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7/7

fin

 病院を後にすると、ゆっくりした足取りでバスや電車を乗り継ぎ、家へと帰る。


 真紀に会えると思えば足も軽くなるが、逆に真紀のいない家に帰ると思うと足が重くなる。


 玄関を開けると締め切った部屋の匂いが鼻につく。


 コンビニで買って来た弁当の容器が、無造作にゴミ袋に押し込まれているためだろうか。


 それとも、汚れたコップがいくつも流しの中で、そのままになっているためだろうか。


 俺は疲れきった体を部屋の中に入れると、流しの中から比較的きれいそうなコップを水で流し、テーブルに置いた。


 冷蔵庫から焼酎を取り出すと、ウーロン茶で割る。


 食事は、今日も変わらずコンビニの弁当だ。


 テレビを点け、流れる映像をぼんやりと見ながらコップに口をつけた。


 テレビでは、何の番組なのか、桜が写っていた。夜桜がライトアップされている、それがきれいだと話している。


 俺は、弁当に箸をつけながら病院で見た桜を思い出していた。


 病室を出るときに見た、窓一杯の桜。


 あんなに見事な桜が咲いていたというのに、去年はまるで気がつかなかったのだ。


 究極の状態にいると、人間てやつは何も見えなくなるものらしい。


 それにしても、確かに見事な桜だった。


 弁当の上で箸が止まった。



―――あの桜は、どうしてあんなに明るかったんだろう……。



 カーテンを閉めようとした時に感じた違和感だった。


 真っ暗な中に白く光る桜。ライトアップされているわけでもなかった。それなのに、どうしてあれほどきれいに見えたのか。


 俺はじっと考えた。


 そうか、街灯の明かりだ!


 なるほど、街灯がライトの役目を果たしていたのか。


 それにしても、まるでライトアップされているように見えたな。


 そんなことを考えていたときだった。不意に、真紀の声が聞こえてきたように思えた。


 その声は元気で明るい頃の真紀の声だった。



「夜桜見に行こうね! 約束だよ!」



―――夜桜。


 そういえば、約束を破ったら禁酒だったな。


 俺はコップを眺めた。


 禁酒は、困る。


 俺は苦笑いを浮かべながら、真紀の言葉を再度思い返していた。


 するとどうしても真紀に桜を見せたくてたまらなくなってきた。



「よし! 行こう!」



 俺は箸をテーブルに投げ捨てるように置くと、テレビのスイッチを切り部屋を飛び出した。


 時計は十時を回っている。この時間ではバスは終わってしまっている。


 俺は目的の駅までたどり着くと、タクシーで病院へと向かった。


 面会時間を過ぎてから、真紀に会いに行くのは初めての事だ。


 明日の仕事を思ったら、こんな無茶はできないのだが、今日は特別だ。


 以前、真紀に言われたことがある。



「章ちゃんは仕事の鬼だね。仕事と妻とどっちが大事なの!」



 もちろん、真紀だ。


 だから、今日は特別だよ。



 タクシーが病院へ着くと走って病室へと向かう。ナースセンターの前を通るが、タイミングよくナースが不在だった。


 俺は、病室のドアを開けると真紀のそばへと寄った。



「真紀、また来たよ。今夜は特別だ。どうしてかって? それはね、真紀と夜桜を見ようと思ってさ」



 真っ暗な室内。


 明かりをつけぬまま、俺はカーテンを開けた。


 すると、さっきよりもはるかに美しく光を放つ桜の花たちが、部屋中に広がるような気がした。



「真紀、きれいだろ。街灯に照らされてるだけなんだろうけど、まるでライトアップされているみたいにきれいだね。もしかしたら、それ以上にきれいかもしれない」



 俺は、真紀の手を握り締め、じっと窓へと目を向けていた。


 いつまでも、いつまでも、まるで時が止まったように黙ったまま、桜を見つめていた。



「そういえば、今日はエイプリールフールだね。あぁ、さっきも話したよね。……せっかく嘘をついてもいい日なのに、何一つ嘘を言わなかったな。子供の頃は、嘘をつかずに終わるエイプリールフールがもったいなかった。大人になると、そんな日があることすら忘れてしまうね。…………でも、せっかく思い出したんだ。ひとつくらいは嘘をついてもバチは当たらないかな…………」



 俺は、しばらく黙っていた。


 いざ嘘をつこうと思うと、嘘と言うのが出てこないのだ。


 今朝の女子高生のように、実は、自分はアラブの大王だったとでも言おうか。そんなことを言ったところで笑い話にもならないだろう。


 どんな嘘を言ったものだろうか。



 桜を眺めているうちに思いついた嘘。



「そうだな……『明日、目を覚ましたら、真紀は元気になってるんだ。そして、俺に笑いかけてくれるんだよ』」



 頭の中で、何かが『カチッ』と音を立てたような気がした。



「どうだい? 真紀、騙されてみてよ。騙されて、目を覚ましてよ」



 あり得ない嘘。


 あるはずのない嘘。



 そのまま、真紀の手をさすりながら夢の世界に落ちていった。




「章ちゃん、起きて。風邪引くよ、章ちゃん」



 遠くで真紀が呼んでいるような気がした。


 きっと、夕べあんな嘘をついたから、夢を見ているんだろう。



「章ちゃん、起きて」



 俺はうっすらと目を開けた。


 不自然な姿勢で寝ていたせいか、体が痛んだ。


 どうやら、ベッドに上体を伏せたまま寝てしまったようだ。


 俺はゆっくりと体を起こすと、目をこすった。



「フフッ、章ちゃんたら、本当に寝坊助なんだから」



 その声に顔を向けると、そこにはベッドの上で上体を起こして座っている真紀がいた。


 

「ま……き?」


「なに?」


「真紀……目が覚めたのか!」


「だって、章ちゃんが言ったんじゃない。『明日、目を覚ましたら、真紀は元気になってるんだ。そして、俺に笑いかけてくれるんだよ』って。だから、起きたの」




 確かに言った。


 言ったが、あれは希望的な嘘だ。こんな奇跡が起るはずがない。



「ずっと、章ちゃんのこと見てたよ。二年間、ずっと。毎日毎日。章ちゃんが来てくれるのを楽しみにしてたの。起きたかったけど、どうしてか起きられなかったの。ごめんね」



 ああ、神様。


 エイプリールフールのキセキは、


 本当にあったのですね。



 俺は始めて、神に感謝した。




fin


いかがでしたでしょうか?


楽しんでもらえたら嬉しいです^^

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