#18 約束⑦
リリアの真っ直ぐすぎる職人魂に当てられたのか、それとも自分の教育が予想以上に過激だったせいか。背を向けた私の指先は、まだ自分の心音に合わせるようにピクピクと震えていた。
「……っ」
慌てて足元のブラジャーを拾い上げて、ホックをとめて、胸の位置を整える。
布地が肌に触れるたび、さっきリリアに教え込んだ摩擦の感覚が、ブーメランのように自分に跳ね返ってくる。
落ち着け、私。落ち着け。
じわりと谷間に汗が溜まっているのがわかる。
さっきまでの動揺のせいか、それともこの部屋の熱気か。湿った感触がじっとりと肌に張り付いて、逃げ場をなくしていた。
「……くっ」
ブラジャーのストラップが、汗ばんだ肩にじりじりと食い込む。
後ろから、低く、どこか切羽詰まったような声がした。
振り返ると、リリアが私の肩を――正確には、古びたブラジャーのストラップが食い込み、赤くミミズ腫れのようになっている肌を、食い入るように見つめていた。
「なに、リリア……?」
「その肩、痛くないの?」
リリアの小さな指が、赤くなった私の肩にそっと触れる。その指先は、さっきの熱を帯びた“女の子の指”ではなく、完全に“防具職人”のそれに戻っていた。
「あ、これ……? いつものことだから。ほら、この重さだししょうがないんだよ」
私はなるべく平然を装って笑ってみせた。
「……やっぱり」
リリアの瞳は、さっきまでの動揺が嘘のように凪いでいて、冷徹なまでの造り手の光を宿している。
リリアは一度、私の胸元をじっと見つめてから、静かに問いかけた。
「ルリはさ、ここに来たとき、『これと同じものを作って』とは言わなかったよね? 『ブラジャーを作ってほしくて』って、そう言った」
「……え?」
「同じものを見本として渡されたなら、普通はそれを模倣する。でも、ルリはそう言わなかった。それって、今着けてるそのブラジャーに、実は満足してないってこと?」
心臓が、ドクンと跳ねた。図星だった。
「……あ」
「採寸して分かった。ルリの身体は、この世界でも……たぶん元の世界でも、規格外だったんでしょ? その布きれは、とりあえず“収めている”だけで、ルリの本当の重さを支えきれてない。……違う?」
私は言葉を失った。前世のランジェリー売り場、メーカーのオンライン通販。どれだけ「これが一番大きいサイズです」と言われても、結局はどこか食い込み、どこかが溢れ、どこかが痛かった。「そういうものだから」と自分に言い聞かせて、妥協して身に着けてきた“既製品”の限界。
それを、会って数時間の異世界の少女に見抜かれた。
「……リリアには、敵わないね」
私は苦笑して、正直に頷いた。
「うん。……満足したことなんて、一度もなかったよ。ずっと我慢してた。これが私の運命なんだって」
「わかった。じゃあ、私が作るやつは“同じもの”じゃない。ルリのためのものにする」
その言葉は、どんな魔法の呪文よりも、私の胸を軽くしてくれた気がした。
「もっと教えて、ブラジャーのこと」
そう言うと、リリアは紙の上に視線を落とした。
そこには、数字と線と、走り書きのメモ。その中には“完成した私”が、もう見えている。
「……わかった。全部言うね」
私は観念して、リリアのメモ帳に向き直った。
「まず、この肩紐。既製品だと、この重さを支えるためにどうしても細すぎるの。食い込んで肩こりが酷くなるだけじゃなくて、長時間着けてると頭痛までしてくる。……だから、もっと幅が広くて、荷重を分散できるような設計がいい」
リリアは「荷重分散……」と呟きながら、肩のラインに太い線を書き加えた。
「それから、アンダーバスト。カップの容量に合わせると、どうしてもここが緩くなるの。でも、ここがしっかり締まってないと、結局肩紐だけで支えることになって悪循環で……」
「それで、さっきから何回も位置直してるの?」
「……見てたの?」
「うん」
「……だ、だって、放っておくとどんどんズレてくるんだもん。重力には逆らえないし……」
頬を赤くして俯く私に、リリアは真剣な、けれどどこか慈しむような手つきで、再び私の肩の赤みに触れた。
「逆らわなくていいよ。……預けて。私が、その重さを全部、受けとめてあげるから」
リリアは私の説明を一文字も漏らさぬよう筆を走らせる。
その熱量に押されるように、私はリリアが着ている作業着に視線を向けた。
「……リリアも、苦労してるんだよね。その服、自分で直したんでしょ?」
「えっ? あ、うん。……まあね」
リリアは少し照れくさそうに、自分の肩をすくめた。
「既製品の作業着って、大人の男の人向けか、せめて私よりずっと背が高い人向けしかなくて。袖は余るし、腰の位置は合わないし。……それに、何より」
リリアは自分の胸元の、少しだけ凝った刺繍を指でなぞった。
「……ダサいんだもん。機能的であれば何でもいいっていう、あのガサガサした茶色の布。あれを着てると、自分がただの『道具の一部』になったみたいで嫌だった。だから、サイズを合わせるついでに、自分の好きな形にしてるの」
その言葉に、私は深く共感した。
ブラジャーも、サイズが大きくなるにつれて可愛いものがなくなっていく。
「そうだよね。……私も、ずっとそうだった。サイズがあるだけで有り難いと思えって、無言で言われているみたいで。可愛さとか、自分らしさなんて二の次で……」
「ルリ、もう我慢しなくていいよ」
リリアは顔を上げ、不敵な笑みを浮かべた。
椅子の背に掛けていたチュニックを手に取りつつ、リリアに聞いてみる。
「作るのに、どれくらいかかりそう?」
「そうだなぁ……」
リリアは少し考え込んでから、指を折った。
「型を起こして、試作して、調整して……」
「……3日。いや、念のため、4日ほしい」
その言葉に、私はほっと息を吐いた。
「そんなに早いんだ」
「普通の服なら、もっと早いけど……。今回は、その……」
言葉を濁しつつ、また視線が下に落ちる。
「……挑戦だから」
小さく、でもはっきり言い切る声。職人としてのそれだった。
「そっか」
「じゃあ、完成したら取りに来るね」
「うん」
リリアは頷いてから、少しだけ間を置く。
「……そのとき、支払い。お願いしても、いい?」
その言い方は、遠慮がちだった。当然のことなのに、念を押すみたいに。
頭からすっぽり被ったチュニックの裾を整えながら、私は答えた。
「もちろん、ちゃんと払うよ」
「ありがとう」
「だから、それまでに、稼がないとだけど」
そう言うと、リリアは少し驚いたように目を瞬かせた。
「今、手持ち、あんまり……?」
「うん。正直、ほとんどない」
「勇者じゃないから、収入もなくなっちゃって」
あっさり言うと、リリアは一瞬、口を開きかけて、閉じた。
「……でも」
私は続ける。
「約束する」
「受け取りのとき、ちゃんと払う」
その言葉に、リリアはしばらく黙っていた。それから、ふっと表情を緩める。
「……うん。ルリがそう言うなら、信じる」
その“信じる”が、妙に真っ直ぐで。私は少しだけ、居心地が悪くなった。
(……ああ。これ、軽い気持ちで受け取っちゃダメなやつだ)
「ありがとう」
私はそう言って、軽く頭を下げた。
「完成、楽しみにしてる」
「うん、私も」
そう言って私が背を向け、部屋の出口へ歩き出したとき。
「……あ、ルリ」
「ん?」
振り返ると、リリアは少しだけ視線を泳がせてから、言った。
「完成したら……」
一拍、間を置く。
「……付けた姿、見せてね」
その声は、職人としての確認にも聞こえるし、それだけじゃないようにも聞こえた。
「え……?」
「調整、必要かもしれないし……、ちゃんと、合ってるか、確認したいから……」
言い訳みたいに続けるけど、耳がほんのり赤いのを、私は見逃さなかった。
(……ああ……)
「……うん」
私は小さく笑って、頷く。
「見せるよ」
「リリアが作ったんだもん」
その返事に、リリアはほっとしたように、でも少し照れたように微笑んだ。
「……約束」
「約束」
そうして私は、武器屋を後にする。
(……これ、思った以上に大事な約束かも)
そんな予感が、静かに残っていた。




