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史書  作者: 風華
旅の始まり
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第二章 旅の始まり 4 

 紅貴が煌李宮を発った日の昼――その頃、煌李宮近くの路面に面した屋台で、二人の男が昼食をとっていた。

「遥玄様が俺を呼ぶのは久しぶりですね」

 駿は、横に座る50代半ばにしかみえない男を見てそう言う。

「たまには上司の悪口を一緒に言おうと思ってね

遥玄はそういうと、これからいたずらしようとしている子供のように楽しげににっと笑った。本当に子供みたいな人だと駿は思うが、そんなことを思ったら失礼だろうと思い、笑うのをこらえる。

「遥玄様が上司の悪口を言うためだけに俺を呼ぶはずないじゃないですか。そもそも、あんなに可愛がっている鳳華様の悪口を遥玄様が言うとは思えませんし」

「本当はね、駿にお願いがあってきたんだ。師匠のお願い聞けるよね?」

 にっこりと笑う遥玄の笑顔は、駿が幼い時からまったく変わってないように見えた。笑い方も、そして、外見年齢も。駿が幼少期に、師である遥玄に剣を教わっていた時から、何もかも変っていない。当時から、遥玄の実年齢は謎だった。どんなに聞いても遥玄がそれを教えることはなく、周りの大人に聞いても知らないという。ただ、一つわかっているのは、その大人たちが子供の時も、遥玄は同じ外見だったということだ。

「駿話きいてるか?」

「すみません。つい……。お願いというのは?」

「お願はね、鳳華様のことなんだ」

「桃華ちゃんですか?」

 駿は少し驚く。遥玄の直接の上司でもある桃華のことを駿に頼むなどこれまでになかったことだ。

「そんなに驚くことじゃないよ。鳳華様に頼まれた仕事を俺の代わりに駿にやってほしいんだ。見ればわかると思うけど、駿の方が適任だと思ってね」

駿は、遥玄に渡された紙を開いた。

「確かに、俺の方が向いてますね。油断を作りやすいだろうし。それにしても、これ、翡翠と桃華ちゃんの役を交換した方が良いと思うのですが……。桃華ちゃんはいったい何を考えているんだろう」

「さぁ……でも、鳳華様には彼女なりの考えがあるんじゃないかな。とにかく頼むよ」

「わかりました」

「それから、この件が片付いたら、王から俺たちが受けた命、弄国関係のことで気になることがある。調べるの付き合ってくれないか?」

 遥玄が、いつになく、静かな、微かに張りつめた声で言いった。駿は、いつもの師らしくないことを不思議に思いながらも、頷いた。


 関所内部に連れて来られた少女は不安そうに辺りを見回していた。明かりは灯っているとはいえ、何もない殺風景な建物は、まだ幼い少女には、どこか冷たく、不安な気持ちにさせているのだろう。

「お譲ちゃん、大丈夫だよ。いくつか質問したら、すぐ終わるから」

 表向きは関所内部の担当になっている男は、少女を椅子に座らせる。向かい合い、目の前に座った少女は、木でできた机を見てうつむいていた。窓から入る微かに冷たい風が、少女のくるくるとした黒髪を揺らしている。

「お譲ちゃんのお名前は?」

 男はできるだけ優しい声で話しかける。目的を果たした今、後は、本当の役人がやるべき仕事を代わりにやり、今日を乗り過ごす。少女をわざわざ怖がらせる必要もないだろう。

「……ちょう 楊花ようかって言います」

 少女は相変わらず俯いたままだ。身分証明書を持たないために、尋問を受けることになってしまった少女を不憫に思いながらも、男は質問を続ける。今、自分は役人なのだ。

「楊花ちゃんはどこから来たのかな?」

「李から」

「これからどこに何をしに行くのかな?」

 楊花と名乗った少女は急に顔を上げた。まっすぐにとこちらを見た少女の黒い眼には鋭い光のようなものが射しているように感じられる。笑うのでも、悲しむのでもなく、無表情でこちらを見る少女は、少女が発する気配にしては、ずいぶんと鋭い気配を纏っている。鋭い氷のようなそれへと変わり、先ほどまでの、不安な様子の少女と同一人物だとは思えない。やがて少女が口を開く。

「紅貴はどこ?私は、紅貴を助けに来たの」

 少女はぴしゃりと、そう言った。少女の言葉が反芻する。この少女はあの赤い髪の少年のことを知っているのだ。

「……いったい何のことかな」

 男は、そう言いながら、少女に気付かれないように隠し持っていた短刀を取り出す。とても子供の威圧感とは思えない少女の気配に圧倒され手から汗が噴き出ていたが、落とさずに取り出すことができた。それを知ってか知らずか少女は言葉を続けていた。

「洸だか恵だかしらないけど、紅貴を使っていったい何をするつもりだったのかしら」

「それはお譲ちゃんが知らなくて良いことなんだよ…!」

 男はそう言いながら短刀を少女に突き刺そうとする。しかし、パシッという音とともに、刀が弾かれていた。少女は武器を持っていなかったはずだ。――状況を理解するのに、数秒かかるが、やがて目の前の状況を理解した男は目を見開いた。刀を弾いたものは扇子だった。少女の口元にはわずかに笑みが広がっていた。

「関所にいれば、簡単に紅貴を捕まえられると思ったんでしょ?偽物の身分証明書を持った紅貴を連れ込んだら取り調べだっていえばすむものね。それなら紅貴と一緒にいるはずの二将軍と戦わなくてもすむ。あなたたちは、そのために、関所で働く役人を襲った。違う?」

少女の言葉は当たっていた。ドクンドクンという心臓の音が全身に響いている。しかし、なんとか平静を装う。そんな男の感情を無視するかのように少女は声をあげて笑った。

「漣があなたたちを待ってるわ。あぁ、漣っていうのは、あなたたちが襲った役人。あなたたちを捕まえるために、わざわざ関所の役人をやることになったのよ、彼。知ってるとは思うけど、漣は文官のわりには武道にも通じるのよ。だから選ばれたわけなんだけど……。その漣を倒したことは褒めてあげる。でも、私を倒すのは無理だと思うわ。そう、煌李宮に、何かたくらんでる人がいるのは分かってたわ。あなたたちはその人に雇われたか、もともとその人の下で働いていたんでしょう?ちょっと心当たりがあってね。私は、その人を完全にあぶりだすために、紅貴を利用したの。そんなことも知らずに、ごくろうさま。それから最後に……私がわざわざ話さなくていいことまであなたに話すのはあなたを捕まえられる自信があるからよ」

 少女はにっこりと笑った。その笑みが消えると同時に少女が動き出す。武道に長けているのだろう。少女の素早い動きに対応できないだろう――そう思うと同時に、男は落ちた。


 人体の急所の一つを突かれた男は気絶している。その男を、少女――桃華は見下ろした。

「入口の偽役人は、今頃、兵が押さえているだろうし、あとは紅貴を助ければ終りね」

 桃華はそうつぶやき、男が落とした短刀を拾いあげた。そして、懐から、関所内部の図が描かれた紙を取り出した。漣が描いてくれたものだ。

「紅貴がいるのはこの辺かしらね」

桃華は、一人そうつぶやくと、紅貴のもとへ駈け出した。


「紅貴~起きて~!」

 聞き覚えがある少女の声。ゆっくりと目をあけると、目の前には桃色の服を着た少女がいる。桃華に似ているが髪の色と目の色が少し違う。桃華は黒髪黒目ではなく、茶髪茶目だ。しかも桃華は紅貴の知っている限り、髪をお団子にしていたが、目の前にいる少女は髪をおろしている。

「紅貴起きた?行くわよ」

 少女はそういった。紅貴は完全には覚醒していない頭で紅貴は声を出す。

「あなたは……」

「紅貴何言ってるの?私は桃華!紅貴の口に噛まされていた布にしみ込んでいた睡眠薬のせいでボケてるの?」

 一度目が覚めたのにまた寝てしまったのはそういうわけかと、紅貴は妙に納得するが、目の前にいる少女が桃華だとは、紅貴には思えなかった。しかし、声はまぎれもなく桃華だ。

「……もしかして、髪と瞳の色に驚いてるの?これは、関所に侵入するのに、万が一二将軍だってばれたらまずいから色を変えたの。二将軍の鳳華は若い女で目と髪が茶色って知られてるみたいだから。髪は染め粉でそめて、目は特殊な目薬で変えたのよ。似合うでしょ?」

「特殊な目薬……?」

 桃華らしき人物はこくりとくなずく。子供っぽくおおきく頷く様子は、たしかに桃華だ。

「数時間しかもたない上に貴重だからなかなか手に入らないんだけど、その目薬を使えば目の色を変えることができるの。それはそうと、行くわよ。天テンが外で待っているわ」

「紅貴がつかっていた馬は先に瑠璃たちのところに向かったわ。その代わり天テンが外で待っているはずだからそれに乗って今夜の宿に行くわ。天テンに乗って飛べばすぐよ」

「ちょっとまって天テンって……まさか空飛ぶの!?」

「当然でしょ?とんだほうが速いもの」

 紅貴は思わず、手をぎゅっと握った。飛ぶということはつまり、高い所に行くということだ。そんな紅貴の様子に気づいたのか、桃華が言う。

「もしかして紅貴って高所恐怖症?」

「うん……実は」

 紅貴が小声で言うと、桃華は柔らかい声で言う。

「大丈夫よ。天テンは飛ぶのじょうずだから。行きましょう」

 紅貴は頷くと、桃華の髪を見る。桃華は自分を助けるためにわざわざ髪の色や目の色まで変えたのだ。

「桃華、ありがとうな」

 桃華は中途半端な笑みを浮かべただけだった。いわゆる苦笑いというやつだ。そんな桃華を不思議に思いながらも、桃華の後について行き、外に出た。日は沈みかけ、青かった空も茜色になっていた。紅貴達が外に出たころ、茜色の空の彼方から白いふわふわとした天馬が飛んできた。天馬は静かに桃華の横に着地すると、キュンと鳴いた。桃華は天テンを撫でながら話しかけている。

「……刀があると、二将軍って疑われる可能性があったから預けなきゃいけなかったの。天テン、ありがとう」

桃華は紅貴のほうを振り返りにっこりと笑う。

「紅貴、前に乗って」

 紅貴はおそるおそる天テンに跨った。そして、それに続き桃華も飛び乗る。二人が天テンの背に跨ると、天テンはフワリと飛んだ。あっという間に、関所を見下ろす高さに飛翔した。大きいと感じていた李仙道の門も小さく見える。そしてあっという間に関所は見えなくなった。


――靖郭桜亭。その内部に入ってすぐのところでは、瑠璃と白琳が待っていた。紅貴の顔を見るなり、笑顔で駆けつけてきた

「紅貴、無事だったのね」

 瑠璃が本当に嬉しそうに言った。紅貴もつられて笑う。

「うん、桃華が助けてくれたんだ」

「良かったですわ。ところで桃華様は?」

「うん、なんか着いた瞬間、翡翠のところに行くとか言って、ものすごい勢いで階段降りていったけど」

紅貴がそう言うと、白琳がそれまで以上に柔らかい表情になったように紅貴には感じられた。

「じゃあ桃華様は翡翠様のところへ行ったんですね?」

「うん」

「それにしても紅貴が捕まったのに、うちの馬鹿兄がほっとくっていった時はどうなるかと思ったけど、桃華が助けてくれて良かったわ」

「……翡翠、そんなこと言ったんだ。いや、そういう奴だとは思うからべつにいいんだけどさ…」

「とにかく、助かってよかったです。一日目から大変でしたけど、とにかく全員揃ってよかったですね」

紅貴は最後にもう一度頷いた。


「翡翠、お待たせ」

 桜亭の地下深くに掘られた道場の戸をあけると、翡翠が腕を組んだまま座っていた。翡翠の前には桃華の刀がある。龍のぬいぐるみが括りつけられた脇差は鞘から抜かれることはなく、そのまま置いてあったが、もう一つの刀は不思議なことに、僅かに鞘から刀が抜けていた。桃華は急いで刀の前に行くと、二本の刀を脇に差した。

「……翡翠ごめん。ありがとう」

「いや。紅貴は助かったのか?」

「うん、助けたよ」

「そうか」

翡翠はゆっくりと立ち上がった。僅かに青白い翡翠の顔が桃華を見下ろす。

「俺は疲れたから寝る」

「うん……。あの……白琳呼ぶ?」

「いや、いい」

 翡翠はそれだけ言うと、桃華に背を向けて道場を出て行った。一人残った道場で、桃華は座りこむ。

(翡翠、ごめん……)

桃華は心の中で静かに謝った。

(でも、……の可能性があったから翡翠にやらせるわけにはいかなくて……)

 桃華は、珍しく、もう一度深いため息をついた。


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