ある日の使徒達
「そして、創世神様達は天地を創造された後、それを管理する神々として、大地、海洋、天空の従神を創られました。その後……」
執務の合間の休憩時間、レティシアはルーテシアを膝の上に乗せ、絵本の読み聞かせをしていた。
金髪碧眼の美少女と、その膝の上にちょこんと座る銀髪に紫の瞳の美幼女。その幼女を包み込むように、ゆるりと広がる黒紫色の翼。
幼い女王とその姉である神の使徒が仲睦まじく寄り添い合うその光景は、まるで神話の一場面を切り取った名画のような雰囲気を醸し出していた。
事実、そんな2人の姿を前に、メイドに呼ばれた宮廷画家が目を血走らせながら筆を走らせている。この老人、なんとかしてこの尊い光景を絵に収めようと必死である。今にも高血圧で倒れるんじゃないかと、見ていてちょっと心配になってしまうくらいだ。
「お姉さまぁ、じゅうしんってな~に?」
「ん……そうね。神々が、ある役目を果たすために神の力を以て創造された神、かしら」
「……よくわからない」
「簡単に言えば、偉い神様が自分や自分の子供の従者にするために創られた神々よ」
「う~ん……ルーにとってのミレーユみたいなもの?」
そう言って、部屋の壁際に控える自分のお付きのメイドを見る。
そのルーテシアに、レティシアは曖昧に頷いた。
「そう、ね……眷属神にとって兄弟に近い間柄にある従者。そういう意味では、確かにそうかもしれないわ」
「けんぞくしんって?」
「ああ、眷属神は、男神と女神が結ばれることで生まれた神様のことよ」
「ふぅ~ん……海や空のかみさまは、そーせーしんさまにつくられたかみさまだったんだ……」
「そうよ。そして4柱の創世神様が神界を去られた後、その創世神様の従神である十六原神が、神界を管理することになったの」
レティシアがそう言った時、部屋の隅にいた(それ以上は近付けない)ハーディーンが、おもむろに声を上げた。
「待てレティシア。それは少し違うぞ? たしかに十六原神のほとんどは創世神の従神だが、我とお前の──」
そこまで言ったところで、レティシアがそちらを見もせずについっと指を振り、ハーディーンの眼前に風の結界を展開して音を遮断した。
「お前に発言を許した覚えはない」と言わんばかりの粗塩対応。これにはハーディーンも思わず涙目である。
完全に自業自得ではあるのだが、建国祭の一件以来、レティシアのハーディーンに対する扱いはますます容赦が無くなっていた。思わず壁際にいるメイド達も憐みの視線を向けてしまう程だ。
「……っと、そろそろ時間ね。では陛下、執務に戻りましょうか」
「えぇ~~もうちょっと……」
「ダメです。ほら、戻りますよ」
そう言って絵本を閉じると、レティシアは使徒の膂力で軽々とルーテシアを持ち上げ、執務机へと運んでいく。
そして、その途中でふとハーディーンの方を向くと、風の結界を解除した。
発言が許可されたのかと、ハーディーンがパッと顔を上げる。
「レティ──」
「10m」
しかし、レティシアはハーディーンの言葉を遮るように、ただそれだけを言った。
その言葉に、ハーディーンは部屋の中を見回す。だが、いくら国王の執務室とはいえ、部屋の中央から少し奥に設置されている執務机から10mも離れられるだけのスペースは、この部屋にはなかった。
「……どうしろと?」そんな意思を込めた視線を向けられたレティシアは、自分もまた視線を動かすことで答えた。その視線の先にあるのは……扉。
この対応に、メイド達はもう憐みの視線を向けることすら出来ずにスッと視線を逸らした。そして、ハーディーンは肩を落とすと、すごすごと部屋から出て行った。そこには人類の裁定者としての威厳など欠片も残っていない。
どうやらレティシアの乙女心を土足で踏み荒らした罪は、そう簡単には許されないようだった……。
* * * * * * *
オズワルド王国から遠く離れたところにあるとある国の、有名な剣術道場。
そこに、数十にも及ぶ完全武装をした屈強な男達が集まっていた。その男達は、誰もがこの剣術道場で教えを受けた剣士の中でも一流と呼ばれる者達だ。中にはこの国の騎士団長や、大陸最強の剣士の1人と目される師範まで交じっている。
しかし……今は、その全員が道場の庭に力なく倒れ伏していた。
一般兵であれば十人単位で相手に出来る猛者達の中、立っているのはただ1人だけ。
決して大きくはない。むしろ、周囲の男達に比べれば小柄と言っても差し支えない体格。
しかし、その全身の筋肉は他の誰よりも硬く、まるで糸状の鋼を束ねたかのように引き締まり、それでいて肉食獣のようなしなやかさを持っていた。
その顔立ちもまた、端整でありながらも獣のような雄々しさや荒々しさに満ちている。ハーディーンのようなどこか中性的な美貌ではなく、どこまでも男であることを強く感じさせる容貌。そして、その背からは……鈍色の翼が生えていた。
「やれやれ、流石ですな。我が剣術の神髄を、これほど早く究められてしまうとは」
ゆっくりと身を起こしながらそう言ったのは、この道場の師範。倒れ伏している男達の中では間違いなく最年長。既に老人と言っていい年齢に達していながら、他の誰よりも意識を取り戻したのだ。
その老人に対して、男は不敵に、獰猛に笑ってみせる。
「当然だ。これぐらい出来なけりゃあ、我が神に合わせる顔がない」
男の傲慢ともいえる言葉に、老人は苦笑を浮かべる。その“これぐらい”のことが可能な者など、目の前の男以外にいないと断言できてしまうが故に。
「さってと……次はどこに行くかな」
「忙しないことですな。もう旅立たれるので?」
「もうここで学ぶことはないしな。それに、ただひたすらに強くなることが我が神に与えられた俺の使命だ。立ち止まっている暇なんざねぇ」
「ふむ、そうでしたな」
「おいジジイ、どこか他に強い剣士はいねぇか? いや、剣士じゃなくてもいい。とにかく強い奴はいねぇか?」
「ほっほっほ、ここらの国にはわし以上に強い者などおりませぬよ」
「チッ、そうかい。それじゃあどうすっかな……」
「ふぅむ……おお、そう言えば先日、新たな神の使徒が誕生したという噂を聞きましたな。なんでも、嵐の神の使徒だとか……」
その言葉を聞いた瞬間、男の吊り上がった眉がピクッと跳ね上がり、その口元に好戦的な笑みが浮かんだ。
「へぇ……そりゃ面白れぇじゃねぇか。詳しく聞かせろよ」
* * * * * * *
大陸中央部にありながら、どこの国にも属さぬ、ありとあらゆる職人が集まることで出来た町。通称“職人街”。
その町の中心にある大きな湖に浮かぶ、緑豊かな小さな孤島。そこには、当代の建築技術とガラス工芸の粋を結集して造り上げられた全面ガラス張りの宮が建っている。
そしてその宮、通称“薄氷宮”に、今この町……いや、大陸全土でもトップの実力を持つとされる職人達が集まっていた。
彼ら、彼女らの目的はただ1つ。
この“薄氷宮”の主に、自らの作品を気に入ってもらうこと。それこそが彼ら……いや、この町に住まう全ての職人達の宿願でもあった。
「マリエッタ様、いかがでしょうかこのドレスは。わたくしが半年の歳月を費やして作り上げた自信作ですわ」
そう言って職人達の列から進み出たのは、各国の王侯貴族御用達の超高級ブランドのトップデザイナーを務める女性だった。
彼女が作ったドレスを身に着けることは貴族社会における最高のステータスであり、彼女こそ正に時代を牽引する最高の服職人の1人であった。しかし、今はその顔にはっきりとした緊張の色を浮かべ、ともすれば期待と不安で震えそうになる体を必死に抑え付けていた。
「ん……」
その女性の声に、それを向けられたこの宮の主が、巨大な天蓋付きベッドの上でゆっくりと身を起こした。
ベッドの上に所狭しと並べられたぬいぐるみの中に、半ば埋もれるようにして眠っていた少女。それは、黒髪黒目に透き通るような薄い水色の翼を持つ、10歳くらいの可憐としか言いようがない少女だった。
彼女が身を起こすのに合わせ、足元まである長い黒髪がしゃらしゃらと流れ落ち、夢のようにベッドの上に広がる。
「うぅん?」
そして、ウサギのぬいぐるみを抱き寄せ、とろんとした目を眠たそうにくしくしとしながら、ぼんやりと女性の掲げるドレスを見た。
そのあまりにも可愛らしい姿に、ドレスを持つ女性はもちろん、居並ぶ紳士淑女が揃って胸を押さえた。どうやら何かを撃ち抜かれたらしい。
「ん……」
そして、少女──マリエッタは、数秒間じっとドレスを見て……
「ふわぁ」
小さくあくびをすると、ぼすっとベッドにその身を沈めた。
その瞬間、女性はまるで死刑を宣告された罪人のように絶望に満ちた表情になる。
そして、生気が抜け切った様子でトボトボと列に戻った。そんな彼女に、次の職人が勝ち誇った笑みを浮かべる。
「おやおや、残念だったね丸メガネ氏。やはり、君のドレスは少々凝り過ぎているのだよ。ドレスのデザインは足し算ではなく引き算だということがまだ分かっていないようだね?」
「ノッポ氏……」
その上から目線な言葉に、女性は苦々しい表情を浮かべる。
ちなみに、彼女達がお互いに呼び合っている名前は、人の名前を覚えないマリエッタが直感で付けたあだ名である。ともすれば悪口にもなりかねないあだ名もあるが、彼らはそれをマリエッタへの拝謁が叶った証として、誇りと共に名乗るのだ。
「フフン、まあ後ろで見ていたまえよ。僕の作品がマリエッタ様のお気に召すところをね」
そう言って、男がマリエッタの前に進み出る。
「こちらをご覧くださいマリエッタ様。どうです? 素晴らしいドレスでしょう? 貴女様のために、不肖このわたくしが心を込めて作らせて頂きました」
そう言いながら、自信満々に取り出した男のドレスを……マリエッタはチラリと見て、すぐに顔を逸らした。
途端、自信に満ちた男の表情が、まるで家族と恋人を同時に失ったかのような絶望し切った表情になった。
一気に20歳くらい年老いたように見える男を、後ろの丸メガネ女史が全力で煽る。
……ちなみに彼女、王侯貴族を常連客に持つだけあって、礼儀作法は完璧である。普段から、一分の隙もないほどに礼儀正しい淑女である。間違っても、舌を出しながら中指を立てるようなことはしない人なのだが……一流の職人を本気にさせてはいけないということだろう。
それからも、多くの職人がマリエッタの前に進み出ては自分の作品を売り込み、ほとんどの者が虚しく散り、極一部の者が歓喜にむせび泣いた。
服職人、家具職人、ガラス職人、銀細工師、彫刻家、菓子職人…………誰もが世間では超一流と呼ばれる存在であるにも拘らず、ここではその全員が、まるで偉大なる師に自分の作品を披露する未熟な弟子であるかのような緊張感を漂わせている。
「むぅ……やはり、今回もマリエッタ様のお眼鏡に適う品は少ないようですな……」
「そうだな、ジャガイモ氏。だが、俺は諦めてないぜ? 今回こそ、この“モフモフくまちゃん38号”をマリエッタ様に抱いてもらうんだ……」
「ふふふ、無論、わたくしも諦めてなどおりませんよ……ところで出っ歯氏。聞きましたかな?」
「何をだ?」
「ここだけの話……マリエッタ様は、本当にトイレに行かないそうですぞ?」
「なん、だと……!? それはつまりあれか? マリエッタ様は、マジで天使だってことか?」
「ふっ、何を今更……マリエッタ様が我々の永遠の偶像だということは、前から分かり切っていたことではないですか」
「ふっ、違げぇねぇ」
「おい、後ろでぼそぼそうるせぇぞ。筆がぶれたらどうすんだ」
「ふんっ、少しくらいぶれても問題なかろ? どうせ貴様の絵ではマリエッタ様の魅力を1割も表現できんのじゃからな」
「あぁん? 言ってくれんじゃねぇか。枯れた絵しか書けないジジイが」
「時代に媚びた絵ばっかり書く貴様に言われたくないわ! この若造が!」
「ハンッ、時代に媚びてるんじゃねぇ。時代に取り残されないよう、常に最新のものを取り入れてるんだよ。自分のスタイルに固執してるアンタと違ってな」
「ふんっ、そんなに新しいものが好きなら、オズワルド王国に行ったらどうじゃ? 最近あの国に、新たな女性の使徒が現れたそうじゃぞ?」
「ざっけんなジジイ! 俺の筆はマリエッタ様に捧げてるんだよ!!」
その時、それまで誰に対しても最低限の反応しか見せていなかったマリエッタが、明確にその言葉に反応した。
ぐるりと振り向き、2人の画家(どちらも時代を代表する天才画家)の方を見る。
そして、小さく口を開くと、本日初めて一単語以上の言葉を発した。
「その話……詳しく聞かせて」




