生をつなぐ
ここは、温かい。
私がここで思ったのは、そんな事だった。
この世界には、ニンゲンという生き物が多くいて、自分たちと戦っている。
そう父様に教えられた。
どんな怖い生き物かと思っていた。
でも、怖いだけじゃなかった。
力尽きて、お腹がすいて、眠たくて。
狭くて隠れられそうな場所で意識を失っていた私。
気が付いたら、なんだか目つきの鋭いニンゲンに抱きかかえられていた。
一瞬、どんな状況か理解できなかった。
でも反射的に逃げなきゃと、そう思って全力で抵抗しようと魔法を使った。
父様と母様と一緒に練習した、氷のかぎ爪。
仲間たちにも「お嬢、上手です!」と褒められた、自慢の魔法。
でもそれは、そのニンゲンに傷をつけるどころか、いとも容易く砕かれてしまった。
自分の力はここでは通じない、そう突き付けられたような気がした。
なにも出来ない無力感と、ここで死ぬんだという絶望が私を支配する。
どこの世界にも、攻撃しようとしてきた他種族を生かしておく奴なんていない。
力がすべて、及ばなければ殺されて終わる。
そして今、自分はこの泉に浮かべられた無防備な状態で、力も全く通用せず成すすべがない。
これから死ぬ、そう確信した。
でも、そうはならなかった。
そのニンゲンは、多分私に笑いかけ、白い泡で私を包み、心地よい湯で私の毛並みを流していく。
まるで壊れ物でも扱うかのように。
それが体を洗う泉であり、自分は今そこで清められているのだと、そう理解ができたのは
白いフワフワしたもので水気を取られ、つやつやと輝く自分の毛並みを見た時だった。
私は逃げようとした、そして怯えていたとはいえ攻撃しようとした。
でもこのニンゲンは、そんな私を優しく扱ってくれる。
なにも怒った風もなく。
他のニンゲンもそうだった。
私に美味しいご飯をくれた。
たくさん、遊んでくれた。
一緒にフカフカの上で寝てくれた。
久しぶりに、本当に、久しぶりに安心して眠れた。
お腹が空かなかった。
渇きに苦しまなかった。
疲労で倒れなかった。
ここは、温かかった。
だから、私はここを出ることにした。
何故なら私は「お嬢」だから。
父様と、母様の娘だから。
追われている、娘だから。
ここにいると、ニンゲンたちが危険だと思った。
きっと、彼らがここに来てしまうと。そしたら殺されてしまうと、そう思ったら怖かった。
ここは温かかった。
だから、ここは守りたかった。
でも、一つだけワガママを言わせてください。
『あった……』
ニンゲンの住んでいる、木と石と鉄でできた箱の中。
その奥にある御馳走のいっぱい置かれた、多分ニンゲンの食糧庫の中で。
冷たい空気が詰まった鉄の箱の中に、探していたものがあった。
離れていても、かすかに感じた魔力の残滓。
間違いなく、自分たちと『同じモノ』の肉。
『ごめんなさい……』
私はそれを咥えると、鉄の箱を元に戻して、ニンゲンの住みかに背を向けた。
これがあれば、きっと助かる。
これを食べれば、きっと力が付くはず。
ごめんなさい、ニンゲンさん。
優しくしてもらったのに。
大切な食べ物を持って行ってごめんなさい。
『待ってて、母様……』
お肉の重みでふらつきながら、私は歩く。
あの山へ、あの森へ。
きっとこれを食べさせるんだ。それだけを思いながら。
「まさかなぁ……」
「まさかねぇ……」
二階にある義昭の自室。
六畳ほどの畳の間にて、ちゃぶ台を挟んで向かい合い、義昭と奏は揃って難しい顔を突き合わせていた。
目下の議題は目の前の光景。
二つ並んだ、寝心地の良さそうなお布団だ。
「いや、さすがに不味いだろ……」
こめかみに指を当て、義昭は深くため息をつく。
犯人はそう、佳乃婆さんだ。
友達が泊まるくらいの感覚で、義昭の部屋に布団を敷いたのだろう、きっと。
「さすがに一緒の部屋は……急すぎない?」
「ですよね。うん、隣が客間なので、布団移動しますよ」
「お願い」
これじゃお互い気まずくて寝られやしない。
「というか、なんで私はここに泊まることになってるの!? いや、流されちゃった私も悪いけど。なんかナチュラルに泊まる流れになってて驚いたよ!?」
「諦めて。じいちゃん達、言い出したら聞かないから。きっと奏さんのこと気に入ったんだと
思います」
「まあ、それなら良い……のかな? まあ、いいか。コンビの家族に良いように思われてるほうが」
「まだやるとは言ってないですけど?」
「まぁ、そうだけど。ね、少し話さない? 折角だから」
虫とカエルの声が聞こえる夏の夜。
お互い入浴も済ませてあとは寝るだけなので、時間はたっぷりとある。
「いいですね。夏休みっぽい。なら折角ついでに」
そう言いながら階下にそっと降りて、誰もいないキッチンからこっそりとツマミとラムネを二本、拝借する。
「語りの友がないとでしょ」
「ポテチにラムネか。いいねいいね。うすしおもポイント高い」
「ポテチといえば、うすしおでしょ」
異論は認める。が、基礎こそ至高は間違っていないはずだ。
早速ポテチをパーティー開けして、ラムネの上に押し込み器具を乗っける。
階下から八時を告げる振り子時計の鐘の音が響いた時、二人は乾杯代わりに器具を思いっきり押し込んだ。
途端、吹き出る泡に慌てて口をつけ、少し飲んでからどちらともなく笑いだした。
「はははっ、同じ動き」
「ラムネって馴染みあまりないけど、なんか反射的にやっちゃうね。日本人のDNAにでも刻まれてるのかな」
「かもしれないですね」
二人ともべたべたになった手をウエットティッシュでふき、綺麗にしたそばからポテチの脂と塩で汚していく。
旨いものを綺麗に食おうなんて、そんなもの上品な食事会にでも任せておけばいい。
ここはそんな空間だった。
「ねえ」
「はい?」
パキっとポテチをかじり、湯上りの髪を夜風にさらした奏が義昭の肩に目をやった。
「ほんとに肩いいの? けっこう斬られてたでしょ」
「ああ、これですか。ほら」
寝間着にしている「三匹のオジキ」Tシャツのよれた首元を引っ張り、肩を露出させる。
そこにはうっすらと縦に筋が刻まれているものの、すでに傷と呼べるものはなかった。
「え、うそ……ほんとに治ってる」
「この通りですよ」
右手を試しに上げ下げしてみても、なにも違和感はない。
動きにも全くぎこちなさはなく、奏はそれを見て驚きよりも呆れの表情を浮かべた。
「ほんと、人間なの?」
「昼も言った……ましたけど、人間です」
「ふーん……」
「信じてねーな」
「半分くらい。それと敬語、もういいよ。てかお互い無しにしよう。一緒に戦った仲だし」
「いいのか?」
「実際、敬語慣れてないでしょ? 時々崩れてたよ」
「バレてたか……」
頭をかく義昭と、笑う奏。
「でさ、実際、昼の話何を迷ってるの?」
「あー、特別執行官のやつ?」
「そうそう。実際、義昭くん……もういいや義昭で。義昭は戦えてたし、戦いが怖いからやりたくないって訳でもなさそうだった。その辺のハードルは低いかなって勝手に思ってたけど」
言われて義昭も思い返す。
イノシシの魔獣の時も、あの虫だか何だか分からない奴の時も、そういえば腹くくったら普通に戦えていた。
なんなら虫の時はノリノリだったまである。
ならなぜ迷うのか。
それはただ一つの回答だった。
「そうだな……ここを離れるってのを、考えたことが無かったからかな。爺ちゃんと婆ちゃんを残してさ」




