3話 0日目:昼 【夫】面会謝絶
題名の【】は視点になります。
【母】マリアンヌ夫人
【夫】アダム伯爵
【妻】アナスタシア公爵令嬢兼伯爵夫人
◆主要登場人物
・アナスタシア:25歳。アダム伯爵の妻であり公爵令嬢。甘やかされて育ったお嬢様。
・アダム :25歳。アナスタシアの夫。平民から成りあがった伯爵。母を大事にしている。
・マリアンヌ :49歳。アダム伯爵の母。夫は蒸発。一人で息子を育てたので愛情深い。貴族生活には慣れていない。
【アダム視点】
アダム・デ・マドリード伯爵は、部屋の中をウロウロ歩き回っていた。
(困った。困ったことになったな~。
まさか、こんなことになるなんて。
朝起きた時はなんて事のない一日だったのに)
数十分たった今でも、先程の出来事が信じられなかった。
まさか自分の母親が、僕の妻に向かって濡れたフキンを投げつけて罵倒するなんて。
あまりの事に僕は一瞬笑いそうになってしまった。
妻の顔にフキンがへばりついていた絵と、シーンとした雰囲気に絶えられなかったのかもしれない。
でも直ぐに真剣な表情をしたからばれていないはず。
妻にばれると面倒だからね。
アナスタシアは気にしてないって言って、かなり気にするタイプだから、
でも、問題は母だ。
母が妻のことを嫌っているのは知っていた。
僕には隠していたようだし、直接口では言われた事は無いけど、雰囲気で伝わってきた。
でも、まさかここまでするとは思ってもみなかった。
最近、母は慣れない貴族生活でストレスを貯めているのかもしれない。
僕はよかれと思ってプレゼントした家もあまり気に入ってないようだし、メイドも追い返している。
そのためか、母は突発的な事がすることが多い気がするけど・・・
まさかここまでとは。
それに妻も妻だ。
25歳にもなって、思春期の娘の様に仰々しく怒らないでほしい。
もう少し耐えて欲しかったけど、彼女には難しいのかもしれない。
彼女はちょっと・・そのー、感情的だ。
そこが良い部分でもあるんだけど。
僕は妻や母の事を考えて、部屋の中をさらにウロウロと歩き回り、数十分悩んだ。
まるで止まってしまえば、とんでもなく悪い事でも起こるんじゃないかという様に動き続けた。
でも、考えれば考えるほど頭が重くなり、思考が遅延する。
(あぁー、だめだだめだ。
考えてもどんどん悪い考えが浮かんでくる)
僕は部屋にある訓練用の木刀を手に取り、素振りを開始した。
迷ったときは体を動かすことに限る。
元は冒険者だったためか、体を動かす事には慣れている。
そうしていると、迷いや不安は消えていく。
思えば昔は楽だったのかもしれない。
冒険者なら、問題が起こっても決着は力でつければよかった。
勝った、負けたはすぐに分かる。
でも、貴族になってからは交渉事が増えた。
個人の武力が活躍する事などほとんどない。
僕は木刀を何度も振り、ただ心に浮かんでくる感情を振り払った。
暫くして、すっきりした後。
考えが知らず知らずの内にまとまっていた。
とりあえず妻の顔を見に行くことにしよう。
彼女には機嫌を直して貰いたいし、そのためには様子を見に行く必要がある。
それに妻もそれほど怒っていないのかもしれない。
母の手前見栄を張ってしまったのかもしれないのだから。
◇
妻の部屋に行くと、部屋の前でメイドが椅子に座っていた。
扉の前に置いた椅子に。
彼女は妻専属傍付メイドのカミラだ。
僕達より若い彼女。
確か歳は20歳前後だが、背筋をピシッと伸ばして隙の無い格好をしている。
彼女も僕が近づいてくる事を発見したが、直ぐにプイッと目線をそらした。
まるで妻の気持ちを代弁しているかのような態度だ。
でも僕は、きわめて愛想良く笑顔を作る。
「やぁ、カミラ。その、妻と話したいんだけど」
「アナスタシア様は、深遠の如く深く傷つかれたので、一生誰とも会いたくないそうです」
カミルはピシャリと瞬きせずにするっと答えた。
その声質からは、何者もこの部屋を通さないという強い信念を感じる。
それに深遠うんぬんは、いかにも妻が良いそうな事だとも思った。
彼女は物事を過剰にとらえるというか、大げさに反応する気がする。
それが貴族令嬢というものなのかもしれないけど、彼女はその中でも上の方だと思う。
でも僕も負けてられない。
「ちょっとだけなんだ。アナに謝ろうと思って。いいかな?」
カミルは僕を見ている目をすっと細める。
「話を聞いてなかったの?」という表情。
「アナスタシア様は、深遠の如く深く傷つかれたので、一生誰とも会いたくないそうです。
誰とも、です。
勿論、その中にはアダム様も含まれています」
カミルは「誰とも」を強調する。
どうしても僕を通さない気だ。
妻の言いつけを徹底的に守る気なのだろう。
なんとも忠実なメイドだ。
でも、温室育ちのアナスタシアが一生誰とも会わないでどうやって日常生活を送るか疑問に思った。
多分、服だって着れないだろうと思ったけど、今は本気でそういう気持ちなのかもしれない。
「そこをなんとかならないかな?1,2分でいいんだ。たったそれだけで。
ほら、こういう時はなるべく早く仲直りした方が良いと思うんだ。
喧嘩をすると、相手には会いたくないと思うものだけど、会うと以外に上手くいくと思うんだ」
「無理です。お引取り下さい、アダム様」
カミラは頑として譲らない。
表情を変えずに僕を見る。
「早く帰って欲しい」という意図を雰囲気を醸し出している。
でも、僕はそんな空気には負けない、
「ほんの少しもダメかな。顔を合わすのが嫌なら、扉越しでも話しても良いんだ。
それだけでも、アナの気持ちは少しは安らぐかもしれない」
「それも無理です。アナスタシア様はアダム様の声を聞きたくないそうです。
お引取り下さい、アダム様」
カミラの態度は変わらない。
絶対に扉を死守する気だろう。
「カミラ。カミラ。
きっと妻は今あまりよくない感情に囚われているんだと思う。
だから、「一生誰とも会いたくない」と言ってしまうんだ。
でも、そんな事は不可能だろ。
今の彼女は人と話すことが重要だと思うんだ。
それで・・・・」
「無理です。お引取り下さい」
手ごわいカミル。
オウムの様に同じ言葉を繰り返す。
一応、この家の当主は伯爵である僕である。
普通の貴族の家ではメイドが主人の命令に逆らう事は少ない。
でも、僕の家はちょっと特殊である。
僕は伯爵であるが、妻の父親は公爵。
二階級上の貴族である。
僕が一代限りの身分である騎士から、世襲である伯爵になれたのは彼女の父の好意があったからだ。
愛する娘のために僕のことをとりあげてくれたのだ。
彼女の父は娘を溺愛しているから。
そしてこの国は封建制。
つまり王権が臣下に領地の支配を認めるかわり、納税と軍事奉仕を義務付けている。
王→貴族→騎士→平民、というように身分間で関係を結んでおり、貴族の間でも同じように契約を結んでいる。
僕は公爵、つまり彼女の父と契約を結び臣下になっている。
今の僕の立場にとっては、彼女の父との関係が最重要である。
それがなくなれば、伯爵の地位を失ってしまう可能性すらある。
なので必然的に僕の立場が妻より弱くなってしまう。
メイドたちはその事を皆知っている。
なのでメイド達の多くは彼女につく。
この家の表面的な主は伯爵である僕だが、実際支配しているのは妻だ。
そもそも、この屋敷のメイドは妻の実家から引き継いだ者も多い。
妻専属傍付メイドのカミルも勿論そうだ。
妻専属メイドに対しては、給料も僕からではなく彼女の実家から出ている。
なので実質的には彼女の父、公爵家配下のメイドなのだ。
つまり、妻専属のメイドに対しては僕は何もいえない。
今目の前にいるカミルに対しては。
「分かった。それじゃあ、カミルに聞きたいんだ。
君はあの場にもいただろ。それに妻からの信頼も厚い。
アナはどう思っていると思う?」
カミルは一瞬、目をつぶってから。
「私はアナスタシア様のお気持ちを代弁しません。
ですが、深く傷つかれたのは間違いありません」
そこまで言って彼女は口を閉じる。
余計な事は言わないのかもしれない。
「そうか、では、どうすればいいと思う?」
「それは自分で考えてはどうですか?」
じっと僕を見るカミラ。
「全く、何を聞くのですか?」という顔だ。
だが、僕はその視線に負けない。
「参考までに意見を聞きたいんだ。もし、よろしければね」
「そうですね。
アダム様があの時、アナスタシア様に襲い掛かるフキンを男らしく片手でキャッチすべきでしたね。
それからお母様にフキンを投げ返せばよかったのではないのでしょうか?」
んな無茶な?っと思ったが。
「冗談です」
カミラはふっと笑い。
「今は時間が必要かと思います」
ちょっと力が抜けた表情で答えるカミラ。
冗談が言えたのかと思い、まじまじとカミラを見て驚いていると。
「なんですか。じろじろと。私は奥様のメイドですよ」
僕はちょっと、身を引いてしまう。
見当違いの推測をされてはたまらない。
メイドに手を出す趣味などないのだから。
それも妻専属&上司の家来となっては、絶対に避けるべき相手だ。
「別に、他意はないよ。それに君こそ自信過剰かと思う。
まぁ、見た目は良いようだがね。
ただ、驚いただけだ。その・・・カミラがそんな風なことを言うとは。
だって、今までは」
彼女は、緩んだ表情のまま。
「仕事中は集中しているんです。
ですが、アダム様はあまり関係ない話をされましたので、息抜きしたんです」
「そ、そうか。確かに息抜きは大事だな。
それじゃ妻に伝えてくれないか。
母は何度も謝っていた。悪気はなかったと。
勿論、僕自身も深く謝っていたとね。
気持ちが変わったらすぐにでも話したいと」
「分かりました。お伝えしましょう」
「そうかい、頼むよ」
「はい」
話は終わったと思ったが、カミラは僕をじっと見ている。
彼女の視線が外れない。
ちょっと顔を左右に動かしてみるが、視線が追ってくる。
「な、どうしたんだい?カミラ、僕を見て」
「アダム様。気づいていないのですか?」
「何をだい?」
「もし、アナスタシア様に本当に謝りにきたんでしたら。
汗の匂いは落としてからの方がよいと思いますよ」
確かに、さっき運動してきたばかりだった。
その指摘をされて若干恥ずかしく思う。
でも、勤めて表情は変えない。全く気にしていないという顔だ。
「今度はそうするよ」
僕はそうして妻の部屋の前から離れ、自室に戻った。
そして水浴びをした。




