第1話 正体不明のトップランカー、Daze
配信画面の中で、白峰レイナは笑っていた。
明るい金髪を揺らしながら、画面右側に流れるコメントを拾っていく。中央に映っているのは、対戦ゲーム『モンスターブレイズ』のランク戦待機画面だった。
「はい、次いこ。今日はあと一勝したら気持ちよく寝ます。負けたら? それはまあ、寝つきが悪くなるだけです」
[寝る前にランクやるな]
[二勝するまで寝れないやつだ]
[レイナ今日調子いい]
[フラグ立った]
[次で事故るやつね]
「フラグじゃないから。あたしは強いので」
そう言って、レイナはマッチング開始のボタンを押した。
白峰レイナ。
モンブレ界隈では知らない者の少ない、女性トップ配信者だ。明るい喋りと派手なリアクションで人気を集めているが、ただ騒がしいだけではない。ランク最上位帯で何度も結果を残している、本物の強豪でもある。
だからこそ、コメント欄は次の相手に注目していた。
マッチング成立。
対戦相手の名前が表示された瞬間、コメントの流れが一段速くなった。
――Daze。
[出た]
[Dazeじゃん]
[終わった]
[正体不明のトップランカー]
[レイナ、寝られないね]
[Daze大会出ろ定期]
[Daze姉さん今日も無慈悲]
「うわ、Dazeだ」
レイナは一瞬だけ目を細め、それから楽しそうに笑った。
「いいじゃん。寝る前にやる相手じゃないけど、いいじゃん」
Daze。
本人が配信をしているわけでもなく、素顔も声も知られていない。リアル大会への出場歴もない。
それなのに、ランク最上位帯では名前だけが異様に知られているプレイヤーだった。有名配信者を何度も倒し、環境に影響する構築を突然持ち込み、勝っても煽らず、負けても言い訳をしない。
DazeのSNS投稿は短い。丁寧で、必要最低限。
性別も、年齢も、住んでいる場所も分からない。
ただ、強い。
それだけで名前が広がった相手だった。
[Dazeに今日こそ勝て]
[今日はいける?]
[レイナ頼む]
[Dazeがリアル大会出たら絶対見る]
[男説まだ推してるやついる?]
[男子がこんな時間までランク潜ってるわけないだろ]
「はいはい、変な話しない。相手はDaze。性別不明、年齢不明、でも強い。以上」
レイナは軽く手を叩き、姿勢を正した。
画面が切り替わる。
モンスターブレイズ、通称モンブレ。
四体のモンスターで戦う、ターン制の対戦ゲームだ。攻撃、交代、防御、補助技。そのすべてにブレイズゲージが絡む。攻めに使えば、あとで逃げられない。守りに使えば、最後の火力が足りない。
上位帯では、相手の残りゲージまで読み合う。
派手な一撃で押し切るより、終盤に残した選択肢の数が勝敗を分ける。
「相手、先発ルミナグリフか。相変わらず好きだねえ」
Dazeの先発は、光属性の小型竜、ルミナグリフだった。
白い翼に淡い金色の紋様を持つ、見た目の人気が高いモンスターだ。ただし、現環境で最強かと言われると少し違う。扱いは難しく、雑に出せば押し負ける。
それでも、Dazeはよく使う。
[またルミナ]
[推しモンスターで勝つな]
[かわいい]
[その子で勝てるのおかしい]
[Dazeのルミナはなんか違う]
「分かる。かわいい。けど、かわいいから許すとは言ってない」
レイナは笑いながら、初手を選んだ。
一ターン目。レイナは攻めた。Dazeは受けた。
二ターン目。 レイナは交代で圧をかける。Dazeは逃げず、ルミナグリフで小さな補助技を置いた。
「んー、それ置くんだ」
レイナの指が止まる。
画面上では地味な技だった。大きなダメージはない。派手な演出もない。ただ、ルミナグリフの翼から細い光が散り、フィールドの端に小さな紋様が刻まれる。
[何それ]
[また変な技使ってる]
[ダメージ低くない?]
[捨て技?]
[いやDazeだぞ]
「嫌だなあ。こういうの、あとで効くんだよね」
そう言いながらも、レイナは崩れなかった。
むしろ、序盤はレイナのほうが優勢だった。
Dazeのルミナグリフを削り、二体目にも圧をかける。ゲージの使い方も悪くない。攻めすぎず、守りすぎず、相手に無理な交代を強いる。
「よし、ここ」
五ターン目。レイナはDazeの交代先を読んで、技を選んだ。
読みは当たった。
Dazeのモンスターが、レイナの一撃をまともに受ける。体力ゲージが大きく削れ、画面端で赤く点滅した。
[うま]
[今の通したのデカい]
[勝った?]
[レイナいける]
[Daze相手にこれは偉い]
「まだまだ。Daze相手に勝ったとか言うの早いから」
そう言いながらも、レイナの口元は少し上がっていた。
状況はいい。
Dazeの残りゲージは少ない。ルミナグリフは削れている。こちらの切り札はまだ残っている。
次のターン、Dazeが守れば火力が足りない。攻めればこちらが先に倒せる。交代するにはゲージが重い。
選択肢は、狭い。
レイナは画面を見つめた。
「……これ、取ったかも」
[言った]
[勝ったな]
[フラグ回収するな]
[いや今回はマジでいける]
[Dazeの逃げ道なくない?]
レイナは切り札を選んだ。
高火力のブレイズ技。
ここで通れば、Dazeの盤面は崩れる。残りの二体では押し返せない。レイナの勝ち筋が、ほとんど一直線につながる。
技が発動した。炎の演出が画面を覆う。
Dazeは、守らなかった。
「え?」
レイナの声が止まる。
Dazeはルミナグリフを下げなかった。防御にもゲージを使わなかった。ただ、小さな光の技を選んでいた。
ダメージは低い。見た目も地味。
けれど、その技が入った瞬間、レイナの控えモンスターのアイコンに、細い光の輪がかかった。
「……あ、やば」
レイナの表情から笑みが消えた。
[え?]
[何が起きた?]
[レイナ固まった]
[説明して]
[これまずいやつ?]
交代に追加ゲージを要求する、ルミナグリフの補助効果。
数ターン前に置かれた、あの地味な技だった。
レイナは急いで次の画面を確認する。
残りゲージ。交代コスト。次ターンの行動順。そして、フィールドの端に刻まれたルミナグリフの紋様。
全部がつながった。
「待って。これ、あたしが今ブレイズ技を切るところまで込み?」
コメント欄がざわつく。
レイナは笑おうとして、失敗した。
「うわ。最悪。いや、最高だけど最悪」
状況は、まだレイナ有利に見えた。
体力も残っている。モンスター数も悪くない。さっきの一撃で、Dazeの盤面も削った。
けれど、次の選択肢がなかった。
攻撃すれば、ルミナグリフの補助効果を受けた控えに負荷がかかる。
交代しようにも、さっき切ったブレイズ技のせいでゲージが足りない。
守れば、次のターンに火力が足りない。
どれを選んでも、Dazeの終盤に届かない。
[詰んでる?]
[これ詰み?]
[さっきの地味な技か]
[だからルミナ残したの?]
[えぐい]
[そこから効くのか]
[今の仕込みだったの?]
「嫌な置き方するなあ。……でも、上手いじゃん、こんなの」
レイナは唇を尖らせながら、残された手を選んだ。
そこからの三ターンは、淡々としていた。Dazeは派手に攻めない。大技で一気に決めることもしない。
レイナが残した細い勝ち筋を、一つずつ消していく。攻める場所をずらし、交代を縛り、最後に必要なゲージだけを残す。
気づいた時には、レイナの画面に敗北表示が出ていた。
白峰レイナ、敗北。
対戦相手、Daze。
「…………」
[無言]
[レイナ?]
[帰ってきて]
[今のどうなった?]
[もう一回見たい]
[これは悔しい]
[Dazeに寝かしつけられた女]
[寝つき悪いやつ]
レイナはしばらく画面を見つめていた。
それから、椅子の背もたれに体を預けて、大きく息を吐く。
「あー、くやしい!」
叫んでから、すぐにリプレイを残した。
「リプレイ後で見よう。今の、数ターン前から仕込まれてたじゃん。あたしが勝ったと思ったところで、もう勝ち筋消えてた」
[今のどうなった?]
[反省会だな]
[これは悔しい]
[Dazeやっぱ大会出ろ]
[Dazeがリアル大会出たら絶対見る]
[公式でDaze見たい]
[だから男説あるって]
[まだ言ってるやついる]
「男説はもういいから。仮に男の子だったら、こんな時間に最上位帯で何戦もしてる時点で界隈ひっくり返るでしょ」
レイナは笑いながら言った。
けれど、その声にはまだ悔しさが残っている。
「でも、ほんと大会で見たいな。こういう勝ち方、配信映えしないようで、リプレイ見るとどこから負けてたか分かるんだよ」
[分かる]
[リアタイだとちょっと地味かも]
[その場だと分からんやつ]
[勝ち方が陰湿]
[丁寧と言え]
[Daze大会出ろ定期]
「Daze、聞いてる? 大会出なよ。あたしがもう一回負ける前に。いや、勝つために研究するから」
もちろん、Dazeから返事はない。
顔も、声も、性別も分からない正体不明のトップランカー。
ただ画面の向こうで勝って、短い名前だけを残していく。
コメント欄の結論は、だいたいそんなものだった。
◇
その配信が盛り上がっていることを、俺は知らなかった。
画面に残っているのは、モンブレの試合結果だけだった。
「……危なかった」
俺は椅子の上で息を吐いた。
対戦相手、白峰レイナ。強かった。
五ターン目の読みは完全に通されていたし、あそこで一手間違えていたらそのまま押し切られていた。最後のルミナグリフの補助効果が間に合わなければ、たぶん負けていたのは俺のほうだ。
勝利表示の横に、自分のハンドルネームが出ている。
Daze。
それが、モンブレでの俺の名前だった。
現実の名前は、瀬川悠真。
十八歳。
この世界では、男子は少ない。
だから、どこへ行っても大切に扱われる。気を遣われる。心配される。それが悪意ではないことくらい、分かっている。
分かっているけれど、息苦しくないと言えば嘘になる。
机の端で、男子支援アプリが通知を出していた。
『明日の在宅確認予定があります』
俺はそれを指先で消した。
モンブレの画面だけが、まだ光っている。
ここでは、俺が男かどうかなんて誰も知らない。
声も出していない。顔も出していない。自分で配信もしていない。
勝てば勝ち。負ければ負け。
ただそれだけで見られる。
だから、楽だった。
「レイナさん、やっぱり強いな」
リプレイを開く。
序盤に置いたルミナグリフの補助技。
あれを選んだ時点では、まだ勝ちではなかった。相手が別の選択をしていたら普通に負けていた。白峰レイナは、その別の選択を選べるプレイヤーだ。
だから、危なかった。
勝ったのに、手のひらが少し汗ばんでいる。
俺はタオルで指を拭いてから、Daze用のSNSアカウントを開いた。
『対戦ありがとうございました。五ターン目、かなり危なかったです。』
それだけ投稿する。
数秒で反応がつき始めた。
[Dazeいた]
[レイナ戦見てた?]
[本人きた]
[危なかったで済ませるな]
[Daze大会出てください]
[ルミナグリフの使い方教えて]
[性別だけ教えて]
[声出し配信して]
俺は返信せず、画面を閉じた。
大会。
その文字だけが、妙に目に残る。
公式大会に出れば、たぶん名前はもっと広がる。
けれど、リアル大会となれば話は別だ。
移動。受付。本人確認。男子参加者としての案内。会場での視線。控室。周囲の気遣い。
想像しただけで、肩が重くなる。
Dazeとしてなら戦える。
でも、瀬川悠真として人前に出るのは、まだ無理だ。
「大会は……ないな」
俺はそう呟いて、モンブレの画面を閉じた。
勝利の余韻は残っている。
けれど、それは画面の中だけでいい。
少なくとも、この時の俺は本気でそう思っていた。
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