」
目が覚めた途端、勢いよく跳ね起きてプリンを探し始める千霞。
「千霞、みんなも起こそう。遊ぶ時間が無くなっちゃうよ」
「えっ? あ、ああ、そうですね。みっちゃん、みっちゃん、そろそろ起きよう!」
千霞がミッチーの肩を揺すりながら声をかける。するとミッチーはすぐに目を開き、
「ああ、おはよう、千霞。むんっ!」
と、わざわざ翠の腹に肘を入れて起き上がった。
「ぐはっ、いってーなぁ! またおまえかミッチー。夢の中でまで僕の邪魔をするなよ!」
そして、いい夢をミッチーに邪魔された翠の叫び声で、
「……えー? なに騒いでるのよ。まったく、うるさくて眠れないじゃない」
?




