治療院
翌日、サクラはレミゥに連れられて治療院にやってきた。
レミゥから聞いた話によると、治療院とはけが人や病人を収容し治療する病院のような施設のようだった。
「色々考えるべきことはあるけれど、まずはレミゥちゃんのかわいい仕草を習得してさらなるステージに……」
「なんですか?」
「あ、いえ。なんでもないです。一宿一飯の恩義を返さねばと思いまして」
「そんなこと。私の個人的な活動に付き合っていただいて申し訳ないです」
レミゥは個人的な慈善活動として、治療院の支援を行っているとのことだった。男爵家が直接の支援をしているということではないらしいが、レミゥ経由で金などが動いているのが伺える。
「なるほど、ノブレスオブリージュという奴ですか」
「なんですか?」
「貴族の心得ですね。『高貴さの義務』という意味です」
「?」
「ようするに、貴族は社会に対して、地位に見合った貢献をちゃんとしろということですね」
「サクラちゃんのいた国は面白い考え方をするのですね」
「いえ、うちの国の言葉ではないですが」
「でも、いい言葉ですね。高貴さの義務……」
レミゥはこくこくと何度も頷いている。慈善活動を行っているので何か感じ入ることがあるのだろう。
サクラもレミゥのまねをしてこくこくと頷いてみる。
「なにかありました?」
「いえ、ちょっと研究を。気にしないで下さい」
「そうですか? あ、着きました。入り口はこちらです」
案内されたのは小さな建物だった。入口には治療院と看板がかかっている。
「普通に読める……というかこれもどう見ても日本語だよね? というか漢字……」
「サクラちゃんはやはり、共通語を読めますのね」
「共通語……うーん、深くは考えるのは今度にしよう」
言語の問題はとりあえず棚上げすることにした。何か魔法的な不思議パワーが働いているのだろうと、考えるのをやめた。
レミゥに連れられて中に入る。手前に診察室がある、奥の部屋にはベッドが並んでいて、重症の患者が寝ているとのことだった。
レミゥは奥から出してきたフリルのついた白いエプロンを身に付ける。
「かわいいエプロンだね」
「ただの作業着ですわ。服が汚れるといけませんので。はい、サクラちゃんも」
サクラも服——【ロリータ・ワンピ・ローブ】の上から渡されたエプロンをつける。昨日の森の中の行程や狼との戦闘で少し汗もかいたのだが、朝起きるとクリーニングされたようにきれいな状態になっていた。
洗濯する時間は無かったはずなのだが、仕事の早いメイドの仕業だろうか。
白いエプロンを装着して、より『かわいい』姿になった自分をサクラが堪能していると、レミゥが治療院の説明をする。
「こちらで、怪我をした住民の簡単な治療を行っています。手の空いたものが持ち回りで診ておりますの」
「手の空いた……?」
「小さな町ですので、専門の医者がいるわけでもありません。備蓄の薬草などでのけが人の応急処置をしているのが、残念ながら実状ですわ」
「重症の患者や病人は?」
「重症の方々には休む場所を提供するくらいで……正直、本人の体力次第ですわね」
治療院とは名前がついているものの、外来の患者に対して、現代で言うところのご家庭の薬箱にある常備薬で出来る程度の、民間治療しか提供できていないようだった。
もしかしたら、ここに置いてある薬の水準によってはもっとまずい状態かもしれない。
そして、その民間療法で何とかならないレベルの怪我をしたら、本人の体力任せという。
思ったよりずっと厳しい状況だった。
「軽い病気やけがで簡単に亡くなっていかれる領民の方々を見かねて。何とか治療院の開設まではこぎつけたのですが。まだ道半ばといったところです」
「え、レミゥちゃんがこの治療院を作ったの?」
「いえ、わたくしは大したことはできておりません。お父様にも働きかけて建物は用意していただきましたがそれはお父様のお力です」
「それでも、レミゥちゃんの発案なんでしょう?」
「箱を作ることなんて誰でもできますわ。中身がともなっておりません。賛同していただける方も少ないながらもいらっしゃるのですが、人手も物も足りておりません」
悔しそうに俯くレミゥ。
サクラは貴族のお嬢様が趣味のボランティア活動をしているくらいに思っていたのが、レミゥの真剣な思いを感じ取り、認識を修正する。
(この子、かわいいだけじゃなくて強い。男前だ)
「今日はまだ、外来の患者が来る時間ではありませんので、今いるのは奥で休んでおられる重症の患者さんだけですの。もう少ししたら、近所の奥さんが手伝いに来てくれるはずですわ」
「ではまず、その重症患者を見せてください。私自身、私の治癒魔法がどこまで力があるのかはまだよくわかっていませんが、何かの助けになるかもしれません」
「いえ。今日はサクラちゃんには、外来の方のけがを治していただこうと思ったのですが」
サクラは首をかしげる。お気に入りの「疑問の時のかわいいポーズ」だ。
「え、なんで? 重症の人の方が緊急なのでは」
「しかし……正直あまり……うーん。サクラちゃんはその、健康体でいらっしゃいますね?」
「うん?」
「治癒魔法というのは自分の身も守れますの?」
「自分にも効くのは、昨日図らずとも確かめられたね……」
「なら大丈夫かと思いますが……失礼ながら一応お尋ねします。覚悟はありますか?」
「覚悟? 何の?」
「身をささげる覚悟です」
◇◆◇◆
奥の病室に入る。
窓も閉め切られた暗い部屋の中には、薄汚れたカーテンで仕切られた部屋にベッドが並んでいた。カーテン越しに、ベッドに三人の患者が横たわっているのが見える。
部屋に入ると、何かが腐ったような、嫌なにおいがした。床にはよくわからないシミや汚れたボロ布が転がっており、中に入るのを躊躇してしまうような不潔な感じがした。
「ここに収容されるのは、かなり状態が……その、芳しくない方々です」
専門の医者も治癒魔法の使い手もいないこの街では、病気やけがの患者は普通は家族や親類が面倒を診る。
治療院といっても、実情は簡単な薬を処方する程度の能力しかない。となれば、ここに入院させられる患者は二種類しかいないという。
すなわち、家族や縁者がいない見捨てられた患者か、状態がひどく、周りへの病の感染の危険を考えると隔離する必要がある患者だ。
「なるほど。ここは病院というより……ホスピスのような感じなのかな」
サクラがうめく。
ホスピスとは、末期がんなどで治療の見込みのない患者たちと家族に対して終末期医療を行う施設のことだ。病気の治療よりも、身体的あるいは心理的苦痛をやわらげる緩和ケアなどにより、せめて残りのわずかな人生を意味のあるものとして有意義に生きられるようにすることを目的とする施設だ。
「手持ちの薬が効かない方たちには私達は何もできません。良くなるように祈って、そして、その……せめて最期を看取ってあげるくらいしか。こんなことををお頼みするのは過分な望みだとわかっておりますが、もしも、サクラちゃんの治癒魔法でなんとか。少しでも良くなる可能性があるのならば」
レミゥが悲痛な表情で手近なベッドのカーテンを引くと、中の様子があらわになる。
包帯と呼ぶにはあまりに粗末な、血が渇いたどす黒い赤や、何か黄色い液体に汚れたボロ布のようなものを巻いた男が呻いている。ベッドのシーツもいつ取り換えられたものかとても衛生的とはいい難い状態だった。
「これはひどい」
「この方は農作業中に足を怪我して、そこから化膿して全身に毒が回ったのか、高熱にうなされる毎日ですの。日々体力も落ちてきていて……正直、あとどれほど体力が持つか……」
レミゥが声を落として患者の状態を教えてくれる。サクラは医療の専門家ではないので症状についてはよくわからないが、素人目にも状態が悪いのはわかる。
しかし、サクラが気になったのはそこではなかった。
「いえ、怪我もひどいのですが、衛生状態です。この包帯……布はいつ取り換えましたか? ベッドのシーツは?」
「ひと月前に運び込まれたときですわ。わたくしも痛々しいのですが仕方がないのです。世話をする方の身を守るためにも、あまりこの部屋に長居をさせるわけにもいきません」
「他の患者は?」
カーテンを順に空けていく。
次のベッドも似たような状態だった。手足をけがしたのか、やはり薄汚れた布が巻き付けられていて、ベッドやシーツはずっと換えられていない様子だ。
「こちらの方は崖から落ちて右手と右足を骨折されました。大怪我ですが、体力さえ落とさなければ助かる怪我でした。ですが骨を折ったので熱が出て……体力を使い果たして。今はずっと眠っていらっしゃります」
「いや……その、骨折したところ? 添え木してあるけど、何かちょっと曲がってません……?」
「大きな骨折のときは、曲がってくっつくこともありますわ。仕方ありません」
「え、それでいいの……?」
「曲がってくっついてしまうとすこし不便ですが、生活に支障はありませんわ。それよりも、このまま体力が戻らなければそんな心配もできません」
「……そう」
最後のベッドには幼い少女がぐったりとした様子で横たわっていた。
「げほっげほっ」
外傷がないため、他のけが人のベッドに比べるとシーツの汚れは比較的マシに見えるが、つらそうに咳を繰り返すその姿は痛々しい。自分で咳をするたびに体力をごっそり奪われているようだ
「この子は流行り病の肺病にかかったようで、他人に感染るといけないのでここに隔離しております」
「流行り病!? こんなところに寝かしておいていいの? 体力の落ちたけが人もいるのに!」
「他の健康な住民に感染るよりは良いでしょう?」
サクラは治療院のあまりの状況に頭を抱える。
最初、ホスピスのような施設かと考えてしまったことが失礼なくらい、ここはひどかった。ただの隔離施設だ。しかも治療をあきらめた患者が死を待つだけの。
パパっと治癒魔法でけがを治して終わりの簡単な仕事だと思っていたが、どうもそれでは根本的な解決にはならないと思った。問題は根が深そうだ。
「サクラちゃん。早速ですが、治癒魔法を……」
「うーん、この人のけが、包帯がヤバい色になってますよ。このまま治癒魔法かけたら布がくっついちゃうんじゃないかな……わかんないけど」
現在のサクラには、なぜかゲームのままの治癒魔法が使えるのだが、原理が全く不明だ。
下手に治癒魔法で怪我を無理やりくっつけたとして、その時に何か変な菌とか入って後で病気になったら怖い。何が起きるか全く責任が持てない。先日の騎士のように、今すぐに命に危険が迫っているのなら躊躇はしなかったのだが、この状況ではせめて傷口を綺麗にしてからやりたいと思った。
「まずはこの方の傷口を清めましょう。消毒用アルコールとかないですよね?」
「アルコール……ワインなら屋敷に行けばありますが」
「いえ、では水……いや、お湯を沸かしてください。あと、清潔な布はありますか?」
「布は……治療院は予算が少なく、あまり余分がなくて」
「それでこんな状態なのですか……。では、とりあえずお湯を」
「わかりました」
「ちゃんと沸騰させて下さいね」
レミゥがお湯を沸かすために部屋を出ていく。
サクラはネコポーチをの中に手を突っ込んで、何かないか物色する。
「うーん、布、布巾、ガーゼっぽいもの。何かあったかな……お、ちょうどいいものが」
ちょっとだけ重い話になってしまいましたが、深刻な話は次回に続きません。