表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
連れの彼女は高級食材  作者: 今井 舞馬
1/2

プロローグ

連れの彼女は高級食材


 人はしばしば、食べ物に例えられる。例えば「あなたはバターのような人だ」と言われたなら、その人はきっと人当たりが良くて情に厚い人物だろうし、「君の人となりはまるで卵だね」と言われたなら、人前では気丈に振舞うものの、その内側はもろい一面もある、そんな人を指すのだろう。

 では、極めて希少価値の高い食材、高級食材に例えられる人とはどんな人なのだろうか? 金持ち? お洒落? 気品がある? きっとどれも違う。それは、誰にも当てはまらない価値観や感受性を持って、それを自分の人生にあてがって生きている異端児、言わばはぐれ者のような人なのでは無いだろうか。

 そして今まさに、目の前を横切ってゆっくりと歩を進めゆくあの者こそ、極めて希少価値の高い食材、まさしく高級食材と形容するに相応しいと言えるに違いない。


  何故なら———


 プロローグ


 モルターニュ地方の酒は一級品だ。取り分け白ワインのフォルニョートは透き通った外見の通り、爽やかですっきりした味わいで、甘みも酸味も軽いが、かといって薄すぎずバランスが良い。軽く一杯いくも良し、酔いしれるまで浴びるも良し、あらゆる飲み手に好かれて止まない人たらし。彼女がもし人だったなら、きっと魔性の女だろう……。

 などという事を考えながら、青年は酒場の明かりにグラスを照らし目の前に掲げた。そして中の液体を軽く揺らして物憂げにため息をついてみせる。

 彼は名をレイル・フリークスといった。この街では主に畜産を営み、養殖から出荷、市場での肉の販売まで幅広く職務をこなしている。

 レイルは自ら作ったそのアンニュイな雰囲気をしばらく保っていたが、グラスに映った自分の表情に思わず吹きだしてしまう。気取った態度は性に合わない、これではあまりに滑稽だ。

 だが、そんなシュールさが面白いので、あえて紳士ぶった気障な真似をするのが彼なりの酒場の楽しみ方でもあった。

 もちろん彼にとって、酒場特有のほっこりとした、あるいはハチャメチャに陽気な空気感も気分を温めてくれる大切な要素だ。ここカラトスの街は、近頃は割と閑散としているが、酒場の陽気さは帝都にも劣らない。

 もしその雰囲気を感じるに疎い人がいるなら、目でなく耳で感じるのが良いだろう。すると酔いしれた人々の笑い声が幾重にも重なり、層を作っているのが分かるはずだ。ぶつかり合うジョッキの音色に、荒くれ者の咆える声。それを包み込むモルターニュの伝統音楽の旋律。そのすべてが調和して酒場という空間を演出しているのだ。そしてそこに安らぎを求めるのも、胸の高まりをぶつけるのも自由、皆それを知っている。

 チリリンと鈴が鳴って古びたドアが開くと、大柄な男がぬうっと姿を現した。うねったブロンドの髪は肩を飲み込んで覆い、筋繊維が凝縮した屈強な体躯は、周りの空気さえも沈ませていくような圧倒的な重量感を有している。店の外の暗闇も相まって、その質量はより際立って映った。

 彼はアインと言った。見た目通りの豪放な性格で、どんな陰鬱な話題を振られても勢いよく笑い飛ばしてしまうような、そんな男だ。

 アインは酒場の隅に座るレイルを見つけると、ドカドカと歩み寄り、テーブル越しの椅子に腰掛けた。彼が座った衝撃で、テーブルの上の料理がもれなく垂直にジャンプする。

メギョッ。

「お前、聞こえたか椅子メギョッっていったぞ。大丈夫なのか、それ」

「バカ野郎おめぇ椅子ってのはなあ、メギョッっていってからが本番みたいなとこあるんだよ」

これだから素人は分かってないと言わんばかりに首を左右に振りながら、再びアインは椅子に深々と座りなおす。ベギョア! 今度は先程よりやや致命的な音が鳴り、それとほぼ同時に目の前の巨体が姿を消した。

「……メギョッっていってからが、何だって?」

 レイルが呆れてテーブルの向こう側をのぞき込むと、やけに見覚えのある白い筋肉の塊がマヌケ面で尻餅を付いていた。その周囲には少し前まで椅子だったであろう木の造形が、無残にも砕けて欠片を散らばせている。

「こ、こいつは少し本番に弱いタイプの奴だったみてぇだなぁ……」

 焦りを含んだ引きつった笑みを浮かべながら、ささくれ立った木片をいそいそと拾い集める。そして唐突に何かを察知したアインは急に拾うペースを速めると、粗方の木片を拾い上げて立ち上がった。

「よう兄ちゃん、これ、落ちてたぜ!」

 彼は何を血迷ったのか、料理を運ぶために近くを通りすがったボーイに木片を託そうとしたのだ。どうやら誤魔化すために元々床に木片が落ちていたという設定にしているらしい。それに無理があるのはさておき、当然両手が塞がっているボーイが椅子一個分の木片を受け取れるはずもなく、あえなく木片は料理へとダイブした。

 酒場定番の味だったそれは、材質的にまっとうな酒場本来の味へと変貌を遂げたのである。

 さらにバランスを崩したボーイは隣のテーブルへと倒れこむ。テーブルの上は料理も食器も仲良く混ざり合いお祭り状態に。当然そのテーブルの客は激怒し、結果乱闘へ。いつの間にか沸いたギャラリーが、その周りを囲っている。

 こうなってはフォルニョートの爽やかな風味を楽しむどころではない。

 酒場での楽しみ方は、もちろん人それぞれ自由だが、時には育った流れに身を任せるのも酒場のたしなみというものなのだろう。それが濁流だろうと何だろうとだ。

 レイルはテーブルに残っていた酒を残らず喉に流し込む。間もなくして心臓が高鳴りを始める。高揚感と共に酩酊が身を包む。

「やれ、そこだ! ブチとばせー」

 ジョッキになみなみ盛られた酒を片手に、ヤジを飛ばす。心臓の律動がさらに早まっていく。血が回っていくのを感じる。酔いが回ったか場に酔わされてしまったか、自制など彼方に忘れ去ってはしゃぎ散らかしてしまった。


 結局、乱闘はアインの惨敗で幕をとじた。どうやら相手は足払いのやり手達だったらしく、アインは払われては倒れ、起き上がってはまた払われていた。

 最初は「足払いだあ? はん、コケるどころか空でも飛べそうな気分だぜ」

と軽口を叩いていたアインだったが、シュッと軽やかに空を切る音にあえなく床に崩れ落ちる。

「あー床に落ちたチーズに助けられたな。おっと」

「ラッキーキックがお上手で。うお、く……」

「確かラルディーナ地方の山麓に腕利きの、おぁ……っとと」

「いま酔いのあれがなこう。ぐおっ」

「ちょ、だからほんとにね」

「ね、やめ」

「まっ」

「ごめんなさい、これからは地を這ったまま生きていきますので」

このように、動物よりいくらか覚えの悪い行動学習を積み重ねて、彼は足払いのやり手に屈服したのだった。


「なんで負けるんだよ、ちくしょう……」

 アインは床に両ひざを付いたまま、涙ながらにレイルの腰に抱きついて離れない。涙が服を浸透し、じんわりとした温かみが肌越しに伝わる。

 このように感情的になりやすく、涙もろいのもアインの特長である。持ち前の豪放さを打ち消すほどしおらしくもなるので、人々は戸惑いを覚えがちだ。

 しかし、レイルは不思議とそのギャップをすんなり受け入れる事が出来た。二人がとても親しく、気の置けない間柄であるのはそういったフィーリングの良さが根底にあったのかもしれない。

とは言っても、カラトスの街には長く住んでいるレイルとは異なり、アインが街にやって来たのはつい最近のことだ。思いがけずレイルの仕事である畜産業に詳しかったらしく、酒場で初対面となった際、二人は意気投合したのだった。

レイルは足払われすぎて立てないと腰にへばりつくアインを無理やり引き剥がすと、比較的荒れていないテーブルまで引きずって行った。椅子に降ろすのは何となく怖かったので頑丈な酒樽を椅子がわりにし、そこに座らせる。

 そして自らも椅子につき、全身の疲労を受け流すようにして天井を眺める。幾ばくか静かな時間が流れ、ようやく先ほどの慌ただしさにひと段落がついた。

「最近は過疎が進んでいると聞くが、そうなのか?」

一通り落ち着きを取り戻したアインは、騒ぎの後のしんみりとした静けさの中でおもむろにそう呟いた。

「そうだな。夜になればいつも酒場で笑ってたような奴が、いつのまにかいなくなってしまう。たしかに最近はそんなことが増えた。でも、いなくなる奴がいれば新しく来る奴だっている、お前だってそうだろ。俺はそういう出会いも大切にしたい」

 こういうのは気の持ちようだ。街がどれだけ寂れようと、心まで寂れさせたくはない。レイルは胸中にそんな沸々とした思いを抱く。

 とはいえ、ふとした瞬間に襲う狂おしい程の懐旧の念だけは、いつまで経ってもレイルを慣れさせはしなかったが。

「なあ、昔の話を聞かせてくれねぇか。凄惨な過去があるとは聞いていたが、詳しくは知らねぇ。言いたくないことは言わなくていい。ただ少し、興味がある」

 アインは、レイルの目をじっと見つめ、テーブルに身を乗り出して早々に聞き入る準備に入っている。

 アインは好奇心が旺盛で、人の過去や経験談などを聞きたがる節があった。誰彼構わず聞いて回るのでレイル自身、今まで聞かれなかったのが不思議に思っていたほどだった。

しかし話したくなさそうな雰囲気を察して彼なりに遠慮していたのだろう。それでも好奇心に勝てないあたり、アインらしくもあった。そう考えると無性に微笑ましくなって、レイルは満足げに目を細めた。

 気分の良くなったレイルはフォルニョートを注文し、喉に勢いよく流し込んだ。そして再び酔いの力に舌を任せると、自らの過去の情景をぼんやりと想起させ、それを言葉に変え始める。

「そうだな、あれは十年も前の話になる……」

 なぜだかアインには打ち明けてしまってもいい、そんな気が湧いたのは、この人たらしなフォルニョートに頭をやられてしまったからだろうと、心地よい酩酊の中でぼんやりとそう感じるレイルだった


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ