マヨイガ 1
本作はえきちー(@EkitaiT)の名前で、カクヨムにも掲載しております。
“日常”とは、非常に不安定なものである。
“日常”は些細なきっかけで“非日常”へと変化してしまう。
例えば『普段は買わない宝くじを買ったら10億円が当たってしまった』ということも“日常”から“非日常”への変化だ。
そしてこのようなプラスの方向への非日常化であれ何も言うことはない。
しかし得てして、非日常化というのはマイナス方向へ変化しがちだ。
『毎年受けている健康診断で、何の前触れもなく癌が見つかってしまった』だとか、『いつも歩いている近所の道で事故に合い、長期入院生活を送ることになった』だとか。
あるいは、科学では説明できないような何かに巻き込まれてしまった、だとか
前者のような病気や事故の類は、言わば「運命」というものでどうにもできないが、後者であれば、また“日常”の側へ戻すことができる……かもしれない。
北関東に位置する人口約40万人の小さな県――神無県。
そこには“日常”と“非日常”の狭間に立ち、現代の怪異と対峙する一人の女子大生がいた。
◆◆◆◆◆
「終わったあ~~~」
喫茶・煙羅亭
神無市の外れ、人気の少ない静かな通りにひっそりと佇むこの店で、夕川黒亜は手に持っていたボールペンをテーブルに置き、肩口まで伸ばしたセミロングの黒髪を揺らしながら大きく伸びをした。
袖にレースのあしらわれた半袖シャツにアシンメトリー丈のスカート、左腕にのみ着けられた肘先まで覆うロンググローブ。
彼女が身を包む黒装束は、いわゆる“ゴスロリ衣装”であった。
ただし、着ている本人の雰囲気も影響しているのか「可愛い」というよりは「落ち着いた」印象を強く受ける。
腰に巻かれたレザーのダブルベルトから伸びる銀光沢のチェーンや、右手首に着けられたチャーチベルをモチーフにしたブレスレットなどの装飾が、彼女の印象にややパンクなイメージも追加している。
そんな黒亜の目の前に置かれているのは、A4サイズの用紙10枚に及ぶレポート。
そのいずれの用紙にも、手書きでびっしりと文字書き込まれていた。
時折、文章で表現しにくいものはイラスト図として描いているが、これも手描きである。
3日前から取り組み始め、明日が提出期限の課題に決着をつけた黒亜は、レポート用紙をまとめるとクリアファイルに入れ、足元に置いていた黒いトートバッグへしまい込んだ。
国立神無大学の文学部人文学科に所属する彼女だが、今年から2年生に上がり、それに伴い必修科目が増えた。
その中の一つに通年4単位の『文化人類学論Ⅱ』というものがあるが、この科目を担当する女教授は「レポートは手書き以外認めない」という変わり者であった。
さらに、彼女が出す課題は抜き打ちテストの如く唐突にメールで知らされ、その提出期限も短いものが多い。
今回のレポート課題も、何の前触れもなく4日前の夜にメールが届いたのだ。
慌てて大学構内の図書館や、地元の郷土資料館に行き必要な資料を集めた彼女は、最後にレポートにまとめる仕上げを、この喫茶店でおこなっていた。
毎日朝9時から営業しているこの煙羅亭は、基本的に客がいない。
神無市で割と古くからある老舗らしいが、黒亜がここに通い始めてから見知った顔の知り合い以外、客らしい客が来るのを見たことはなかった。
和風な店名とは裏腹に、アール・ヌーヴォー調の装飾とレンガ造りの重厚な雰囲気を纏った外観のこの店は、昨今、巷で静かなブームとなっている“レトロ喫茶”や“純喫茶”と呼ばれるような条件を満たしており、若い女性たちの間で人気になってもおかしくなさそうだが。
おそらく、北関東の中でもだいぶ田舎扱いされる神無市にあるせいで、単にこの喫茶店の存在が知られていないだけなのだろう。
老舗なのに地元民にまで知られていないのは店としてどうかと思うし、経営は大丈夫なのかと心配にもなるが、おかげでこのような作業を集中して取り組むにはもってこいの場所だ。店には悪いが、是非このまま営業を続けて欲しい。
今どき珍しい年季の入ったレコードによるジャズ音楽が流れる店内、一番奥のお気に入りのテーブル席。
一人掛けの革張りソファに身を沈めながら、レポートを終えた後の清々しい気分で、店内の時計を見ると、そろそろ11時になろうという時間だった。
9時の開店と同時に入店し注文した1杯のコーヒーは、2時間近いレポート課題に取り組む間に、半分ほどを残してすっかり冷めてしまっている。
長く場所も借りていたことだし、もう1杯注文しようか……
そんなことを考えていたところ。
「へい、特製ブラック、お待ち!」
喫茶店らしからぬ威勢のいい掛け声と共に、黒亜の目の前にコーヒーが置かれた。
いつの間にか現れ、居酒屋の店員が如くコーヒーを持ってきたのは、この店でアルバイトをしている女子高生、襟崎芽衣であった。
紺色のブレザーの制服の上から緑色のエプロンを身に着けた芽衣は、アップポニーテールにまとめたを茶髪を揺らしながら、黒亜に笑顔を向ける。
笑顔で細められた目と、頭から伸びる揺れ動く尻尾のせいか、どこか猫っぽい印象を与える女の子である。
「さすが。タイミング、ばっちりだね」
「マスターが持ってけってさー」
芽衣が親指でカウンターの方を指す。
その指の先では白髪交じりの初老の男性――煙羅亭の店主、金村が無表情にカップを拭いていた。
「……私、金村さんと話したことないんだけど、金村さんってどんな人なの?」
「え? さぁ? 私も喋ったことないからわかんなーい。マスターの声なんて聞いたことないし、喋ってるところも見たことないもん」
「ウソでしょ……」
「ほんとだって! 2年ぐらいここでバイトしてるけど、1回もないよ!」
「でも、さすがにバイトの面接のときには話したでしょ?」
「話してないんだなー、これが。『たのもー! ここバイト募集してる? してたら雇って!』って感じで聞いたら、無言でこのエプロン渡されたの。で、バイト採用オッケーなんだって思って働き始めたの。時給1200円だけどお客さんなんてココちゃん以外誰も来ないしめっちゃ楽! 週7でシフト入れてるよ!」
「知らなかった……なんというか、いろいろすごいね、うん……」
確かにこの客入りではバイトなんて要らないだろう。何故雇ったのか。
そもそも、芽衣はすでにバイトなどする必要がないぐらい稼いでいるではないか。
「ほんと、金村さんに感謝! ……ところで、あっちの話なんだけどさ」
金村に向かって手を合わせた芽衣は、そう言うと当たり前のように黒亜の対面に座り、持っていたトレイをテーブルに置いた。
黒亜もいつものことなので特に気にも留めない。
「もしかして、何か依頼がきた?」
「きたよー。ちょっと待ってね……と、これこれ」
芽衣はスマホを取り出すと、少し操作した後、黒亜に画面を見せた。
「『人寄らずの森』の調査をお願いします…?」
「神無山の東側の方に広がる森だね。ちょっと前まではハイキングコースになってたんだけど、今は立入禁止になってるとこ。んで、ちょっと調べてみたけど、最近あそこら辺で自殺者が増えてるみたい」
「神無市にも自殺の名所ってあったんだ……」
「『自殺の名所があった』ってよりは『自殺の名所になった』って感じかな? ここ数ヶ月で急に増えてるっぽいよ~」
それに、と。
「なんと前金で20万円の提示! これはガチ案件だね! 受けてもいいんじゃないかな!」
二人が話しているのは、オカルト相談サイト【奇々怪々】に送られてきた依頼内容についてであった。
黒亜と芽衣が立ち上げた【奇々怪々】は、現代科学では説明や解明ができない、オカルトの要素が絡んでいるかもしれない相談事を専門で引き受けるためのWebサイトである。
メールアドレスでサイトにログインし、匿名またはハンドルネームで依頼が可能だが、依頼者は「依頼内容の記載」「面会希望の有無」「依頼料の提示」しかできない。
依頼を受けるかどうかは黒亜たちで判断する仕組みだ。
なお、金額の提示がない場合は、黒亜たちによる「おまかせ調査」となり、前金10万円で受け付けている。
金額設定が高めなのは、冷やかしやイタズラ防止のため。
学生からの依頼の場合、依頼料は一律3000円で受け付けているが、面会は必須としている。
元々は大学に通う黒亜が、自身の強みを活かしてアルバイト感覚でお小遣い稼ぎをしようと思い始めたことだった。
しかし、オカルトや心霊なんてものをネタにお金を貰うというのは、一歩間違えれば詐欺と捉えかねない。
そこでまずは無料で、中学生や高校生などオカルトに興味がある世代の多い学生を相手に細々と実績を積み重ね、口コミで信頼を得えていく……というやり方で始めたのだが……
気付けば今では学生よりも社会人、場合によっては企業からの相談も来るようなり、お小遣いどこか毎月の生活費が稼げるぐらいの仕事のようになってしまっていた。
芽衣と知り合ったのは、黒亜がこの活動を始めてからしばらくしてのことであった。
彼女は情報戦略やマーケティングといった事に非常に長けていた。
【奇々怪々】のWebサイトを作り、諸々のルールを定めたのも芽衣である。
詳しくは聞いていないが、彼女は彼女で高校生の顔とは別に、個人で別の仕事を受け持っているらしい。
その依頼額は最低1000万円から。
一度、いつもと変わらない笑顔で「聞きたい?」と訊かれたことがあったが、黒亜が普段関わっているものとはまた別種の怖いものを感じたため、深く追及はしていない。
ちなみに【奇々怪々】は黒亜と芽衣の二人による活動が主となるが、依頼内容の危険度によっては、他にいる四名の協力者にも手伝ってもらうことがある。
「ほんと、いろいろ出てくるねぇ……」
「それだけ需要があるってことだね! ま、スケジュールはいつも通り私の方で無理のない範囲で組んでおくから。よろしくね、現代の魔女さん?」
「はいはい……まぁでも、まずは事故物件調査の方だね」
湯気が立ち上る煙羅亭特製のブラックコーヒーに口をつけながら、黒亜は自身のスマホでこれから向かう場所と依頼内容を確認した。
依頼者は神無市内の不動産会社に勤める人物。
この不動産会社が管理する、ある一軒の家が今回の調査対象になる。
約2年前、この家には四人家族が住んでいたが、ある日突如、一家心中した。
その後、この家は内装をリフォームし売りに出されたが、一ヶ月程前に内見希望があったらしい。
そこで依頼者の同僚一名が、内見を希望した夫婦と共にその家に向かったそうだ。
そして、3人は姿を消した。
その後、依頼者は警察へ連絡し、警官2名がこの家へ向かったようだが、この2名も行方不明となった。これが約2週間ほど前のこと。
以降、何故か警察は動かず、どうにもならなくなった依頼者は噂で知った【奇々怪々】に連絡を寄こした、という経緯であった。
芽衣が記載されていた住所に行き、内容に書かれていた一軒家があるのは確認済みだ。
「割とキレイな、普通の空き家って感じだったけどねー」
「見た目なんて当てにならないからね? むしろ見た目がまともな分、放っておくとどんどん被害者が増えるかもしれないからタチが悪いよ」
「やっぱその心中した家族ってのが関係してるのかな?」
「可能性は高いね」
今回の依頼はすでに前金で10万円を受け取っており、原因の特定、あるいは解決でプラス10万円が支払われることになっている。
トートバッグにスマホをしまった黒亜は、財布を取り出すとコーヒー二杯分の金額をテーブルの上に置いて、席を立つ。
「それじゃあ、行ってくるね」
「はーい、いてらー! 終わったら連絡よろ!」
芽衣の声を聞きながら、金村に会釈をした黒亜は、煙羅亭を後にした。
<続>




