【じゅうに】
「おい、落ち着けって」
鼻息荒い影沼に、俺は思わずそう言っていた。
影沼は、忌々しげにグラスを掴みそれの中身を飲み干すが、俺は、あることが気になっていた。
「なぁ、聞いても良いか?」
「あん? まぁ、何が聞きたいのかは知らねぇけど、なんだ?」
俺は、影沼から質問の許可を取り付けていた。
「お前の御意見については、重々承知はしたよ。 でもさ、人なんて全然違うんじゃないのか?」
俺がそう問い掛けると、影沼の鼻がウンと鳴った。
「だからさ、俺とお前は全然違うよな? でだ、俺は……確かにお前とは違う人生を歩んだし、だからこそ、価値観も違うんだよな?」
俺がそう言うと、影沼は背もたれに背中を預け、首を傾げていた。
「ほぉん? で?」
正直、影沼の反応はしゃくに障るが、一々それを咎めても仕方ない。
「酷い奴も……いっぱい居るさ。 でもさ、良い奴だって居るんじゃないのか? そりゃ、皆が皆良い奴なんて言えないけどさ」
自分でそう言って置いて、俺の胸にはズキリと痛みが走っていた。
ハッキリ言っても、俺は断じて【良い奴】ではないだろう。
宮下を騙してるし、美機を裏切ってる。
もし、本当の誠実さを持つなら、相手を複数持つ事自体誉められる所か軽蔑されたっておかしくはなかった。
そんな俺の葛藤はともかくと、俺は、影沼の低い笑いに気付いたんだ。
「……あ~あ。 お前もそれか?」
影沼の声に、俺は思わず眉間に力が入ってしまった。
「何がだ?」
俺の質問に、影沼は笑うのを止めた。
「全員がそうじゃない? 根拠は? そもそも全員が違うなんて当たり前の話しをしてどうなる? あ?」
急な影沼の見幕に、俺は思わず固まっていた。
「お前みたいな奴はさ、世界一杯に溢れてたんだよ。 この天国が出来上がる前にはな?」
影沼の声に、俺の鼻が唸った。
「天国? それは、此処の事を言ってんのか?」
俺は、思わず地面を指差してそう言った。
影沼は、俺の声に肯定を示す様に首を縦に振った。
「そうさ、天国へようこそだ。 良いか? その昔から、人間って奴は怠惰で傲慢だ。 自分が働きたくないから、必死に経済を弄ろうが戦争をしてでも、自分の代わりを常に常に常に探し続けてた訳だ。 で、アンドロイドという最高の奴隷を見つけ出した人間は、遂に生きたまま天国へたどり着いていたんだよ」
「こんな世界が天国だってのか?」
俺は思わず、影沼に苦言を呈した。
そもそも、【天国】の定義を、少なくとも俺は知らない。
「そうだ。 人に因って解釈が異なるぐらい、俺だって知ってる。 でもな、じゃあ考えて見ろ。 どんな宗教にせよ、自分の思い通りになる世界って奴が、天国だって言い張って来やがった。 だが、俺から言わせればそんなモンはただの欲の塊で、糞と反吐で出来たゴミの山さ。 欲を捨て去った……いや、全ての欲が削ぎ落とされた此処にこそ……その先が在るんだ」
俺に比べて、影沼の奴は此処がそうだと言い切った。
でも、ソレだと変な話しだ。
その昔、人が生まれ落ちる時に上げる産声は、この世という地獄に落ちた嘆きの叫びと言われた事すら在るんだ。
ただ、影沼の意見も強ち間違っているとも言い難い。
確かに、俺達人類の悩みの大半は、既に解消されてもいるだろう。
【労働】とは、本来なら生きるのに必要な事だ。
その昔なら、田畑を耕し、作物を得るための【仕事】だろう。
家畜を確保し、育て、繁殖させ、定期的に間引くのも肉という食料を得る為の【仕事】だな。
だが、長い人間の歴史に置いて、労働の基準は常に変わって来た。
金持ちの為に戦って死ぬのも【仕事】だし、そもそも人を騙して使うのも【仕事】だと言い張れる。
つまりは、【仕事=労働】というモノは、生きるのに必要な事だったんだ。
少し前までは。
機械仕掛けの奴隷を手に入れた俺達人類の歴史はガラリと姿を変えた。
ほとんどの皆が怠惰で、自分からは、何もしようとはしない。
そうでなくても、食べて行けるのにも関わらず、皆が相手を憎んでる。
そう思うと、俺は虚しく成った。
やっとの事で人は思い描いた天国へと辿り着いたのに、結局は其処で未だに戦い続けている。
【理由】なんてどうだって良い。
その昔の人は、こんな言葉を残していたな。
【人って奴は、そもそも人を幸せにする様には創られてはいない。 ただただ他者を不幸にする為だけに生きている】
俺は、そんな昔の格言を思い出し、苦く笑っていた。
「そっか、俺達ゃ……とっくに天国に居たのか」
俺がそう言うと、影沼も嬉しいのか笑う。
「いいや。 ソレはないな」
「あん? お前……今さっき……」
「いいか田上? 天国に着いたって、人って奴は馬鹿なままなんだよ。 周りを見てみろ、電子書籍の本屋を覗け、インターネットを見ろ。 現実も空想も変わらず戦いで溢れかえってる。 聖書読んだ事無いだろ? 知恵を身に付けちまった猿に、安住の地なんてのは、何処にも無いんだよ」
影沼の声に、俺の鼻はウンと唸った。
そんな俺に関わらず、影沼はいつもの無口さはナリを潜め、饒舌な程に口を開いた。
「言ったろう? 俺は孤児だ。 親って言うか、俺を製造しやがった屑は、働かなくても食べて行けるのに俺を捨てやがったよ。 空き缶でも捨てるみたいにな。 でだ、孤児院ったって本来なら争う必要も無い筈なんだ。 優しい保母さんに見てもらえて、飯もそれなりだ。 だが、虐めは在ったし、喧嘩も日常茶飯事だった。 こう言えば分かるか? 人はな、戦うのと迷惑掛けるのが大好きなんだよ」
影沼の饒舌な声に、思わず俺も口を開いていた。
「そんな事ないだろ? その辺にだって、家族は居るし、仲むつまじい男と女だって居るかも知れないだろうが? 第一、戦うったってよ、別に俺は喧嘩なんかしてないぞ?」
俺の反論に、影沼は低く笑った。
「まぁたそれか? もし、たら、れば? 例え話が何になる? 田上、お前ってさ、結構さ……人間大好きな、人間擁護派みたいだよな?」
「なんでだ?」
「私達は全員がそうじゃありません? 一人一人は違う? だからどうした? 結局は不幸自慢か、他人のゴシップしか興味がない昔ながらの奴みたいだよ。 するとまたこう言うだよな? 一人一人が違えば全員違う? 当たり前だろ? でも同じに成りたがるし、要求もする、この人みたいに成れってな。 他人と自分を比べるのを止められない癖に? 要するにアレだ。 お前もさ、人間擁護派も、他人に事情なんて興味無いだろう? 自分だけが良ければ良いんだろ?」
流石に、影沼の物言いに俺はムッとしていた。
【人間擁護派】
という言葉には、差ほどカチンとはしないが、奴の態度はあからさまに他人を馬鹿にしてるモノに見えて他ならないんだ。
「なんで俺が……俺は別にそうは言ってないだろ?」
「言ってない? 口にしなけりゃセーフか? 全員が口を揃えて言えば良いんだよ。 私は他人に興味が有りませんってな。 私は自分だけが良ければそれで良いんですってな。 そうすりゃ、直ぐに追い抜いた筈の過去が戻って来るぞ? こんな天国なんて放り捨てて、未来永劫戦ってりゃ良いんだよ……人間なんてのは」
「お前さ……なんでそんなにひねくれてんだ? 別に誰かがその辺で喧嘩してるわけじゃないだろ?」
俺のふとした声に、影沼は、ハッとした顔をする。
「…お前もかそう言うだけか。 まぁ、所詮は他人は他人に興味が無いんだよな。 そんなら俺の意見は気にすんな。 田上、お前が何をどう創るのか、後で見させて貰うわ……じゃあな」
「………あ…おい!」
影沼は話の後、俺が止めるのも無視して立ち上がってしまった。
オマケに、伝票まで持っていってしまうし、俺は、どうして良いのか分からず、椅子に腰を落としていた。
*
帰り道の最中、ずっと俺は影沼の辛そうな顔と顔を考えていた。
奴の事はほとんど知らない。
さっき、やっとの事でそれを知った筈なのに、俺は一言で奴の全てを切り捨てていた。
だからこそ、影沼は最後に親に見捨てられた子供みたいな顔をしてたんだな。
悪い事をしたとは思う。
だが、一番マズいのは、後悔したからといって【やってしまった事は消えることはない】という事だろう。
俺の言った一言は、その昔読んだマタギって狩人の事を連想させる。
鉄砲が産まれる前でも、熊と戦った人は多い。
捨て身で掛かり、相手の熊が両手を広げて襲い来る瞬間、昔の狩人は、自分を餌に槍を出し、相手に突き立てるんだ。
俺がやった事はそれと同じだが、違いも多い。
影沼は俺に必死に何かを訴え掛けてくれた筈なのに、俺は、一言で彼奴を突き放してしまった。
「……やっちまったなぁ」
そんな呟きが、俺の口からは漏れていた。
やった事を後悔するぐらいなら、もっと悩めば良かったのかも知れない。
後の祭りという言葉が、ヤケに俺の中に重く残るんだ。
そんな時、ポケットの中のスマートフォンが鳴り響いた。
ポケットに手を突っ込んで、やたらと早く出ろとでも言わんばかりにスマートフォンは甲高く鳴く。
ただ、通話を寄越した相手を見て、俺は固まってしまった。
「おい……嘘だろ?」
俺の目には、間違い無く【美機】の名前が映っていた。
美機もドロイドである以上、機械に準ずる為にスマートフォンの機能も完備はされていた。
だからこそ、俺は遠隔操作で美機に指示を出せるんだ。
だが、それは問題じゃない。
一番の問題は、美機は過去、一度たりとも自分からは俺に連絡を寄越した事は無い。
勿論、そういった事をする様にプログラムする事も出来る。
ただソレは、相手からの連絡というよりも、目覚まし時計が時間によって鳴るという事に他ならない。
スケジュールの時間を、俺は美機に教えた事も報せろと指示は出しておらず、その事から、俺はまたしても背中に寒気を覚えていた。
*
恐る恐る、画面を操作して俺は美機との通話を繋げた。
『もう、太一! こんな時間まで、何処に居るんですか?』
そう言う美機の声は、小さい子供を心配する親を俺に感じさせた。
だが、俺は額にうっすらと汗を感じていた。
「あ、あぁ……ちょっと影沼とさ、話し込んでて……」
『そうなんですか? あ、所で夕飯は用意した方が良い?』
美機の声は明るく、それだけなら何の問題も無いだろう。
だが、美機は人間じゃない。
そもそも心配という概念すら無い筈だ。
第一に、俺は【心配】という事を教えた覚えは無かったんだ。
「あー、何でも良いじゃ……だめ?」
唐突に【何が良い?】と聞かれて、俺は困ってそう言った。
実のところ、これは会話に置ける最低の返事だ。
必死に何かをしている相手に、【どうでも良い】と言うのと同じだろう。
だからこそネットワークの向こうからは、溜め息に似た音が俺の耳に届けられていた。
『……太一。 それじゃ分かりませんよ……』
弱々しい美機の声に、俺の目は泳ぎだしてしまう。
「あーと、えー……あ! じゃあ! パスタかな。 ナポリタンとか?」
『分かりました! 早く帰って来てくださいね? どれくらい時間掛かります?』
美機の質問に、俺は彼女の思考を読んだ。
コレは俺と影沼が過去に作ったプログラムの一環だろう。
相手から時間を聞いて、帰宅した際に合わせて調理時間を選定するというモノだ。
「うぅんと、二十分ぐらいかな。 それよりは遅くなるかも知れないけど」
『大丈夫です! じゃあ、気を付けて帰って来てね? 待ってるからね?』
そう言うと、美機は通話を切った。
スマートフォンをポケットに押し込んだ俺は、足を自宅へと向けていた。
徒歩でなら、その程度は適度な運動にも成る。
だが、俺の足は遅々として進まなかった。
正直な話し、俺の肌は鳥みたいに粟立っていたんだ。
電話機が、勝手に自分から話し始めるという俺の妄想。
それを、言葉通り俺は体験していた。




