願う、七夕
八月七日。
水瀬神社。
境内には、
色とりどりの短冊が揺れている。
「…………」
『家族みんなが健康でありますように』
『試験に合格できますように』
『サッカー選手になれますように』
「…………」
様々な願い。
その一つ一つが、
風に揺れている。
「いろは」
「はい」
「そちらの笹も頼めるか?」
「はい、お父様」
短冊の結ばれた笹を整える。
「…………」
今日は、
水瀬神社の七夕祭。
「いろはちゃん!」
「はい?」
「これ、どこにつければいいの?」
「どちらでも大丈夫ですよ」
「一番上!」
「一番上ですか?」
「うん!」
「では……」
背伸びをして、
短冊を結ぶ。
「これでいかがですか?」
「ありがとう!」
「ふふっ」
「叶うかな?」
「…………」
短冊を見る。
「きっと」
「ほんと?」
「はい」
「…………」
「良いご縁がありますように」
「?」
「…………」
あ。
「いろはちゃん?」
「い、いえ」
なぜ今、
その言葉が……。
「…………」
「いろは、次はこちらを頼む」
「はい、お父様」
「水瀬さん」
「…………」
聞き慣れた声。
振り返る。
「こんにちは」
「…………」
佐伯さん……。
「こんにちは」
「今日は七夕祭なんですね」
「はい。毎年、八月七日に行っているんです」
「そうなんですね」
「…………」
「朝は何も言ってなかったので、来てびっくりしました」
「ああ……」
「たまたま近くを通ったら、いつもより人が多かったので」
「…………」
たまたま……。
「せっかくだから、寄ってみようかなって」
「そうでしたか」
「はい」
「…………」
たまたま。
「…………」
そうですよね。
「水瀬さん?」
「はい?」
「なんか……怒ってます?」
「怒っておりません」
「…………」
「そうですか」
「はい」
「…………」
なぜでしょう。
少しだけ、
面白くありません。
◇
「水瀬さん」
「はい?」
「短冊って、俺も書いていいんですか?」
「もちろんです」
「じゃあ、一枚」
「はい」
短冊を一枚、佐伯さんに渡す。
「…………」
「何書こう」
「お好きな願い事をどうぞ」
「そう言われると悩みますね」
「…………」
「以前は、あれほど色々あったではありませんか」
「え?」
「健康や、お天気や、学食や……」
「…………」
「世界平和も」
「それは忘れてください」
「ふふっ」
「…………」
佐伯さんが、
短冊に何かを書き始める。
「…………」
何を、
書いているのでしょう。
「できました」
「もうですか?」
「はい」
「…………」
佐伯さんが、
書いた面を隠す。
「見ませんよ?」
「まだ何も言ってませんけど」
「…………」
「見たいんですか?」
「見ません」
「即答ですね」
「…………」
見ません。
「…………」
……少しだけ、
気になります。
「どこに結べばいいですか?」
「こちらへどうぞ」
「はい」
「…………」
佐伯さんが、
笹に短冊を結ぶ。
「これでいいですか?」
「はい」
「叶うといいな」
「…………」
「きっと」
「え?」
「きっと、叶いますよ」
「…………」
「ありがとうございます」
「いろはちゃん!」
「はい?」
「こっち手伝ってー!」
「今行きます」
「…………」
「では、佐伯さん。少し失礼します」
「はい」
「ごゆっくりどうぞ」
「…………」
水瀬さんが、
人混みの中へ歩いていく。
「…………」
小さな子と話したり。
お年寄りの短冊を結んだり。
参拝客に声をかけられたり。
「…………」
みんな、
水瀬さんを知ってるんだな。
「…………」
俺が知ってるのは、
まだ――
◇
「佐伯さん」
「あ、水瀬さん」
「お待たせしてしまいました」
「いえ。全然」
「…………」
「七夕祭、どうでしたか?」
「楽しかったです」
「本当ですか?」
「はい」
「…………」
「なんか……」
「?」
「いつもと少し違う水瀬さんが見られた気がして」
「…………」
「違う……ですか?」
「あ、変な意味じゃなくて」
「…………」
「子どもたちと話してたり」
「みんなに頼られてたり」
「…………」
「そういう水瀬さん、あんまり見たことなかったので」
「…………」
佐伯さんが、
私を見ている。
「…………」
また……。
「…………」
「水瀬さん?」
「い、いえ」
「?」
「…………」
「佐伯さん」
「はい?」
「先ほどのお願い事」
「え?」
「…………」
「叶うと、いいですね」
「…………」
「はい」
「…………」
風が吹く。
色とりどりの短冊が、
一斉に揺れた。
◇
「じゃあ、そろそろ帰ります」
「はい」
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございました」
「…………」
「では、また明日」
「はい」
「また明日」
「…………」
佐伯さんが、
石段を下りていく。
「…………」
また明日。
「いろは」
「っ」
「はい、お父様」
「悪いが、こちらを頼む」
「はい」
「…………」
笹の前に立つ。
たくさんの短冊。
たくさんの願い。
「…………」
その中に、
佐伯さんの願いもある。
「…………」
どれかは、
分からない。
「…………」
分からなくて、
いいのです。
「…………」
そう思いながら。
なぜか私は、
短冊を一枚ずつ見ないようにしていた。
◇
「いろは」
「はい?」
「お前も書いたらどうだ」
「私も、ですか?」
「七夕だからな」
「…………」
お父様から、
一枚の短冊を渡される。
「…………」
願い事。
「…………」
何を書きましょう。
「…………」
筆を持つ。
『家族が健康でありますように』
「…………」
違う。
『水瀬神社に良いご縁がありますように』
「…………」
これも……。
「…………」
ふと、
一つの言葉が浮かぶ。
『また明日』
「…………」
願い事では、
ありませんね。
「…………」
それでも。
なぜか、
消す気にはなれなかった。
◇
恋愛経験ゼロ。
妄想の中では恋愛無双。
『また明日』
当たり前に続いている
あなたと過ごす朝
ただ、ただ、明日も願う。




