まとめて治癒!
レミゥに沸かさせた湯を冷ました水を使って、患者の化膿した傷口を洗いながら、サクラは刺繍の入った絹のハンカチで傷口の膿を拭う。
「うう、すまねえ。高そうなハンカチが汚れちまう……」
患者の男が、熱にうなされた朦朧とした意識ながら申し訳なさそうにしている。
「いえ、どうせ使いみちのないイベントアイテムだったので大丈夫です。先程まで存在すら忘れてました」
サクラが傷口を拭くのに使っているのは【貴婦人のハンカチ】というアイテムだ。
とあるクエストの進行のために必要なイベントアイテムだが、「このアイテムを誰それに届けてくれ」という依頼を受けてそこにいくと「ちょうどいいところに。これを彼に届けてくれ!」というように、たらい回しでお使いを頼まれる面倒なクエストだったため、サクラは途中で飽きて放置していた。
クエストを諦めた時点で持っていたお使いアイテムが【貴婦人のハンカチ】だった。
イベントアイテムのためシステム上の大きさも重量もゼロでバッグの容量を圧迫しないハンカチは【ネコポーチ】の底で眠っていたのだった。
「うん、化膿していたところはひとまず綺麗になりましたね。それでは、【治癒】!」
男のひどい傷がみるみるうちに塞がっていく。同時に体力も回復したのか、高熱にあえいでいた息が穏やかになった。
「おお……楽になった。足も……痛くない! ありがとう。ありがとう!」
「いえいえ、大したことはありません。熱の方はどうです?」
サクラは男の額に手を伸ばす。
整った顔立ちの少女が自分に顔に接近して来るのを見た男は慌てる。
「お貴族様、やめてくれ。俺は一ヶ月も体を拭いていない。汚れちまう」
サクラが至近に接近する形になった男の顔は真っ赤になっている。
「いえ私は貴族では……それより、身体を拭いてもらったりもしていないんですか? さすがに衛生管理がひどすぎる。ん、体力が戻ったら熱も下がったようですね」
「ありがとう……本当にありがとう。もう俺は、死ぬものだと。うう……!」
男は涙を流しながら感謝を繰り返している。
「これが、治癒魔法……」
横で見ていたレミゥも目を丸くして驚いている。
辺境のフォートランドの街には教会はあるものの、治癒魔法を使えるほど高位の司祭はいなかった。レミゥが治癒魔法を見るのは初めてだった。
「骨折の人はどうしよう。曲がってくっつこうとしてるのだとしたら……あるいは、もう一度折って真っ直ぐにしてから……いやいやいや」
サクラは医者ではない。中身がただのおっさんのサクラにけが患者の骨を叩き折る度胸はない。
「あとでもう一度まっすぐにしないといけないにしても、この人も体力付きかけてそうだし、とりあえず回復させておこう。【治癒】」
治癒魔法の光が患者を包む。わずかに曲がっていた骨折部はみるみるまっすぐになる。
「まっすぐになってくっついた……どういう作用なんだ治癒魔法……」
「すごいですわ。この方もあんなに苦しんでいたのに。あ、目を覚まされました」
「う……、ここは?」
「大丈夫ですか?」
男が目を覚ますと、黒髪の美しい少女が顔を覗き込んでいる。生死をさまよった男には、その光景はこの世のものとは思えなかった。
「美しい黒髪に白い衣……。ついに天使様が迎えに来たのか」
「痛いところはありませんか? 体力も戻っていると思うのですが」
「どこも……痛くない。骨が痛くて一晩中苦しんで眠れなかったのに。俺はやはり死んだのか……?」
「うん、大丈夫そうですね」
まだ事態を飲み込めない男に微笑みかける。
「ありがとうございます。サクラちゃん。あの方たちは正直なところ、もうだめかと思っていました」
レミゥが頭を下げる。
「やめてください。趣味が思いのほか役に立っただけですよ」
「趣味ですか?」
サクラは振り返り後ろを向くと、レミゥに聞こえないほどの小声でつぶやく。
「……うん。やっぱり人に感謝されるのは気持ちがいい。みんなが感謝するのは回復職の女の子。私は『かわいい』。だから必要とされる」
聞き取れなかったレミゥがサクラの顔を覗いてくる。
「何ですか?」
「いえ。レミゥちゃんはかわいいので大丈夫です」
「え?」
「なんでもありません。最後はあの子です。咳で苦しんでいます。早く回復させましょう」
最後の患者は流行り病の少女だ。
小さな女の子が咳き込んでいるのはサクラとしても不憫だったが、治療を最後に残したのは理由があった。
「【治癒】」
「ケホッ、ケホッ」
治癒魔法をかけると、少女は多少楽にはなったようだが咳は止まらない。
「やっぱり病気は【治癒】ではだめか……」
【SoS】にはやたらと豊富にバッドステータスが存在した。【毒】、【呪い】、【精神錯乱】、【盲目】、【石化】等々。それらバッドステータスは【治癒】では回復しない。【治癒】で回復できるのはHP、つまりは怪我だけだ。
【病気】もそんなバッドステータスの一つだ。全ステータスが大幅に低下する上に、HPの上限値が徐々に下がって行くというなかなか極悪なバッドステータスだが、【SoS】では、基本的にはクエストやイベントでしか発生しないものだった。
「さっきの人たちは、怪我が原因の熱だから【治癒】で回復できたと考えるのが自然……かな。それとも、体力が回復して自然に治ったのかも」
【SoS】には、すべてのバッドステータスを解除するような便利なスキルや魔法は存在しない。嫌がらせのようにたくさんの種類のある数々のバッドステータスを解除するためには、それぞれ専用の回復アイテムや魔法が必要なのだ。
魔法を覚えるにはスキルポイントが必要であり、様々な強力なスキルを習得できるスキルポイントは貴重だ。
頻繁に敵モンスターが使ってくる【毒】や【盲目】あたりならともかく、ほぼイベントでしか発生しないめったに起きない【病気】や【呪い】のようなバッドステータスのために、貴重なスキルポイントを使用してわざわざ回復スキルや魔法を覚える者は【SoS】にはまずいなかった。
「でも、私は治癒と支援特化なんだよね。みんなから愛され感謝される姫キャラは、もちろん、そんなマイナーな治癒魔法も覚えているのです。【病気快癒】!」
◇◆◇◆
もはや死を待つばかりと思われた重症患者たちが回復したとの連絡を受けて、患者の家族たちがやってきた。
「お前さん、もうだめかと思ってたよ!」
「セーラ! 本当にもう大丈夫なのセーラ。ああ、なんてこと神様ありがとうございます!」
「あんた、ありがとう。旦那を助けてくれて本当にありがとう」
患者とその家族たちは、サクラの前で額を床に擦り付けそうな勢いで皆、口々に喜びと感謝の言葉をあげた。
もうほとんど望みはないと言われ、死を待つばかりだった患者達は、感染症の危険から治療院に隔離されていた者たちだった。家族たちは近くで看病することもできず、諦めてただその時を待つばかりだったのだ。
「いったいなんとお礼をすればいいものか。少ないですが、せめてこれを受け取ってください」
「お、お金!? 受けとれません!」
「そんな、タダというわけには」
「いえいえいえ。みなさん元気になってよかったです」
「サクラちゃんの治癒魔法がなければ、ここのみなさんは本当にもう……望みは薄かったのです。受け取って良いのですよ?」
「みなさん、病み上がりの身です。そのお金で美味しいものでも食べさせてあげてください!」
治癒魔法で本当に治るのかサクラ自身にもよくわかってなかった。実験台にしたようで内心ちょっと後ろめたい気持ちもあったので、礼を受け取るのはひとまず遠慮する。
その姿に患者と家族たちはますます感動した様子だった。
「私は出来ることをしただけですよ。はは」
(何故出来るかすらわかってないのだけどね。はは……)
「そんな。ご謙遜はおやめ下さい。見てください、あの方たちの笑顔を!」
患者とその家族たちはサクラに向けて頭を下げていた。
足の化膿からの雑菌が全身に回って高熱をだしていた男などは、手を合わせサクラのことを拝んでいる。
それを見た他の人たちも、一斉に床に跪いてサクラのことを拝みはじめる。
「や、やめてください。私なんてそんな大した者では。お、拝まないで」
◇◆◇◆
凄腕の治癒魔法の使い手が治療院にいる。無償で治癒魔法を使ってくれて、しかもそれは、見たこともないくらい美しい少女らしい。
回復した患者たちからそんな話が街中に広がると、噂を聞き付けた住民がすぐに大量に押し寄せてきた。
「タダで治癒魔法使ってくれるんだろ? 早くしてくれ!」
「おい、噂のかわいい子はどこにいるんだ?」
レミゥが、治療院の手伝いに来た近所の奥さんと手分けをして、治療院に押し寄せた人の列整理をしている。
「押さないでください。全員診ていただけるそうです。順番に並んでくださいまし」
「列はあとどれくらいですか?」
「百人以上います!」
そんな人々の列にサクラは淡々と対応していた。
「はい【治癒】。次の方。はい【治癒】」
最初こそ丁寧に対応していたサクラだったが、肘を擦りむいたとか、膝が痛いとか、あげくはささくれが痛いなどという怪我とも言えない程度の症状を口々に訴えてくる住民に面倒になり、今は雑に【治癒】を連打している。
実はやってきているほとんどは、噂の「美しい少女」を一目見ようと物見遊山で訪れた男どもだった。
「はい【治癒】。はい【治癒】」
列をなしてやってくる怪我人たちを無心でさばいて行くサクラ。
たまに、腰痛や古傷に長年悩まされている老人など、確かに治療が必要そうな者も混じっているが、ほとんどは放っておいても数日で治る程度の、治療の必要もないような『自称』怪我人だった。
レミゥによると、そもそもこの街には治療院に入院していた患者以外は、すぐに命にかかわるような重症患者はいなかったのだという。
意外と健康状態が良いのかな、などとのんきなことを思ったサクラだったが、レミゥから「動けないほどの重症になったら死んでしまいますから」と聞いて思わず真顔になってしまった。医療水準はやはり厳しいようだ。
「【治癒】。次の方どうぞ。とりあえず今日並んでいる人は全員治すとしても、このままだと治療院として問題がありますね。はい、見せてください。【治癒】」
サクラはこの街の専属の医者になる気はない。専門的な医療知識もないし自らの治癒魔法も全く原理すらわからない怪しいものだ。他人の命に安易に責任は持てない。
「サクラちゃん。そんなに治癒魔法を使って大丈夫なのですか?」
列整理が終わってサクラのもとにやってきたレミゥが、【治癒】を惜しみなく連発する姿に心配して声をかける。
「大丈夫です。戦闘中でもないし座っていますので、MP回復しながらやっていますよ。あ、次の人そこに立って。はい【治癒】」
「そういうものなのですか」
【SoS】では、戦闘中はMPが回復しないがそれ以外では自然回復する。しかも、座っていると回復速度が上がるのだ。サクラは、座っていれば【治癒】を連射しても回復速度が上回るので即座にMPが満タンになってしまう。
治癒魔法の使い手がいないフォートランドの街から出たことがないレミゥには知るよしもなかったが、教会の高位司祭たちが神に何日も祈祷を捧げることで神力を高め、ようやく治癒魔法を行使できる、というのがこの世界の治癒魔法の常識だった。そのような貴重な治癒魔法なので、高いお布施を教会に納めないとおいそれと使ってはもらえない。
そんな教会の司祭たちが見たら卒倒するようなことをサクラは行っているのだが、サクラはなぜ自分が治癒魔法を使えるのかわかっていないし、その治癒魔法についてもゲームのスキルの知識しかなくこの世界の常識など持ってはいない。
そして、治癒魔法のことはわからないレミゥは、本人がそういうのならばそうなのだろうと特に疑問をもたなかった。
「まったく困ったものですわ。寄付や入院した患者の世話の手伝いを募っても、ほとんど誰も来てくれなかったのに。大した怪我でもないのにこんなに押し寄せてきて」
死を待つ患者に何もしてやれない治療院の現状を憂いて、なんとかしようと活動をしているレミゥには、珍しいもの見たさで押し寄せてきた街の住人達に色々と思うところがあるようだ。
「誰しも病気は怖いですからね」
「怪我をしたときに治療に来るのはいいのです。お金がない方にもせめて薬をと、そのために設立した治療院なのですから。ですが、これは」
「確かに。毎日こんなに押し寄せられても困りますね。あまり面白くもない。回復職やってる醍醐味が感じられない……あ、いえこちらの話です」
雑に治癒魔法を連発する作業はサクラのポリシーに反する。感謝され、必要とされたいから回復職をやっているのである。
回復職を回復アイテム扱いするプレイヤーがサクラは嫌いだった。列をなして並んでいる住人はその嫌いなプレイヤーと同じ雰囲気を感じる。対応も雑になるというものだ。
その点、死の淵にいた重症患者たちを治癒したのは良かった。
回復した患者も、その家族も、レミゥも感謝してくれた。一斉に拝まれて慌てたがまんざらではなかったのだ。感謝され、必要とされている実感を持てた。サクラが求めているのはまさしくその自分が必要とされる感覚だった。
「この列の人たちを治し終わったら治療院の方をどうにかしましょう。はい、次の方。あ、ご病気ですか。風邪? では、【病気快癒】。ついでに【治癒】」
「治療院を?」
「ええ。もともとそのための治療院でしょう? はい次。【治癒】」
結局その後、全員に治癒魔法をかけ終えるまでに、二時間ほどかかってしまった。




