マヨイガ 2
本作はえきちー(@EkitaiT)の名前で、カクヨムにも掲載しております。
北関東に位置する人口約40万人の神無県は、群馬県と栃木県の間に挟まれるように存在している。
その人口の約四分の一、10万人程度が県庁所在地である神無市に集中しており、その都市構造は、JR神無駅を中心にして、東西南北で区分けされている。
駅の南側、南区は主に住宅地となっており、多くの市民がこの区に住んでいる。
東区は、南区が住宅地として開発される以前に多くの市民が住んでいた旧市街区となる。
現在でも住人はいるが、田畑が多く、主に農業や林業などの一次産業に従事する高齢者が多い、という印象だ。市役所や郷土資料館、歴史的遺産、また一部の小中学校もこの東区に存在する。
対照的に、北区は商業地区としての色合いが強くなっている。
神無駅北口を出ると、周辺には昔ながらの個人商店が連なる商店街が広がっている。
この商店街を抜けてしばらく進んだ先に、隣の市とまたがる形で敷地面積の広い大型のショッピングモールが見えてくる。
黒亜の通う神無大学や、芽衣が通う私立神無高校は、東区寄りの北区に立地している。
そして西区。
ここには標高は約600メートルの神無山が存在し、観光地のような色合いが強い。
山の麓には木々が広がり、小さい湖もあり、キャンプや釣りで訪れる人もいる。
また、登山道も整えられており、山の勾配も大したことはないため、市内の小中学校の遠足やハイキングで利用されることも多い。
黒亜が常連客として訪れる喫茶店“煙羅亭”は、住宅街である神無市の南区、その中でも人通りの少ない東の外れにある狭い路地に店を構えている。
日曜の午前11時。
都内や人通りの多い喫茶店であれば、店内には少し早めの昼食を求めたり、午後までの時間潰しで訪れる客などで賑わうのかもしれない。
しかし、煙羅亭は曜日関係なしに、黒亜以外の客が1~2人訪れれば大盛況、というぐらいには来客がない。
黒亜を見送った芽衣は、テーブルに置いていたトレイに彼女が手をつけた二つのカップと代金を乗せ、カウンターへ向かった。
「はいこれ、カップとお代。本日の売り上げは1400円! そこから私のバイト代を引くと……今日もばっちり赤字だね!」
カウンターにトレイを置いた芽衣は、ばちこーんとウインクを決めて親指を立てた。
もう他に客は来ないという前提である。
一方、金村はそんな芽衣など見えていないかのように、何も話すことはなく機械的にトレイの上のカップを手に取り、無表情で洗い始める。
無視される形になった芽衣も、いつものことなので気にはしない。
カウンター席に座った芽衣は、スマホで【奇々怪々】のサイト内の掲示板のチェックを始めた。
立ち上げ当初に比べればだいぶ減ったとはいえ、今でもたまに“荒らし”のような書き込みをされることがあるため、そういうものは管理側で削除しなければならない。
「そういえば今日は特製ブラックだったね。ま、全然大丈夫だとは思うけど」
掲示板の書き込みをチェックしながら、芽衣は返事が来ないのを承知しつつ、金村に話しかけた。
「………」
案の定、金村からの返答はなく、店内に流れる陽気なジャズの音楽と、蛇口から流れる水音がだけが店内に響く。
黒亜が戻ってくるまで数時間はかかるだろうか?
「どうやって時間つぶそ……」
蛇口が締められる音と共に、再び店内にはジャズの音楽だけが流れ始めた。
◆◆◆◆◆
煙羅亭を出た黒亜は、近くにあるバス停から市内の循環バスに乗っていた。
調査を依頼された疑惑の一軒家は、南区の西側にある住宅地に存在する。
南区の東の外れにある煙羅亭から歩いて行くこともできなくはないが、地味に遠い。
そこで彼女はバスに乗り、目的地の近くまで向かうことにしたのであった。
バスの座席に座った黒亜はぼんやりと窓の外を眺めながら、今回の調査対象が“家”ということもあり、ある逸話のことについて考えていた。
『マヨイガ』
マヨヒガ、とも呼ばれるそれは、岩手県遠野地方の伝承や民話などをまとめた説話集、柳田國男著『遠野物語』に出てくる逸話の一つである。
――遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガといふ。マヨヒガに行き当たりたる者は、必ずのその家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。
遠野では山の中を歩いているときに『マヨヒガ』という不思議な家に出くわすことがある。
それはまるでつい先ほどまで人がいたかのような生活感の残る家で、訪れた者はその家にある什器、すなわち家具や設備、あるいは家畜などを持ち帰ってよい、持ち帰れば富を得られる、という逸話だ。
しかし誰もが富を得られるわけではなく、欲を持った者は何も得られないとも言われている。
今向かっている一軒家は芽衣も確認済みの普通の家だが、仮にこれが“マヨイガ”のようなものだとしたら、ここを訪れた黒亜は何かを持ち帰ることになるのだろうか。
そして、持ち帰るものがあるとしたら、それは一体……
そんなとりとめもない思考を巡らせていると、バスの車内アナウンスが目的のバス停の名を告げる。
現実に戻された黒亜は、降車ボタンを押して席を立った。
目的地最寄りのバス停で降り、そこから歩くこと5分。
「ここ……かな?」
黒亜は手に持ったスマホの地図アプリを頼りに、目的地へ到着した。
何の変哲もない、庭付きの一戸建てである。
玄関の傍には「売物件」と書かれた看板が立てられている。
両隣にも住宅があるが、車や手入れのされた植木鉢などが置かれており、そちらには人が住んでいることが窺える。
誰も住んでいないのは、目の前にあるこの家だけだ。
黒亜は、芽衣が予め依頼者から受け取っていた鍵を使い、閉じられた門扉を開錠しようとする。
ぎぃ
黒亜が鍵を取り出そうとバッグに手を入れていると、目の前の門扉がゆっくりと、ひとりでに開いた。
まるで、彼女を誘い込むかのように。
まさか風で勝手に開いたわけでもあるまい。
やはりこの家には何かあるようだ。
「ご丁寧に、どうも」
鍵を取り出すことを止めた黒亜は、誘いに乗るように家の敷地内へと一歩足を踏み出す。
ちりん
門扉を越えると、澄んだ鐘の音が響いた。
黒亜は自身の右手首、チャーチベルの飾りが付いたブレスレットに目を向ける。
このチャーチベルは、鐘の中に音を鳴らすための分銅、舌がない。
そのため、普段はどんなにこのブレスレットを振っても音が鳴ることはないのだが、唯一、怪異の縄張りへ立ち入ったときだけ警鐘を鳴らす。
これは黒亜が持つ“呪具”の一つになる。
周囲の光景には大きな変化はないように見える。
だが、先ほどまで僅かに吹いていた風は止み、気温が下がって肌寒さが増し、周囲にあった人の気配もなくなっている。
先ほどまでと同じ景色の別世界。
それが“あちら側”にある怪異の縄張り。
一度この中に入ってしまうと、ここから物理的にどれだけ離れようともそこは怪異の領域であり、意味はない。
外へ出たければ、縄張りの元凶となる怪異をどうにかするしか方法はなくなってしまう。
全ての怪異が縄張りを持っているわけではないが、縄張りを持っている怪異は得てして厄介なものが多い。
この中に踏み入ってしまった以上、もはやこの案件は“調査”ではなく“解決すべき事案”として行動しなければならない。
黒亜は再び歩きだし、玄関前まで移動した。
玄関の鍵も預かってはいるが、この分では必要ないだろう。
ドアノブに手を伸ばし、レバー下げる。
案の定、鍵はかかっておらず、ノブを手前に引くことで、ゆっくりと扉を開いた。
「……え?」
瞬間、黒亜はフローリングの床の上、廊下に立っていた。
数秒前まで玄関の外にいたはずだが、黒亜の目の前には前方へ伸びる通路があった。
少し先は十字路のように分岐しているようだ。
そして通路の両脇の壁、そして何故か天井にも扉がある。
後ろを振り返って見れば、そこには前方と同じような景色が続く。
壁紙や扉などの内装の雰囲気は家の中という感じだが、目の前に広がる構造は非常に広いホテルの客室フロアに近いかもしれない。
どうやら「玄関の扉を開けること」が起点となり、この家の中へ取り込まれてしまったらしい。
黒亜は試しに、すぐ近くの扉を開けてみた。
この家の寝室なのだろうか、中はベッドが置かれた部屋になっているが、この部屋の中にも廊下と同様に無数の扉があり、異様さが際立つ。
部屋の中には入らず、次は反対の壁にある扉を開けてみる。
そこには上り階段があり、どこへ続いているのかは暗がりで窺い知れない。
また別の扉を開けてみれば、そこは壁になっていた。
少し進み十字路まで来たが、左右を見ても同じような光景が広がっている。
試しに、また近くの扉を開ける。そこは子供部屋のようであった。
その扉を閉め、そのまま同じ扉をもう一度開けてみる。
子ども部屋であったはずのそこは、キッチンに変わっていた。
どうやら、この家の中は扉を開ける度に変化する迷路のようになっているらしい。
およそ、現実の一軒家ではありえない構造と広さ、そして現象。
おそらく、以前ここへ内見で来た夫婦たちや警官も、この迷宮に取り込まれしまったのだろう。
ここへ来る途中、『マヨイガ』について考えていたが、どうやらこの家はそのままの意味で『迷い家』となっているようだ。
黒亜は立ち止まり、思案する。
入り口がなくなっている時点で、普通ならもうここから脱出することはできまい。
しかし、ここが縄張りの中で、その元凶となる怪異が起こしている現象であるならば、黒亜は脱出することができる。
しかし、それをすることで、元凶となる怪異が逃げてしまう可能性がある。
空間を歪ませて屋内に迷宮を作り出すような高位の何かを野放しにしてしまうのは避けたい。
それに……
たったったったっ
先ほどから聞こえる、まるで子供が走り回るかのような足音、そして微かに鼻を突く血のような臭いも気になる。
姿は見えない。足音だけが聞こえる。
常人であれば気が狂ってしまいそうになる空間で、黒亜は焦ることもなく、淡々と周囲を観察して歩いていた。
この家には四人家族が住んでいたが、一家心中したという。
であれば、その家族の霊が怪異となり、この迷宮を生み出したのだろうか?
ありえない。
どんなに悲しい理由やこの世への無念で命を絶ったとしても、その程度の負の念でこんな真似ができるなら、今頃世の中は科学では説明できない現象で溢れかえっているはずだ。
これは霊や悪霊などではなく、その一段二段上、“悪鬼”や“魔人”と呼ばれるものによって引き起こされる現象だ。
心中した四人家族の霊とは別に、何かがいる。
そのとき。
「ひゃっ!?」
不意に、ひんやりとした何かに右手を掴まれる感触があり、黒亜の心臓が跳ねる。
驚きと共に目を向けると、そこにいつの間にか、ピンク色の服を着た5~6歳ぐらいの女の子が立っていた。
両手で黒亜の手を握り、無表情に彼女を見上げながら、口を動かす。
――こっち
黒亜の目にははっきり見えるが、この少女は霊だ。
この『迷い家』の被害者に小さい子供はいなかったはず……となれば、この子は心中した家族の一人なのだろう。
――こっち
再びそう言いながら、少女は黒亜の腕を引く。
「私をどこかに連れていきたいの?」
少女の目線に合わせるようにしゃがみ込んで尋ねる彼女に、少女はこくりと小さく頷く。
元凶の主による罠……の可能性もなくはないが、どのみちこの『迷い家』を彷徨っていてもこれ以上の進展はないだろう。
「わかった。じゃあ、お願いしようかな」
その言葉に少女は再びこくりと頷くと、黒亜の腕を引いて歩き始めた。
たったったったっ
先ほどから聞こえるこの足音も、もしかしたら家族の霊の一人なのかもしれない。
この少女の姉妹兄弟だろうか?
手を引かれるまましばらく歩くと、少女はある扉の前で立ち止まり、黒亜を見上げた。
この扉を開ければいいのだろうか。
開けてみると、そこは和室だった。
少女は再び歩き出して和室の中に入ると、奥にある襖の前に立った。
開けると、下り階段が続いている。
やはり暗がりで奥が見えない階段を、少女は黒亜の手を引きながら一段一段降りていく。
やけに長い階段だ。一体どれほど下っただろうか。
やがて。
階段の終わりが見えた。
その先には石を積み上げて作られたような、狭く薄暗い空間が現れる。
これまでとは明らかに雰囲気の違うその小部屋には、赤錆の浮いた金属製の扉のみが存在している。
――ここ
一言を告げ、黒亜をこの場所まで導いた少女の霊は姿を消した。
彼女はこの扉の先に何があるかまでは言わなかったが、もう嫌でも理解できる。
濃度を増した血の臭いと、何よりも感じる、禍々しい気配。
いるのだろう、この『迷い家』を作り出した元凶の主が。
少女の霊がどんな思惑で彼女をこの場所へ連れてきたのかはわからない。
しかし、ここまで来れば話は早い。
あとは元凶を始末するだけ。
魔女、夕川黒亜は依頼をこなすべく、扉に手をかけた。
<続>




