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アイアン・ノマドからの脱出(1)

 アイアン・ノマド三層デッキ。その奥に構える「ベリー・タバーン」は、罪と生存本能とが互いを喰らい合うような、騒がしい巣窟だった。


 回収された天使技術(エンジェル・テック)のランタンが琥珀色にちらつき、酒でべたつくテーブルの上に長い影を伸ばしている。空気は安物の合成肉(シンセ・ミート)の串焼きと、酸っぱいエールと、荒野から来たばかりの旅人に必ずまとわりつく瘴気(ミアズマ)の金属臭で、どっぷりと満ちていた。床の下では、要塞さながらの巨体が地響きを立て、荒廃した大地をその無限軌道で踏み砕きながら、どこかへ向かって進み続けている。


 サイラス・"スライ"・ハイは、酒に半分溺れた男のように人混みをかき分けた。


 脱色された白い髪がどさりと片目を覆っている。だがその前髪の奥の瞳だけは、酔いとは無縁の鋭さで、絶えず周囲の顔を値踏みしていた。


 トレードマークの赤いコート――色あせ、肘には継ぎ当て、ガン・オイルと土の匂いが染みついた――が、痩せた体にだらしなく羽織られている。腰の黒いリボルバーはひどく洗練されていて、背中の錆びだらけのダブルバレル・ショットガンは、逆に古びた相棒のような顔をしていた。


 がたいのいい客の肩を、指でつついた。


「よぉ、兄さん……じゃま、して、悪ぃんだがよ。ラッスッド・スパイアからきた〝ふたご〟、しらねぇか? へんな、ふたりぐみ、でよ。なんか、ピカピカ、したもんを、ぬすみだした、ってはなしでよ」


 バースツールに大仰に崩れ落ちながら、悪魔族のバーテンダーに向けて、最上級に人好きのする、それでいてどこか胡散臭い笑みを向けた。


「いい、よるだろ、ねぇちゃん? んで――ラッスッド、スパイアのふたごのことなんだがよ。かたっぽに、きず、あったか? りょうほうか?」


 バーテンダーは答えなかった。代わりに、にごった蛍光ブルーの液体が入った小さなグラスを、べたついた木のカウンター越しにすっと押し出してきた。


「飲め。それから改めて言え。ちゃんとした口で」


 一息で飲み干した。


 目が飛び出さんばかりに見開かれ、背筋がびしっと伸び、一瞬、爆発するかと思った。苦くさい蒸気を吐き出すと同時に、目の焦点が戻った。


「ああ、こいつは効く」身を乗り出しながら、今度は別人のように滑らかな口で続けた。「ラステッド・スパイアだ。あそこのばあさんが大事なものをなくした。金のような輝き、確実に金。俺は迷子になった宝を正しい手元に戻す仕事をしてる――まぁ正しい手元というのは、俺の懐のことだがな」


 グラスを拭く手が止まった。〝ラステッド・スパイア〟という名に、バーテンダーの目の奥で何かが動いた。「バスタ兄弟のことを言ってるのか? あの略奪は何ヶ月も前の話だぞ」


「バスタ? 名前なんか知らなかったよ」のんびりと言った。「キラキラしたものを持っていった、それだけだ。ばあさんはそれを取り戻したがってる。俺は親切な人間だからな」


「見ず知らずの他人の荷物を、取り戻してやろうというのか」眉を寄せながら。


「もちろん! あくどい略奪者から不正な品を回収して差し上げ――そのままコートの中で安全に保管する形で」ウインクを一つ添えた。「慈善事業ってやつだよ」


 バーテンダーがため息をつき、二人の大柄なバウンサーに目配せした。


 瞬く間に、巨大な手が襟首を掴んでスツールから引き剥がした。


「おっと、落ち着けよ大将!」宙づりのままへらへら笑いながら言った。足がぶらぶらと宙を蹴る。「この陸上巡洋艦と揉めたいわけじゃない。双子を捜してるだけだ……いや、あいつらが持っていったキラキラしたもの、どっちでも同じことだがな」


 大きい方のバウンサーが顔を近づけた。「お前が聞こうとしているのは、アイアン・ノマドの新しい主の話だ。イスタダ・バスタ。自分の兄弟を殺してその座を奪った男だぞ。本当に首を突っ込むつもりか?」


「いや、そのつもりは……」言いかけたところで、二人目のバウンサーが目を細めた。


「待てよ……この白い髪、赤いコート、そのバカみたいなリボルバー……お前、もしかして――」


---


 そのとき、扉が開いた。


 白と金の磨き上げられた騎士鎧を纏い、深紅のケープを翻した若い女が、颯爽と入ってきた。白金色の髪は短く切りそろえられ、輝く瞳にはどこまでも澄んだ楽観主義が満ちている。この世界の残酷さをまだ真に知らぬ、絵本から抜け出してきたような姫騎士そのものだった。


 酒場全体が、しんと静まり返った。


「わたくしはミカ・フォン・フィルギアと申します!」高らかに宣言した。声には本物の炎が宿っていた。「第二十一代国王ミダス陛下の王女です! 禁忌の揺り籠(クレイドル)遺跡への探索に同行してくださる勇者を求めております! 救世主(メシア)の痕跡と、瘴気(ミアズマ)を退けうる古の遺物を探しに参ります! 同行してくださる方々には、相応の報酬をご用意いたします!」


 三秒間の、輝かしい沈黙。


 それから酒場が、爆笑に包まれた。


 悪魔族の傭兵がジョッキを叩きつけた。「姫さんが救世主(メシア)を探すだと! 絵本でも読んでろ!」


 別の声が重なる。「次は握手でもするつもりか?」


 飛んできた酒杯を、ミカは眉一つ動かさず甲冑の手で空中で掴んだ。酒が鎧にこぼれる。もう一方の手を腰に当て、怯まず声を張った。


「必ず見つけてみせます! 遺物だけではない――救世主(メシア)その人を! そしてこの瘴気(ミアズマ)に終止符を打つのです!」


 笑いがさらに大きくなった。


 奥の方から、角の生えた悪魔が酒杯を掲げ、しれっと言い放った。


「お願いだから見つけないでくれ。俺の家族が殺される」


 また一波の笑いが起きた。


 宙づりのまま、サイラスはずっとだらりと笑っていた。


 ――その一言で、表情が、かすかに動いた。


 ほんの一瞬。ほとんど気づかぬほどに。そしてすぐに消えた。


救世主(メシア)、ねぇ……」ほとんど息の中だけで呟いた。「こんな約束をする人間は、気が狂っているか、でなければ……本当に、確信がある」


 初めて、きちんと彼女を見た。


 それから、何も変わっていないかのように、縛られたまま空いている方の手を高く挙げた。


「俺が行こう」


---


 笑いが途切れた。視線が集まった。


 バウンサーがゆっくりと床に下ろした。コートを整え、相変わらず力の抜けたふらふらとした歩き方で、まだ酔っているかのように歩み出る。


「で、姫様よ」気だるく言った。「条件は? こういう大層な小冒険には必ずある。必ずな」


 ミカは突然の志願者に目を丸くしたが、すぐに表情は確信へと締まった。


「条件などありません。あるのは危険と……命を救う可能性だけです」


 一歩踏み出した。「救世主(メシア)揺り籠(クレイドル)に何かを残しました。推測ではありません――わかっているのです」


 視線が、ほんの一瞬だけ、落ちた。


 彼女の顔ではなく――鎧の下に半分隠れた首元の鎖へ。古い金属の小さな欠片。装飾品ではない。こんなものが王族の手に渡るには、必ず理由がある種類のものだ。


 視線はすぐに戻った。表情は変わらない。


「……ほう」


 ほとんど聞こえないほどの声で、それだけ言った。


 それから近くのテーブルに気楽にもたれながら、声を上げた。「危険は構わない。気になるのは細かい約款でしてね――小さい文字、嫌な驚き、俺の覚えのない拘束条件。それは御免こうむりたい」頭を傾けた。「まだ誰も名乗り出ていない、と見えますが?」


 ミカの肩がわずかに落ちた。「……ええ。まだ誰も」


「やっぱり」怠けた笑みを浮かべた。「揺り籠(クレイドル)なんて、二千年前に滅んだ文明の残骸だ。本職の冒険者たちはとっくに食い尽くしてる。今から行くのはもはや宝探しとは言えない」


 一拍置いて、歪んだ笑みを向けた。


「……どちらかといえば、気合の入った自殺だな」


「まぁ」と軽い口調で付け加えた。「死ってのは、金よりよほど確実な報酬だよ」


 ミカは頭を傾け、率直な好奇心でサイラスを見た。「もう経験者だというなら、あなたがちょうどいいということですわ」


 にやりと笑い、大仰にお辞儀をした。片手を胸に当てて。


「もちろんですとも。サイラス・"スライ"・ハイ、謹んでお供いたします、姫様」


---


 会話が、途中で消えた。


 椅子が引かれる音。誰かが小声で毒づいた。数人の客が、白髪の男から距離を置くようにそっとずれた。さっきまでの笑いは戻ってこない。


 酒場の奥で、傷跡のある男が椅子を激しく蹴って立ち上がった。


「てめぇ!」吐き捨てるように言った。「紅の狐(レッド・フォックス)じゃねぇか!」


 拳銃を抜き、乱射した。弾はサイラスの耳をかすめ、バーカウンター奥の瓶を粉砕した。


 酔っているとは思えない速さで動いた。瞬きひとつの間に、黒いリボルバーが手の中にある。


 バン。


 一発。二階ギャラリーの金属手すりを撃ち抜く。重いシャンデリアが悲鳴を上げ、派手な火花と破片を撒き散らしながら墜落した。傷の男は身を伏せるしかなかった。


「行くぞ、姫様!」陽気に叫んだ。


 ミカの背に手を当て、出口へと押し込みながら――正確には追い立てながら――酒場全体に向かって気楽に怒鳴り続けた。


「ちょっといいか、重要なことだ!」声を張った。「〝スライ〟だ! 色付きの森の動物の名前で呼ぶな! 赤いコートを一着着ているだけで、なぜ野生動物になるんだ!?」


 背後でさらなる銃声と怒号が続く。


「まったく失礼な話だ!」個人的に深く傷ついたような顔で付け加えた。


 扉の向こうへ力強く押し込んだ。


「失礼する! お前ら最低だぞ!」


---


 廊下に飛び出した。重厚な扉が背後で閉まり、騒動の音を遮断した。


 壁にもたれかかり、大仰なため息をついた。その表情は、どう見ても自分自身に非常に満足しているものだった。


 ミカは驚きと好奇心が半々に混ざった目で彼を見つめた。「サイラス・"スライ"・ハイ氏……本当に以前、揺り籠(クレイドル)へ行ったことがあるのですか?」


「何度もな、嬢ちゃん」不敵な笑みを浮かべた。「物語を残し、死体も残した。大抵は物語の方だがな。いい話ってのは、しぶとく生き残るもんさ」


---


 酒場の中では、騒動が不満の声とひっくり返った椅子の中に収まりつつあった。


 カウンターの裏では、悪魔族のバーテンダーがすでに動いていた。カウンターの下に潜り込み、エプロンのポケットから使い古された通信機を取り出すと、唇に押し当てる。


「ボス」声は淡々として、事務的だった。「王女は本物です。乗船しています」


 間があった。


「……紅の狐(レッド・フォックス)と一緒です」


 ノイズが走った。


 それからしばらくして、低く、ゆったりとした声が返ってきた。悪いニュースをどこか楽しんでいるような、独特の余裕を含んだ声だ。


「……だろうと思っていたよ」


 沈黙が、意図的と感じられるほど長く続いた。


「さて」声から娯楽の色は消えなかった。だがその底に、冷たいものが沈んでいた。「グラスを拭いてる場合じゃないだろう。他の者に知らせろ」

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