夢を見ていた人
くすくすとエミリエンヌは笑う。
「いやだわ、お兄様、お父様とお母様は絶対ルーパート様と結婚しろと厳命なさっていたでしょう。ルーパート様がどんなにクラウディアがお嫌いか、ご存知なら、クラウディアとお友達なんてとても言えないわ、だってそんなこと言ったらあの方は私との婚約を破棄したでしょう」
「つまりお前は、自分に非のある状態で、婚約破棄をしたくなかったわけだ」
エミリエンヌは答えない。
エミリエンヌとクロードの母方の祖父は、外交関係の仕事をしていた。
そのため隣国の身分の高い女性ほど、教養が高いという風潮をよく知っていた。夫人同伴での外交の場で、この国の模範的な貴婦人である妻と、隣国の模範的な貴婦人であるあちらの女性とのやり取りは今思い出しても胃が痛くなると、いまだにその時のことを思い出すと滝涙が流れるらしい。
娘は母親の薫陶よろしく成長してしまったが、孫娘はどうやら見どころがあると考えた祖父は、ちょくちょくエミリエンヌを家に呼び出して勉強させていた。
隣国からやってきた貴婦人、ガートルード夫人のサロンにも積極的に参加させるように仕向けたのもその祖父だ。
そこでクラウディアと知り合い、二人は固い友情で結ばれた。
エミリエンヌの両親への裏工作は祖父から買収されたクロードの仕事だった。
つい最近、両親にばれるまで、三人はとてもうまくやっていた。
道を誤った娘をまっとうな道に戻そうとエミリエンヌの母親が考えたのが、ルーパートとの婚約だった。
「しかし、どうやって情報操作したんだ」
「お兄様、情報操作など、不可能ですわ、ちょっと考えればわかることにあの人はついに気づかなかった」
エミリエンヌは言葉を切る。
「お兄様、人は当たり前のことなど、噂に上らせないものですわ」
いきなり一般論を言い出した妹に怪訝な顔をする。
「社交界の話題の貴公子、アルバート・ソリントンが、婚約者のいる女性の横取りを試みた。社交界の華、ユージェニー・サマセットが、婚約者を捨てて、一階級上の殿方に乗り換えた。もしこれが事実ならゴシップ好きの奥方達にとって垂涎の話題、社交会中がこの話題であふれかえるに決まってる」
「つまり、それほど噂にならない。それは独り身の男性が、独り身の女性に求婚したという当たり前の話でしかない」
アルバート・ソリントンがそれなりに有名人だったから口の端には上ったけれど、ゴシップに飢えた貴婦人には物足りない話題だった。
「私がどれほど言葉を尽くして、ユージェニー様は貴方のお兄様を裏切らないと言ってみても無駄でしたでしょう。だってあの人はそれを信じたかったんですもの」
エミリエンヌは唇をゆがめる。
「家族が危機的状況にあって颯爽と家族を救う。そんな妄想を膨らませていたからですわ、だからあの人は信じたかった。どれほど理を尽くしても信じたいことを信じ続けた」
「まあ、あの男がなんとかできることなら、トルーマン伯爵でも嫡男殿でも自分でなんとかできるだろうな」
クロードも、何回か会って話しただけで、ルーパートの頭の程度は見抜いていた。
「クラウディアの言う通り、自分が馬鹿であることすら気づくことのできない最低の馬鹿」
「惜しむほどの男ではないな」
ルーパートは義弟として望ましい人間ではないし、もしかしたら父もこれは見込み違いかもしれないと思っていたらしい。
エミリエンヌに加えられた暴力の後を見て半狂乱になる母親に、じゃあ婚約破棄しようかとかなり早い段階で言いだした。
「だが、だからと言って家族を心配させるものではないよ」
そう言ってつまみだしたのは含み綿と、普段エミリエンヌが使っているよりも色の濃い頬紅のついた布。
「あまり必要ではなかったかも知れませんけどね、あの人の暴力癖は知っていましたけど、まさか拳で殴られるとは」
ちょっとつつけばすぐに人を殴る相手だ。最初からエミリエンヌは時期を見てルーパートに暴力をふるわせ、それを大げさに騒ぎ立てて婚約破棄に持っていくつもりだった。