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改革の一歩

「よくいらした。クレマトー司教」


 領主アレクスターの執政室。椅子に座るアレクスターの前に赤い法衣の大男が立っている。

 頭部の禿髪は年齢を感じさせるが、その身長は優に二メートル近い。ゆったりとした法衣の上からでも、筋骨隆々の肉体を感じられる、僧侶というよりは歴戦の戦士のような男だった。


「アレクスター領主殿。南部教区を統べる司教である拙者を、わざわざ屋敷まで呼びつけるとはいかな要件ですか」


 クレマトー司教は慇懃無礼に尋ねた。

 南部教区は、フォートランド一帯を含む南部の農業地帯全てである。農業地帯ゆえに穀倉地帯が広がっており人口密度が低いが、面積にすればかなりの地域が南部教区に属する。教区を統括するのが司教であり、クレマトーの着る赤の法衣は、セレティアル教における司教の立場を表す。


 たかが田舎街の領主に比べれば、クレマトーの方が格上であり、筋を考えればアレクスターが自分に会いに来るべきである。わざわざいち領主ごときが自分を呼びつけるのは両者の力関係からすると望ましくない。クレマトーは不満を隠そうともしない。


「司教殿に、少々お耳にいれたい事案があったのだよ」

「ロード・アレクスター。教会は王権やそこから委譲された領地の自治権とは独立した宗教組織であり、領主殿の権限におもねるものではないことをご理解いただきたい」

「それはもちろんだ。本来ならばこちらから出向くべきところを、ご足労いただいて大変恐縮しておる。なに、ろくに街もないような南部の田舎の中で教会機能の中心を確立すべく、せっかく南部の執務の中心たるフォートランドに立派な教会を築いたのだ。有効に活用すべきとは思わんかね」


 フォートランドの街の教会を建築したのはアレクスターだ。建築費を出し、宗教儀式と政務との連携を図るべく現在の場所に設計をしたのだ。建物の維持管理費も領地の予算から出ている。

 アレクスターに資金を止められればフォートランドの教会のみならず、南部教区の活動は成り立たない。金銭的な面だけを見れば、クレマトーはアレクスターに頭が上がらないのだ。


「む……しかし、筋というものがあるでしょう」

「まったく。ビジネスは面子やプライドよりもフットワークが大事だぞ」

「教会はビジネスではありません。教会にとっては面子こそが大事なのですよ! 堂々たる威厳をもって神の権威を示す。それが教会です」


 クレマトーの言っていることも道理である。教会は神の威光の代弁者。常に荘厳であらねばならない。民衆に「舐められたら負け」なのだ。権威を失った宗教はあっという間に崩壊してしまう。


「内密の話でな。教会では都合が悪かったのだ。体調を崩した私の祈祷に来たことにでもしておけ。相応の布施は払う」


 教会には様々な人間が出入りする。礼拝に来る市民たちだけではなく、教区の内外からやってくる教会関係者が常に滞在している。どこに話が漏れるかわからない。


「それで。そこまでして拙者を呼びつけた要件はなんですかな」

「強力な治癒魔法をを行使する少女を拾った」

「治癒魔法、少女というと?」

「十五、六歳といったところだろうか。魔物に襲われ瀕死の騎士を一瞬で治癒した。腕の動脈を食いちぎられ地面は血だまりとなったが、一瞬で全快だ。傷一つ残っておらん」

「ばかな。 救世救民を是として年がら年中治癒魔法を鍛えておるサンクト派の修道士どもですら、そこまで強力な治癒魔法は使えない。ありえません」


 サンクト派というのは、神の力を直接的に民へと与えることこそが、信徒としての役目であるとする一派で、神聖魔法で怪我人や病人を治すことに信仰を捧げている。教会本部からは、即物的にすぎるという批判があるものの、民衆からの人気は高い。


「魔物に襲われて混乱していたのでな。実際のところはどうかわからんよ。治癒を受けたものが大げさに言っておるだけかもしれない」

「そうでしょう」

「しかし、少々気になることがあってな。最も近くで彼女の治癒を見た者、騎士のうちの一人なのだが、すっかり心酔してしまっておる」

「命を助けられたのです。さもあらん」

「それが、彼女は聖女だというのだ」

「馬鹿なっ!」


 クレマトーが激高する。「聖女」はセレティアル教の教義の根幹に関わる存在である。軽々しく口にしてよいものではない。


「落ちつかれよ、クレマトー司教。死の淵で美しい少女に命救って貰ったのだ。若者が女神や聖女と崇めたくなるのも詮無いことだろう」

「しかし、聖女様の名を騙るなどと!」

「彼女は騙ってはおらん。うちの若いのが助けられてちょっと熱を上げているだけだ」


 つい声を荒げてしまったクレマトーだったが、状況を聞くにつれて少し落ち着いた。よくよく聞くと、見目麗しい少女に助けられた若い騎士が舞い上がっているだけのようだ。


「しかし、状況からすると、少女が強力な治癒魔法を使ったことは疑いないようにも思えるのだ。騎士たちを癒した後、少女は襲ってきた魔物、グレートウルフの傷すらも癒して森に返したという。それを見た騎士は、慈愛の心で魔物を説得したと涙も流さんばかりに感動しておる」

「魔物を……? それこそ何かの間違いでしょう。あるいは、そこまで人心把握しているのも怪しいものでありますな。我々を惑わすために魔物をけしかけて、さも自分が救ったように演じた悪魔かもしれない」


 魔物は人間とは相いれない絶対的な敵である。慈愛の心などという生易しいもので分かり合えるものではない。魔物は人間を見たら襲ってくるし人間は魔物と戦う運命だ。

 魔物と分かり合えるなどという夢物語、そこに何か仕掛けがあると考えた方がまだしも自然だ。


「して、その少女はいずこに?」

「治癒魔法の腕を娘に請われて治療院の方に行っておる」

「なるほど、レミゥ様ですか」


 治療院の設立と運営に注力しているレミゥのことはクレマトーも知っていた。けがや病気を救済するという目的は、ともすれば、教会の祈りと競合する関係になりうるので、不要な摩擦が起きないよう日頃から気にかけていたからだ。


「治療院で少女は治癒魔法を行使することになるでしょう。クレマトー司教。彼女を見極めていただきたい」



◇◆◇◆



 押し寄せた自称怪我人、自称病人たちを片付けたサクラは、治療院の衛生観念の改革に乗り出すことにした。


 まずはお湯が必要だと思い、大鍋に湯を沸かす指示を出すサクラ。


 治療院の手伝いに来ている近所の主婦アルミナさんに手伝わせている。この奥さんも、隔離施設の性質のある治療院にわざわざ手伝いに来てくれているあたりなかなか豪胆である。

 過去に小さな子供を流行り病で亡くした経験から、治療院の設立と状態改善を目指しているレミゥに心動かされ協力しているらしい。


 サクラこと隆は、コミュ力はないが仕事ならできる。

 会社員として平社員ではあったが、年齢的にそこそこの中堅どころになってきており、若手社員を監督したり指示を出す仕事には比較的慣れていた。


「アルミナさん、シーツや包帯の予備は?」

「予備を置く余裕はありませんので、ベッドはあれをずっと使っています」

「レミゥちゃん。新しい布を用意できませんか。屋敷にはあるでしょう?」

「それが……治療院の活動は私の個人的なものなので、屋敷の物品を使うのは筋がちがうだろうとお父様が」

「治療院の予算は?」

「寄付が少々。薬を買ったらほとんど残りません」

「ふむ。根本解決は予算折衝が必要ですね。稟議は……領主様に出せばいいのだろうか」


 つい、会社員思考で考えるサクラ。事業を行うには人と物が必要であり、それらをそろえるには金が要る。ビジネスの基本は人、物、金である。

 予算の話は現場ではどうにもならない。決済権のある人間に話を持っていくしかない。


「まずは現場でできることをやりましょうか。掃除と洗濯、そして消毒です。石鹸はありますか?」

「洗濯用の物なら」

「俺たちにも手伝わせてくれ」


 声をかけてきたのは回復した患者の家族たちだ。


「患者さんたちはもう大丈夫なんですか?」

「ああ、家で休ませているがすっかり元気だ。ろくな礼もできなかったが、せめて作業を手伝い位させてくれ」

「助かります。洗濯のお手伝いをしてください」


 増えた人手に、サクラはテキパキと必要なものを指示していく。


「この、血と膿に汚れた包帯は、これはもうダメそうなので一旦捨てましょう。アルミナさん、捨てる時は燃やしてください。ここから病原菌が感染する可能性があります」

「燃やしてしまうんですか!? 洗えばまた使えますよ?」

「さすがにこのよくわからない色になった布は再利用しない方が良いと思います」

 

 元が何色だったかわからない包帯を再利用する勇気はサクラにはない。容赦なくかまどの火にくべて燃やす。


「比較的大丈夫そうな包帯とシーツは念入りに洗濯して、その後沸騰したお湯で煮込んでください。煮沸消毒すれば病原菌は死にます」

「あの、サクラちゃん。先ほどもお湯を沸かしていましたが……使用済みのシーツや布をなんで煮るのですか? 燃料がもったいないのでは」


 突然、シーツや包帯を煮ろなどと言われたレミゥは困惑していた。

 サクラの勢いにとりあえず手伝いをさせられているが、新しい布を用意したり、かまどで火を焚くのはタダではない。意味不明の指示に従えるものではない。


「病原菌……と言っても伝わらないか。ええと、病気のもととなる目に見えないものが世の中には漂っています」

「そんなこと教会の教義でも聞いたことありませんわ」

「宗教的な話ではなく、医療の話です。とにかく、患者の血や体液に触れた布や道具は煮沸消毒してください。それで二次感染が防げます」

「ほんとうですの……?」


(うーん。菌やウイルスの概念のない人たちに、現代の衛生観念は伝わらないか……どう説明したら)


「ええと、病気を引き起こす病魔、悪い精霊、悪霊そういう類がいるのです。これは受け入れられますか?」

「はい。我々を脅かしているそういった悪い存在から、神様が守ってくださっていると」


(よし、伝わりそうだ。この路線で行こう)


「それらの悪いものは、たいていあまり力が強くないのですが、体力が弱っている人は負けてしまいます」

「わかります」

「悪いものは汚い埃や土や砂、布、そういったところにいます。だけど、そいつらは実は、強いアルコール、そして火や熱に弱いのです。具体的には火にくべたり沸騰したお湯でしばらく煮ると死にます」

「ええ!?」

「アルコールはワインしかないのですよね? 蒸留酒は?」


 アルコール消毒するなら、焼酎かウォッカ、ジンあたりの蒸留酒が欲しいところだ。


「お酒はエールかワインしか見たことがありません。それで煮ればいいのですか?」

「いえ、全然アルコールが弱すぎてダメです。とりあえずは煮沸消毒にしましょう。病人が使った道具や血や膿がついた布などは、洗浄後きれいになったように見えても、病気の元がついています。なるべく煮込んでください。病人や亡くなった方の使ったものを捨てる時は燃やして村の外にでも埋めて。それで、病気の蔓延を防げます」

「ほんとうに?」

「とりあえず、騙されたと思ってしばらくやってみてください。かなり病気が減るはずです。あ、患者が触れたものを触ったときは、念入りに石鹸で手を洗ってくださいね。とりあえず洗濯用石鹸でいいので」


 レミゥはいまいち納得していないようだったが、まずは従ってくれるようだ。


「床もひどいですね。チリ一つないように拭いて下さい。あ、作業中に絶対に手を顔に近づけないで。経口で感染りますよ。繰り返しますが作業後は念入りに手を洗ってください」


 手伝いに来てくれた人たちのおかげで作業がどんどん進む。シーツを取替え、汚れた包帯を新しくすると病室もすっかり清潔になった。


「空気も悪いですね。入れ替えましょう」

「だ、だめです! 病気が外に広がってしまいます!」

「ここに籠っている方が悪いです。それに、ここはほかの建物からかなり離れてますから、空気感染も飛沫感染もおそらく届かない。掃除してもうチリや埃はありませんし、布類は熱湯でかなり消毒中。大丈夫ですよ」


 本当はアルコールや次亜塩素酸などで消毒したいところだが、この街に蒸留酒は存在しないそうなので諦めた。まずはローテクではあるが、煮沸の有用性と、手洗いの慣行を広めることだ。


「すっきりしましたね」


 半日ほどかかってしまったが、病室の衛生状態は劇的に改善した。窓からはそよ風が入り、よくわからない膿や血にのシミがあった状態からは想像もできないような清潔な部屋。

 閉め切ってじめじめした部屋に、腐ったような嫌なにおいが充満していて、普通の人がとても耐えられる状態でなかった以前の状態とは天と地との差である。


「患者さんも汚れた包帯で不潔な病室にいてはつらいはずです。シーツや包帯はなるべく取り換えてあげてください」

「しかし、感染を防ぐためには触れるのは危険です」

「患者さんに触れた手足、服、布をちゃんと洗えば感染はある程度防げます。布類には病気の元がついていますから、扱いには気を付けて。こまめに煮沸消毒してください」


 レミゥたちはまだ半信半疑の視線を送ってくる。


「きちんと衛生管理さえすれば、病気になる確率はぐっと下がります。今日はありませんでしたが、今度マスクと手袋も用意しましょう。より安全になります。あ、今日作業してくださった方はくぐれも手と衣服を念入りに洗ってくださいね」


 手伝ってくれた人たちに手洗いの指導をする。この街の住人は、農作業や外から帰ってきた際、食事の前などの手洗いの習慣がないというのだ。それは病気も蔓延しやすいだろう。


 あとは、大鍋で煮込んでいる布類を天日干しすれば、治療院の病室はきれいになることだろう。


「ふう。漂白剤もなかったから真っ白にはならなかったけど、だいたい生成りっぽい色になったし大丈夫かな」

「これはいったい、何をしているのだ?」


 大鍋でにこまれている布をの様子を見ているサクラの背後に、赤い偉丈夫が立っていた。


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